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新たな旅路の祝福を  作者: 稀一
一章
31/54

15

 アストラ、と言ったか。

 最初、初めて見る猫に驚いた。当たり前のようにお嬢様の後について歩く様は堂々としていて、リリシアさんも当然のように猫が入るまでドアを開けていた上に、エーデリア様たちも反応しなかったこともあり俺が見たことがなかっただけで、邸で飼われているのだと思った。一週間近く世話になっていることを考えると首を捻りもするが、恐らくはそうなのだろうと。だがそれがまさか、妖精だったとは。

 動物型にもかかわらず主人の言葉以外も理解する妖精。いや、驚くことに姿は変えられるようだった。それに契約はしていないということだったから、お嬢様が主人ということもないんだろう。それにしては不可解な点も多いが、それは置いておくにしてもだ。


 黒猫とは、また目立つ姿を。


 リリシアさんはお嬢様が昨夜出会った猫だと言っていたが、あの親しげな様子からしてもそれはないだろう。事実、お嬢様も大分前と答えていた。一体いつから? そんな時間があっただろうか。邸に妖精が、わざわざ妖精がだ、会いに来ていたとでも言うのか。まさか。妖精がいくら気に入った子供相手だとしても、自ら会いに来るなど聞いたこともなかった。だが名前も聞いているくらいだ、相当一緒にいたはず。まさか五年間はそこに関係しているのか? ありえない話じゃない。


 お嬢様の好きな格好にしろと言っていたということは、あの妖精の姿形に置いて主導権はお嬢様にあるということだろう。それについてもどういうことだ、と頭を抱えたくなる。契約していないのに、そんなことがあるはずがない。いっそ二人が認識していないだけで契約は済まされているのだというほうがよほど納得できた。お嬢様にだけ猫の姿の声が聞こえるというのもそれで納得できる。しかし、そもそも姿が変わること自体おかしいんだ。魔術で認識阻害をしているというのならともかく、そういうわけでもなさそうだった。姿が変わる瞬間を確かに見ていたが、掻き消えたかと思えばそこに猫がいたというように見えたのだ。


 お嬢様を気に入っているのは事実のはず。それなら確かに危害を加えられることはないと、安心してもいいはずだが、なぜだろうか。違和感を感じる。本当にあれは妖精なのか。

 またも荒唐無稽な考えになろうとしていたところで、戸が叩かれた。どうもお嬢様の件だとおかしな思考になってしまうようだ。


「……どう、なさったのです」


 戸を開ければ、リリシアさんが沈んだ表情で立っていた。驚いて言葉に詰まれば、ゆっくりと顔を上げる。俺の顔を見たかと思うと溜息をついて、一体何なんだ、と内心ぼやいた。


「お嬢様がお部屋に閉じこもってしまわれたのです」


 力なく告げられたことに目を瞬かせていると、事情を説明してくれた。どうやらお嬢様が鏡を見たいと言ったらしい。その時点で少し嫌な予感はしていたがさすがに二度聞かれれば答えざるを得ず、連れて行ったらしい。そうして鏡を見たら、青ざめて、部屋に閉じこもってしまったと。


「何度お声掛けしても……」


 目を伏せ悲しげに言われ、俺にそう言われてもな、と頭を掻きそうになる。まあ閉じこもったのは確実に、


「表情のこと、でしょうね」

「はい、恐らくは」


 自覚していなかったとは。いや、確かに自身の表情を鏡もなしに知るというのは難しいことだし、当然かもしれない。


「私では相手にして頂けませんでした。先生にお願いしたく」


 そう言いながら見つめられ、俺にいったい何ができるっていうんだ、と顔を顰めそうになりながら、「わかりました」と頷いた。安心したように笑い去って行ったリリシアさんに溜息が洩れたのは仕方ないことだろう。ずっと共にいるリリシアさんにどうにもできないのに、俺にどうにかできるはずがなかった。


 さてなんと言ったものか、とお嬢様に掛ける言葉を考えながら渋々部屋へ向かう。と言ってもすぐそこだ。戸の前に立ち、悩む。まだまだ幼いとはいえ女性だ。デリカシーのないことを言うわけにもいかない。

