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信長と足利義昭

美濃平定から一年。

 織田家の勢力はかつてないほど拡大していた。

 だが私は知っていた。

 まだ足りない。

 武力だけでは天下は取れない。

 夜。

 清洲城の執務室。

 私は地図ではなく帳面を見ていた。

 そこへ信長が入ってくる。


 

「また何か企んでいる顔だな」


 

「失礼ですね」


 

 私は笑う。


 

「分析です」


 

「同じだ」


 

 信長は向かいに座った。


 

「で?」


 

 私は一枚の紙を差し出す。

 そこには一人の名が記されていた。

 足利義昭。

 室町幕府将軍家の血を引く男。

 今は各地を流浪する落ちぶれた公方様。

 信長は眉を上げる。


 

「将軍か」


 

「正確には」


 

 私は指を立てた。


 

「将軍候補です」


 

 未来人の私にはよく分かる。

 どれだけ優れた商品でも。

 どれだけ優れた企業でも。

 信用がなければ人はついてこない。

 ブランド。

 それが必要だ。


 

「殿」


 

 私は真っ直ぐ信長を見る。


 

「今の織田家は強いです」


 

「だが正統性がありません」


 

「だから何だ」


 

「天下人候補にはなれても」


 

 一呼吸。

 


「天下人にはなれません」


 

 信長の目が細くなる。

 面白い話になる時の顔だった。


 

「続けろ」


 

「足利義昭を担ぎます」


 

 私は即答した。


 

「将軍として京へ送り届ける」


 

「その代わり」


 

 信長が笑う。


 

「貸しを作るか」


 

「ええ」


 

 私は頷く。


 

「権威は借ります」


 

 そして。

 静かに言った。


 

「権力はこちらが持つ」


 

 部屋が静まる。

 信長の口元がゆっくり上がった。


 

「なるほど」


 

「将軍は立てるが握る、か」


 

「はい」


 

 未来では常識です。

 そう言いかけて飲み込む。

 危ない。

 信長は立ち上がった。


 

「面白い」


 

 そして笑う。


 

「天下を取る前に天下の仕組みを取るか」


 

 私は頷いた。


 

「武力から政治へ」


 

「次の戦場は京です」


 

 数ヶ月後。

 足利義昭を迎えた織田軍は上洛を開始した。

 各地の大名が驚く。

 美濃を取っただけの地方大名だった男が。

 将軍を奉じて京へ向かう。

 大義名分は完璧だった。

 表向き。

 信長は将軍を支える忠臣。

 誰も文句を言えない。

 だが。

 私は知っている。

 本当に動くのは誰なのか。

 京に入った日。

 義昭は満足そうに御所を眺めていた。


 

「これで幕府は再興できる」


 

 その言葉を聞きながら。

 私は心の中で呟く。

 いいえ。

 再興されるのは幕府ではない。

 織田政権です。

 都へ来てから私の仕事は増えた。

 朝廷。

 公家。

 商人。

 寺社。

 あらゆる勢力が複雑に絡み合う。

 戦国最大の政治都市。

 それが京だった。

 だから私は先に動く。

 公家への贈答。

 有力商人との会談。

 女房衆との交流。

 茶会。

 歌会。

 情報網構築。

 未来でいう政財界ネットワークだ。

 信長が表で戦うなら。

 私は裏で都を掌握する。

 そんなある日。

 吉乃が生まれたばかりの姫を抱いていた。

 徳姫。

 織田家初の本格的な姫君だった。

 吉乃の顔には不安が浮かんでいる。


 

「濃様」


 

「どうしました」


 

「京は恐ろしい場所です」


 

 小さな声だった。


 

「戦よりも怖い気がします」


 

 私は少し笑う。

 その感覚は正しい。

 京は剣で斬り合う場所ではない。

 笑顔で人を殺す場所だ。

 だからこそ。

 私は徳姫の小さな手を握った。


 

「大丈夫です」


 

 吉乃が顔を上げる。

 私は静かに微笑んだ。


 

「だからこそ私がいます」


 

 吉乃の目が潤む。

信忠。

 信雄。

 信孝。

 徳姫。

 この子たちは皆、織田家の未来だ。

 血は繋がっていなくても、私が守る。

 それが嫡母だから。

 その夜。

 京の屋敷の縁側。

 信長が隣に座る。

 都の灯が遠くに揺れていた。


 

「どうだ」


 

「何がです?」


 

「京だ」


 

 私は少し考えた。


 

「面倒ですね」


 

 信長が吹き出す。


 

「正直だな」


 

「戦場の方が単純です」


 

「違いない」


 

 二人で笑う。

 しばらく沈黙。

 やがて信長が呟いた。


 

「胡蝶」


 

「はい」


 

「お前がいると」


 

 彼は京の夜景を見る。


 

「都も戦場ではなくなる」


 

 胸が温かくなる。

 戦国最強の武将。

 その男が唯一安心できる場所。

 それが自分なのだと思うと。

 私は少しだけ誇らしかった。

 信長は私の手を握る。


 

「まだ先は長い」


 

「ええ」


 

「付き合え」


 

 私は微笑んだ。


 

「最期まで」


 

 京を手に入れた。

 将軍を手に入れた。

 権威を手に入れた。

 だが。

 天下はまだ遠い。

 私は都の夜空を見上げる。

 戦の種はまだ残っている。

 一つずつ摘まなければならない。

 将軍・朝廷・寺社・大名。

 そして――いずれ信長と対立することになる足利義昭。

 私は静かに目を細めた。

 天下布武は始まったばかり。

 本当の政治戦争は、これから始まるのだから。

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