夜中の訪問。
夜更けの静けさを破るように、扉の向こうからイザベルの明るい声が響いた。
「レイズくーん!」
布団の中で目を閉じていたレイズは、その声に小さく舌打ちする。
「……なに」
「お部屋、入ってもいいかなぁ?」
軽い調子の声に、レイズの胸の奥で苛立ちがこみ上げた。
布団をかぶり直し、子供のように突っぱねる。
「いまは……誰にも会いたくないの!!」
一瞬、扉の向こうが静かになった。
レイズは「さすがにこれで引くだろ」と期待する。
だが――。
「そっか。でも、私は入るから」
ガチャリ、とためらいなく扉が開いた。
「はぁぁ!? おいっ、ちょっと!?」
慌てて飛び起きたレイズの目の前に、月明かりを背にしたイザベルが立っていた。
その顔は真剣で、いつものからかうような笑みはない。
「……レイズ君。弱いとこ、見せていいんだよ?」
静かな声が、部屋に落ちた。
「弱いところって……違う。ただ疲れただけなんだよ」
レイズはため息混じりに、布団の上で天井をにらむ。
イザベルはそんな彼を見下ろしながら、口元に小さな笑みを浮かべた。
「でもさ。クリスに向かっていった時のレイズ君は……すっごくかっこよかったけどなぁ」
その一言に、レイズの心臓が跳ねる。
同時に、あの泥だらけで転がりまくった光景が頭をよぎり、顔を覆った。
「やめろよ……」
悔しそうに低くつぶやく。
まるで黒歴史を掘り返されたような気分で。
イザベルは肩をすくめて、少し楽しそうに言葉を重ねた。
「……私は本気でそう思ったんだけどな」
レイズは布団に顔を半分うずめたまま、ぽつりぽつりと恨み言のように言葉をこぼし始める。
「……最初から、いろいろありすぎなんだよ」
「風呂でも恥かかされたし……」
「食堂だって、毎回なんであんな大げさなんだよ……」
「……で、極めつけは昨日のクリスとの戦いだ」
そこで言葉を切り、耳まで真っ赤にしてうつむいた。
「……あれが、一番……はずかしかった」
その声は、すねた子供のように小さく、情けなく震えていた。
イザベルはそんなレイズを見て、思わず唇を押さえてクスクスと笑ってしまう。
「ふふ……そんなこと言うけど、ちゃんと頑張ってたの、私は見てたよ?」
レイズが布団に顔をうずめたまま、悔しそうに「……一番はずかしかった」と呟いたとき。
イザベルは静かに歩み寄り、ベッドの端に腰を下ろす。
そして、そっと身をかがめて――レイズの顔のすぐ近くに、自分の顔を寄せた。
「……ねぇ、レイズ君」
囁くような声。
レイズは驚いて顔を上げる。そこには至近距離で真剣に見つめるイザベルの瞳があった。
「はずかしいって思うのは、それだけ本気でやった証拠だよ?」
イザベルの吐息がかかるほど近くで告げられる言葉に、レイズの胸はどきりと跳ねる。
「……あのときのレイズ君、私にはすっごくかっこよかった。誰よりも真っすぐで、必死で」
にっこりと微笑むイザベル。
イザベルの真剣な眼差しを受けて、レイズはしばらく言葉を失っていた。
心臓がやけにうるさい。
耐えきれず、顔をそむけてぼそりとつぶやく。
「……からかうなよ」
イザベルは目を丸くした。
「えっ、からかってなんかないよ?」と小首をかしげる。
「ち、近いんだよ……! そ、そういうのが恥ずかしいの!!」
赤くなった顔を隠すように手で覆うレイズ。
その姿にイザベルは思わずクスクスと笑いをこぼす。
「ふふっ。やっぱり可愛いなぁ、レイズ君」
「~~っ! だからそういうのやめろって!」
布団を頭までかぶり、必死に抵抗するレイズ。
けれどイザベルの笑みは優しく、どこか誇らしげで――
その空気が、重かった心を少しずつ軽くしていくのだ。
布団に潜り込んでしまったレイズに、イザベルはそっと手を伸ばす。
布団越しに優しくポンポンと叩きながら、落ち着いた声をかけた。
「……レイズ君。からかったりしてごめんね」
レイズは小さく身じろぎする。だが布団からは出てこない。
イザベルは真剣な眼差しで続けた。
「でもね……私、本当に思うの。数日しか経ってないのに、こんなに大変なことばかり背負わせちゃって。
普通なら投げ出してもいいのに、レイズ君はちゃんと向き合ってくれてる」
少し間を置いて、声を柔らかくする。
「……だから、無理しなくていいんだよ」
