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過去のレイズを知る①リリアナ


レイズは部屋の椅子に腰掛け、ただ天井を見上げていた。

机の上には飲みかけの水差し。けれど喉は乾いているはずなのに、手を伸ばす気にもなれない。


「……はぁ」


深いため息が零れる。

――気にする必要はない。何度もそう頭に言い聞かせた。

だが、あの村人の怒りに満ちた言葉は、胸の奥に突き刺さったまま抜けない。


「……レイズ、一体おまえは何をしたんだよ」


その呟きは、恨みとも自嘲ともつかぬ響きを帯びていた。

過去の自分に向けて吐き出した声。

それは壁に吸い込まれて消えていく。


思い返しても、今の自分には思い当たる節はない。

荒れていた日々があったことは知っている。

だが、それはせいぜいアルバードの敷地内でのことだとばかり思っていた。


――外にまで、その爪痕を残していたのか。


知らなかった過去に、知らない自分の影。

その重さが静かに肩へとのしかかっていく


外はもう白く明るく、窓から差し込む光が床を淡く照らしていた。

そろそろ昼を迎える頃合い――。


だが胸の内にあった昨日のワクワクは、もう跡形もない。

心の奥を占めるのは、重たい鉛のような事実。


「……食事か」


この時間なら、もうすぐりアナが呼びに来るはずだ。

けれど――どうしても食欲が湧いてこない。

喉の奥に塊が詰まったみたいで、パン一口さえ飲み込める気がしなかった。


呼ばれて断るくらいなら、せめて先に一言くらい伝えておいたほうがいいか……。


そう思い立ち、レイズは重たい腰を上げる。

ゆっくりと椅子から立ち、深呼吸をひとつして、部屋の扉に手をかけた。


――カチャリ。


静かな音を残し、レイズは部屋を出た。



屋敷の廊下を、なんとなく足を引きずるように歩いていた。

昼の光が差し込む窓辺をすぎ、角を曲がったとき――。


そこに、一人の女性が立っていた。


長い髪が淡く揺れ、柔らかな表情のまま、こちらをじっと見つめている。

ただそれだけなのに、胸の奥がざわつく。


「……あ、えっと」


気まずさを隠すように、レイズが言葉を探し口を開こうとした、その瞬間。


先に彼女が、静かに言葉を紡いだ。


「――よく頑張りましたね」


たった一言。

けれど、それは深く心を突き抜けるような優しさを帯びていた。


レイズは、思わず足を止める。

胸の奥に溜め込んでいた何かが、その声に触れた瞬間、音を立てて崩れていった。


「あ、あれ……?」


気づけば、視界が滲んでいた。

涙なんて、人前で見せることはないと思っていたのに。

止めようとしても止まらない。


目の前の女性が、誰なのかも知らないまま。

ただ、なぜか懐かしい安心感に抱かれるように――。


ぽろぽろと、涙は溢れ続けた。



女性は一歩近づくと、ためらいもなくレイズを優しく抱きしめた。

その腕から伝わるぬくもりは、柔らかくて、どこか懐かしい。


「ほんとに……すっかり大きくなったのに。かわりませんね、レイズ」


耳元で囁かれた声は、優しさに満ちていて――それはまるで母の温もりを感じさせるものだった。


「……きみは……」


思わず言葉がこぼれる。

けれどレイズが続ける前に、リリアナは小さく微笑んだ。


「あら。もう、前みたいに“リリアナ”って名前で呼んでくれないんですか?」


その仕草は冗談めいているのに、目元はどこか涙をこらえているようにも見えた。


レイズはそこで理解した。

リリアナ――いつも自分の体に合わせて服を見繕ってくれていた人。


だが、それだけじゃない。

心が本能で告げている。


この人はただの使用人なんかじゃない。

レイズにとって――もっと大切で、欠かせない存在だったのだ。



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たくさんの方に読んでいただき、本当にありがとうございます。 完結済の長編です。レイズたちの物語をぜひ最初から。
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