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「お母様、それは──」

 声をあげたのはエセルではなかった。

 固唾をのみながらテーブル席で見守っていたリデルライナ姫が、立ち上がっている。

「それはあまりにご性急なのでは……まだ婚約すらしていないのに婚儀だなんて」


「そなたやセレナの身におきたことであれば、こんなに急ぎはしませんよ」

 と、次期女王である姉姫に視線を向けて、母が応じた。


「しかし、ここにいるエセルシータ姫は、ひとりで城を抜け出して丘に登ってしまうような姫なのです。待たせておいたら、いつまた出て行ってしまうことか。それに未練をかかえた暴漢が、姫に会いに来ないとも限らぬ。誰の目にも明らかになるように、誓いをたててしまったほうがよいのです」


 リデルのとなりにいたセレスティーナ姫が、姉よりはひかえめながらも席を立った。

「でも……でもエセルはまだ十八歳ですわ。それに二十日後なんてあまりにも早すぎると……」


 そこで女王は、女王自身の婚儀が十八歳のときであったことを、二番目の姫君に思い出させた。それからもうひとつ、二十日後が何の日にあたるのかを口にして、姉妹たちをはっとさせた。


 二十日後──それは、アデライーダ女王とエルランス殿下が婚礼の儀をとりおこなった記念の日だった。

 その輝かしき日に第三王女が婚姻すれば、亡き殿下もさぞおよろこびになることだろう。殿下のおみちびきをうけて、新郎新婦もさぞや輝くことだろう。

 むろん、レントリアの民たちも皆よろこびあうことだろう。それに──。


「王城にとじこもっているよりも、お城を切り盛りする側にまわるほうが、案外エセルには楽しいのではないかと思いますがね。領主の妻というのは、なかなかやりがいのある仕事です。城内の管理だけでなく、領民と交流したり領地の情勢を見たり、場合によっては裁判などに介入したりすることも」


 言葉もなく青ざめていたエセルが、ひとつの単語に反応するように身動きをした。だが口から出てきたのは、やはり姉たちと同じ否定の言葉だった。

「お母様。わたし……そんなお話、とてもお受けできません」

「なぜ? これほど説明したというのに」

「どのようなご説明でも……わたしが誓いをたてたいと願う相手は、ただひとりなんです。ともに生きたいと願う相手は、ただひとり──」


「ともに生きる」

 ふいに、歌うような口調になって女王が言った。

「レントリアの第三王女が──ルノーク・レントリンディアを名乗って生きてきた姫が、これからの人生をともに生きる──半魔と?」


 凍りついたように息をとめて、エセルは言葉を呑みこんだ。それから、やっとの思いでふたたび唇を動かすと、ふるえる声を押し出した。

「どうして……誰がそんなことを」

「彼が、自分の口から」

「………」

「加えて、ここを出て行くと言い出したのも彼自身ですね。強制したつもりはありませんが、居づらい気持ちもわかるゆえ、あえて引き止めはしませんでした」


 アデライーダは、落ち着き払った動作で腰をあげた。紺瑠璃のドレスの裾をひきながら、窓辺の席から少し離れる。

 そして、寄り添うように立ちつくしている姉姫たちに歩み寄り、この部屋に来てからもう幾度目かになる、長いため息を吐き出した。


「その様子では、そなたたちもやはり知っていましたね……。娘たち三人ともにあざむかれていたとは、レントリアの星冠も堕ちたものだこと」


「お母様……」

 リデルがうめいたが、星冠たる女王の表情に怒りの色はなかった。青い瞳にやどる光はむしろやわらぎ、あきらめにも似た悲しみの気配がただよっている。

「──よいのですよ。子はそのようにして親を越えてゆくもの。エセルもふくめて、これは成長の証しであるともいえるのでしょう」


「お母様、お姉様がたには、わたしが無理やりお願いしたんです。わたしが勝手なわがままを」

 妹姫が必死に言いはじめたが、母はその言葉を制し、自分自身に言いきかせるかのように呟いた。


「こうなってしまったのは、わたくしの失策でもある……エセルがこれほど心を奪われてしまう前に、あの若者をもっときちんと調べておけばよかったのです。調べる機会もあったのに……いくらコルカムが遠方とはいえ、人をつかわすことくらいはできたのに、このわたくしとしたことが」


