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近づいてくる足音に咄嗟に身構えたルイーズだったが、廊下の角を曲がって現れた人物の姿を認めるとホッと肩の力を抜いた。
「王女殿下!」
「……イザーク様」
角を曲がったところで一旦立ち止まってから、イザークは大股でルイーズの方へと歩いてきた。よほど急いで来たのか、いつも綺麗に整えてある黒髪が少し乱れている。魔法の教え子である王女の無事を確かめるように、イザークは彼女の目の高さに合わせて腰を落とした。
「彼らに何かされたりはしませんでしたか?」
「はい、大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「とんでもございません。ご無事で何よりです。このガルニエ家の屋敷内で王女殿下に危害が加えられたとなれば、国の一大事ですから。……少しお話を伺っても?」
「はい」
マルセラが開けてくれた客間のドアを入ったルイーズがメイドに勧められたソファーに腰掛けると、後からついて来たイザークが向かいの椅子に腰を下ろした。
すかさず公爵家のメイド達がお茶の乗ったワゴンを押して入ってくる。目の前に置かれたカップから立ち上る芳しい香りが、緊張感をほぐしてくれるようだ。紅茶をゆっくりと口に含んでからゴクリと飲み込むと、体の中がじんわりと温かくなっていく気がした。
「……あの商人達とどのようなやり取りがあったのか聞かせていただく前に、殿下に一つお断りをしておかなくてはなりません」
「何でしょう?」
少し言いにくそうに切り出したイザークを見て、ルイーズが首を傾げた。
「先程殿下方がおられた部屋なのですが…実は隣の部屋との間にある壁に特殊な魔法がかけてありまして。……部屋の中からは普通の壁に見えるのですが、隣の部屋からは壁を通してあの部屋の様子を見ることができるのです」
「え、そうなのですか!?」
「はい。私達は隣の部屋から先程の様子を拝見しておりました。もちろん姉は承知です。殿下には自然に振る舞っていただきたかったので、事前にお知らせしませんでした。申し訳ございません」
「いえ、大丈夫ですわ。皆様が最善だと思われたことなのですから、わたくしはそれに従うだけです」
「そうおっしゃっていただけて感謝します」
よく刑事物のドラマなんかで見るマジックミラーのようなものなのかな?と考えていると、イザークが安心させるように微笑んだ。イザークはルイーズの育ての親であるレーヌ伯爵と仲が良く、穏やかな雰囲気もよく似ていることから、ルイーズの中では「お父さんみたいな人」として認識されていた。
実の父であるアレクサンドル国王もルイーズのことを可愛がってはくれるが、やはりそこは一国の王。どうしたって他の一般的な貴族の父親とは同じであろうはずがない。
イザークにはルイーズよりも2つ年上の娘がいて今日この後遊びに来る予定だと聞いているので、今から会うのが楽しみだ。
それからルイーズは、イザークに東の国の商人達とのやり取りを話して聞かせた。隣の部屋から見ていたと言っていた通りほとんどの内容は事後確認のようなものであったが、ただ一つ若い男の持っていた鏡についてだけは知らなかったようで、もう少し詳しく話して欲しいとお願いされた。
「カンインというのですか、あの男は」
「私の聞き間違いでなければ、多分そうだと思います」
「そうですか。……で、鏡におかしな所があったというのは、具体的にはどのような?」
手元の紙にメモを取りながらイザークに促されて、先程の自分が感じた違和感について思い起こしてみた。
「上手く言えるか分からないのですが……」
「大丈夫です。話を伺って判断するのが我々の仕事ですから、殿下はご自身が感じたままをお伝えください」
「はい。……初めは、鏡が置かれていたことには気づきませんでした。しばらくして…真珠のネックレスを見せてもらっていた頃でしょうか、あのカンインという男の近くから、何だか不自然な魔力のようなものを感じたのです」
「不自然な魔力、ですか?」
「はい。まるで空間が歪んでいるような…何処か別の魔力が混ざり込んでいるような、そんな感じです」
「ふむ、なるほど。その鏡が原因ではないかと思われた理由は、何かありますでしょうか?」
イザークに問われて、ルイーズはどう答えたものかと考えた。実際のところ特に理由はない。強いて言えば、何となく、もしくは勘、だろうか?
