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お待たせいたしました。第4章連載開始です。
初夏の太陽が傾き、街の石畳に長い影が差し始めた頃。オルセー侯爵家の使用人であるヴァンは、港町サン=ソラージュの名物と言われるムール貝のワイン蒸しを熱心に口に運んでいた。
「…俺の分は残っているか?」
「あ、わりぃ…もうこれで最後だ」
「何だ、残念だな」
ガタンと音を立てて向かいの椅子に座った男がぼやく。さして残念そうにも見えない男を見ながら、ヴァンはニヤリとした。
「そんなに食べたいなら、追加で頼んでやるよ。もちろん俺の奢りだぜ?」
「いや、いい。それよりも酒が飲みたい」
「そうだな、俺も頼もう。……おーい、ラナ!」
ヴァンが声をかけると、ハニーブロンドの長い髪をポニーテールにした若い女がペンとメモを持ってやってきた。
「あら、こちらのお客さん久しぶりに見るわね。今日は何にします?」
「俺は赤で。レスティーユ産のものはあるか?」
「ええ、10年物でいいかしら?」
「じゃあ、それを頼む」
「かしこまりました。…ネロ、あなたは?」
「俺はさっきと同じやつで。あと、つまみにチーズを持ってきてくれ」
「了解。………って、やだ!どこ触ってるの!?」
形の良い尻を撫で回すヴァンに、ラナが非難めいた眼差しを向ける。ヴァンはラナの言葉にヘラリと笑って返した。
「いいじゃないか、減るもんでもないし」
「だめよ、仕事中なんだから」
「仕事中じゃなきゃいいのか?」
「そ、それは…」
迷ったように視線を泳がせるラナを見て、心の中でほくそ笑む。異国の血を色濃く感じさせる顔立ちの自分がどれだけ女たちを惹きつけるか、これまでの経験上ヴァンはよくわかっていた。
椅子から立ち上がると、ヴァンはキュッと締まった腰を抱き寄せて耳元に顔を寄せた。
「仕事が終わったら、ここへ来てくれ。3階の11号室だ」
囁きながら自分が泊まっている宿屋の名刺をエプロンのポケットに忍ばせる。少し緊張した顔で、だがしっかりと頷いたラナが、注文を伝えに厨房へと消えて行った。
「…相変わらずお盛んなことだ。まだネロという名前は使えているらしい」
「おかげさまで。特にこれといった特徴もない男で助かったよ」
「まぁ、わざわざそういう人物を探したからな。ここまで上手くいくとは思っていなかったが」
「それもこれもあんたのおかげだよ。恩に着るぜ、デリス」
「いや。…女遊びも結構だが、ちゃんと必要な情報は集められているんだろうな?」
ジロリと睨まれて、「おっかないなぁ」と肩をすくめながらヴァンが頷く。
「もちろん抜かりないさ。あんたのお目当てのお姫様は、3日前に王城を出発した。途中ヴァンドール侯爵領に2日ほど滞在してから、その3日後にロッシュブール公爵領に入る予定だ。久しぶりの王家からの降嫁とあって、領都では歓迎ムード一色らしいぜ」
「ほぉ…」
その歓迎ムードに水を差すのも気が引けるが、仕事なので仕方がない。ヴァンは何年も前から、ロッシュブール公爵領に伝手を作るために動いていた。自分の仕えるオルセー侯爵家の令嬢マヌエラが、ロッシュブール公爵家の長男アランに惚れこんで、何としても結婚したいと言い続けているからだ。
あの強欲で狡猾なオルセー侯爵が我儘娘の言いなりになっている様は傍から見ても異様だが、ヴァンとしては報酬さえもらえれば別に構わない。そのために違う人物に成りすましロッシュブール公爵領の屋敷にスパイを侵入させることにも、何の苦労も感じなかった。
それからしばらく、2人は東の国やルーデック公国の様子などについて情報交換した。チーズをつまみながらワインをちびちび飲んでいたデリスが、思いついたようにヴァンに尋ねる。
「お前の駒とやらは、やはり女なのか?」
「まぁね。最大のポイントは、本人が全く駒だと自覚せずにやってるってことさ」
「全く質の悪い男だ。…まあ、こちらとしては助かるがな」
