15
テーブルに乗った冷気を漂わせている箱を見て、アランが安心したように表情を緩めた。
「ああ、間に合ったんだね」
「ギリギリだったよ。風魔法でメッセージを飛ばしてくれなかったら厳しかった」
「うん。これだけでも、風魔法を勉強した甲斐があったよ。……ありがとう、トマ」
「っ、おう……なんか気持ち悪いな。お前が素直にお礼を言うなんて」
「僕はいつも素直だけど?」
「…………」
「ほら、ぼやっとしていないで、早いところ殿下にお渡ししたらどうだい」
「あっ、ああ」
アランに頷いたトマが、ルイーズに箱を差し出した。
「……王女殿下。こちらをどうぞ」
「?……冷却魔法……?」
「開けてみて、ルイーズ」
アランに優しく促され箱の蓋を取ったルイーズの濃青の瞳が、驚きに見開かれた。
「………! これ、どうして……?」
ニコニコ顔のアランと、ヴァンサン、トマの顔を見比べたルイーズがイレーヌの方を見ると、茶色の瞳がキラキラと輝いていた。
「君がとても気に入ったみたいだったからね。トマに頼んで、ディエルネに寄って買ってきてもらったんだ。……彼の使い道なんて、これくらいしかないだろう?」
教会の帰り道にアクシデントがあったせいで、チーズケーキをファーブル子爵に買ってきてもらう案はボツにせざるを得なかった。しかしどうしてもルイーズの喜ぶ顔が見たいと思ったアランは、習ったばかりの風魔法でトマにメッセージを飛ばしたのだ。"サン=セクーレに来る途中でディエルネに寄って、ムッシュ・ブロワのチーズケーキを冷蔵保存して持ってきて欲しい"と。
しれっと鬼畜な発言をしたアランをトマが睨んだが、本人は涼しい顔をしている。もう一度あのチーズケーキを食べることができる感動を噛み締めながら、ルイーズがアランに満面の笑みを向けた。
「アラン様、ありがとう! 本当に嬉しいわ。……トマ様も、わざわざ寄り道してくださってありがとうございます」
「そんな、お礼なんて結構です! 王女殿下に喜んで頂けるなら、このトマ・ド・ギャレット、チーズケーキの一つや二つ、お安い御用でございます!!」
「まあ、ふふふ」
堂々と胸を張って調子のいい発言をするトマに胡乱気な視線を投げたアランが、メイドが皿にのせたチーズケーキをフォークに載せてルイーズの口元へと運んだ。
「彼の言うことはいちいち真に受けなくても大丈夫だよ。……さあルイーズ、どうぞ?」
美少年の蕩けるような甘い笑顔とフォークに載ったふわっふわのチーズケーキを前に、ルイーズはピシリと固まった。
「……自分で食べられるわ」
「僕が食べさせたいんだよ」
「でも、こんな晩餐会の席で……」
「大丈夫だよ。内輪の会だし、君は何年か後にはここの女主人になるんだから」
いつも貴公子としての澄ました顔しか見せてこなかったアランの甘々な様子を見て、伯爵夫人がにこにこしながら隣の夫に言う。
「あらあら、本当に仲がおよろしいのね」
「ああ。私も話を聞いた時は俄かに信じられなかったが、アランが姫君にぞっこんというのは本当のようだ」
伯爵も微笑ましいものを見る目でそんなことを言うものだから、恥ずかしさでいたたまれなくなってくる。
(なんだか他の人に言われると恥ずかしさが倍増する……)
「……このまま食べてくれないなら、口移しで食べさせるよ?」
「!?!」
耳元で色気ったっぷりに囁かれて、ルイーズは耳まで真っ赤になった。13歳にして、実にけしからん色気である。
(前に「あーん」をした時にも思ったけど、アラン様ってすごくエロい……!)
