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仕事から帰ったジンクとともに夕食をすませ、チャイカを寝かしつけたあと、ラキスは夫婦から、もう少しくわしい話を聞き出した。
まずチャイカだが、いくら成長がふつうではない子とはいえ、以前は魔物に化けるようなことまではしなかった。
しはじめたのは、ここ最近のことで、なぜ急にそんなことができるようになったのかは、よくわからない。
しかも、変化がおきているのはチャイカだけではない。
ラキスは、そもそもジンクたちが、昨年の秋あたりまでは空を飛べなかったのだと聞いて驚いた。
もともと翼をもった一族ではあったのだが、それは形ばかりのもので、実際に飛行することなど、とてもできなかったのだという。
しかし初冬のある日、仲間のひとりが木に登って高枝を切っていたときのことだ。うっかり足をすべらせて落下してしまい、夢中で手足をばたつかせたところ、翼が動いた。
下にいたジンクたちはあぜんとしたが、はばたく翼を見た以上は、自分たちも試してみないわけにはいかない。
皆は次々に試みて──つまり枝から落ちてみて──みごとに成功したのだった。
ちなみに女性たちは、誰もあとには続かなかった。ルイサいわく、そんな魔物みたいな真似、誰がするもんかい、とのことだった。だが……。
ひと月前に、カーヤの事件を知ったとき。彼女たちは、自分たちの身体が明らかに何かの変化をとげているのを意識した。
怒りや憎しみとともに、翼が膨張するように大きくなったのだ。
気分が落ち着いてくるにつれて、もとに戻ったが、自分の部品が勝手にのびたり縮んだりするなんて、なんだか気に入らない。
そういえば、とラキスも思った。最初、凶器をもった村人たちにとりかこまれたときは、翼がまるで壁のように大きく見えたのだ。
恐怖のせいかと思っていたが、あのときにくらべると、たしかにいまはひとまわり以上小さく感じられる。
負の感情が、魔性を増幅しているということなのか……。
ラキスは考えこんだが、ふと思い当たることがあった。それは、ドーミエの土地自体についての問題だった。
聖獣と魔物が同時に存在しているように、土地そのものにも、聖性の強い土地と魔性の強い土地がある。
たとえば王都パスティナーシュは、聖なる土地の典型だ。
あの都にも魔物は出るが、インキュバスのように手強いものがあらわれることは、ふつうなら、ほとんどないといっていい。北の塔のインキュバスも旅の一座が都に持ちこんだのであって、都で生まれたわけではないだろう。
もともとそういう場所だったからこそ、王城を築き都をひらく場として選ばれたのだ。
反対に魔性の気配を濃く感じるのが、ドーミエの森だった。実際に森の中に降り立ったわけではないが、上を飛んでいただけでも、魔物狩りの勘にひっかかってくるような何かがあった。
たぶん地面に降りていたら、もっとはっきり感じただろう。
瘴気と呼ばれる、土壌からにじみ出てくる魔力の強さを。
この村に来たばかりのときは気づかなかったが、実は村の土からも、ラキスはそれを感じていた。森と接した場所にあるのだから、瘴気が流れ込んできているとしても、おかしくはない。
だが、その流れ込みかたが、以前よりも激しくなっているのだとしたら……。
「ドーミエの領主様は、きっといい人だぜ」
ジンクの声で、ラキスはもの思いから返った。
ジンク夫婦にしても村人たちにしても、ラキスから見ればふしぎなくらい、自分たちの変化には無頓着なようだった。
もしも翼ではなく手足に異変があったとしたら、これはおおごとだと思うかもしれない。土壌がやせすぎて作物ができなくなったりしたら、すぐに大騒ぎになるだろう。
それらはみな、生活にかかってくることだからだ。食べることに精一杯の暮らしとは、きっとそういうものなのだ。
