第1話 淀橋達見には特殊な体質がある
どうも初めまして、僕の名前は淀橋達見。今日から地元の県立高校である春稲高等学校に通うことになった、ピッカピカの高校一年生だ。
『えー、であるからして、未来あるからこそ節度ある生活を心がけて―――』
現在、入学式の真っ最中。床全体に緑色のシートが敷かれた体育館は、緊張や不安、期待など様々な感情が入り混じり、どこか浮ついた雰囲気に包まれていた。
当然、僕も緊張している。高校の入学日、それは今後の三年間を大きく左右する一大イベントだからだ。今日でどのグループに所属するか、スクールカーストのどこに位置するかが大体決まる。
もちろん、入学日以降にも部活動やら何らかのイベントでカーストを上げることは可能だが、何の特技もない僕には無縁の話。僕にとっては、今日が勝負どころというわけだ。
『かの福沢諭吉の有名な言葉、あれは平等を表す言葉として広く知られていますが、実際には意味が異なり――』
僕がこうして入学日の意気込みを語っても、校長先生の話はまだ続くようだ。どうして校長という種族はこうも話が長いのだろう。しかも話が長いだけではなく、内容を極限まで薄めている。ついでに髪も薄めている。なぜだ。
ふと体育館を見渡す。
前方には僕たち新入生が、後方にはその保護者がズラリと並び、硬く冷たいパイプ椅子に腰を下ろしていた。大人にはこの硬さが響くのか、腰を気にしている人も多い。早く話を終わらせてやれ校長、保護者の腰が死ぬぞ。
その一方、外では満開の桜が咲き誇り、時折吹く風に乗って花びらが舞っていた。春を象徴するような美しい景色だ。
その景色を横目に、何の面白みもない話を延々と聞かされるなんて、まるで拷問じゃないか。すでに何人もの生徒がその残虐な所業に心を折られ、ウトウトと首を傾けている。入学初日からこのような試練があるとは、高校生活とはどれほど厳しいものか。不安でならない。
さて、あまりにも暇だ。何とか話題を探して暇を潰していたが、もう限界だ。ゆえに、僕が抱えている悩みについての話でもしようじゃないか。実は僕、現在進行形である悩みを抱えている。
その悩みとは、『あらゆる秘密を目撃してしまう』という変わった体質を持っていること。この体質のせいで、僕は今まで様々な困難に直面してきた。
「そんな体質などあるものか。お前は嘘つきだ」と、疑う人もいるだろう。「思い込みなんじゃないか。精神的な問題を抱えているのではないか」と、心配する人もいるだろう。
だが、この体質は嘘でも思い込みでもない。実際に僕は、親、友人から赤の他人まで、これまで幾度も人の秘密を目撃してきた。そしてそのたびに、何かしらのハプニングに見舞われてきた。
例えば、あれは中学二年生の時。
思春期真っ只中、性というものを明確に意識し始め、女性に対する接し方が徐々に変わってきた頃の話。女性の甘い匂いやさりげないボディータッチにいちいちドギマギするようになったのはいい思い出だ。まぁ今もだが。
僕には、マセガキの名を欲しい儘にする友人がいた。その友人は過度にマセていて、中学生という若さで地下アイドルに興味を持つという、成人男性の渋さを持った男だった。
なぜ中学生が地下アイドルに興味を持つのか。思春期特有の特殊な思考回路にしても、あまりに渋く、深く、粘っこい趣味だった。
いったいどのようにしてその趣味に辿り着いたのか。その謎を解明するため、我々調査隊はアマゾンの奥地へと向かいたいところだったが、当時の僕は「まぁそんなこともあるだろう」と彼の趣味を受け入れていた。
ある日、その友人は「地下アイドルのライブを見に行かないか」と僕を誘ってきた。当然、僕は地下アイドルに興味はなかったため、断るつもりだった。そのはずだった。
だが、あの時の僕も若かった。
判断を誤り、なぜかその誘いに乗ってしまった。その理由は僕自身にもわからない。好奇心なのか。若さゆえの油断、もしくは傲慢なのか。とにかく、僕はその悪魔の誘いに乗ってしまったのだ。
そしてライブ当日。そこで目撃することになったのは、今でも色褪せない、衝撃の光景だった。
ファンが数人ほどしかいない、ガランと空いたライブ会場の最前列。そこには、必死にペンライトを振る精鋭たちがいた。そしてその中には――父の姿があった。
まさに全身全霊。汗という汗を流しながら、錆び付いた体を動かし、必死に声を張り上げていた。その鬼気迫る姿は、ペンライトを振る姿と相まって、まるで侍のようだった。
日本には、まだ侍が生きていたのか。灯された火は、まだ消え去っていなかったのか。立派な日本男児である僕は思わず、胸が締め付けられるような想いを抱きそうになった。
だが、侍が生き残っていたという事実よりも、それよりも大きな衝撃を僕は受けていた。
僕の父は、家では厳格だった。
「いつまでゲームをやっているつもりだ。学生の本分は勉強だろう。いいか、知識こそが武器なんだ」だの、「アイドルなんかに現を抜かすな。漢は強く在れ」だの、よく僕に漢の在り方というものを語っていたのだ。
その父が、アイドル相手に踊り、歌い、ペンライトを振る。しかも、よりによって地下。別に地下アイドルを差別しているわけではないが、一般的に見て非常にニッチな業界であることは事実だ。
地下アイドルとは、余程アイドルに造詣が深い人物でないと、辿り着かない秘境。僕の認識ではそのような場所だった。そして、そんなところに常日頃から漢を語る厳格な父がいた。
