5.3.- やり残したこと
一年後。ルナリアとパースは隣国の深い森で暮らしていました。森の木で小屋を作り、ルナリアはお針子、パースは絵描きの仕事をしていました。小屋の中はほとんどがパースのアトリエと化していて、ルナリアはすぐ横に作った離れで服を縫います。西方領にいた頃よりも家は立派になりました。
でも食事は、狩った鳥と獣に木の実だけ。
実は二人とも、なかなかお金を稼げずにいます。
この国では技術が進んでいて、簡単な服なら機械で縫ってしまいます。ルナリアのような手作業では追いつきません。注文を取るには、機械にできない特別品を作らなければなりません。
ルナリアはまだ道半ば、かんぺきには仕上げられません。学校暮らしで腕が鈍ったことにショックを抱いていました。
パースだって無名からのスタートです。いままでも無名でしたから、この暮らしには慣れっこです。
おまけにこの国には魔法使いがいません。杖を振るだけで一瞬で絵が描けるなんてこと起こらないのです。もちろん動く絵も存在しません。これはパースにとって追い風でした。みんな手描きですから、きちんと作品で勝負すればいいのです。それにここにも銀の鉱石があります。西方領にあった鉱石と同じもの、その鉱脈が近くの山にあったのです。だから画材さえそろえば同じ作風で描けました。
家のすぐそばには狼たちが棲んでいます。黄金の地下牢で会った熊もいっしょです。危険が迫れば彼らが守ってくれるのです。あの国にいたときと暮らしは変わりません。だって革命を起こしたのは『パーリア』、ルナリアたちではありません。国境の透明な壁を破り、人々を解放した者として名乗り出なかったのですから。
夜になれば、ルナリアはパースに光の魔法を見せました。手にはもう杖はありません。父親の宝石は板に貼りつけ、ひもをかけてペンダントにしました。クリーム色の不思議な服も、エプロンに作り替えています。
パースがキャンバスをくるりと回して絵を見せます。画面の中で、白い翼を生やした天使の少女が光の布を縫っています。闇の中で広がる布の色は青い宝石そっくりです。『光を編む針子』と名付け、右下に『パース』のサインを記します。銀の鉱石で描いた名前は、焚き火の色にきらめいていました。
パースは自分の描いた絵を見ながら、ほうけています。
「まるでルナリアみたいだね」
「それは私をモデルにしたからでしょ」
ルナリアはさも当然のように言います。
「それだけじゃないよ。森の入口に咲くルナリアにも似ている」
「それ、どういう意味?」
「ルナリアの花言葉って知ってる?」
「知らない」
「『儚い美しさ』であり、『幻想』でもあり、『魅惑』でもある。ルナリアの出す宝石は美しくも魅惑的で、太陽にさらされれば消えてしまう、儚い幻想……」
パースはそう言って、紙に文字を書きだしました。
『Honesty』
「なにこれ?」
「遠い異国の言葉だと、ルナリアをこう書くんだ」
「ふ~ん」
ルナリアはなにも知らないふりをしました。
『Honesty』の意味に背いていると知りながら。
「ルナリアのその力、どこから生まれているのかな? 身体に青い宝石が埋まっていたりして」
「そうかもしれないね」
「ルナリアはこの天使のよう。幻じゃなくて、ほんものの宝石を作っている。違うかい?」
ルナリアは「ふふふん」と笑って言いました。
「それは秘密だよ」
ルナリアの周りで狼たちがカサカサと動きました。
「気をつけろ! 誰か来る」
「いかにもうさんくさいやつだ」
「ちょっと後ろに隠れておけ」
ルナリアとパースは狼たちの後ろで、近づいてくる者をのぞきます。
闇の中からすっーと、三人の男が現れました。
「狼たち、のいてくれないか」
「我らはルナリア様に用があるのです」
「どうかお通しを」
彼らは組合の三人組でした。結界が破れた日、黄金の船に乗ってやってきた三人組でした。
ルナリアは「どうして来たの」と尋ねます。
「主の命令で来ました」
「主も一緒です」