加えていまは、その食べることすら上回るほど、大きな関心事を抱えている。
「領主によっては、半魔から高い税をとったり追い出したりするような奴もいるっていうが」
ジンクが、唯一の楽しみである麦酒をおいしそうに飲みながら、続けた。
「うちの領主様は、ちゃんとおれらがつくった炭を買ってくれる。税だって生粋の奴らとおんなじ額だ。代官なんかを通してちゃ、あんたもすぐマリスタークにまわされちまうだろうが、直接、領主様に会えれば、話を聞いてくれると思うぜ」
よろしく頼むよ、とジンクが真剣な口調で言った。
横にすわっていたルイサが、心配そうに口をはさんだ。
「明日の朝には発つんだよね。でも、ほんとにひとりで平気なの? ちゃんと領主様のとこまで行ける?」
「まったくだ」
ジンクがうなずき、木のコップをさらにあおった。中身はもう出てこなかったため、勢いよくコップをテーブルにおきながら、声を高めた。
「よし! やっぱりおれがついていくか」
「何言ってるんだ」
ラキスは、ほとんどあきれて言い返した。そもそも、マリスタークに彼みずからが飛んでいったということだけでも、驚いていたのだ。
ラキスは話し合いの場にしか同席したことはないのだが、その様子を見る限り、集落をまとめているのは、やはりこのジンクだった。
武骨で明るく、正直なところ、それほど頭がまわるわけでもなさそうに見える。だが非常に気がよく、気前もよく、仕事の腕もたしかなようだ。
何より仲間を思いやる気持ちが強く、それが村人たちの求める一番のものであるのだろう。
妻のルイサは、ジンクとは反対におっとりと静かな感じの女性だったが、夫の無鉄砲さを支えているのは明らかに彼女のようだった。
頭領の妻として気配りしつつ、あかの他人の子であるチャイカのことも当然の様子で面倒みている。
流れ者のラキスに対しても、あれこれと気にかけるやさしさがある。
つまり彼らは、この村になくてはならない存在なのだ。
「ふたりで行っても目立つだけだ。ジンクはここにいてくれ。というより、いなきゃいけないだろう? 頭領なんだから」
ラキスが言うと、頭領は不満そうに唇を曲げた。
「しかしあんた、なんだか無茶しそうでさ。なんたって城に突っ込んだくらいだもんな」
「あのときはどうかしてた。もう、あんなことはしないよ」
「いや、しかし……あんたはカーヤの友達でも何でもないだろ? そんな奴が、危険をおかしてくれるんだ。あの娘を小さいときから見てきたおれらが、何もしないで若いのひとりにまかせるなんて……申し訳なくて、とてもできねえよ」
「そんなこと、思わなくていい」
思わず強い調子になって、ラキスは彼に向き合った。
「ジンクは頭領だ。頭領はこの村のことだけを考えてくれ。この村を、ここの村人たちのことだけを守るんだ。よそ者の心配までしなくていい、おれを利用するくらいの気持ちでいろよ」
ジンクは、若者に気圧されたように少し黙った。
それから、まじまじとラキスをみつめて呟いた。
「ラキス……あんたほんとに、ただの流れ者の剣士かい?」
「すまない、年下がこんな生意気な口をきいて」
言い過ぎたかと思い、ラキスがあやまると、頭領は首を振った。
「いや、そんなんじゃなくてさ。なんか……」
彼は頭をひねって言葉を探していたが、いい表現が思いつかなかったらしい。
「頭悪いから、うまく言えねえよ。しかし、いまちょっと思い出しだんだが……あんたが城から運ばれてるとき、お姫様の名前を呼び捨てにしたような気がするんだよな。おれの聞き違いかもしれねえが……」
聞き違いだ、とラキスが言った。そうだよなあ、とジンクがうなずく。
「なんにしてもさ」
ルイサが、話を落ち着かせるようにおだやかな声で口をはさんだ。
「あたしらはラキスに頼る以外にない。おとなしく、ここで待ってることにするよ。でも、くれぐれも無理はしないで、ちゃんとここに戻ってきておくれ。約束だよ」




