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今回はアンリお兄様のターン。
「ああ…よく来たねルイーズ」
「お招きありがとうございます、アンリお兄様」
王太子の執務室に入るとすぐに、机に向かっていたアンリが顔を上げてにっこりと微笑んだ。侍女によりお茶とお菓子が並べられたかと思うとあっという間に人払いされて、広い執務室にはアンリとルイーズの2人きりになった。
応接テーブルを挟んで向かいに座るアンリからじっと見つめられて、ルイーズはどうしたらいいのかわからず曖昧に微笑んだ。それを見たアンリが、大きく息を吐いてから口を開いた。
「ようやくお前に父親だと名乗ることができる。この日をどれだけ待ち侘びたことか。お前にずっと本当のことを言いたかったのだが、言えずにここまできてしまった。本当にすまない」
「……いいえ」
ゆるゆると顔を振るルイーズに向けられるアンリの表情は、8歳の時に参加したお茶会の時と同じように優しい。濃いサファイア・ブルーの瞳を閉じて、アンリは昔を懐かしむように語り出した。
「……私がソフィーと初めて会ったのは、私が10歳、彼女が15歳の時だった。その時すでにレオンの婚約者だったソフィーを見て、私は一目で恋に落ちた。しかし所詮は叶わぬ恋。私は幼い恋心を自分の胸の中にしまっておくことに決めた。次に会う時は彼女は既婚者になっている……そのはずだった。ところが、運命の女神は私達を再び引き合わせた」
そこでいったん言葉を切ったアンリが、またルイーズをじっと見つめる。それからフッと口元を緩めて微笑んだ。
「ルイーズ、私はね…カトリーヌのことを愛しているし、心から信頼している。彼女との間にできた子供達…ジャン、シャルロット、フレデリクのことも心から愛おしく思っている。……でも、ソフィーは私の中で特別な存在なんだ。彼女が亡くなってしまったことを知った時は、絶望のあまり生きていく気力さえ無くしかけた。そんな私を救ってくれたのは、お前の存在だった。当時の私は、人間としても王太子としてもお前の父親として名乗るには未熟すぎた。それでも、ソフィーが遺してくれたお前の父親として相応しい人間になろうという思いが、深い喪失感から立ち直るための支えとなったんだ」
こうしてアンリの話をじっくり聞くのは初めてだが、まさかそんなに自分のことを気にかけてくれていたとは思いもしなかった。
(一度も会ったことがなかったのに、そこまで私のことを思っていてくれていたなんて…)
驚きと共に、じんわりと心が温かくなってくるのを感じる。そんなルイーズを見て、アンリが愛おしげにサファイア・ブルーの瞳を細めた。
「お前が生まれてから、私はお前のことを1日たりとも忘れたことはなかった。こんなに可愛らしく賢い娘に育ててくれたレーヌ伯爵夫妻には、いくら感謝してもしきれないほどだよ。ルイーズ……今までも、そしてこれからも、お前が私の娘であることに変わりはない。皆の前で父だと名乗ることはできないが……こんな私が父親であることを許してくれるかい?」
「そんな、許すだなんて……」
アレクサンドルやジャクリーヌ、フィリップ、そしてアンリ……この国の王家の人々は、皆本当に温かい人達だなと思う。そしてこんな素敵な人達の家族になれたことを、ルイーズは心から幸せだと感じた。
「ソフィーお母様もきっとアンリお兄様のことを愛していらっしゃったのでしょう。だからこそ誰にも父親の名を告げずに亡くなったのだと思います。お母様自身がお許しになっていたのに、私が許さないなどと言えるはずもありません。…… 私は、お父様とアンリお兄様というとても素敵なお二人を父親に持つことができて、本当に幸せ者です」
「ルイーズ……」
サファイア・ブルーの瞳を潤ませたアンリが、涙を堪えるように目頭を手で押さえた。しばらくそうしていたかと思うと、徐に立ち上がり執務机の引き出しの中から何かを取り出してきた。
「……夏にロッシュブール公爵領へ行くのだろう?」
「はい、そのつもりです」
「それならば、これを持って行くといい」
「これは……?」
隣に腰を下ろしたアンリが手にしているブレスレットを見て、ルイーズが首を傾げた。金のチェーンの間に、青い石と透明の石が交互にあしらわれている。
「これはサファイアとダイヤモンドが3つずつあるのだが、ダイヤモンドには強力な防御の魔法陣が、サファイアには高度の移動魔法が仕込んである」
「防御魔法陣と移動魔法…」
「そう……ほら、腕を出して」
「…はい」
右手の手首におさまったブレスレットは、まるでルイーズのために誂えたかのようにピッタリだった。
(もしかしなくても、これってめちゃくちゃ希少なものじゃない?)
