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156. もう一つの初恋

 気がついた時には、僕は誰かの中にいた。

 それが「リリアナ」という女の子の中だと知ったのは、しばらく経ってからだった。


 一つの体に二つの心。


 僕とリリアナはいつも一緒だった。

 でも、この体はリリアナの物だから、声を出すのも、手を動かすのもリリアナ。

 僕は中から見ているだけ。

 

 リリアナは何にも興味が無くて、いつもぼーっとしてた。

 お父様とお母様がいろんなものを見せて教えてくれるのに、リリアナはにこにこ笑ってるだけ。

 せっかく字を教わって、本を見せてもらっても、リリアナが反応しないと、すぐに片付けられて終わってしまうから、僕は何でも一度で覚える癖が付いた。


 もっと見たい、もっと知りたいと思っても、僕の体じゃないから自由に動けない。

 僕も自分の体が欲しい。

 僕も外に出たい。

 でも、どうしたら良いのか、分からなかった。


 

 ある日、目が覚めたら僕は外に出ていた。

 どうしてそうなったのかは分からないけど、僕の体があって、僕が外に出ていて、リリアナが僕の中にいた。


 嬉しかった。

 もうこれでリリアナに左右されずに、好きに動ける。


 そう思ったけど、僕を見るお父様とお母様は悲しそうで、いつもリリアナを見る優しい目とは違っていた。


 ……僕は、外に出て来ない方が良かった? リリアナの方が良かった?


 お父様とお母様は僕に「レオン」という名前を付けてくれたけど、いつまでも僕を見る目は悲しそうで、僕は居た堪れなくて、そのうち書庫に逃げるようになった。


 ……リリアナじゃなくて、ごめんなさい。

 リリアナと変わってあげたいけど、どうしたら戻れるのか分からないんだ。


 皆が、僕をまるで腫れ物に触るように扱い、困ったような目で見る。

 それが煩わしくて、次第に僕は書庫から出なくなった。

 毎日、朝から晩まで書庫に籠ってひたすら本を読んでいた。


「字を教えていないのに本が読めるなんて、レオンは天才だ!」


 お父様は大騒ぎしているけど、……そんな訳ないってば。

 あなたがリリアナに教えたのを、僕は横で見ていたんだよ。


 外に出てきても本を読むだけで、他に何も楽しみなんてない。

 もう、いつでもリリアナの中に戻ってもいいけど、どうしたら戻れるのか分からない。


「……書庫の本を全部読み終わったら、どうしたらいいんだろう。退屈だな」


 ぼんやりとそんなことを考えていたら、裏庭の方から子供の言い争う声が聞こえてきて、気になった僕は、少しだけ窓を開けて、その隙間から外を覗いてみた。


 裏庭の木の陰で、子供数人がかりで一人の男の子を虐めているのが見えた。

 虐めっ子達はその子を殴ったり、蹴ったり、髪を掴んだり、したい放題していた。


「酷いことするなあ。あの子も、自分の方が体が大きいんだからやり返せばいいのに」


 虐められている子は、他の子達よりも背が高く、手足がすらりと長かった。

 きっとあの子がその気になれば、あんな子達なんて全員負かしてやれるはずなのに、どうしてやられっ放しなのか不思議だった。


 その日以降も、その子は毎日そこで数人がかりで虐められていた。

 そのうち僕は、その子が「使用人の子」だと知った。

 「使用人の子のくせに生意気だ」と殴られていたから。

 「平民が貴族に逆らうな」と蹴られていたから。


 僕にはよく分からないけど、「平民の、使用人の子は貴族に逆らったらいけない」らしくて、その子は抵抗せずに、一方的にやられていた。


 虐めっ子に殴られて地面に転がった「使用人の子」が、呻き声を上げながら体を起こして、乱れた黒い前髪の隙間から、ぎらりと燃えるような黒い瞳が見えた。


 ……どきっとした。


 急に、その子から目が離せなくなった。

 