 おそらくアストラと会話をしているのだろう。中からお嬢様の声が微かに聞こえるが、聞きとれはしなかった。何も思いつかないまま、こうしていても埒が明かないと戸を叩く。


「お嬢様、入りますよ」

「今はだめです。後にしてください!」


 返事がないのでそう声をかけると、悲鳴のような高い声で拒絶されてしまった。どうしたものか、とまた悩むも、仕方ないと戸を開ける。仮にも女性の部屋に、拒絶されたにも関わらず入るなど言語道断だが許してもらいたい。そもそもずっとこのままではお嬢様も辛いだろうし、俺たちもどうすればいいか分からない。


 部屋を見渡すと、不思議なものが見えてしまった。一瞬眩暈に似た感覚を覚え、額を抑える。なんて格好をしてるんだ。

 改めて寝台の上でふっくらと丸くなった掛け布団を見て、半眼になってしまう。ご令嬢としてはよろしくない行動だろうなあ、これは。


「リリシアさんに聞きましたよ。鏡で遊んでいたと思ったら突然走りだしてしまったと。心配していました。どうしたんですか」


 寝台に手をついて丸まった布団に手を伸ばせば、下のほうから突然ひょっこりと顔が出てきた。驚いて動きを止めると、こちらを見上げる目と合う。思わずそのまま動きを止めていると、お嬢様は目を伏せた。


「先生は……」


 開いた口が、そう紡ぐと止まる。すぐに閉口して、布団の中に引っ込んでしまった。失敗した、今何か働きかけるべきだったのか。


「表情のことですか」


 また拒絶の体勢に入ってしまったお嬢様から聞きだすのは無理だろうと諦め聞けば、また顔だけ出てきた。眼を伏せるお嬢様の頭に行き場をなくしていた手を載せる。小さく動かせば、僅かに顔を上げた。


「落ち込むことはありません。お嬢様は、確実に表情が出てきていますよ」


 これは確かに、思い始めていたことだ。あの笑顔は置いておくにしても、お嬢様には確かに表情がつき始めている。手を離すとそろりと動いた布団にまた頭を引っ込めてしまうかと思ったが、そのままでずりずりと下がり、ちらりと見上げてくる。ここに、座っていいんだろうか。恐る恐る腰掛ける。様子を窺ってみると、むしろそれに何かと首を傾げられた。


「女性を慰めるのは苦手なんです」


 どうすれば怒るのか、どうすれば笑うのかがなかなか分からなくて。

 目を逸らし誤魔化すように頭を掻けば、お嬢様が僅かに笑う。


「ほら、笑えていますよ」


 それに笑いかけながら頬を突けば、お嬢様も確認するように指を這わせる。むっとした様子で見上げられ、わからなかったかと苦笑した。


「嘘じゃありません。お嬢様は、徐々に、確実に、表情に出るようになってきています。すぐに普通に笑えるようになります。怒れるようになります」


 先ほど僅かに上がった頬を撫でれば、くすぐったそうに目を細められる。それに笑って頭を撫でれば、目がこちらを向いた。

 恐らくもう大丈夫だろう。手を離し寝台から離れ、戸に手を掛けてから振り向いた。


「またあとで、授業の時に迎えに来ます。それまでには機嫌を直しておいてくださいね」


 はははは、と笑いながら言うと、布団を剥いで「もう大丈夫です!」と拗ねたように怒鳴るお嬢様に、また笑いながら部屋を出た。本当にもう大丈夫そうだった。

 女心と秋の空、だったか。本当にころころと感情が変わる様子が、見ていておかしかった。





 自室に戻ると持ち込んだ本を漁り、目当ての物を掘りだした。初歩の総合魔術教本だ。それぞれの魔術の基礎と生活魔術が載っている。まずはこれをなぞり、魔力の色を見てから属性魔術の勉強に入るつもりだ。なにも他の属性が使えないというわけではないが、やはり特化したものを伸ばしていくべきだろう。才能が見えないならともかく、目に見えて、わかるのだから。属性に合わせてエレも質の良いものを頼んでおかなければ。


 ふと、楽しみにしている自分に気がついた。それに驚いて、思わず手に持った本を落としてしまう。

 初めてのものだった。生徒――それもまだ一週間にもなっていないというのに――に入れ込むなんてことは。


 生徒が前に進めることが嬉しい。

 師として当然であるはずの感情を、初めて持ったことに驚いた。これが初めてだということに驚いたのだ。今までいくらまともに扱われていなかったとはいえ、魔術を教えてきたことに違いはない。だというのに。

