受け入れられるわけもなく。
レイズは、目の前の男を見上げながら小さくため息をついた。
(……こいつ、大丈夫か?
アルバードにそんな口をきいたら、自分の身が危ういって気づかねぇのか……?)
呆れるより先に、むしろ心配の気持ちが勝ってしまう。
レイズは手を軽く上げて、マスターへと穏やかに声をかけた。
「すまない、マスター。……彼にエールを出してやってくれ」
マスターは驚いたように目を丸くし、すぐに「は、はい……」と答えて急ぎ足で奥へと下がる。
やがてジョッキに注がれたエールが、男の前に置かれた。
レイズは微笑み、柔らかな声で言った。
「心配するな。俺はすぐに帰るさ。
――ほら、よかったら奢るから飲んでくれ」
それは彼なりの“場を収める術”だった。
飲み屋なんてのは大抵そうだ。酒を奢れば、不思議と打ち解ける――。
そう、思っていた。
だが、返ってきたのはまったく違う反応だった。
――バシャッ!!
一瞬、何が起きたかわからなかった。
冷たい液体が頭から肩にかけて滴り落ちていく。
「……え?」
手で触れた感触は、濡れた髪と額。
目の前の男は、にやりと歪んだ笑みを浮かべていた。
「……そんな小細工でごまかせるかよ、貴族サマぁ」
そう――男は、レイズが奢ったエールを、そのまま彼の頭にぶちまけたのだった。
レイズは、頭から滴るエールを拭いもせず、冷静に問いただした。
「……お前。俺が誰かわかってやってるな?」
男は机を叩き、血走った目で怒鳴り返す。
「だからなんだ、てめぇ!!
俺たちの村で暴れたお前を……忘れる奴がいると思ってんのか!?」
その言葉に、レイズははっとした。
(……そうか。これは、俺じゃない。“過去のレイズ”がここで……やらかしたんだな)
胸に重苦しいものが広がる。
レイズはそっと手を挙げ、マスターへ声をかけた。
「……マスター。彼にもう一つ、エールを」
戸惑いながらも差し出されたジョッキを、レイズが受け取る。
「……そうか。過去にやったことは、謝る」
そう言って、静かにエールを差し出した。
冷ややかな空気の中、こっそりと《フリーズ》をかけて冷やしたそれを、男へ手渡す。
「……これを、飲んでみてくれ」
しかし――。
「なめてんのかぁっ!!」
男は激昂し、拳を振り上げた。
――その腕が、空中で止まる。
「……!」
恐ろしいほどの殺気。
そこに立っていたのは、リアナだった。
普段の天真爛漫な笑みはどこにもない。
彼女の瞳には、はっきりとした“殺意”が宿っていた。
「……レイズ様に、これ以上の無礼は許さない」
低く響く声に、男は凍りついた。
間もなく、クリスも駆けつける。
周囲を見渡し、前に出ると鋭い声音で言い放つ。
「お前たち、一体何をしている」
そして――びしょ濡れのレイズに視線を落とす。
「……レイズ様……」
そこに一瞬、烈火のごとき怒りが宿る。
だが、すぐにレイズの手がそれを制した。
「違う。……この人は悪くない。悪いのは俺だ」
驚いたクリスとリアナをよそに、レイズは男へ再び向き直る。
「……あなたが俺に怒る理由はわかる。
だが――このエールを注いでくれたマスターに、これ以上迷惑はかけたくない」
静かに言い切り、踵を返す。
「……行こう」
短くそう告げて、その場を後にする。
リアナの瞳には、悔しさと悲しみが入り混じった涙が溢れていた。
クリスは――ただただ驚愕の面持ちで。
黙って、主の背に従った。




