◆4話
マッチングアプリの画面を開くたび、私は心地よい全能感に満たされていた。
現役のシステムエンジニアとして働いている私にとって、この四角い画面は「自分の市場価値」を確認するための手軽な戦場だった。
並み居る男たちのスペックを値踏みし、条件の悪い男には上から目線で論理的なアドバイスを送り、マウントを取る。
お互いに性的欲求を持たない「アセクシャル」という大義名分も、私にとっては自分のプライドを汚させないための最高のペルソナだった。
——そして、プロフィールの年齢欄に刻んだ「43歳」という数字もまた、私の虚栄心を維持するための、完璧な『嘘』だった。
実際の私の年齢は、53歳。
若々しい奇跡のルックスを維持しているという自負が、私に10歳もの年齢詐称をさせていた。
アプリの設定では、学歴フィルターによって「大卒以上」しか表示されないよう厳格にプロトコルを組んでいる。
高卒の男など、システム的に私とマッチングするはずがないのだ。
それなのに、なぜかその防壁をすり抜けて、ある男が私の閲覧履歴に奇妙な足跡を残していた。
大卒限定で検索プロトコルを組んでも、相手からこちらへ直接『足跡(閲覧履歴)』を残す行為までは遮断できないという、このアプリの致命的な仕様上のバグ(隙)を、その高卒の男は冷徹に突いてきたのだ。
「43歳。地方の工場勤務。高卒のライン工。おバカなので難しいことは分かりません笑」
顔写真すら載せていない。あるのは、白一色の無機質な自作PCのパーツの写真だけ。
私は鼻で笑った。絵に描いたような社会の底辺。システムのエラーで迷い込んできただけのゴミスペック。
いつもなら即座にブロックするはずだったが、その夜はたまたま仕事のストレスが溜まっていた。
格好の「おもちゃ」を弄って日頃の鬱憤を晴らしてやろうと、こちらからメッセージを送った。
私は男とのメッセージ交換において、常に完璧な「有能なシステムエンジニア」であり続けるためのプロトコルを組んだ。
男からメッセージが届くたび、私は裏で生成AIのプロンプトを叩いていたのだ。
『この高卒ライン工とのメッセージのやり取りで、常に一歩リードできるような、冷徹で有能な技術者としての論理的な返信を作って』
AIが吐き出す、隙のない、洗練された専門用語混じりの論理的なメッセージ。
私はそれをただコピペし、自分の言葉として男に送りつけていた。
年齢の割にキャリアがないこと、高卒のライン労働がどれだけ将来性のないものであるかを、AIの知性を借りて、丁寧に、しかし容赦なく突き刺していった。
だが、その男から返ってくる言葉は、いつも完璧な平坦さを持った『全面肯定』だった。
『確かに〇〇さんの仰る通りですね。僕はおバカなので、そこまで頭が回らないです。教えてくれてありがとうございます!本当に頭が良いんですね。尊敬します!』
怒りもプライドも1ミリも交えない男の態度に、私の全能感は絶頂に達していた。
私の(正確にはAIの)知性が、底辺のライン工を完全に圧倒している。
パワーバランスは完璧な「100:0」。
男の張った「全面肯定の網」に、私自身が依存し始めていることすら気づかずに、私は毎日AIの言葉をコピペし続けた。
私は完全に、男の「上」に立っていると信じ込んでいた。
かつて通った音楽や、過去にのめり込んだ古いネットワークゲームの話題になり、私は自分の本物の記憶にあるお気に入りのタイトルを、何気なく画面に打ち込んだ。
大卒の有能な技術者としての、洗練されたカルチャーの提示——そのつもりだった。
だが、画面の向こうにいる怪物は、その私の何気ない一言に含まれた「わずか数年の世代間の断層」を、冷徹な数理計算によって一瞬で見抜いていたのだ。
男には、自分の5歳上の兄がいた。その兄の知識量という絶対的なデータベースと、私が口にした作品の全盛期の年代を照合し、男の脳内プロファイリングは一瞬で答えを弾き出していた。
『この女、43歳を自称しているが、5歳上の兄貴すら知り得ない時代のニッチなカルチャーをリアルタイムの肌感覚で語っている。計算が合わない。実年齢は、50代前半だ』
私がAIのハリボテの知性でマウントを取っている裏で、男は私の「10歳の年齢詐称」を完璧に見抜いて泳がせていたのだ。
そんな地獄のような事実を、私は知る由もなかった。