答えに詰まるルイーズを見て、イザークが優しく微笑んだ。
「特に理由がないのであれば、それで構いませんよ。殿下の感じられたままをお話しいただければ良いのです」
「……はい、特に理由はありません。何となく気になった場所にちょうど鏡が立てかけてあったのです」
「分かりました。…その鏡から声が聞こえたというお話ですが、その時の状況を詳しくお聞かせください」
「はい。鏡が気になったので見てみると、本来なら部屋の中を映しているはずなのに、何も見えず黒くぼやけていました。おかしいと思ってしばらく見ていたら、鏡の中に誰かの目のようなものが見えたのです」
「誰かの、目……?」
「はい」
イザークは眉を寄せて、顎に手を当てたまま「うーむ…」と唸った。
「瞳の色や形までお分かりですか?」
「黒…だったと思います。形までははっきりとは分かりませんでしたが、東の国の方々に近いような感じでした」
カンインという男のようなキツい感じではなく、どちらかといえば涼やかな切れ長の目だった気がする。でもあくまで自分の主観的な感想なので、これについては黙っておくことにした。
「声が聞こえたのはその後ですか?」
「そうです。内容は聞き取れませんでしたが、若い男性の声のようでした。その声の後に、カンインが私に珊瑚のピアスを勧めてきたのです」
「そうですか……。それで、身の危険を感じて部屋の外に出られた、と」
「はい。お母様が察して声をかけてくださったので」
本当は「耳飾り」に当たる言葉「耳环」という単語がかろうじて聞き取れたのだが、それを話すと何故東の国の言葉が分かるのかを説明しなければならなくなるので、これも黙っておくことにした。
「……大体分かりました。どうもありがとうございます」
「いえ…たいしてお役に立てず…」
「とんでもない!殿下にしかお分かりにならないことを沢山伺うことができて、非常に有意義でした。頂いた情報も加えて、兄達とこれからの対策を練りたいと思います」
「はい、よろしくお願いします」
イザークが立ち上がり頭を下げて退出すると、ルイーズは「ふぅ…」と大きく息を吐いた。朝から緊張を強いられる場面が多く、知らないうちに体に力が入っていたようだ。
「…殿下、お茶のお代わりはいかがですか?」
イザークと話しているうちに冷めてしまったお茶を入れ替えながら、マルセラが問いかける。それにルイーズは笑顔を返した。
「そうね。いただくわ、ありがとう」
今度のお茶は、少し先程とは風味が違うようだ。どこのものだろうと首を傾げたルイーズに、マルセラが声をかけた。
「こちらは東の国の商人から国王へと献上されたお茶です。なんでもかの国では、同じお茶の葉から異なる加工法で何種類ものお茶を作るそうですよ」
「まぁ、そうなのね。……ひょっとして、違う種類のお茶もあったりするのかしら?」
実はルイーズは、前世ではかなりのお茶好きで、特に緑茶が大好きだった。もちろん烏龍茶やほうじ茶も好きである。
「はい、いろいろな種類のお茶が献上されているようです。王妃殿下にお願いすれば飲めるのではないでしょうか?」
「本当?そうしてみるわ!」
紅茶以外のお茶も飲めるかもしれないとホクホクしているルイーズを、マルセラが微笑ましい顔で見つめている。そうしてしばらく休んでいたルイーズの元に、義母であるジャクリーヌ王妃が疲れた顔で戻ってきた。
「お母様!ずいぶん遅かったのですね」
「えぇ…彼らを見送ってからジェロームに捕まったから」
「公爵にですか?」
「そうよ。途中でイザークまでやって来て、ああでもないこうでもないと作戦会議を始めてしまったものだから、なかなか出てこられなくて。お昼になったからようやく解放してもらえたのよ。本当、魔法バカって嫌ねぇ」
魔法バカ……。もしかすると、自分もそう遠くない未来に同じように呼ばれる日が来るのだろうか?
思わず顔が引きつってしまったルイーズの気持ちを読んだかのように、ジャクリーヌがニンマリとした。
「あら、ルイーズのことをそんなふうに呼んだりはしないわよ。あれは魔導士一家に生まれた宿命ね」
それを言うならレーヌ家も十分その可能性があるように思うが、幸か不幸かルイーズもジャックもそのように育てられてはいない。ジャクリーヌもガルニエ家の出身なのだから、魔導士としての素質はあるのだと思うがどうなのだろう?
「お母様は違うのですか?」
「そうねぇ…わたくしはどちらかというというと直感タイプだから」
「そうなのですね…」
そういえばイザークが、そんなことを言っていた気がする。姉は魔法の才能はすごいけれど理論や戦略を気にしないから困るんですよ、と。
なんでも魔導士には大きく分けて2つのタイプがあるそうで、天才肌の直感タイプと努力型の理論派タイプとに分かれるのだとか。ちなみにイザーク曰く、アンリは理論派タイプ、フィリップは直感タイプなのだそう。……何だか分かる気がする。
私はどちらのタイプなんだろう?とルイーズが考えていたところに、ドアのノックの音に続いてイザークの娘とアルベールの妻子の到着を告げるメイドの声がした。
更新お待たせしており申し訳ありません。
今月、来月と仕事が詰まっていて時間が取れず…。
なんとか週末だけは更新できるよう頑張ります。
ちょっと固い話が続きましたが、この先はいつものノリに戻る予定です。
ここまでお読みくださいまして、どうもありがとうございました。
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