 その子は黒髪を鷲掴みにされて立たされながらも、虐めっ子を横目で睨みつけていた。整った優し気な顔立ちなのに、その目はとても鋭くて、見ているとドキドキした。


 ……あの目は何? 他の人たちの目とは全然違う。


 それから僕は、裏庭から声がすると走って窓の方へ行くようになった。

 虐められてる「使用人の子」は可哀想だけど、彼の射貫くような強い目が、ぎらぎらした黒い瞳が見たかった。


 彼から目が離せない。 

 そんな目で、見られたい。ねえ、その目で僕を見て。



 

 それからしばらく経った頃、書庫の窓から外を眺めていると、「使用人の子」が離れを出て、本邸に連れて来られるのが見えた。


 嬉しくなった僕は、玄関までその子を迎えに行こうとしたけど、そもそも僕は玄関から外に出たことなんてなかったし、いつも書庫に籠ってばかりだったから、屋敷の中とはいえ知らない通路ばかりで迷子になってしまった。


 一人で迷子になってしまって心細かったけど、きっと「使用人の子」もどこかにいるはずと、他の人に見つからないよう隠れながら探し回った。


 やっと物置で「使用人の子」を見つけた時には、日が暮れかけていた。

 薄暗い部屋の隅で、その子は眠っていた。


 僕は寝息を立てて眠っているその子の横に座って、寝顔を眺めていた。

 瞼を閉じていて、あの燃えるような黒い瞳は見えないけれど、艶々の黒髪は、想像していた通りに柔らかかった。

 顔にかかる髪を手ですくい、髪を撫でた。


 早く目覚めて、その目で僕を見て欲しいのに、いつまでも起きないから、頬をつんつん突いてみた。


 もぞもぞと体を起こした「使用人の子」は、眠りを邪魔されて、いらついたような目で僕を見た。

 嬉しかったけど、もっと強い目で見て欲しくて、更につんつんしたら、いきなり指を噛まれた。

 予想外の反応が面白くて、もっと突いたら逃げられそうになって、泣きたい気持ちでその子の手を掴んだ。


 ……行かないで。


 「使用人の子」は困ったような顔をしていたけど、そのままずっと僕と一緒にいてくれた。

 きっと僕が泣きそうな顔をしていたんだと思う。

 彼はすごく気をつかって、歌ったり面白い話をしたりして、僕を笑わせてくれた。

 

 中庭でいつも虐められている時はギラギラしていた黒い瞳が、今はとても優しくて、僕だけを見ている。彼の瞳に僕が映っている。


 ……ずっと、こうしていられたらいいのに。

 

 カーテンの隙間から月の光が差し込んできて、僕達を照らした。

 彼が僕の顔を見て息を呑んだ。

 少しずつ赤くなる彼の顔をぼんやりと見ていた僕は、いつの間にか彼の顔が近づいてきていることに気づいた。


 目の前にある黒い瞳を覗き込んでいると、彼が躊躇いがちにそっと唇を重ねてきた。


 そんなこと初めてだったから驚いたけど、でも全然嫌じゃなくて嬉しかったから、僕は目を閉じて受け入れた。




 気がついたら、僕はまたリリアナの中にいた。


 ……どうして? あの子はどこ? 

 僕はこんな所に戻りたくないのに。あの子と一緒にいたいのに。

 ここから出して。

 外に出たい。


 リリアナの中で大声で叫んでも、誰にも届かない。

 

 どうして僕は戻ってしまったんだろう。

 どうしたら、また外に出られるの?


 僕が悶々としていると、いつも無反応のリリアナが妙にそわそわしていた。

 いつもぼーっとしていて何にも興味を示さないのに、顔を赤くしてもじもじしていた。


 どうしたんだろうと見ると、リリアナの前にあの「使用人の子」が跪いていた。


「今日からお前の護衛を務めるクロードだ」


 ……クロードっていう名前なのか。


 あの子の名前を知って、僕が密かに喜んでいると、ふとリリアナの声が聞こえた。


「……クロード」


 ……え、リリアナが名前を呼んでる。あの、何にも興味を示さないリリアナが。あの、無反応のリリアナが、クロードの名前を呼んでる。


 僕が驚いていると、目の前で跪いているクロードまで様子がおかしい。

 ……何でそんなに顔を赤らめてるんだよ? 何でそんな潤んだ目でリリアナを見てるんだよ? 


