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誤字報告、ありがとうございます!
キーン……と耳鳴りがしたかと思うと、ルイーズは急に水の中に放り込まれたような圧迫感を感じた。
周りの景色は変わっていないのに、さっきまですぐ側にいたはずのアランやイレーヌ、マルセラの姿が見えない。それどころか、周りにいた他の露天商や通行人までもが綺麗さっぱり消えている。
(一体何が起こっているの……?)
たった今この空間に存在するのは、男とルイーズのみ。
まるで自分と目の前の男だけが切り取られた世界の中にいるかのような錯覚に陥り、ルイーズは瞬きを繰り返した。
どうやら自分はこの男によって、結界のような場所に閉じ込められてしまったらしい。しかし、これは通常の結界ではない。結界というのは魔力によって物理的に空間を遮断する障壁であって、視覚にまで影響を及ぼすものではないのだから。
(それにしても、本当に存在していたなんて……)
耳にかかる長さの少し癖のある赤毛とやや吊り気味の琥珀色の瞳。そしてその左頬には、刃物で付けられたと思われる傷痕。
夢の中に出てきた男と同じ風貌の人物を、ルイーズは信じられない気持ちで見つめた。この男が実在する人物だというのなら、もしかすると自分が見たのは、本当に予知夢なのかもしれない。
そこまで考えたルイーズは、自分の口の中がカラカラに乾いていることに気づいた。
ルイーズを興味深げに眺めていた男の口元がゆっくりと弧を描き、琥珀色の瞳がスッと細められる。
「お目にかかれて光栄ですよ、姫君」
「貴方は、一体──……っ!?」
誰なの?とルイーズが問うよりも早く、ルイーズの方に向かって手が伸びてくる。
ビクッと肩を揺らしたルイーズの頬に男の手が触れる寸前、頭の中に突然違う人物の声が割り込んできた。
『────殿下、指輪を!』
ハッと我に返ったルイーズが左手の小指にある指輪を抜き去った途端、閉ざされた空間に密度の異なる空気が一気に流れ込んできた。
夏特有の熱を孕んだ風が、男とルイーズの間に強く吹き抜ける。
顔は動かさずにさっと周囲に視線を巡らせた男が、短く嘆息して肩をすくめた。
「……残念、タイムオーバーのようですね。やはり貴女に幻覚は効かないようだ」
「──幻覚?」
(指輪を外したから、幻覚が解けたってこと?)
いつの間にかすぐ側まで来ていたファーブル子爵が、自分と良く似た顔の男を睨みつけた。
「貴様……よく我々の前に姿を現すことができたな」
「言われずとも、もう二度と現れませんよ。……貴方の前にはね」
(やっぱりこの人……)
ルイーズを挟んで対峙する二人の男達は、とてもよく似ている。《幻覚魔法》を使うこと、そしてルイーズのことを誰かに"生き写し"と評したことからも、この男の正体は自ずと知れてくる。
「何だと? どういう意味──」
「では、またお会いしましょう。姫君」
「──おい、ミシェル! 待て!」
訝しむように問いかけたファーブル子爵には見向きもせず、男はこちらに背を向けて歩き出す。が、数歩進んだところで、その姿はまるで霞のように跡形もなく消えてしまった。
後に残されたのは、誰もいない露天のワゴンと王室グッズの数々。
(え? 消えた……?)
