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アストラの処遇は私に懐いた妖精ということで、うちに住むことに決まったようです。
エーデリア様が喜々として猫用品をそろえると言っていたから、これからは基本的に猫の姿だろうか。アストラもまんざらでもなさそうだし。
そんな諸々は置いといて、大変な問題が発覚しました。
始まりは朝食の後。アストラのことがなんとかなった後自分の姿を異様に気にしているアストラに、もう一度鏡はあるかとリリシアに聞いた後のことである。
鏡はあった。なぜかとある一つの部屋にしかなく、そこが化粧室であることを悟り、なるほどと納得したさらに後。その鏡の前にアストラを置き、謎のポーズとかを取りながら「これが猫か」としきりに頷くアストラに笑った、その瞬間、私は気付いてしまった。
わたし、笑えて、ないヨー。
えっ? ってなった。アストラが「どうした」って聞いてくるのにも答えられないくらいえっ? ってなった。鏡ガン見して呆然とした。呆然としてるのにただ口開けてるだけの無表情が映っててさらに呆然とした。ちょっと意味が分からなくてまたえっ? ってなった。
「最初からそうだったろう」
なにも言わずとも察したらしいアストラにそう言われてさらにえっ? ってなった。ちょっとどういうことなのか意味がよくわからなかった。
え、私、顔動いてなかったの……?
今までのあんなことやこんなことが頭の中を走馬灯のように駆け巡って、その中で悉く無表情の自分を想像した。
部屋に閉じこもった。
「何をそんなに気にしているんだ」
呆れたようなアストラの声に、「うるさい」と返して握りしめた布団をさらにぎゅっと内側に巻き込んだ。
鏡の部屋から一目散に逃げて自室に入り、ベッドに乗り上げると掛け布団でまんじゅうになった。もう誰にも顔を合わせられそうになかった。恥ずかしいとかじゃなくて申し訳なかった。
「空っぽだっただけじゃなくて、今も表情が空っぽだったなんて!」
布団の中でくぐもって聞こえる声は外だとさらに聞きづらいだろう。アストラは溜息をつくと、布団をぼすぼす叩いてきた。お得意の猫パンチに違いない。そんなことされたところで出るもんか! 私は今落ち込んでいるんです! ほっといてください!
涙目になってさらに縮こまり布団を巻き込んでいると、ドアがノックされたような気がした。外の音もくぐもって聞こえるから、ほんとに音がしたか確かな判断が出来ない。
「お嬢様、入りますよ」
「今はだめです。後にしてください!」
先生の声が聞こえて、頭だけを布団から出した。ドアに向かって言うも、返事がないと思ったら問答無用でドアが開いた。ぎゃああああレディの部屋になんてこと!
慌てて頭も布団に戻し、まんじゅうに戻る。
「リリシアさんに聞きましたよ。鏡で遊んでいたと思ったら突然走りだしてしまったと。心配していました。どうしたんですか」
声が段々と近づいてきて、ベッドが揺れた。もしかして座ったのか、と驚いて顔を出せば、ベッドに手を付いてこちらに手を伸ばし見ている先生と目が合った。
さすがの先生でも許可なしに女性――といっても子供だけど――のベッドに乗ることはしないらしい。ちょっと安心しました。
リリシアはしばらくどうしたんですかと傍に居てくれたんだけど、申し訳なさとか悲しさとか、悔しさもあったかもしれない。とにかく顔を合わせられない私の様子を見て諦めたのかさっきどこかに行ってしまった。まさか先生を呼びに行ったとは思いもしなかった。でも反省はしてる。パニックになっていたとはいえ無下に扱ってごめんなさい、リリシア。
「先生は……」
私が無表情だったこと知っていましたか、と聞こうとして、馬鹿な質問だと口を噤む。当然だ、結構長い時間一緒にいた。知らない方がおかしい。
また頭を引っ込めて、「話してください」という先生に何を言っていいか分からなくて口ごもる。どう思いました、なんて聞けない。
「表情のことですか」
唸りそうになっていたら突然言われ、ばっとまた頭を出す。先生は真剣な表情をしていて、それに視線を落とした。鏡、逃げた、引きこもってるの三つの情報があれば、私を見ていた人なら考えれば分かることかもしれない。
「落ち込むことはありません。お嬢様は、確実に表情が出てきていますよ」
頭をそっと撫でられ、腰を折ったままなのも大変だろうと思い先生が座れるスペースを開けた。先生は目を丸くすると笑って、失礼しますというと腰かけた。ちゃんと乗らずに、はじに腰掛ける先生に少し紳士を見た気がした。
振り向いた先生は困ったような顔をしていて、不思議に思って首を傾げる。どうしてそんな表情をしているんだろう。
「女性を慰めるのは苦手なんです」
私の視線に気づくと罰が悪そうに目を逸らし頭を掻いた。そんな先生がちょっとおかしくて笑う。先生顔かっこいいんだから、女の人に慣れてないなんてこともないだろうに。あ、私が子供だからか。勝手が違うよね。
「ほら、笑えていますよ」
言いながら頬をつつかれ、自分で口元を触ってみる。何も変わっていなかった。嘘ついた、と先生を恨めしい気持ちで見上げれば、嘘じゃありません、とまた笑った。
「お嬢様は、徐々に、確実に、表情に出るようになってきています」
つついた手でくすぐるように頬を撫でられ、目を細める。少しくすぐったい。
「すぐに普通に笑えるようになります。怒れるようになります」
先生はそういうと、頭を撫でて離れた。名残惜しい気持ちになりながら目で追えば、悪戯に笑う。
「またあとで、授業の時に迎えに来ます。それまでには機嫌を直しておいてくださいね」
「べっ、別にもう大丈夫です!」
ひらひらと手を振った先生に思わず起き上がれば、爽やかに笑って部屋を出て行った。全く最後の最後に!