「違う! リリアナじゃない! あの時クロードと一緒にいたのは僕だ! クロードとキスしたのは僕だ! リリアナじゃない!」


 リリアナの中で叫んでも暴れても、クロードの耳には届かない。

 クロードは完全にあの時の相手はリリアナだと誤解していた。


 しかも最悪なことに、リリアナもクロードに恋してしまったらしい。

 今までは、ぼーっとしていて不安定だったリリアナの意識が、クロードと出会って恋したことで強くなってきて、次第に僕はリリアナの意識に追いやられて、眠りにつくことが増えていた。


「……このままじゃ、リリアナにクロードを取られる。どうしよう」


 どうやったら外に出られるのか分からない。その上、意識まで抑えられてはどうしようもなかった。


 困り果てていた僕の目に入ったのは、クロードの祖母だった。

 リリアナの身の回りの世話をしてくれる優しい人だけど、クロードには厳しかった。


「お前は平民なんだから、身分を弁えなさい」

「護衛に選んでいただいた御恩を忘れてはいけませんよ」


 僕は、この人を頼ることにした。


 とは言っても、僕はリリアナの中にいて、声を届けることは出来ないし、勝手にリリアナの体を動かすことも出来ない。

 出来るのは、……リリアナを煽ることだけ。


 僕は、クロードの祖母の目の前で、ひたすら中からリリアナを煽った。


「クロードって、優しいし格好いいよね」

「あの黒い瞳に見つめられたら、ドキドキするよね」


 適当なことを言ってひたすら煽り続けて、とうとうリリアナはクロードの祖母の前でクロードに見惚れて顔を赤くした。

 それを見たクロードの祖母は、慌ててクロードに言いつけた。


「クロード! お前は平民で、使用人の子です。お嬢様とは身分が違うのよ。決してお嬢様に恋してはいけませんよ! 何があっても忘れないで!」


 ……やった――――っ!


 これで大丈夫。クロードは祖母の言いつけは絶対に破れない。

 リリアナがクロードを好きになっても、クロードはリリアナを好きにならない。


 僕は安心して、そのまま眠りについた。





 次に僕が目覚めたのは十年後だった。


 知らない男の人の腕の中で僕は目覚めた。

 背が高く、がっしりとした筋肉質な体で軽々と僕を抱えていた。


 艶やかな黒髪と濡れたような黒い瞳は見覚えがあるような気がしたけど、思い出せない。……こんな大人の人、側にいた?


「私の名はクロード」


 ……クロード?


 びっくりした。いつのまにこんなに大人になったの。

 こんなに背が高くなって、こんなに筋肉が凄くて、……こんなに格好良くなった。


 ずっと会いたかったクロードが目の前にいることが堪らなく嬉しくて、僕は両手をクロードの首に巻き付けて抱きついた。


「クロード」


 会いたかった。

 ねえ、僕のこと覚えてる?


 僕はクロードの頬にちゅっと口づけた。


 前はクロードからしてくれたよね。だから、今日は僕からする。


 僕はもう一度クロードの頬に口づけた。

 二回、僕からしたから今度はクロードからしてくれるかなと思ったら、クロードはのけ反って目を剥いて、ぽかんと大口を開けていた。


 ……面白い。



 ねえ、クロード。

 こうやってまた外に出て来られたし、時間はいっぱいある。

 少しずつでいいから、僕のこと好きなってよ。

 そして、ずっと一緒にいよう。


 僕はもう決めたから。



 覚悟していて。


これにて完結です。


最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。

感想、評価など頂ければ嬉しいです。

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