脳内でプチパニックになりかけているルイーズを見て、トマがアランを睨みつけた。
「おいアラン! 王女殿下に何を言ったんだ!?」
「君に教えるわけないだろう? 婚約者同士の秘密だよ」
「う、ぐぬぬ……!」
悔しさに唇を噛むトマを横目に見ながら、アランが甘さたっぷりの笑顔のままルイーズの口元にフォークを差し出す。
「ほら、早くしないと柔らかいから落ちてしまうよ」
「じゃ、じゃあ一口だけ」
素早くパクリとチーズケーキを口に入れたルイーズだったが、恥ずかしさのため美味しいはずのチーズケーキの味がほとんど分からない。
「一口と言わずに、全部僕が食べさせてあげる」
「あ、あの……ごめんなさい、アラン様。緊張して味がよくわからないから、自分で食べたいの……」
「……っ」
潤んだサファイアブルーの瞳に懇願するように見上げられて、あまりの可愛さにアランは胸が撃ち抜かれるのを感じた。
「……わかったよ。せっかくだから味わってほしいからね。続きはまたの機会に取っておこう」
(またの機会ってなに!? こんなこと続けられたら、とても身がもたないんだけど……)
不穏な発言が気がかりではあるものの、目の前にあるチーズケーキの魅力には抗えない。
はい、とフォークを渡されて、嬉々として口に運ぶルイーズを、アランが愛おしそうに見つめる。同様にチーズケーキの乗った皿を渡されたイレーヌが、これまた嬉しそうに食べ始めた。
可愛らしい少女たちがニコニコしながらケーキを食べるという癒しの時間を一同が過ごしているところに、給仕の使用人たちが次々と前菜を運び込んできた。
「さあ、皆も食事にしようではありませんか。我が領地でとれた自慢の野菜とジビエを使った料理を、ぜひお楽しみください」
こうして、楽しい晩餐会が始まったのだった。
◇◇◇◇◇
その日の夜、アランは長旅で疲れた様子のルイーズを部屋まで送り届けた。自領地へと無事についた安心感もあり、いつもより長めのおやすみのキスをすると、ルイーズは顔をピンク色に染めトロンとした目で見上げてきた。
(その顔は反則だろう……!!)
桜色の艶やかな唇が半開きになっているのが目に入り、ドクドクと自身の心臓の音がやけに大きく聞こえる。思わず身体が反応しそうになるのを誤魔化すように、思い切り甘い笑顔を浮かべて愛しい婚約者の頬にキスを落とした。
「おやすみルイーズ。良い夢を」
「アラン様……おやすみなさい」
ふわりと微笑んだルイーズが扉の向こうに消えるのを確認してから、アランは何度か大きく深呼吸した。これからマルセルの執務室に行くことになっているのに、こんな気分のままでは冷静に話ができそうにもない。
(落ち着け、落ち着け……あと四年は待たないと。差し当たっては、目の前の問題を何とか穏便に片づけないことには)
ルイーズはまだ11歳になったばかりだ。少なくとも社交界デビューの年である15歳までは、キス以上は手を出さないと決めている。相手は王女なので、もちろん一線を越えるのは結婚した後になるが、15歳になって正式に婚約誓約書を交わせば、多少の触れ合いくらいは許されるだろう。
ルイーズのことが好きすぎて、ともすればいかがわしい方向へと向かおうとする思考を引き戻すように、アランはバシン!と両手で自分の頬を叩いた。
「アラン様!?」
「……気にするな。行くぞ」
「は、はい」
突然の主人の奇行に目を剥くアデルに短く答えてから、アランは大叔父の執務室へと向かった。
そこには、すでにアラン以外のメンバーがそろっていた。この部屋の主であるパルティエ伯爵家当主マルセル、魔導士団よりファーブル子爵家当主ドミニクとギャレット辺境伯実弟ヴァンサン、第三近衛騎士団より副団長デュカス、第二王国騎士団より団長ミュレット、それからアランがテーブルに着いている。
それ以外にロッシュブール公爵家の者2名が部屋に控えている。公爵家騎士団長レノと、ここ“白亜の城”執事のジュノー。ジュノーは王都別邸執事サリューの兄であり、彼らの父ブルーノが王都の本邸に移った三年前からこの城で執事を務めている。
「遅くなり申し訳ありません」
「王女殿下をお見送りしていたのだろう? あれほど可愛らしい方なら、お前が夢中になるのも分かる」
「……お恥ずかしいところをお見せしました」
アランが今度からルイーズを甘やかす時は人の目のないところでやろうと考えつつ答えると、マルセルが好々爺のような笑みを浮かべた。
「いやいや、良いことではないか。ますます勉学にも身が入るというものだ。……しかも高貴な身分とあの外見に加えて、稀有な魔力まで持つとなれば、お前でなくとも手に入れたいと思う輩が出てくるのは無理からぬことだ」
「……ええ。本当に迷惑な話ですが」
渋い顔で頷いたアランが視線を送ると、ディエルネでの出来事を説明すべくファーブル子爵が口を開いた。
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