13
ルイーズ達が、ヴァンドール侯爵領ディエルネを発った翌日。
ロッシュブール公爵領の領都サン=セクーレにある酒場では、海賊風の服装をした赤毛の男と、東の国と思しき顔立ちの男二人が、小さな丸テーブルを挟んで座っていた。
「一体どういうつもりだ!? わざわざ対象にツラ晒すような真似しやがって」
「俺の顔がわかったところで別に問題ない」
「はぁ!? こっちは国の命運がかかってるんだぞ!」
「そんなのは俺の知ったことではない。文句があるなら他をあたってくれ」
「お前……ふざけんなよ! こっちが下手に出てりゃ、いい気になりやがって!」
二人組のうち若い方の男が激昂した様子で立ち上がり赤毛の男の胸ぐらを掴むと、もう一人が宥めるようにその手を押さえて片割れを座らせた。
「まあまあ、落ち着けよ」
「これが落ち着いていられるか! 向こうにコイツの正体がバレちまったら、そのせいで任務がパァになるかもしれないんだぞ! お前だって陛下の怖さは知ってるだろう」
「もちろん知ってるさ。だが、この男がいないと任務の遂行が難しいことも事実だ。わざわざ仲間割れしてどうする?」
「そりゃそうだけど……」
パンパンと掴まれた部分を手で払って、赤毛の男がジョッキを呷る。それから、徐に席を立とうと腰を上げた。
「もういいか? 本番に備えておかなきゃならないんでね」
「ああ、もう少しだけ。最後に確認したいんだが」
「なんだ」
「まあ座れよ」
二人組の年嵩の方の男に促されて、再び赤毛の男が腰を下ろす。スッと目を眇めた年嵩の男が、テーブルに片肘をついて手の甲に顎を乗せた。
「まさかとは思うが……あんた、妙なことを考えちゃいないよな?」
「妙なこと、とは?」
「……あの姫さん、あんたが惚れてた女の娘なんだろ? 顔もそっくりって話だし、実物を見て気が変わったんじゃないのか?」
「…………」
ジロリと睨み上げた赤毛の男が、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「俺に幼女愛好の趣味はない。……それよりも、ちゃんと報酬は用意してあるんだろうな?」
「当たり前だ。我々の帝は嘘はつかない」
「ならば結構。……ああ、あと例の御札とやらを追加でもらえるか?」
「簡単に言ってくれるがな。あれ一枚で官吏の給料の一年分吹っ飛ぶくらいの価値があるんだぞ」
「お前達が手に入れようとしているのは、それより遥かに価値があるものなんだろう? それと比べれば安いものだ」
「はあ……分かったよ。……ほら、これで最後だ」
何やら複雑な文字のようなものがびっしりと書き込んである長方形の紙片を受け取り、今度こそこの場を去ろうと赤毛の男が立ち上がった。
「具体的な日時が決まったら連絡する」
「了解した」
赤毛の男の姿が見えなくなると、年若い方の男が自国の言葉で話し始めた。
「霖、あいつ本当に信用できるのか?」
「信用できるかどうかというより、するしかないな。この国の事情に明るくない我々だけでは、任務の遂行は難しすぎる。もし奴等が失敗すれば、報酬を渡さなければいいだけのこと」
「でも、前払いもしてるんだろ?」
「それくらいは想定内だ。……入ってきた情報によると、決行まではあと十日といったところか。天候にも左右されるからな。悪天候の場合にも備えておけよ」
「失敗した場合は、パターン2の方で行くのか?」
「どの段階での失敗かにもよるな。それも含めて、あらゆるパターンを考えておく必要がある。とりあえず、他のメンバーを一度集めよう。……頼めるか、徳?」
「ああ、任せろ」
合点承知とばかりに頷いた徳と呼ばれた男が、足早に立ち去っていく。残されたもう一人の男は、椅子の背もたれに寄りかかると天を仰いで大きく息を吐いた。
男にも、例の王女と同じくらいの歳の娘がいる。そう考えると何ともやりきれない気持ちになってくるが、国の為に必要なことだと割り切るしかない。
陛下は聡明なだけでなく、見目も大層麗しい方だと聞く。グランシェールの姫が伴侶となる皇帝を気に入ってくれれば、この何とも言えない居心地の悪さも少しは和らぐのだろうか?
