04
「母親の好きなものも知らないのか。お前は今まで一体何をして来たんだ」
まさか本当に知らないとは予想外だ。半月もあればそれくらいの話はするだろう。それとも話をする暇もないほどエーデリア様は忙しいのか? 確かに父様も仕事は忙しそうだが、いくらなんでも家族と会話をする時間もないほどではない。それともシルラグル領はこちらよりも忙しいのか? 何か、おかしい気がする。
落ち込んだ様子の娘を横目に見て思考がそれたことに気づき、小さく首を振った。今はそんなことを考えている場合ではない。エーデリア様にも考えがあるのだろう。他人が口を出すことでもない。
ふと娘を見れば、じっとこちらを見ていた。もしかして睨んでいるつもりなのだろうか。なにもこわくないな。
「俺は母様や父様、兄様の好みだって知ってるぞ。父様や母様は当然だが、兄様は一番尊敬する人だ。そんな人の好みなら知っていて当然だろう」
娘の貧弱な睨みは鼻で笑い飛ばし、兄様を思い浮かべる。凛々しく、自分にも他人にも厳しい兄様。妥協は許さず、何事にも手を抜かない誠実さ。そしてなにより憧れてしまうのはその剣術の腕だ。
「大好きなのね」
小さく呟かれた言葉に目を向ければ、娘は目を細め微笑んでいた。それはエーデリア様のように華やかなものではなくどうしてか、寂しげに。
ぎくりと、何かを隠しているわけでもないのに後ろめたい気持ちになる。
先ほどの、今日初めて見たような気さえする笑顔とは全く違うものだ。あれはあんなにも柔らかく、優しく笑っていたのに。
だと、いうのに、今のその顔は何だ。
胸のうちに生まれたわけのわからない塊に心がざわつく。この感情の名前が分からない。誤魔化すように鼻を鳴らし、顔を背けた。
「当然だ! 兄様はまだお若いのに学生の頃にその腕を買われ、今は王太子殿下の護衛をなさってるんだ! これがどんなにすごいことか分かるか?」
自慢の兄様なんだからな、と娘を見れば、娘は何故か可笑しそうに笑っていて、首の後ろが落ち着かない。嫌ではない。嫌なものでは、ないのだが。
「そ、れに、婚約者もいる。美しく優しい、お前と違って笑顔も綺麗な人だ」
その顔を見ていられなくてまた顔を背ける。この娘は苦手だ。他の娘はピーチクパーチクと頬を染め勝手におだててくるというのに、なんだ、これは。心が乱される。
そっけない相槌を打つ娘を横目で盗み見れば、挨拶の時のように片っ苦しい笑顔に戻っていた。それを見て落ち着いた心にしかし気分が悪く、胸の辺りを擦った。何かが違うような気がした。
花は変わらず綺麗なのに空気が淀んだような気がして娘を見る。下を向いた表情はよくわからず拳を握る。何か言わなくては、と思うものの、先につい口から出た言葉がどう聞いても良いものではなかったことは自覚している。
悲しませてしまっただろうか。
拳から力が抜け、その手を娘に伸ばそうと――。
「そうだ。ハナカンムリにしてはいかがでしょう? お花はたくさん使ってしまうことになりますけど……」
突然そう言い一人頷いた娘に手が止まる。引っ込め、自分でも何がしたかったのかわからない手を見る。思わず眉が寄った。
娘を見ながら今の言葉を反芻し、首を傾げた娘にこちらも首を傾げてしまった。
「ハナカンムリ、とはなんだ」
聞いたことのない言葉を聞き返せば、娘は目を瞬かせこちらを見てくる。何かおかしなことを言っただろうかとそのまま目を合わせていると、娘が「ああ」と小さく頷いた。
「言葉の通り、お花で冠を作るんです」
帰ってきた言葉にまた眉間に皺が寄る。だからどういうことだ。花を使うのは分かったが、それで冠を作るだって?
