過去のレイズを知る①リリアナ
屋敷の廊下を、レイズは力なく歩いていた。
窓から差し込む昼の光が床を白く照らしている。だが、その光さえ今日はどこか遠く感じた。
昨日まで胸を満たしていた高揚感はもう残っていない。
残っているのは村人たちの怒りそして恐怖の言葉だけだった。
『ふざけるな!!』
『お前がしたことを忘れるわけがないだろ!』
何度も振り払おうとした。気にする必要はないと自分に言い聞かせた。けれど、その言葉は胸の奥へ深く刺さったまま抜けない。
本来のレイズが何をしたのか。
何を壊したのか。誰を傷つけたのか。
今の自分は何も知らない。
それなのに、その重みだけは確かに感じてしまう。
そんなことを考えながら角を曲がったその時だった。
そこに一人の女性が立っていた。
長い髪を揺らしながら、柔らかな表情でこちらを見つめている。ただそれだけなのに、不思議と胸の奥がざわついた。
「……あ」
言葉を探そうとした瞬間だった。
彼女の方が先に口を開いた。
「――よく頑張りましたね」
たった一言。
それだけだった。
それだけだったはずなのに。
胸の奥で張り詰めていた何かが音を立てて崩れた。
「あ……れ……?」
視界が滲む。
気付けば涙が零れていた。
止めようとしても止まらない。
情けないと思うのに、どうしても止まらない。
すると女性はゆっくりと歩み寄り、何の迷いもなくレイズを抱きしめた。
その腕は温かかった。
柔らかかった。
そして何より、懐かしかった。
「ほんとうに……大きくなりましたね」
耳元で優しい声が響く。
「なのに、変わりませんね。レイズは」
その言葉に胸の奥がまた熱くなる。
「……きみは……」
震える声で問いかける。
すると女性は少しだけ困ったように笑った。
「あら…もう前みたいにリリアナって呼んでくれないんですか?」
その瞬間、記憶ではなく感覚が理解した。
この人は特別な人だ。
服を用意してくれた人。
世話をしてくれた人。
そんな言葉だけでは足りない。
もっと近くて、もっと深くて、もっと大切な存在だとレイズは魂で理解する。
リリアナもまた静かにレイズを抱きしめ続けていた。
ようやく会話ができた。
ただそれだけで胸がいっぱいだった。
母であるセシルの代わりに。
母として。誰よりも近くでレイズを育ててきた。
泣けば抱き上げ、笑えば一緒に笑い、眠れば毛布をかける。
そんな日々をずっと繰り返してきた。
だが、ある日。
『本当のお母さんでもないのに!!』
『もう話しかけてくるなよ!!』
その言葉が突き刺さった。今も消えていない。
リリアナの心の奥深くに残り続けている。
それでも彼女は離れなかった。
衣服を整えた。食事を気にかけた。
影から支え続けた。
だからこそ今、こうして泣いているレイズを抱きしめながら思う。
――よかった。
本当に。よかった。
それだけで十分だった。