魔石ではない唯の宝石に魔法陣や魔法そのものを仕込むなんて、一体どんな技術を使っているんだろう?渡されたのでつい受け取ってしまったが、本当にこんな貴重なものをもらってしまっていいのだろうか。
ブレスレットを付けてもらった姿勢のまま固まっているルイーズを見て、アンリが苦笑した。
「…遠慮深いお前のことだから、これを受け取ってもいいのかどうか悩んでいるのだろう?」
「いえ……ただ、とても希少なものなのではないかと思いまして……」
さすがに王太子自ら付けてくれたものを突き返すわけにもいかず言葉を濁したルイーズに、アンリが安心させるようににっこりと笑いかけた。
「これは以前私が魔導士団と遠征に出かけた際に持ち歩いていたものだよ。これからは遠征に出かけることも少なくなるだろうから、今回お前に合わせて作り直させた。幸い私がこれを使う機会は訪れなかったが、この先きっとお前の助けになるだろうと信じている。……受け取ってくれるかい?」
「……はい。ありがとうございます、お兄様」
「うん。……ルイーズ」
「はい?」
「たった一度……そう、一度だけでいいから、"お父様"と呼んでくれないか?」
「え……」
思い詰めたような顔でそう切り出したアンリのお願いに少し驚いたものの、すぐにルイーズは笑顔を浮かべて頷いた。
「はい。……お父様」
「ああ…ありがとう」
嬉しそうに顔を綻ばせたアンリが、ルイーズをそっと抱きしめた。ピエールやアレクサンドルに対する感情とはまた違う、胸の奥がくすぐったくなるような不思議な感覚に囚われルイーズは目を閉じた。
(前世の私とあまり変わらない歳の人が父親だなんて何だか少し気恥ずかしいけれど、これはこれで悪くない気がするわ…)
少しの間そのままの姿勢でルイーズを抱きしめていたアンリが、腕の力を緩めてルイーズを見下ろした。
「……せっかく受け取ってもらえたことだし、この石の使い方を少し説明しようか」
「はい。お願いします」
「うん」
輝くようなロイヤルスマイルを浮かべ、アンリがルイーズの手を持ち上げてブレスレットに触れた。
「まずダイヤモンドの方だが、これはお前の身に大きな危険が迫った時に発動することになっている」
「大きな危険…ですか」
「そう……具体的には、命を落とすほどの危険や、そこまでいかずとも身体の一部を損傷するような怪我を負うというようなものだと考えてもらえばいいよ。一つの石につき一度きり、つまり発動回数は最大で3回だ」
「…それは、私自身で防御可能な場合でも勝手に発動してしまうのですか?」
いくら自分の身に大きな危険が迫ったとしても、自力で防げるものにいちいち反応してしまうのだとしたら、3回なんてすぐに使い果たしてしまう気がする。ルイーズの質問にアンリがにっこりと笑みを深めた。
「うん、まさにそこがこの石の優れたところなんだ。この石はね、本当に危ないギリギリの場面でしか発動しない。だから私が遠征で使う機会は無かったんだ。私の周りには基本的に護衛が多くいるからね。……そこに真っ先に気づくなんてさすがは私の娘だ。ガルニエ公爵から優秀だと聞いてはいたが、本当に鼻が高いよ」
「いえ、そんな…」
ニコニコととても嬉しそうなアンリを見て、嬉しさ半分恥ずかしさ半分といったルイーズの頬がほんのり色づく。それを見たアンリが、また愛おしそうに瞳を細めた。
「……ルイーズは、ロッシュブール家のアラン殿が好きなのかい?」
「え……ど、どうして急にそんなことを」
急にアンリの口からアランの話が出て大いに慌てるルイーズに、アンリが少し不満げに眉を寄せた。
「アラン殿は家柄はもちろん本人もとても優秀だと耳にするし、ルイーズの結婚相手として申し分ないことは確かだと思う。そう、頭では分かっているんだが……いざ実際に結婚となると、こんなに可愛らしくて賢い娘をお嫁にやってしまうのがとても悔しくてね」
「そんな…お嫁になんてまだまだ先の話です!それに、まだ正式に決まったわけではありませんから」
(アラン様のことに関しては、前からアンリお兄様の反応は微妙だとは思っていたけれど、そういう感覚なのね…)
アランのことが気に入っているように見える時もあれば不満そうな時もあり、何だか反応が定まらないとは感じていたが、アンリの口から聞かされたのが完全に父親目線の意見だったのでルイーズは少し驚いた。
「そうだね、少なくともあと8年はある。その間に、少しでもお前に父親らしいことをしてやりたいのだが……」
「いいえ、今のままで十分です。こんな素敵な贈り物もいただきましたし……私にはお父様が2人いますから、それだけでも本当に幸せだと思っているんです。……お兄様、このサファイアについての説明も聞かせてください。お願いします」
「ああ、うん。……そうだね」
申し訳なさそうに眉を下げていたアンリだったが、ルイーズの言葉に気を取り直した様子で頷くと、ブレスレットについての説明を再開した。
「サファイアの方は通常よりも遥かに遠い距離でも瞬間移動させる力があり、これは《空間魔法》の使い手でないと発動しない。移動可能な距離は私も試したことがないからはっきりとは分からないが、理論上は地上であれば大陸の端から端まで可能らしい」
「大陸の端から端までなんて、すごいですね」
「ああ、そうだね。これも使用回数は石の数の3回だけだが……」
そこで言葉を切りチラリとルイーズを見たアンリが、少し意地悪な笑みを浮かべた。
「もし公爵領にいる途中でアラン殿に愛想が尽きたら、私のところへ逃げてくるといい。可愛い娘の訪問ならいつでも大歓迎だよ」
「そんなことには使いません!」
「いやいや、大事なことだろう?……もちろんお嫁に行った後に使ってもいいんだよ?」
「もう、お兄様ったら!」
「ハハハ…!」
朗らかな笑い声を上げるアンリとルイーズには、この部屋へ来た時のような重苦しい雰囲気はない。少し距離が縮まった実の父としばらく楽しく談笑してから、ルイーズは王太子の執務室を後にしたのだった。
この後もう一話と閑話を挟んでから、この章は終了予定です。
ここまでお読みくださいまして、どうもありがとうございました。