花束を頭に乗せた女や、冠に花を挿した不気味な女達の姿が頭に浮かんでは消えた。
「ごめんなさい、遅れましたが、挨拶させていただいてもよろしいでしょうか?」
突然のことに驚きつつも頷くと、娘は丁寧に腰を折った。父様に挨拶していたときも思ったが、この娘のお辞儀は綺麗だ。
「トア・シアメル・シルラグルと申します。どうぞシアとお呼びください。以後お見知りおきを」
流れるような動作にエーデリア様の姿が重なった。やはり親子なのだろう。髪もそっくりだ。波打つ柔らかな髪が肩を滑りひと房落ち、風に揺れる。
「トア・シオル・ユーオリアだ。覚えておけ」
見惚れてしまいそうになっていた自分に気づき、また顔を背ける。どうしようもなくざわつく心に己を殴りたくなった。落ち着かない。思えばこの娘が、シアが邸にやってきてから、落ち着かない。
「それで、花冠ですが、一緒に作ってみましょう。結構な量使ってしまうので、二つというわけにはいきませんが。残念ながらエーデリア様の好みは分からないけれど、あの綺麗な髪に合う色の花で作っていきましょう」
「待て、その花冠というものを作るにはどういう花が向いているんだ?」
誤魔化すようにさっそく地面に座る。そっくりな髪を持っていながらよく言うと思いつつ聞けば、「そうですね」と呟き隣に座る。結構近いなと驚きながら、口を開いた娘の言葉に耳を傾けた。
「茎は太くても細くてもいいんですが、柔らかいものがいいです。柔軟性のあるもの。硬いと折れてしまうので。この花はいいと思います」
近場の花の茎を撫で、カトラの花に触れるという言う。
「わかった、それだな」
ひとつ摘み続きを促す。一つ一つ花に触れ確かめて行くシアの、僅かに綻んでいるように見える口元は気のせいだろうか。白すぎる顔を縁取る柔らかな金。手元にあるカトラを少し近づけた。
これなら、確かにこの色には似合うだろう。
(――……ん?)
今、何を考えただろうか。
(違う)
そうだ違う。別にシアに似合うと言ったわけではない。そう、同じ色だから。髪が、エーデリア様とそっくりだから。
「あの、わかります? こうして軸の茎に回して……」
すい、と顔を覗き込んできたシアに思わず仰け反ってしまうが、シアは気にも留めず手を重ねてきた。
ざわつく。落ち着かない。今すぐこの場から立ち去りたくなるような、この感覚は何だ。この感情は何だ。
柔らかな指が、俺よりも細く力のない指が、俺の手を包み操っていく。伝わる温度に背筋がぞわりとし、目が離せなかった。手に力が入らない。
「わかりました? こうして繰り返していけばいいんです」
近い顔がまっすぐにこちらを見つめ、ほんのわずかに柔らかく綻ぶ。視界が狭くなりその顔だけが頭を埋め――はっと、見惚れていたことに気がついた。
駄目だ。俺は今おかしくなっているに違いない。何なんだ。何なんだこの、内側から擽られるような感覚は。気味が悪いのに悪くない。むしろ心地がいいとさえ。
(違う! そうじゃない! 何を考えているんだ!)
「わかったから、手を離せ」
頭に血が上りそうだ。熱い。
今更気付いたように手を離したシアに、お前から触れてきたくせにと口をついて出そうになった。だから違うだろう。教わっているんだ。今はそれだけなんだ。ほかに何もない。
自分にいい聞かせ、この気持ちを忘れるように花に没頭した。
「出来た、な」
持ち上げてみてもくずれないし、しっかりと輪になっている。途中から分かったが、確かに冠だ。綺麗なものだった。ところどころ茎がおかしなことになってはいるが、完成と言っていいだろう。
ちらりとシアを見れば首を傾げた。それに忘れようとしたざわめきが返ってくるが、顔を逸らして何とか落ち着かせる。
「お前がいなければできなかった。感謝する」
「エーデリア様、喜んでくださるといいですね」
静かに立ち上がったシアに俺も立って、そろそろ戻ろうと声をかけた。頷いたシアは花を見ていて、あることを思いつくもそれはどうなんだ、と思いとどまる。それに、そんなに時間もないだろう。いや、ただのお礼であって、別に特別な意味はない。本当だ。
頭の中でぐるぐると誰にともなく言い訳をしていると林を抜けた。オーリは大人しくそこに控えており、その姿を見ると眉間に皺が寄る。シアは俺を見て何かを言いかけ口を噤むと、黙ったまま歩いた。
正面まで戻っては来たがまだ父様とエーデリア様は戻っておらず、シアとどうしたものかと目を合わせる。オーリが邸へ入るよう促してきたが、従うつもりはない。何も聞かなかったふりをして通り過ぎれば、シアも小走りで後を付いてきた。
