43(ドーミエ)
マリスタークからの追手は、すぐにはドーミエの村まで来なかった。
伯爵側としては、少しでも早く捜査の手をのばしたかったにちがいないが、他家の領地を捜索する場合、まずはそちらの領主に断りを入れるのが基本なのだ。
よほどの大事件──たとえば王女自身が狙われたなど──ならまだしも、標的は次期伯爵、しかも未遂だったのだから、手順をとばすわけにはいかなかったのだろう。
ジンクたちの集落をたずねてきたのは、ドーミエの代官やその配下で、もし暴漢を助けてかくまっているのなら突き出すようにと、きびしく命じた。
だがきびしいのは口先だけで、家探しをして捜すような熱意までは持っていないようだった。
ドーミエ側に害をなすような暴漢ではないと判断し、のんびりかまえているらしい。あたりをうろうろしてはいたが、時間をつぶしているだけのような雰囲気だ。
レントール川をはさんでいることもあり、あまり意志の疎通ができていないのかもしれない。
そうはいっても、マリスターク伯爵たちがこのまま引き下がるとは思えないから、村にとどまっているのは三日が限度だと、ラキスは考えていた。
遠からず、賞金のかかった手配書が出回るだろう。そうなると賞金目当ての流れ者たちが入り込んできて、厄介なことになってしまう。
狭い世界しか知らない村人たちには、ぴんとこない話らしいが、少しでも早くここから出て行ったほうがいいのだ。
ジンクたち夫婦は、ほとぼりがさめるまで自分たちの家に泊まっていればいいと、人のいい提案をしてきてくれた。
それができるならたしかに楽だが……とラキスは思い、彼らに気を許している自分に気づいて、なんとなくおかしくなった。
実際、魔性の翼をもつこと以外、何ひとつ問題はないと言いたくなるくらい、村人たちはみな善良で親切だった。もちろん、斧や包丁を向けるような側面もあるにはあるが……彼らのうけた衝撃や悲嘆、仲間を思いやる気持ちの強さを考えれば、それも無理ないことだったにちがいない。
そういうわけで、ジンクの家で世話になっている三日の間に、ラキスがもっとも力を入れたことは何かといえば、村人たちの説得だった。
もう一度マリスタークに行き、次期伯爵を捕らえてくると言い張るジンクたちを、なんとしても止めなければならなかったのだ。この善良な人々を危険な目にあわせることだけは、絶対に避けなければと思っていた。
「もう一度行こうなんて思うのはやめてくれ。警備は倍もきびしくなってるんだ。城壁を越えたとたんに討ち取られるのがおちだぞ」
ひそかにジンク宅に寄り集まった人々を前にしながら、ラキスが言うと、家主が代表して反論した。
「じゃあ、ここでおとなしく泣き寝入りしろっていうのか。冗談じゃねえ、それじゃカーヤが浮かばれねえよ」
「おれはドーミエ男爵と知り合いだって言っただろう?」
ラキスはジンクと向かい合い、声に力をこめた。
「男爵に直接会って、マリスターク側につなぎをつけてもらう。必ずあんたたちの前に、コンラート・オルマンドを引っぱってきてやる。だから、城に突っ込むなんていう無茶な真似は、絶対にしないでほしい」
「ひとりで突っ込んでったあんたに言われたくないが……」
ジンクが、ぶつぶつと言い返した。
まったくそのとおりだったので、ラキスはいさぎよく認めた。
「おれも馬鹿だったんだ。あの男が、お姫様と並んで馬車に乗ってるところを見て、理性が飛んじまったらしい。思わず城まで追いかけてしまった」
「飛ぶよな!」
ジンクをはじめゼムやサンガが、急に身を乗り出してうなずいた。
「おれらは庭の上から見ただけだったけど、お姫様、すごくかわいかったもんな。追いかけたくなるのもわかるぜ!」
「……お姫様を追いかけたわけじゃないでしょ」
と、マージやルイサたち女性陣が、冷たい視線を男どもにそそいだ。乗り出しているジンクの手をつねりながら、妻であるルイサが言った。
「とにかくさ、ほんとに男爵と話ができるんなら、頼んでもらうのはいい案だよ。大事な亭主たちにまで何かあったら、あたしらみんな困るもの」
彼女の冷静な意見のおかげで、ようやく皆が納得したのがゆうべの話だ。とりあえず、今日までは様子を見るということになり、ラキスはあたえられた屋根裏に身をひそめ続けていた。
階下からは、ルイサが忙しく立ち働いている気配が伝わってくる。おっとりした雰囲気の彼女だが、頭領の妻にふさわしいきびきびした働きぶりだ。