「お嬢さんにプレゼントがございます」
三人が一斉に右手にずれると、奥から西方領の主、魔女のオルカがやってきました。
「どうして……こんな所に?」
ルナリアは震える声で聞きます。
「言っただろう、プレゼントがあると。どうして怖がる?」
オルカは杖を振り、車を呼び寄せました。もう一度杖を振ると、車の扉が開いて青い宝石が飛び出しました。
「これはあたしが買い取ってためこんだ宝石だ。あたしは荒れた国の大臣となり魔法で立て直し、大量の宝石を使った。だが余ってしまった。これを置いておれば、のちのち悪いことが起きる」
「どうしてそう言い切れるの」
ルナリアが聞きます。
「魔法で占ったのだ」
オルカはきっぱり言いました。
絶対に外れはしないと、自信に満ちています。
「ルナリア。そなたに託せば、他のどんな魔法使いより良い使い方をするであろう。どうか、うまく使って欲しい」
そう語りかけるオルカに、ルナリアはため息をつきました。
「オルカ、あなたは卑怯です。それだけ力がありながら、どうしてなにもしてこなかったのです? どうして最後まで表に出てこなかったのです?」
オルカはちらりとパースを見ました。
「あたしは体裁だけで生きてきたのだ。大人の垢にまみれていたのだ」
オルカは目を伏せながら力なく答えます。
「許せと言っても、許せないだろう。だからどうか、笑ってくれたまえ」
「「笑いません!」」
ルナリアとパースの声が重なりました。
こんどはパースが続けます。
「前に会ったとき、わかっていました。あなたがそうやって生きてきたってことを。でも、言わなかった。あなたが怖かった。言っても怒りを買うだけだと思った。自分で気づくのを待つしかないと思った。だけどいま、あなたは気づいた。だから僕らは笑いません」
オルカは静かに聞いています。
「もう、ろうやみたいな世界がなくなるように。それが僕らの願いです」
その横でルナリアは、宝石を見つめながら考えていました。
「もう元には戻らないですよね。石になった人は」
「そうだ。宝石になった者は永遠に宝石のままだ」
「じゃあ、願いましょう。もうこの青い宝石に囚われる人が出ないように。この宝石のすべてと、ここにない他の宝石も引き連れて」
ルナリアはペンダントを外し、宝石の山に入れました。
パースも両親の宝石を上に置きます。
子ども狼も母親の宝石を手放しました。
「さぁ、始めましょう」
ルナリアとオルカは宝石の山に手を置いて、心に描いた世界を宝石に伝えました。宝石は青い光の粒となって、空へとのぼっていきます。大空に集まった光の粒はやがて青い雲となり、空一面を覆います。二人の力は世界に比べればちっぽけです。そのわずかな力を大量の宝石が増幅したのです。
やがてこの星すべてに、宝石の雨がきらきらりと降り注ぎました。
青い雨はまもなく止んで、月の明かりが見えました。
その瞬間、オルカの杖がポッキリと、折れました。
宝石が入っていた車も消えてしまいました。手下の三人組はポンと音を立て、丸々太った黒猫になってしまいました。王国に壁があったころ、平民に魔法を与えるのは禁じられていました。だからオルカは猫を使っていたのです。
「もう、これであたしはただの人間だ。世界のどこにも魔法使いはいないだろう」
そんなオルカに対して、手下の三匹の猫はいぶかしげです。
「待てよ。お嬢さんは怪しい」
「宝石ないのに魔法使えてた」
「実はまだ魔女だったりして」
妬ましい、陰口を言うような声です。
ルナリアはほおをぷぅと膨らせました。
「じゃあ、あの魔法見せてあげようか」
ルナリアの手から次々と緑色のへびが出てきました。
「この緑色、呪いのへびだ!」
「一人だけ魔法が使えるなんて」
「ずるい。ずるいぞ嬢ちゃん」
「ほらほら、もたもたしてたら毒へびにかまれるよ」
ルナリアの放ったへびたちは素早く動き、三匹にかみつきました。
かまれた場所から毒がどんどん広がって、黒猫たちは全身、緑に輝きました。
「ひどい。ひどいであります」