(……)
またざわついて、後ろのシアに見えないことをいいことに、胸元を一度殴りつけた。ざわつきは収まらず、むずむずと痒いような温かいような、奇妙な感覚に襲われた。やはり俺はおかしくなっているらしい。
特に理由があってこちらに向かっていたわけではなかったが、目に入ったものに足を止める。木箱を開け使いなれた木剣を漁った。
「俺は剣術を学んでいるんだ」
追いついたシアに声をかければこちらを見て、表情を変えることなく「そうなんですか」と呟く。その様子を見て頷き、手に持っていた花冠を預けた。
誰かに教わったわけでもなく、兄様の見よう見まねで覚えただけの拙い剣術だ。軽く振ると少し気分が良くなって、いつものように動き出した。
「いつか兄様みたいに強くなって、兄様の役に立ちたい。いくら今は王太子殿下の護衛をなさっているとは言え、領主は長男の兄様がなるだろう。そしたら俺は騎士になってこの領を守る。兄様を守る。家族を守る」
今はまだ王都にいるお兄様も、いつか戻ってくる。戻ってくる頃には、今度は俺が学園へ行っていることだろう。少し寂しいが、それは瑣末なことだ。兄様が戻ってくれば、本格的に父様から領主の仕事を学び始めるだろう。あの人ともすぐに結婚するに違いない。俺は兄様の力になれるよう学園でもっともっと強くなる。この領を守って見せる。そしたらきっとこの領はもっと良くなる。今以上に笑顔に溢れ、皆が幸せでいられる領になるのだ。
まだ見ぬ未来が煌めいているものだと確信できる。だからこそ俺は努力を惜しまない。
「……」
ふと、相槌さえ返ってこなかったことに気づき振り向く。シアは何を言うでもなく俺を見つめ、目が合うと視線を落とした。
なにかしてしまっただろうか。
謝ろうと近づくが、下を向いたままのシアに結局何も言えず立ち尽くす。合わない視線に胸が痛み、思わず首を傾げた。なぜ、今痛んだのだろう。何の痛みなのだろう。
シアが今何を感じているのかが分からない。せめて顔を上げてくれれば。
ふいと顔を上げたシアは、その顔に良くわからない感情を映していた。僅かに、間近で見て分かるほど僅かに歪んだ眉、細まった目に引き結ばれた唇。
今、何を思っているのだろうか。
「……え、おいっ」
ぐい、と突然押しつけるように返された花冠。それに驚いていると振り返り、走り去ってしまった。そのことに気づき慌てて声をかけるものの、すでに角を曲がった後だった。
一体どうしたのかも全く分からないまま置いていかれてしまったことに呆然とし、手に持つ花冠を見る。随分乱暴に返されたのに、少しも乱れていなかった。
「……」
わからない。
胸が痛むのも、シアの感情も、このざわつきも。
項垂れて溜息をついた。こんなことで兄様に追いつけるだろうか。いやそこまでは望まない。せめて兄様が俺から目を離しても安心できる程にはなりたい。その時には、すべてが分かるようになるだろうか。それともこれはそんな大事ではないのだろうか。いつかわかることなら、今わかりたい。そう、思ってしまう。
また一つ溜息をつき、木剣を放り投げた。もしかしたら父様たちももう戻っているかもしれない。それに何より、もし戻っていなかったら、シアを一人にしてしまうことになる。
角を曲がるとエーデリア様たちももう戻っていて、シアと笑い合っていた。あの堅っ苦しい笑みだ。なぜあんな顔をするのだろうか。また良くわからないことが増えた。
「シオル、早く来なさい」
こちらに気づいた父様に呼ばれ、走ろうかとも思ったがやめた。歩いて向かえば、エーデリア様が笑いかけてくる。
シアと、似ていない、こともない。
「あら、それは?」
見上げているとエーデリア様が首を傾げる。手に持っていた花冠を持ち直し、ああそうだ、と作り方を忘れないよう最後にじっくりと見る。シアの笑顔を思い出しそうになって内心首を振り、花冠を差し出した。
「花冠というそうです。シア様に教えていただきながら作りました。どうか受け取ってください」
「シアに?」と目を瞬かせるエーデリア様の手に握らせ、シアを見る。目を瞬かせていた。思わずふんと鼻を鳴らし顔を背けると笑い声が聞こえ、視線を戻せば笑っていた。目を丸くすると、「ごめんなさい」と謝ってくる。
お前、それは俺を笑ったと白状しているのか。なんて失礼なやつだ!
読んでいただきありがとうございました。
↓用語説明
◇カトラ
いくつもの花弁が重なった少し大きめの花。黄色、オレンジ、ピンク、赤、紫、白と様々な色が存在している。茎は太めだが柔らかく柔軟性がある。曲げてもそう簡単には折れない。