よろい戸を開け閉めして掃除をしたり、機織り機を動かしたり。部屋で音がしていたかと思えば、急に外の鶏小屋のほうから、にわとりを追う声が響いてきたりする。
農村の暮らしは忙しい。男たちが早朝から森や畑に行く間に、女たちは料理や洗濯、糸つむぎや機織り、家畜の世話に乳しぼり……。
屋根裏でもできることはないかと、声をかけてみると、柳の木を細く裂いて乾かしたものを、大量に渡された。
籠を編むためにためこんでいた材料だという。
動かずにやる仕事としてぴったりだったため、ラキスはそれを受けとると、少し湿らせてから器用に組み合わせはじめた。
ひも状の柳を放射状に組んで縦の線をつくり、横線の柳をそれにひっかけながら編みこむ。まず底の部分を完成させてから、側面を編み上げていく。
そんな作業をするのは本当にひさしぶりだったのだが、子ども時代に何度もまかされていた記憶は、いまだに手がしっかりと覚えていた。
午後になると、代官たちがひきあげていったという知らせが入ってきた。といっても、あと一晩は出て行かないほうが安全な気がしたため、泊めてもらう宿代として、今度は薪割りの仕事をすることにした。
世話をかけてかくまってもらっているのだから、できるだけ働きたかったし、気を紛らせるにもちょうどよかったのだ。
斧を借り、家の裏手に積み重ねられていた薪をさらにいくつかに割りながら、ラキスはなんともいえず、なつかしい気持ちになった。
かごを編むのは、コルカムにいた子ども時代に、養母のリュシラから教えてもらった。ささくれに指をささないよう気をつけながら、一生懸命覚えたものだ。
まだ小さかったから薪を割るのは無理だったが、養父のカイルがやっているのをそばで見ていて手伝った。その経験は、彼らがいなくなったあと、厄介になったよその家で働くようになってから、十分に生かされた……。
思わず感傷に流されそうになり、彼はあわてて顔をあげた。思い出にひたっているような場合ではないのだ。
背筋をのばして、ふたたび斧を振りあげようとしたとき、ふと妙な視線に気づいた。
少し離れたところにマージが立って、こちらをみつめている。
しかもひとりではない。いつのまにか村の女性たちが何人も集まり、遠巻きにして彼を眺めていた。
彼女たちは皆、かつてリュシラも着ていたような黒っぽいワンピースに、使い古されたエプロン、汚れた革靴といういでたちだった。
普通の農民と同じ服装の、背中部分だけを大きく切り取り、翼を突き出している格好だ。頭に白い頭巾をつけている者といない者がいたが、これは各自の好みらしい。
「気にしないで続けてよ」
出会ったときとはうってかわったやさしい態度で、マージが言った。
気が強い面はあるものの、知り合ってみれば彼女は、快活でよく気がきく娘だった。ジンクの息子ゼムとは恋仲で、いずれ結婚する予定なのだという。
包丁を手にして放った言葉には迫力があったが、あれは、カーヤの命が奪い去られた衝撃をそのままあらわしたものだったのだ。
「目立つことしてまずかったかな」
手を休めながらラキスが言うと、彼女は愛嬌のある笑みをうかべて首を振った。
「ちっとも。あたしたちみんな、感心してるところなのよ」
「感心するほど働いちゃいないが……」
「そうじゃなくてさ。ほら、なんだっけ。目の保養っていうの?」
それそれ、と、女たちはうれしそうにうなずきあった。
「そうそう、たまにはかっこいい男の子も見なくちゃねえ」
「いつも、亭主の面白い顔ばっかり見てるんだもの。ほんと、目が洗われるみたいだよ」
「あんた、ずっとここにいたらどう? ジンクの家ばかりじゃなくてさ、なんならうちに泊まってくれても」
この人はうちの客だよ、と、ルイサがしかめつらしく言い、みなが楽しそうに笑った。
まさに笑っている場合ではないにもかかわらず、ラキスもつられて笑ってしまい、そのあと考えずにはいられなかった。
こんな生活を選ぶという手も、あったのかもしれない……。
肌をかくして暮らさなくても、許される。半魔であることを打ち明けても、ここではこんなに受け入れてくれる。
コルカムでは無理だったが、レントリアにはまだ、こんな村も残っているのだ──。
けれど、そうとばかりも言っていられない出来事に、その後、彼は直面することになった。