あの光景を目にした瞬間に僕が受けた衝撃は、まさにセカンドインパクトと言っていいような、人生で二度目の大衝撃だった。思春期ということもあり、僕の心は一気に海面上昇。あと一歩のところで反抗期に入っていたところだ。
ただ、この話はこれで終わらない。
今でも後悔している。「僕は何も見てないっ!」と、スルーしてしまえばいいものの、あの時何を思ったか、僕は自ら父に話しかけてしまったのだ。
「と、父さん……?」
「た、達見っ!?……い、いや、人違いデスーヨ。ボクーは、キミのファザーじゃ、アリマせーん。カンチガイでーすヨ。コマネチコマネチ」
失望した。
この男のどこが漢か。そう――あの日、僕の父は尊敬する漢ではなくなったのだ。もちろん、漢としては尊敬していないが、親としては尊敬しているヨ。
だが、あの誤魔化し方はなかった。別に地下アイドルを推していようが、ペンライトを振っていようが、加齢臭をまき散らしていようが、かまわない。
ただ、漢ではなかった。父はあの日、漢ではなくなったのだ。それは僕の心に大きな傷を残した。今まで積み上げてきた父への信頼が、足元から崩れていくような感覚だった。
この出来事を機に、僕は自身の、『あらゆる秘密を目撃してしまう』という特殊な体質を、強く意識するようになったのだ。
おっと、話が長すぎた。まぁ要するに、僕が言いたいことはだな――。
―――高校生活は、平穏に過ごしてやるぞ!ってことだ。
退屈な入学式は終わりを迎え、僕は割り当てられた教室へと、一人で向かっていた。一人で、そこが重要だ。
教室へ向かう途中で友人を作る?入学式の前後でそれを成す異常個体もいるようだが、そんな高度なこと、僕にはできない。生憎と僕は普通の人間なんだ。
確かに、将来的にスクールカーストのトップ付近に位置するような人間は、すでに友人を作っていることだろう。
だが、別に僕はトップを目指してはいない。中間層辺りに入れればいいのだ。つまり、まだその時ではないということ。決して僕がコミュ障であるとかではない。
そのまま一人寂しく廊下を歩いていると、突然後ろから「うぃー」と声をかけられた。突然のことだったが、僕は「もしかしたら教室へ着く前に友人ができるかもしれない」と心を躍らせた。これで僕も陽キャの仲間入りだ。ワクワク。
「同じクラスなんだから置いてくなよ、達見ー」
僕が振り向くと、そこには新たな友人ではなく、中学からの友人である冬先仁が立っていた。
……がっかりだ。
冬先仁。彼こそが、中学生でありながらも地下ライドルに興味を持った、渋い男。父から漢というアイデンティティを奪ったきっかけとなった人物だ。
周りから薄っすらと嫌われていそうな軽薄な笑みを浮かべ、似合っていない金髪を堂々と周囲に見せつけている。その勇気だけは称賛に値する。
「えっ、俺って金髪似合ってないの?」
「……聞こえてたか?」
「うん。薄っすら嫌われてそうってとこから全部聞いてた」
「…………冗談だヨ」
「嘘つけっ!」
そんなひと悶着がありながらも、僕ら二人は『1年3組』と書かれたクラスプレートが掲げられた教室へと足を踏み入れた。クソッ、陽キャの仲間入りならずか。これも全部冬先仁のせいだ。
「あんな悪口をひと悶着で済ませるなよ……」
「すまない。心の中の悪口をつい口にしてしまう癖が、まだ直ってないんだ」
「致命的すぎる癖っ!早く直せ!今直せ!」
一人で騒ぐ冬先仁は放っておいて、僕は黒板に貼ってある座席表を確認する。僕の席は廊下側に最も近い、後ろから数えて二番目の席だった。十分当たりの席だと言えるだろう。
ただ、唯一不満なことと言えば……。
「おぉっ!また達見の隣じゃん!やっぱり俺たちは絆でガッチガチに繋がれているみたいだなっ!俺からは逃げられないぜ!」
なぜ、高校でも冬先仁が隣の席にいるんだ……っ!
「これで中学も含め、十回連続の隣同士……。恐ろしい、ただただこの事実が恐ろしい。いったい僕の身に何が起こっているんだ」
「神様が俺たちの絆に感動して、祝福でもしてるんじゃないか?へへ、なんてなっ!」
「キモい。発言が寒すぎる。そもそもそんな絆ない」
「俺だからってなんでも言っていいわけじゃないぞ」
冬先仁にはドン引きだ。
中学時代からいくら席替えをしても隣同士になる。加えて、自然体でストーカーじみた発言をする。そんな冬先仁に、僕は何度身の毛がよだつような思いをしてきたか。
彼がいる限り、僕は平穏な高校生活を送れないのかもしれない。…………殺るか。
「ひぃっ!殺気を感じるっ!俺は今、達見に命を狙われているっ!」
「気のせいだヨ。そうだ、きっと気のせいデス」
「それって丁寧語のです!?それとも死っていう意味のデス!?」
「つまらないダジャレ……笑いのセンスなしっと。不合格♠」
「何の試験だよっ!?」
と、何の得にもならない会話を繰り広げているうちに、教室の席は八割ほど埋まっていた。いつの間にか、教室には幾つかのグループが出来上がり、賑わい始めている。冬先仁のせいで完全に出遅れた……。このストーカー、本当にどうしてやろうか。
教室の様子を少し観察すると、どうやらコミュニケーション能力に長けた人物が中心となってグループを作り、華麗にトークを回しているようだった。
僕には不可能な芸当だな。グループを作る、もしくは既存のグループに入っていく勇気なんて、僕にはない。決してコミュ障というわけではないが。
……まだ、今はその時ではないということか。
僕は仕方がなく、残りのクラスメイトや担任の先生の到着を待つ間、冬先仁相手に孤独を紛らわすのだった。