ぐう、とぶすくれながら、先生の撫でた頭を押さえる。ちょっと嬉しいとかは別に思ってない。ほんとに。思ってないったら思ってない。
あとから思うと、まんじゅう布団から顔を出したり引っ込めたりと、亀みたいだったんじゃないかと恥ずかしくなった。
あの後一時間くらいして先生が来て、中庭に移動することになった。先生は手袋をして見たことのない石を持って来ている。魔虜、という石らしい。素手で持つと、というか直接体に触れると途端に魔力を吸い取り始めるという、不思議な石だ。
「一瞬だけですが、これに触ってもらいます。その際魔力が吸い取られるので、その感覚を掴んでください」
私に差し出すように持つと、「強引な手ですが仕方ありません」と真面目な顔をして言う先生に、本当に危険なんだなとわかり緊張してしまう。ゆっくり手を伸ばし、人差し指でそれに触れた。すると触れた部分に向かって胸のほうから急激に温かいものが流れて、慌てて離れる。温かいものはするすると胸に戻っていくと、沈黙した。
思わず呆然と胸を見ていると、先生は「掴めたようですね」と安堵したように笑った。掴めた、というか、これか、というのは分かったけど、これで使えるようになるかどうかはまた別なのでは、と思いつつ、意識して温かいのを探してみる。
「見つかりましたか?」
少し期待したような眼で見られて、それに首を傾げる。たぶん、これ、だよね。たぶん。
魔力魔力、と思って探しても見つからなかったものが、まだもやっとした不確かな感覚だけど見つかったことに戸惑ってしまう。さっぱりわからなかったのに、あるということに意識が気づいてしまえばこんなものなのか。
それに、なんか、うーん。これをこのまま使おうとしても、使えないような気がした。
「では、魔石を使ってみましょうか。魔力が込められるかどうかはこれが一番簡単にわかりますから」
言いながらローブから――どこに収納が付いているのか心底謎だけど――魔石を取り出すと渡してきて、受け取る。けど魔力を込める、ということになるとやっぱりよくわからなかった。
「掴めた感覚を、引っ張ってくるとか、持ってくる、のようなイメージをしてみてください」
言われた通りイメージしてみるが、もやっと揺れただけのようで、どうにも動かない。目を瞑ってさらに強くイメージしてみるもやはり動く様子はない。
目を開けて首を傾げると、先生も困ったような顔をする。どうすればいいんでしょう、これ。
「アストラ、できる?」
足元で見守っていたアストラの前に置くと、ひょい、と片前足を置いた。途端にぶわりと真っ白に染まった石に驚いて、「うそっ」と食い入るように見つめてしまう。魔術が使えるかわからないし興味もないとか言ってたくせに、立派に魔力が込められるじゃないか!
「そうだな、桶で水を汲み、それを手元に持ってくるような感覚、といおうか」
猫のくせに人間臭い仕草で首を傾げる様を胡乱気に見つつ、桶で水汲み、桶で水汲み、と目を閉じて頭の中で念じてみる。靄の中に桶、ではイメージとして大きすぎるので、スプーンを突っ込み乗ったもやを落とさないよう慎重に手元に運んだ。手元につくと、スプーンをひっくり返す。ぽてん、と揺れるように落ちた靄にこれは行けたのでは、と目を開ければ、魔石は確かに白く染まっていた。
やった! できた!