 情けない話だ。俺は今までの子供たちを、生徒と見たことがなかったのかもしれない。ただの貴族の子としか見ていなかった。師として仰がれないなど、こちらが生徒として見ていなければ当然じゃないか。


「……」


 乱暴に頭を掻き、落としてしまった教本を拾う。前にロキシーがどこからか出した魔石も探し、なんだかな、と自分に呆れる。要は、お嬢様を気に入ってるわけだろ、リーレンの言った通り。本当に呆れたもんだ。気に入った生徒しか生徒と認めないらしい、俺は。


(なんだかなあ)


 また頭を掻きながら、お嬢様を迎えに歩きだした。





「では、早速魔術を試してみましょうか」


 少々手間取ったもののなんとか魔力を掴むことができ、魔石で慣らした後。嬉しそうに自分の手を見つめるお嬢様に微笑ましい気持ちになりながら、隣へ来るよう指示した。お嬢様に見えるよう座って本を取り出すと、お嬢様まで地面に座ってしまった。ご令嬢を地べたに座らせる気はなかったんだが……まあ本人が気にしていないんだから、いいのか? でもご令嬢としてはどうなんだ、これ。

 以前も感じた複雑な気持ちになりながら、教本を開いた。


「初歩の総合魔術教本です。最初の数ページが生活魔術で、後は他の魔術を使うに当たって必要なことが書いてあります。魔法陣の書き方や、呪文の言い方、精霊への頼み方と妖精との契約の仕方ですね」


 契約と聞いて反応しないかアストラを見てみるが、お嬢様の陰に隠れてしまった。意外と人見知りする妖精なのかと食堂との態度の違いに驚いてしまったが、気を取り直してページをめくる。


「まずは魔術の基礎、生活魔術から始めましょう。これです。以前お見せした、火の呪文ですね。火の呪文といってもただ火を出すだけですので、扱いも難しくはありません。試してみましょう」


 以前にも見せたように唱えれば、同じように指先に小さく火が灯った。お嬢様の眼に敵意がみえているような気がして、そう言えばやろうとして失敗してたな、と笑いそうになる。


「込める魔力を少なくすれば火も小さいものになりますから、安心して試してください」


 言いながら火を消し教本を指差せば、お嬢様も確認したのか頷いて、はたと首を傾げた。何か気になることでも書いてあったかと覗きこめば、不思議そうな顔で見上げられる。


「あの、先生。呪文は決まったものではないと書いてあるんですが、これは?」

「ああ」


 そう言えば、以前そんな話をしたか。


「言葉の綾というものですね。決まり文句自体はあります。ただ、言葉を言いかえることで魔術自体が変わることがあるのです。例えば今火よ灯れと言いましたよね。それを、炎よ燃えろ、と言い換えれば、同じ魔力量でも炎の方が火の威力が上がったりします。言葉が魔術に影響を与えるのが呪文魔術というものです。言葉自体を言い変えずとも、認識でも変わっていきます。たとえば火、と言っただけでも頭で炎を浮かべていればそちらに寄りますし、炎といっていても小さな火を浮かべていればやはりそちらに寄っていきます。込められた意味そのものが意味をなすんです」

「コトダマみたいなものですね」

「コトダマ?」


 説明すれば納得したように頷きこぼした言葉に、今度はこちらが首を傾げる。コトダマ、とはなんだ。お嬢様は小さく眼を見開くと「なんでもないです」と慌てたように首を振り、それに目を細めた。ふん、とりあえずメモっておくか。

 メモを取りながらお嬢様を見れば、今度はきちんと火を灯すことが出来たようだった。赤い魔力がそのまま火になったような見事なものだ。

 お嬢様は火属性か。もしかしたらファデル様が火属性なのかもしれない。基本的に遺伝で決まる魔術属性に頷いていると、お嬢様が火を消さず見つめ続けているのに気がついた。


「お嬢様、火を消してください。火が出ている間は魔力を消費し続けますから、あまり長いこと使用しないように。魔力量は多くとも無駄にすることはありませんからね」


 素直に頷き火を消したお嬢様を見て、一応教本のページも捲っておく。正直生活魔術は見よう見まねで出来てしまうものだから、あまり教本を読む必要はない。もちろん独学なら別だが。後でこの本はお嬢様にあげることにしよう。