ニヤリと口の端を上げた男の名前が本名ではないことぐらい、ヴァンも知っている。しかし、この男には底知れぬ何かがあるとヴァンの本能が告げていた。だから一切余計な詮索はしない。自分がネロという男に成りすますために目の前の男が一体何をしたのか、そんなことを気にしてはいけないのだ。
「日程がはっきりしたらまた連絡する。お姫様の方は、あんたに任せちまっていいんだよな?何せ王族に手を出そうっていうんだ。万が一足が付いたりした日には、こっちもタダでは済まない」
「わかっている。……その代わり、坊ちゃんの方はお前達が上手くやれよ。俺はそっちまで手を回す余裕はないぞ」
「ああ、失敗したらコレだからな。ちゃんとやるさ」
親指で首を切る仕草をしたヴァンを見て、デリスが頷く。それから、上着の内ポケットから紙幣を抜き出しながら席を立った。
「今回の仕事は、一生に一度あるかないかの大仕事だ。これで人生が変わる可能性もある」
「そうだな。お互い生きていられるように頑張ろうぜ」
「ああ」
来た時と同じように、何の挨拶もせずに男は去っていった。テーブルに置かれた紙幣を見ながら、ヴァンが独りごちる。
「ムール貝もう一回頼んでもお釣りが来るんだけど…」
東方では、タヌキという動物が木の葉をお金に変えて人を騙すのだという。
(まさか、一晩たったら葉っぱになってたりしないよな…?)
あの男なら十分あり得る。人を欺き惑わせることを得意とする、あの男なら。
「……ま、いいか。とりあえず今夜はお楽しみだ」
チラリと視線を寄越したラナにウィンクしてから店を出たヴァンは、滅多にない大仕事を前に武者震いのような興奮を覚えていた。
◇◇◇◇◇
所変わって、ここはロッシュブール公爵領と王都の間に位置するヴァンドール侯爵領内。領都の郊外にある山道を、明らかに貴人が乗っていると分かる豪華な馬車とそれを取り囲むように騎乗した騎士達が進んでいた。
「少し休憩しようか、ルイーズ」
「外に出ても大丈夫かしら?」
「多分ね。先に出て確認してくるから待ってて」
「ええ」
小窓を開けて御者に何やら伝えたアランが、馬車が停まるとすぐに外へ出ていった。王都を出て3日目となる馬車の旅だが、衝撃を和らげるために風の魔石が使われているおかげで今のところ快適に過ごすことができていた。
後ろの席でウトウトしていたらしいイレーヌが、マルセラにたたき起こされている。慌てて口の端を拭う様子を見て思わず笑ってしまったルイーズに、イレーヌがジト目を向けた。
「ルイーズ様…そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
「だって、イレーヌの慌てた顔が面白くて」
「むうぅ…」
「そんな顔してると、リュックに言いつけちゃうわよ?イレーヌは馬車の中でヨダレを垂らして寝ていました、って」
「えぇっ!?そんなの酷すぎます…どうか勘弁してくださいよぉ…」
「ふふっ、言わないわよ。私もそんなことをアラン様に知られたら嫌だもの」
「───僕に何を知られたら嫌なの?」
「ア、アラン様……何でもないわ」
ぬっと背後から肩越しに寄せられた顔に驚きつつ、ルイーズは避けるように馬車の奥へと身体をずらそうとした。が、腰を引き寄せられてさっきよりもさらに顔が近づく。
「ふぅん…?僕には言えないこと?」
「おっ、乙女の秘密です……!」
「……」
ピタリと動きを止めたアランが、はぁ…と額に手をやり溜息をつく。
「そう言われてしまうと仕方がないね。…出ても大丈夫みたいだから、この辺を少し散歩でもしようか」
「はい!」
もう一度馬車から出たアランにエスコートされて、ルイーズがゆっくりとタラップを降りる。小高い丘の上と思われる場所に降り立つと、眼下に赤い屋根の街並みが見えた。
ここまでお読みくださいまして、どうもありがとうございました。
お休みをいただいていた間に少し書き溜めることができたので、しばらくは毎週日曜日に投稿していこうと思っています。
よろしくお願いします。
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