受け入れられるわけもなく。
レイズは目の前の男を見上げながら、小さくため息をついた。
正直なところ、何をそこまで怒っているのか分からなかった。いや、正確には怒っている理由は理解できる。だが、理解できることと納得できることは別だった。
それ以上に気になったのは別のことだ。
(……こいつ、大丈夫か?)
アルバードの名を持つ人間へここまで露骨に敵意を向けるなど、普通なら考えられない。
まして相手は領主一族だ。
今のレイズならともかく、以前のレイズならどうなっていたか分からない。
呆れるというより心配が先に立った。
レイズは軽く手を上げると、カウンターの向こうにいる店主へ穏やかに声をかけた。
「すまない、マスター。彼にエールを出してやってくれ…」
店主は目を丸くする。
周囲もざわめいた。
誰も予想していなかった反応だったからだ。
それでも店主は慌てて頭を下げると、「か、かしこまりました」と返事をして奥へ引っ込んだ。
しばらくしてジョッキいっぱいのエールが運ばれてくる。
レイズはそれを男の前へ押し出しながら微笑んだ。
「心配するな…俺はすぐ帰る。それに、せっかくだから…飲んでくれ。俺のおごりだ」
レイズなりの気遣いだった。
前世でも酒場という場所は似たようなものだった。
酒を酌み交わせば少しは空気も和らぐ。
そう思っていた。
だが。
次の瞬間。
――バシャッ!!
冷たい衝撃が頭から降り注いだ。
一瞬、何が起きたのか理解できない。
髪を伝い、頬を流れ、服へ染み込んでいく液体。
レイズはゆっくりと顔を上げた。
男は空になったジョッキを握りしめながら、歪んだ笑みを浮かべている。
「そんな小細工で誤魔化せると思ってんのか!?」
店内が静まり返った。
誰も動かない。
誰も声を出さない。
レイズは額から垂れるエールを指で拭った。
正直、腹が立たないわけではなかった。
本来なら…間違いなく怒っている。
善意を踏みにじられたのだから当然だ。
だが、それ以上に気になったことがあった。
男の目だ。
怒りだけではない。
憎しみがあった。
長年積み重なった恨みがあった。
レイズは静かに問いかける。
「……お前。俺が誰か分かってやってるんだな?」
男は机を叩いた。
「だからなんなんだよ!!てめぇ!!」
怒鳴り声が響く。
「忘れるわけねぇだろ!!」
拳が震えている。
「俺たちの村で好き放題やっただろ!お前は!!」
その瞬間。
レイズの中で何かが繋がった。
そうか。
これは俺じゃない。
過去のレイズだ。
俺の知らないレイズが、この男たちに何かをしたんだ。
胸の奥が重くなる。
自分がやったことではない。
そう言って切り捨てることもできる。
だが不思議とそんな気にはなれなかった。
今はもう。
レイズの人生を他人事だと思えなくなっていた。
レイズはゆっくりと店主を見る。
「マスター」
店主がびくりと肩を震わせた。
「もう一杯だけ頼む」
戸惑いながら差し出されたジョッキを受け取る。そして。
「そうか…」
小さく呟いた。
「過去にしたことは謝る。だから…」
男は目を見開く。
レイズは静かにジョッキを差し出した。
その中身は密かに《フリーズ》で冷やされている。
「これを飲んでみてくれ。」
だが。
男の怒りは収まらない。
「ふざけるなぁ!!」
拳が振り上げられる。
しかし。
その拳は途中で止まった。
男の身体が震える。
冷や汗が流れる。
目の前に立っていたのはリアナだった。
いつもの明るい笑顔はない。
そこにいるのはアルバード家に仕える者としての姿。
瞳には明確な怒りが宿っていた。
「それ以上は…許さない…」
静かな声だった。
だが、男は一歩も動けない。
本能が理解していた。
目の前の少女が本気で怒っていることを。
そしてその直後。
店の扉が勢いよく開かれた。
クリスだった。
状況を一目見ただけで理解したらしい。
視線が濡れたレイズへ向く。
その瞬間。空気が変わった。怒り。
それもリアナとは比べ物にならないほど濃密な怒りだった。
「お前たち……レイズ様…………」
低い声。
男たちが息を呑む。
だがクリスが動くより早く、レイズが手を上げた。
「違う……」
クリスが止まる。
「この人は悪くない」
「しかしっ…!!」
「悪いのは…俺だろ。」
その言葉に店内が静まり返る。
レイズは男へ向き直った。
「あなたが怒る理由は分かった。」
その声に怒りはない。
「でも…この店は関係ない」
レイズは周囲を見渡した。
怯える店主。
固まる客たち。
重苦しい空気。
「マスターにこれ以上迷惑をかけたくない。」
そう言うと、レイズは踵を返した。
「行こう」
短い言葉だった。
リアナは悔しそうに唇を噛む。
クリスは信じられないものを見るような顔をしていた。
かつてのレイズなら絶対に言わない言葉だったからだ。
だが二人は何も言わない。
ただ黙って主の背中を追う。
店を出るその瞬間まで、誰一人として声を発することはできなかった。