布団の中でレイズの肩がかすかに震える。
泣いているのか、照れているのか、本人にも分からない。
イザベルはそんな彼を見守るように微笑み、そっと結んだ。
「レイズ君は、もう十分がんばってるんだから」
レイズは布団の中でしばらく黙っていたが、やがて小さな声でつぶやいた。
「……是非もなし」
その声音には照れ隠しの響きが混じっていた。
まるで、恥ずかしさを誤魔化すように――けれど、どこか“いつものレイズ”を取り戻したような軽さもあった。
イザベルはその一言に思わず吹き出し、くすくす笑う。
「だから、それなんなの〜! 全然意味わかんないんだけど!」
レイズは顔を真っ赤にしながら布団を頭までかぶった。
しかし、その口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
イザベルは、布団に潜り込んだレイズの頭上を覗き込むようにして、いたずらっぽく笑った。
「ねー……今日、一緒に寝てもいい?」
唐突な一言に、レイズの肩がびくんと跳ねる。
「は、はぁ!? な、なに言ってんだお前!」
布団の中から情けない声が漏れ、顔はますます真っ赤になる。
イザベルはその反応を楽しむように、くすくすと笑いながら続ける。
「だって、レイズ君いま弱ってるでしょ? 心配なんだよ」
イザベルは布団の端にちょこんと腰を下ろし、思い出すように目を細めた。
「それにね? 昔はよく一緒に寝てたんだよ、私とレイズ君」
にっこりと微笑みながら、まるで当然のことのように言い放つ。
レイズは一瞬絶句し、勢いよく上半身を起こした。
「お、おまっ……っ! 年齢を考えろ、年齢を!!」
真っ赤な顔でツッコミを入れるレイズ。
イザベルは悪びれる様子もなく、むしろ楽しそうに肩を揺らして笑った。
「えへへ、やっぱりその反応かわいい」
イザベルはふいに表情を和らげ、ぽつりと漏らした。
「……私ね。本当のレイズ君はもういないんだって、頭ではわかってるの。
でも……いまのレイズ君を見てると、やっぱり“レイズ君”って感じるの。これって……変かな?」
イザベルの真剣な告白に対し、レイズは頬を赤らめてそっぽを向く。
「めっちゃ変」
イザベルはムッとして、ぷくっと頬をふくらませる。
「なによそれ! 普通『変じゃないよ』って言うところでしょ!」
その勢いに押されて、レイズは思わず声を荒げた。
「……ったく、いったいなにしにきたんだよ!」
イザベルはにこりと笑って答える。
「決まってるじゃない。レイズ君を元気にしにきたの」
レイズはふと、ぽつりとこぼす。
「……でも、俺は本当のレイズじゃないのに」
その言葉にイザベルは一瞬驚いたように目を瞬かせる。
そして、ふっと柔らかく笑って――
「レイズ君は、レイズ君だよ」
「誰かの代わりなんかじゃない。……“今ここにいるレイズ君”が、私の知ってるレイズ君なの」
その声は優しく、迷いなく。
胸に沁みるように、真っ直ぐに響いてきた。
「なんだよ。おまえ、おれのこと好きなのかよ」
レイズが半分冗談、半分本気で投げた言葉に、イザベルはビクッと肩を揺らした。
「そ、そんなわけないでしょ! わ、私は……スリムな人が好きなの!」
慌てたように口走ったその一言に、レイズの目がカッと見開かれる。
「……おい、それって……おれのことデブって言いたいのか!!」
瞬間、場の空気が弾ける。
イザベルはにやりと笑い、ためらいもなくレイズのお腹に手を伸ばす。
「だって、ほら……つまめるし」
むにっとした感触に、イザベルがクスクス笑い出す。
「わぁ〜、すごい弾力……レイズ君のお肉、思った以上に……!」
「や、やめろぉぉぉぉ!!」
顔を真っ赤にして慌てふためくレイズ。
その必死さが余計におかしくて、イザベルの笑い声は部屋に響き続けるのだった。
――そして一夜が明けた。
隣では、イザベルが子供のように安らかな寝息を立てている。
すやすや、すやすや。
無防備すぎるその寝顔に、レイズはしばらく呆然と見入ってしまった。
だが次の瞬間、思わず額を押さえてぼやく。
「……なんか余計につかれたわ!」
昨日のやり取りが脳裏をよぎり、レイズは枕に顔を埋めながら、心の中でツッコミを入れ続けるのだった。