「……ッ……逃げられたか」
男が消えた地点で辺りを警戒するように目を配ったファーブル子爵が、悔しそうに唇を噛む。一瞬遅れて耳に入ってきた街の喧騒に、ルイーズはキョロキョロと辺りを見回した。
「ルイーズ!!」
「ルイーズ様!」
「殿下!」
一斉に自分を呼ぶ声が聞こえたかと思うと、ガバッと強い力で抱きすくめられた。息ができないほどの力で抱きしめる腕が小さく震えていることに気づいて、ルイーズはおずおずと声をかけた。
「…………アラン様?」
「君が……消えてしまったかと思った…………よかった、無事で…………」
「……っ、はい……」
途切れ途切れに紡がれるアランの声は震えている。未だかつて、彼のこんなに弱々しい声を聞いたことがない。
(この方は、こんなに私のことを想ってくれている)
アランへの申し訳なさと愛おしさが込み上げてきて、ルイーズは胸が苦しくなった。
「王女殿下! ご無事で何よりです」
「……デュカス」
駆け寄ってきた専属近衛騎士のデュカスが、ホッとした様子でルイーズに声をかける。物々しい雰囲気に、教会の前にいた人々も何事かと立ち止まってこちらを見ている。
「騒ぎが大きくなる前に領主館に戻りましょう。話はそれからです」
「ええ、そうね」
「こちらです」
周りを警戒しつつ通りの向かいに止めてある馬車を指し示したデュカスに誘導され、ルイーズは急いで馬車に乗り込んだ。マルセラとイレーヌも早足で追ってくる。
馬車に乗り込むと同時に、アランはルイーズを膝の上に乗せてガッチリと両腕で囲い込むように抱きしめて動かなくなってしまった。
「あの、アラン様……?」
「すまない……帰るまでこのままでいさせてくれないか? 頼む……」
「……はい」
懇願するようなアランの言葉に、ルイーズは頷いた。こうして抱きしめていてもらうと安心するのは、ルイーズも同じなのだ。
いつもならアランのスキンシップを見咎めるはずのマルセラも、さすがにこの時ばかりは何も言わずにいた。
ヴァンドール侯爵領の領主館に着くやいなや、騒ぎを聞きつけたマクシムが慌てふためいた様子でルイーズ達を出迎えた。
「王女殿下! ご無事なお姿を拝見し心より安心いたしました」
「マクシム殿、心配をおかけしました」
「いいえ、滅相もございません。昨晩妹が大変な失礼を申し上げてしまったばかりか、今度は我が領地内でこのような危険な目に遭われるなど──」
「謝罪は後にしてもらってもいいだろうか? 今は一刻も早く状況を整理したい」
平身低頭のマクシムを止めたのは、ファーブル子爵だった。皆同じ意見なのか、異を唱える者はいない。
「──あっ……も、申し訳ございません。すぐに部屋を用意させます」
「ああ、頼む。……殿下。お疲れとは存じますが、よろしいでしょうか?」
「もちろんよ。私も貴方に聞きたいことがあるわ」
「承知しております。このような事態になったからには、全て包み隠さずお伝えする所存です。……では、後ほど」
ファーブル子爵がお辞儀をして去っていくと、馬車から降りてもずっと手を離さずにいたアランが、ルイーズの手を引いて歩き出した。
滞在する貴賓室の前まで来ると、向かい合わせに立ったアランがルイーズに微笑んだ。
「とりあえず着替えた方が良さそうだね。僕もすぐに行くから。……またあとで、ルイーズ」
「ええ」
チュ、と額に口づけを落としたアランが自室に入るのをボーッと見ていたルイーズは、イレーヌに声をかけられて我に返った。
「ルイーズ様、お召し替えをいたしましょう」
「っ……そ、そうね」
イレーヌとマルセラによって身支度をされている間も、ルイーズの頭の中はさっきまでの出来事でいっぱいだった。
初めから警告されていたにもかかわらず、ファーブル子爵に声をかけられるまで魔封じの指輪のことに全く思い至らなかった。
そのことが、ルイーズには何よりもショックだった。
(実践経験が無いって、こういうことなんだわ)
いくら魔力が多くても、全属性に適性があったとしても、いざという時に使えなければそんなものは無用の長物だ。
王女という立場から前線に立つことこそ期待されていないとはいえ、自分の身を守ることができるようにこれまで訓練を受けてきたというのに。
『またお会いしましょう』
ルイーズの前に現れた男、ミシェル・ファーブルは、そう言い残して去って行った。
どんな術を使ったのか知らないが、目の前から忽然と消えてしまったことから考えても、その逆──つまり突然目の前に現れることだって考えられる。
もしもあの夢のとおりに、ミシェルがルイーズを何処かへ連れ去ろうとしているのだとしたら。
その時自分は、今度こそちゃんと対処できるのだろうか?
生まれて初めて感じる身の危険に大きな不安を感じつつ、ルイーズは話し合いの場へと向かったのだった。
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