「よくできました」
なんだか私より嬉しそうな先生に頭を撫でられて、さらに嬉しくなってしまった。お待たせして済みませんでした。そして待たせたな、私!
慣れるため、と何度も魔石を使って魔力になれると、スプーンやら桶やらじゃなくても魔力を動かせるようになった。相変わらずもやもやしたものの感じがしてちょっと落ち着かないけど、以前はないものがあるからだろう。少しその落ち着かなさが嬉しかった。
「では早速魔術を試してみましょうか」
笑った先生は地面に座ると「こちらへ」、と隣を叩いた。特に抵抗もなくそのまま座り、先生が開いた本を覗き込む。
「初歩の総合魔術教本です。最初の数ページが生活魔術で、後は他の魔術を使うに当たって必要なことが書いてあります。魔法陣の書き方や、呪文の言い方、精霊への頼み方と妖精との契約の仕方ですね」
先生は妖精、といいながらちらりとアストラを見て、アストラはその視線から嫌そうに私の陰に逃げた。その様子に苦笑して、話の続きを聞く。
「まずは魔術の基礎、生活魔術から始めましょう」
ページを捲りながら先生が言って、二ページほどめくると指をさした。
「これです。以前お見せした、火の呪文ですね。火の呪文といってもただ火を出すだけですので、扱いも難しくはありません。試してみましょう」
以前私が恥をかいた奴か、と思いつつ、お手本に人差し指を立て「火よ灯れ」という先生をしっかり見る。僅かに黄色い魔力が指先に電気のように走ったかと思うと、ぽっ、と小さく火がついた。少しびくついてしまうのは生き物なので仕方がないと思ってほしい。火はこわいって。
「込める魔力を少なくすれば火も小さいものになりますから、安心して試してください」
そう言って本のページを見せられ、確かにそう書いてあることを確認する。
「あの、先生。呪文は決まったものではないと書いてあるんですが、これは?」
以前は決まり文句があると言っていた気がするのだが。はて、と首を傾げながら聞けば、「ああ」と頷いた。
「言葉の綾というものですね。決まり文句自体はあります。ただ、言葉を言いかえることで魔術自体が変わることがあるのです。例えば今火よ灯れと言いましたよね。それを、炎よ燃えろ、と言い換えれば、同じ魔力量でも炎の方が火の威力が上がったりします。言葉が魔術に影響を与えるのが呪文魔術というものです。言葉自体を言い変えずとも、認識でも変わっていきます。たとえば火、と言っただけでも頭で炎を浮かべていればそちらに寄りますし、炎といっていても小さな火を浮かべていればやはりそちらに寄っていきます。込められた意味そのものが意味をなすんです」
「言霊みたいなものですね」
なるほど、と納得して頷くと先生が「言霊?」と首を傾げて、この単語はこの世界にないのかと顔を顰める。「なんでもないです」と誤魔化せば、先生は何かをメモしていた。え、何ですかそれ。
覗きこみたい気持ちに少しうずうずしつつ、そんな失礼なことはしてはいけないと堪えながら人差し指を立てた。
「火よ灯れ」
魔力を引っ張ってから唱えれば、指に火が点く。前に先生が言っていたように熱くないし、指も燃えなかった。上に掌を翳してみても同じだ。点けた方の手だけに適応されるわけではないらしい。
思わず感動して指先を見つめていると、先生に消すように言われてしまった。それはそうだ、私以外は燃えるんだから、危ないですもんね。
「火が出ている間は魔力を消費し続けますから、あまり長いこと使用しないように。魔力量は多くとも無駄にすることはありませんからね」
言われ、そっちかと驚いた。でも確かに、火がついたところで水の魔術でも使えば消えるだろう。心配することは魔力がなくなることというのは納得だ。あれ? そう考えると燃えても心配もないか。いや、良いわけじゃないんだけど。
「灯火の呪文は無事できましたね。では次は水を出してみましょう。試しにやってみますので、繰り返してください」
先生が「水よ湧け」、と唱えると、目の前に大きめの水の玉が現れた。それも宙に浮いている。見覚えのある光景に、リリシアが使っていたのはこれだったのかと感動してしまった。自分が魔術に興味を持ったきっかけだ。忘れようもない。
「水よ湧け!」
