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屋根裏部屋の次にラキスにすすめられたのは、息子のゼムが使っていたという狭い一室だった。
ゼムは少し前からマージの住まいに居を移している。まだ正式に結婚しているわけではないのだが、自立できない状態のドニーをマージが世話しているため、ゼムも同居して力を貸しているのだ。
一階にある部屋は土間になっていて、足の低い粗末なベッドがおかれていた。わらのマットレスは厚みがなくなり、地面に寝るのと大差ないのではないかと思うほどだ。
それでも窓からはちゃんと外の光や新鮮な空気が入ってきたし、掃除も行き届いて不潔さは感じなかった。
小さな鉄皿に獣脂のろうそくが用意されていたが、いまは月の光が差しこんで枕元を照らしてくれる。ベッドに寝転びながら、貴重なろうそくを減らさなくてもすみそうだとラキスは考えた。
こういう生活は、彼にとって苦ではなかった。コルカムでは物置小屋に寝泊まりしたことさえあったし、王城と契約していたときだって、遠征先で寝るのは小さな天幕の中だった。
だから、かたすぎるベッドのせいで寝つけないわけではないのだが、やはり今後のことを考えると、すぐには眠れそうもなかった。
村人たちの変化の話や、森からにじみ出ている瘴気についても気にかかる。森に近すぎるこの場所は、たぶん本来は、人が住むにはあまり適していないのだろう。
だが、ふつうの人々が住むのを嫌がる場所だからこそ、異形の集団が、かたまって集落をつくることができたともいえる。
そうしてみんなで力を合わせることで、彼らは貧しいながらも、いきいきと生活できているのだ。
村人たちは森に慣れきっているらしく、この地になんの不満も持っていないようだった。
慣れるということ自体がよくない気もしたが、この件について自分にできることは何もないのだと、ラキスは思った。
ただ、少なくともひとつだけは、彼らのためにできることがある。それは、マリスタークの次期伯爵を、この村に連れてこないようにすることだ。
なぜなら、ジンクが言っていたではないか。あの男を連れてきたら、なぶり殺しにしてやると。
もしも本当にそれを実行したら、ジンクや手を下した村人たちは、いったいどうなる?
どんなに残虐な犯人だとしても、レントリアでは復讐など認められていない。発覚したら、犯罪者は村人たちのほうだ。
しかも相手は、誰からも疑われていない、マリスタークの次期伯爵。統率したジンクは、まちがいなく死罪になるだろう。
そして集落は解体となる。ばらばらにされて、彼らがまともに生きていけるはずもないのに……。
ラキスは、自分自身が村人たちの前で言った台詞を思い出した。
あの男を必ず引っぱってきてやる──そう約束してしまったのだが、約束が守れないだろうことは、あの時点からわかっていた。
あまりいい気持ちはしなかったが、彼らを引き下がらせる言い方がほかになかったのだから、しかたない。
そもそも、ドーミエ男爵に会いにいくつもりさえ、ラキスには最初からなかった。そんなことをしたところで勝ち目などないのだと、よくわかっていた。
男爵がいい人だというのは、本当だろう。男爵あての手紙を持っていったときに面会したから、どういう領主なのか、ある程度のことは知っている。
カーヤの悲劇をラキスに教えてくれたとき、男爵は心から憤っているようだった。半魔だからしかたないなどと言わず、本気で嘆いている様子に、救われた気がしたものだ。
けれど、どんなにいい人であっても、彼が事件の真相を信じてくれるかどうかはわからない。
そして、たとえ信じてくれて、マリスターク側につないでくれたとしても……ドーミエとマリスタークでは、あまりにも格がちがいすぎる。
かたや、魔物だらけの森とひなびた村落が大半のドーミエ。かたや、レントリアの産業を支え、代々の伯爵が王家のおぼえもめでたきマリスターク。
告発相手は、第三王女の結婚相手とまで目されている、伯爵家の嫡男……。
しかも、その犯行現場を目撃したのは、たった三人の半魔だけだ。裁判で証言できる状態ではない、男と子ども。
残るひとりは、王城の使いだったころならともかく、いまや殺人未遂のお尋ね者……。
無理だ。どう考えても、ドーミエ側に見込みなんてありえない。
だが、だからといって引きさがるつもりもまた、ラキスにはまったくなかった。
あの男を許すことだけは、絶対にできない。
野放しにするつもりもない。
どうすればいいのかは、これからじっくり考えなければならないが……自分がこの村を出るということだけは、はっきりしているのだから、その後どこかに身をひそめながら、ひとりで考えてみるしかない──。
ラキスは、ため息をつくと、かたい寝床で寝がえりをうった。
こんな成り行きになるなんて、本当に想定外としかいいようがなかった。さっさと王城から離れて、どこか遠い辺境の地に行くつもりだったのに……。
別に当てがあるわけではなかったが、なぜ辺境の地かといえば、そこで魔法炎を召喚できないかと思ったからだ。
あの炎は、辺境のほうが取りやすい気がする。二度も召喚したなんて聞いたこともないが、別に予定もないのだし、やってみるくらいはしてもいいだろう。
やってみてできなかったら、そのあたりの裕福そうな住人と、魔物狩りの契約でもして……。
契約。
ふいに、マリスターク城の庭園の出来事が、脳裏によみがえった。
次期伯爵との間に飛び込んできた衛兵。──ディー。
レマもいた。まさかふたりが、あんなところで契約していたなんて、思いもしなかった……。
ふたりと連絡がとれないものかと、ラキスはふと考えたが、彼はその考えを、なかば強引に頭の中から閉め出した。
やりやすくなるどころか、むしろ逆だ。あのふたりが警備をまかされているのなら、ふたたび隙をつくるような真似は、もう絶対にしないだろう。
ますます眠れそうもなくなってきたので、彼はまた、寝がえりをうって向きを変えた。
閉じようとしたまぶたの上に、皓々と明るい月の光がおりてくる。
今夜は満月なのだ。夜になっても晴天のまま、雲はどこにもかかっていない。
ふんだんな昼間の日差しを無駄にしないよう、ルイサが布団を日に干していてくれたことを、ラキスは思い出した。おかげで布団の湿気はすっかりとれて、いまも日なたの匂いが残っているような気がする。
昔、コルカムでも、リュシラがよくこんなふうにしていてくれた……。
ようやく眠れそうな感覚がやってきたので、ラキスはそれをのがさないようにしながら瞳を閉じた。高ぶっていた意識が、ゆっくりと薄れはじめる。
そうして、やっと訪れた眠りの中で、彼は長い夢をみた。