(……いや、深く考えるのはよそう)
いくら考えたところで、所詮自分のような下々の者には関係ない話だ。ならば、自分の為すべきことをやるまで。
気持ちを切り替え、男は代金をテーブルに置いて店を出た。そして、もう一人の協力者が待つ場所へと向かったのだった。
◇◇◇◇◇
ちょうど同じ頃、ルイーズ達一行はヴァンドール侯爵領からロッシュブール公爵領へと入ろうとしていた。予め通達が出されていたこともあり、公爵領へはすんなりと入ることができた。今日ここから一番近い街に一泊して、明日のうちには領都サン=セクーレに到着予定だ。
ミシェル・ファーブルとの遭遇以来、元々過保護気味だったアランは超がつくほどの過保護ぶりを発揮して周りを呆れさせていた。馬車のなかや食事の時はもちろん、宿に着いてからもトイレや湯浴みの時間以外は婚約者であるルイーズの側を片時も離れようとせず、しまいには夜も同じ部屋で寝ると言い出す始末。
「ルイーズと同じ空間にいないと心配なんだ。床でも構わないから一緒にいさせてくれないか」
「そう言われましても、公爵家のご令息にそのような……」
「じゃあそこのソファで横になるから。僕のことは気にしなくていい」
「しかし、さすがに未婚の男女が同じ部屋というのは」
「心配なら君も同じ部屋で見張っていてくれればいいよ。それなら構わないだろう?」
「…………」
マルセラ相手に粘りの一手で強引に押し切ったアランが、意気揚々とルイーズの部屋のソファに収まった。寝るまでの間ということで、今はソファに隣り合って腰を下ろしている。
「明日の夕方には公爵邸に着く予定だよ。先に送った荷物ももう着いている頃じゃないかな」
「とうとうロッシュブール本邸に着くのね。パルティエ伯爵ご夫妻ににお会いするのが楽しみだわ」
パルティエ伯爵というのは、ロッシュブール公爵家が持つ爵位の一つで、現在は先代の弟であるアランの大叔父マルタンが名乗っている。マルタンには子供がいないため、彼の死後はジョアンが継ぐ予定だ。
「僕も大叔父上にお会いするのは随分久しぶりなんだ。しばらく社交界にも出ていないしね。僕の父と違って飄々としたユーモアのある方だから、話しやすいと思うよ」
「見た目は公爵と似てらっしゃるの?」
「うーん……髪と目の色は同じだけど、顔立ちはあまり似ていないかもね。父上は僕の祖父にそっくりなんだ」
「そうなのね。前公爵は、王都にいらっしゃるわよね?」
「うん。お祖母様がここは冬の寒さが厳しいから嫌なんだって。それで、お祖父様も一緒に王都にいるというわけ」
「そのお年になってもそんなに仲が良いなんて素敵ね」
「そうだね。弟に領地を任せていられるから出来ることとはいえ、僕が見ていても祖父母は本当に仲が良いと思うよ。彼らは僕の理想なんだ。僕も50年後にもこうやって君と一緒に居たい……心からそう思っているよ」
涼やかなグレーの瞳を細めて、アランがルイーズの頬を親指で撫でる。その優しい眼差しがルイーズを心から愛おしいと雄弁に物語っていて、ルイーズの胸は甘くときめいた。
「私も……歳をとっておばあさんになっても、ずっと一緒に居たいわ」
「うん。ずっとずっと、一緒にいよう。……約束だよ」
「ええ、約束ね」
傍目には、幼い婚約者同士の微笑ましい約束にしか聞こえない言葉。しかし、ルイーズにはその言葉が、まるで未来を縛る甘く重い鎖のように思えた。
(こうやってゲームの”王女ルイーズ”はアランとの約束に縛られていくんだわ)
この約束を、未来を縛る鎖ではなく、二人の未来を彩る祝福の言葉に変えられたなら──。
「……ルイーズ? もう眠くなっちゃった?」
ともすると暗い方向に行きがちな思考を、アランの気遣わしげな声が引き戻してくれた。
「そうかも……」
「明日も長旅になるから、そろそろ寝ようか」
「はい」
ソファから立ち上がったルイーズと共に、ベッドの方へと一緒に向かうアラン。ベッドにルイーズを横たわらせると、顔を覗き込むように身を屈めた。
(ち、近い……!)
整った顔が至近距離に迫り、ダークブラウンの髪がさらりとルイーズの顔にかかる。
「あの……アラン、さま……?」
(このまま、キスされる……!?)
思わずギュッと目をつぶったルイーズの顔の上で、アランが小さく笑う気配がした。
「ふふ……もしかして、キスされると思った?」
「……っ、そんなこと……!」
自分だけが勘違いしていたなんて恥ずかしすぎる。
真っ赤な顔で抗議するものの、説得力ゼロなのは言うまでもなく。
「それなら、愛しい婚約者殿の期待に応えないとね」
「え……っ」
美しいのにどこか悪そうにも見える笑みを浮かべたアランが、頬に触れるだけのキスを落とす。揶揄われたのだと気づいたが、自分を見つめるあまりにも優しい表情にルイーズは思わず言葉を失くした。
「おやすみ、ルイーズ。良い夢を」
「……おやすみなさい、アラン様」
──どうか、この笑顔を50年先にも見ることができますように。
そう願いながら、ルイーズは目を閉じたのだった。
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