「コルカム……なぜコルカムに?」

 母の感情をはかりきれずにいたエセルが、頼りなげな声でささやいた。アデライーダがわずかに首をかたむける。

「なぜって、彼の出身地だからですよ。まずは出身を当たるのが普通でしょう」

「出身地……」

「もしかすると、知らなかったのですか?」


 エセルはうなずいた。成長の証しだと評価されたはずなのに、まるで母に叱られている少女のような風情になっている。

 母もまた、幼い少女をみつめるような目つきになり、あきれた口調で問いかけた。

「彼にたずねたこともなかったと?」

「昔の話はしたくなかったようなので……」


「だから、たずねてもみなかったわけですね。しかしそなたたちは、ずいぶん長い時間、中庭でいっしょにいたように思いますが……いったい何の話をしていたのです?」

「あの……花の名前の話とか……」


 アデライーダが思わず意味を問い返すと、エセルは小さな声で説明した──剣士はいろいろな方面で物知りだったが、花の名前や蝶の名前といったことには、それほどくわしいわけではなかった。だから自分が教えてあげていたのだと。


 聞きおえたアデライーダ女王の頬に、なんともいえず苦い微笑が立ち昇った。次に彼女が口にした言葉は、聞きとれるか聞きとれないかの、かすかなひとりごとだった。

「花の名前や蝶の名前……。まるで──おままごとね」


 青ざめきっていたにもかかわらず、エセルは顔が赤くなるのを感じた。

 アデライーダはそんな末姫をみつめると、今度ははっきりと聞こえるように話しかけた。

「馬鹿にしたわけではありませんよ。若いうちは誰にでも、そんな時期があるものです。ただ──そうした時期が長くは続かないのは、もうそなたにもわかっているでしょう」

「………」

「レントリアの王女として、心を決めなければならないときが来ているのです。民たちが心から納得して祝福する伴侶を、真剣に選ぶべきときが」


 だからといって、泣いているそなたを祭壇の前にひきずっていくつもりはないのだと、女王は告げた。

 どうしても嫌というなら、コンラート殿とのことはいたしかたない。心を落ち着けて、よくよく考えたうえで返事をおくれ。待っていますよ。


 ふたたび紺瑠璃の裾がひるがえり、女王陛下は戸口に向かった。長い裾に縫いとられた金銀の模様が、光芒をひくように女王のあとを流れていく。

 その背中を、リデルライナ姫の差し迫った声が追いかけた。

「お待ちください、陛下」


 女王陛下の前にまわったリデルは、絹のドレスに包まれた両膝を、いきなり床についた。

 膝の前に両手をそろえ、女王にそっくりな青い双眸を上げながら訴えかけた。


「陛下は日ごろから仰っておいででした。魔性の血が混じっている者とて、わたくしたちと同じ人間。生粋であろうとなかろうと、大切なレントリアの民に変わりはないのだと。そう仰りながらわたくしたちを育ててくださったのも、また陛下ご自身です」


 部屋の奥にいたエセルとセレナは、姉姫の思い切った行いに息を呑んだ。リデルライナが膝をつくのも、ここまで踏み込んだ発言をするのも、姉妹の知る限りはじめてのことだったのだ。


 足をとめたアデライーダは、ちらりとも表情を変えず、向けられた言葉を肯定した。

「もちろん、そのとおりですよ」


「では……ではエセルとラキスの婚姻が、一部の民たちから限りない祝福をうけるであろうことは、お考えにはなられませんか? たしかに、ごく一部ではあるかもしれません。ですがいま、この国でいわれのない迫害を受けている者たちがいることは、動かしがたい事実だと思うのです。少し前にドーミエで起きた、痛ましい事件──公にはされていないようですが、アルヴァン様から聞かせていただきました」

「………」

「ですから、いまこそはっきりした王家の指針が必要なのではないかと……婚姻ほどわかりやすい指針はないのではないのかと、わたくし……」


「リデル」

 と、女王が言った。名状しがたい何かの心を内に秘めた、深い響きをもつ声だった。

「そなた──大人になりましたね」


 意味がとれずに女王を見上げたリデルだったが、その瞳がふいに動揺したように伏せられた。自分の行動の大胆さに気がつき、我に返ったらしい。

「も、申しわけございません。わたくしなどが、なんという僭越なことを……」


「そなたの言い分はよくわかりました」

 女王は、気をそこねてはいないことをしめすように、ていねいな調子で言った。

「当の若者が騒動を起こしたあとでなければ、もう少し意味をもったことでしょう。せっかくの助言が報われないのは、わたくしも残念ですよ」


 瑠璃の裾は金と銀の光をひいて、リデルライナのかたわらを通り過ぎ、姫君たちから離れていった。



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