「灯火の呪文は無事できましたね。では次は水を出してみましょう。試しにやってみますので、繰り返してください」


 唱えれば、宙に水が湧き出した。見えない袋でもあるかのようにたぷん、とその場にとどまり溜まっていく水に、お嬢様が目を輝かせているのが見える。エーデリア様に聞いた話だがこれを見て魔術に興味を持ったそうだから、それは感動ものだろう。つい笑顔になりながら促せば、お嬢様は元気よく「水よ湧け!」と唱えた。すると確かに水は出たのだが、そこに見えた魔力は青。


 ――待て。


 先ほど、俺の眼が確かなら、お嬢様の魔力は赤だったはずだ。だが今は青に見えた。見間違いか?

 水を落としてしげしげと地面を見つめるお嬢様がこっちを見た。首を傾げられ、それに目を細める。


「お嬢様、もう一度灯火を唱えてもらっても構いませんか」

「あの、はい。火よ灯れ」


 戸惑った様子だが唱えた指には、やはり赤い魔力が火に変わる様が見える。「次は水を」と言えば、それも唱える。確かに、青い魔力が水へと変わっていった。


(どういう、ことだ)

 だらしなく開いてしまった口を慌てて閉じ、顔を顰める。わけがわからない。


「先生?」


 小さな声で呼びながら顔を覗きこまれ、思わずその目を見返す。言葉が出ない。ありえないことだ。


「まさか」


 そう、まさか。赤い魔力も、青い魔力も持っているとでも?


「お嬢様、風を、起こしてみましょう。風よ吹けと」


 注意深く、見逃しのないよう見つめると、お嬢様は居心地悪そうにしながらも唱えた。ふわりと僅かな風が髪を煽り、それに、おい嘘だろう。


「どういうことだ……」


 本当に、一体、どういうことだ。


 やはり見間違いか。透明な魔力なのか。昨日の紙を見る限り透明な魔力という可能性はあるが、それにしてははっきり魔力に色が付いているように見えた。それにあの紙はまだ試作段階だと言っていたし、確実ではないだろう。

 考えながらお嬢様を見ていると、アストラを抱え教本をめくっていた。光よ照らせ、と小さく唱えると、確かにそこに白い魔力が瞬く。


 待て待て待て待て。待て。

 火の時は赤の魔力。水の時は青の魔力。風の時は緑の魔力。さらに光の時は白の魔力だと。あまりにも不可解だ。

 通常魔力色は一つしか持てない。魔玉が一つしかないからと言われているが、詳しくは解明できていない。それでも確かに、魔力を一色以上持っている者など文献にも、この目で見たことも、噂を聞いたこともなかった。


 今見ただけで四色。これが、お嬢様の紙が透明になった原因なのだろうか。魔力は一つでそれが変質しているのか、それとも魔力自体が四つあるのか。……四つだけなのか? 四つあるなら他にもあるんじゃないかと思うぐらいには、お嬢様は不可解過ぎる。

 猫型の妖精と仲良く生活魔術をしている様は微笑ましいが、さらに驚いたことに、その妖精までもが魔力色を四つ持っていると来た。上を向いて、顔を覆いたくなった。


 魔力色ってのは、その人の特化を示してるんだぞ。なのになんだ、何で何色もあるんだ。

 お嬢様が魔石を見つめているのに気づき様子を眺めていると、そちらに手を伸ばしゆっくりと手招いているのが見えた。


 まさか。


「おいで、おいでーっ」


(ありえない!)

 無属性魔術というのは呪文もない魔法陣もない、無形の魔術だ。魔術と言っていいのかもわからないような、魔力量にものを言わせて遂行するような、むちゃくちゃで、簡単なように見えて非常にめんどうなものだ。それを一度、それもあんな適当にやってのけるなんて!

 ああ、と頭を抱えて悩んでいる隣で、お嬢様はアストラと仲良く遊んでいた。……無属性魔術で。

読んでいただきありがとうございます。

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