少し張り切って唱えれば、二度この眼にしたように宙に水が湧き出す。そのまま水の玉になって宙に留まるのを見て気分が高揚するのを感じた。火のときを思い出して、すぐに水を落とす。すると引っ張られなくなった魔力にあれ、と瞬き。なるほど、水の場合は落とすと魔力消費がなくなるのか。つまり、水を出した魔力と、水を宙にとどめている魔力ということだろうか。
へえ、と地に落ちても消えず土にしみこんでいく水を見つめる。先生に正解か聞こうとして、妙に難しそうな表情をしているのを見てしまった。どうかしたのかと首を傾げれば、先生はこちらに気づいて真剣な眼差しで口を開いた。
「お嬢様、もう一度灯火を唱えてもらっても構いませんか」
硬い声で言う先生に戸惑いながら頷き唱えれば、「次は水を」と言われた。なんなんだろうかと不安に思いながら水を出せば、先生は唖然としその水を見る。
「先生?」
水を落としてから恐る恐る窺えば、困惑した様子で見返してきた。それになにがおかしかったんだろうかと怯えれば、「まさか」とゆるく首を振りながら呟く。
「お嬢様、風を、起こしてみましょう。風よ吹けと」
真剣な表情で何も見落とすまいというように見つめられ、居心地の悪い気持ちになりながら唱えた。さわ、と僅かに吹いた風におお、と驚くと、先生の方が驚いたような顔をする。あの、なんなんでしょうか、本当に。
「どういうことだ……」
小さく呟かれた言葉にこっちが言いたいと思いながら、のんびり日向ぼっこを楽しんでいるアストラを抱き寄せた。迷惑そうに猫パンチが飛んだが今は我慢してくださいお願いします。
「なんだ」
難しい顔の先生を見てアストラも怪訝そうな声を出し、それに何度も頷いた。本当に、なんだ。
暫く考えに耽ってしまいそうな先生から視線を外し、教本を読むことにした。日常魔術は今の三つと、後一つだけらしい。明かりをつける魔術。
「光よ照らせ」
火の時のように人差し指を立てて唱えれば、そこに光の玉が現れた。面白い。少なめの魔力でやったからかほわりとした小さな弱い光で、なんだか少し落ち着いた。これ、魔力を多くしたら大きく強い光になるんだろうな。洞窟とかで便利そう。
アストラも私と一緒に全部やって、魔術が使えることが判明しました。あとで紙試してみようと言ったら嫌がられたので、またいつかの機会に進めようと思う。
日常魔術はこの四つ。思っていたより少ない。でも確かに日常で使う魔術ってこんなものな気がする。洗う、温める、乾かす、照らす。うん。洗濯とかに便利だね。
次のページに行ってしまってもいいだろうかと先生を窺うが、やっぱり何かを考えているようだった。まあいいやとページを捲り、読み進める。次のページの魔術は無属性魔術だった。無属性っていうから勘違いしていたけど、どうやらそれも立派な属性のようだ。それともトアレ様の無属性はこれとは違う意味なんだろうか。これも先生に聞かないとなと思いつつ教本を読んでいけば、これも日常に使えそうな便利な魔術がいっぱいである。
はい、ここで重要な保存魔術ですね。ロキシーさんの小鳥は今日も元気です。いや動きませんけども。
これも無属性らしい。固定も、取りたい物を引き寄せるのも、物を浮かせるのも無属性。なるほど、と思わないでもないけど、浮かせるのは風じゃないのか。不思議。
無属性ってこういう魔術なのね、となんとなく理解して、ふと先生が脇に置いた魔石を見つめる。あれ、引き寄せられるかな。詳しく読んでみれば、無属性は呪文が決まっていないらしい。これは正しく決まっていないようで、言い換えとかそういう話じゃないようだ。魔力にものを言わせて物事を遂行する、らしい。すごいなそれ。でも魔力にものを言わせれば、適当な呪文でも魔術が使えるってことだよね。むしろ呪文はいらないのかもしれない。それならどうして火とかは魔力に物を言わせて出せないんだろう、と少し思考がずれた。
「おいで、おいでーっ」
ぐぐぐ、と魔力を伸ばす気持で魔石まで届け、とやって、届いたような気がするところでくっつけ! と念じる。そのままゆっくり魔力を引き戻せば、魔石もずりずりとくっついたまま引くことが出来た。これはすごい……でも呪文の必要性が激しく理解できない。やっぱり何も言わなくてもできるんじゃないだろうか。教本にも決まってないというだけで、呪文が必要とも必要じゃないとも書いてないのだ。
属性魔術はまだやらない方がいいだろうな、と思い、先生が考え込んでいる間アストラと無属性魔術を練習していた。魔石の引っ張り合いっこは楽しかった。アストラの勝ちだったけど。
読んでくださりありがとうございます。