「こりゃ正真正銘のいたずら魔女」
「根っこから腐ってます」
そんな三匹を見てオルカは笑いました。
「その力、だいじに使いなさい。暗闇でこそこそ悪さする魔女にならないように」
結局、ルナリアは黒猫たちにかけた魔法を解いてあげました。
オルカたちの後ろから、大きな馬車がやってきます。きっと国が用意していたのでしょう。
「ルナリア、パース。この馬車へ」
オルカの誘いに、二人は首を横に振ります。
「どうしてだ? ともに来れば、城に入れる」
「ご存じでしょう。革命を起こしたのはパーリア、僕らではない。このとおり僕ら野獣の子。城に入れば自由を失います。僕らは受けるべき誉れと憎しみをすべて捨てたのです」
パースがきっぱり言いました。
「では、パーリアが逃げ出したのは卑怯ではないのか」
オルカがパースに問います。
「僕らには壁を壊すしかなかったのです。そうしなければ生きられなかったのです。僕らだけじゃない。街の人たちだって生きづらかった。あなたは知っていたでしょう!」
パースは激しく尖った語気でオルカに訴えます。
オルカはパースの言葉をすべて受け止めました。
「そんなに必死にならなくてよい。決して責め立てたつもりはないのだ。だってあなたたちをそうしたのは、あたしたち、大人の責任だから」
オルカは落ち着いた口調で二人に言いました。
荒れた王国の大臣となったのは、彼女なりの償いだったのです。そしてまだ稚いルナリアとパースに代わり、責任を果たしたのです。宝石の後始末を残して。
「ルナリアはどうだ?」
「私も同じです。動物たちのように自由に暮らしたいです」
オルカは残念そうな表情で馬車に乗り込みました。
手下の三匹もいっしょです。
オルカが馬車の窓から手を出します。
馬がいななきとともに走り出し、闇夜へ消えていきました。
馬車が去ったあと、ここは普段の森に戻りました。
動物たちがまたひょっこりと顔を出します。
でも、ルナリアはちょっぴり寂しそう。
「どうしたの?」とパースが声をかけます。
「私、思ったの。お母さんはどうしてるんだろうって」
パースがほほえみながら言います。
「心配しなくてもきっと大丈夫だ」
そしてなにかを差し出しました。
きれいな晴れ着と一枚の手紙です。オルカが宝石といっしょに持ってきていたのです。
ルナリアは服を手に取ります。さらりとした布に、豪奢な飾り付け、それでいて丈夫な縫い合わせ。きっとこの国でもやっていける腕前です。これはルナリアの母親が作った服、肩についた造花がそう言っていました。
ルナリアは手紙を開けました。文字を書き慣れていないせいか、幼い子どもが書き殴った感じです。だけど内容を受け止めるには充分でした。
壁が壊れたあの日から、世界はまるっきり変わりました。
私は自由に羽ばたく鳥になった気分です。
最も近くて最も遠かった黄金の街にだって行けるのです。
仕事が落ち着くたびに通うのがすっかり楽しみになりました。
でも、あのきらめきはまぶしすぎたようです。
結局、ルナリアと過ごした粗末な家で暮らしています。
また、いつか帰ってきて。
西方領の最果て、丘の上の家に。
それと、黙って学校へ行かせてごめんなさい。
あなたを守るためにオルカと組んだのです。
どうか許して。
ごめんね、ルナリア。
ほんとうにごめんなさい。
「また会いに行ったら? オルカの話しぶりなら国に戻っても大丈夫そうだ」
「そうね。でも、すぐ戻ってくるよ。なんだか寂しいから……」
「じゃあ、これからも光のショーは続くんだね」
ルナリアは「そうみたい」と答えました。
「じゃあ、パースの個展も続くのね」
パースも「そうみたい」と答えました。
動物たちが見守る中、ルナリアとパースはギュッと抱き合い、キスを交わしました。
森の闇から光の動物が生まれ、二人の周りでダンスします。
くるくるりと回るたび、虹の粉が飛び散ります。
光は闇夜にどんどん積もっていきました。
『ルナリアは闇夜に咲き誇る』(完)
(原稿用紙換算:594枚)




