こうしてまたすれ違いは加速する。
屋敷へと続く道を、レイズとイザベルは並んで歩いていた。
外で交わした話の余韻は、まだ二人の間に残っている。
それは決して軽い内容ではない。
レイズは、自分が抱えていた秘密を打ち明けた。
未来のこと。
自分が知っている結末のこと。
そして――目の前にあるアルバードが、その未来ではすでに存在していないということまで。
言葉にすることを恐れていた真実。
口にすれば、何かが壊れてしまうような気がしていた。
けれど実際には、すべてを話し終えた今も、イザベルは隣を歩いている。
呆れたように息を吐き。
ときおりレイズの横顔を見て。
それでも、離れることなく同じ歩幅で進んでいた。
レイズはそれだけで、胸の奥へ引っかかっていた重たいものが、ほんの少し軽くなったように感じていた。
屋敷の門が近づいてくる。
いつもなら見慣れているはずの石造りの門も、今のレイズにはどこか違って見えた。
自分はここへ帰ってきた。
ただ屋敷へ戻ったというだけではない。
秘密を抱えたまま逃げるのではなく、一度きちんと誰かへ話し、それでも戻ってくることができた。
そんな小さな達成感が、歩みを僅かに大きくさせていた。
門前には、すでにリアナが待っていた。
二人の姿を見つけると、すぐに背筋を伸ばし、いつもの明るさを抑えた丁寧な所作で深く頭を下げる。
「お帰りなさいませ、当主様!」
落ち着いた声だった。
以前のリアナであれば、レイズの姿を見つけた瞬間に駆け寄っていたかもしれない。だが今、目の前にいるのは正式にアルバードを背負うこととなった当主である。
だからこそ、まずは使用人として礼を尽くした。
しかし、頭を上げたその瞬間。
レイズの隣に立つ人物を目にして、リアナの表情が大きく変わった。
「え……っ!? い、イザベル様!?」
先ほどまで落ち着いていた声が、見事なまでに裏返った。
リアナは目を見開き、レイズとイザベルを何度も交互に見る。
イザベルが屋敷へ訪れること自体は珍しいものではなかった。
彼女はヴィルの孫であり、レイバード家の者でもある。以前からアルバード家との関わりがなかったわけではないからだ。
だが問題は、二人の距離だった。
並んで歩いている。
それも、どちらかが無理に付き従っているような空気ではない。
自然に言葉を交わし、まるで以前からそうしていたかのように同じ速度で歩いている。
何より、イザベルの表情が柔らかい。
リアナの記憶にあるイザベルは、レイズへ対してもっと遠慮があり、同時に警戒もあった。
決して嫌っているわけではなかった。
だが、どう接すればよいのか分からず、どこか距離を測っていたように見えていた。
それが今はどうだ。
レイズの隣にいるイザベルは、驚くほど自然だった。
まるで、そこが最初から彼女の立つ場所だったかのように。
「どうした、リアナ」
リアナの驚きを前に、レイズは少しだけ得意げに胸を張った。
そして、どこで覚えたのかも分からない妙に偉そうな仕草で、片手を前へ差し出す。
「うむ。そうか……く、苦しゅうないぞ」
「…………」
リアナは黙った。
イザベルも黙った。
数秒間、門前に何とも言えない空気が流れる。
先に口を開いたのはイザベルだった。
「……だから、何なのよ、それ」
呆れたように言いながらも、その口元には笑みが浮かんでいる。
「当主らしいだろ!?」
「どこの当主が、帰宅しただけでそんなことを言うのよ」
「偉い人は言うんじゃないのか?」
「少なくとも、使いどころが違うわ…」
「でもリアナは頭を下げてるぞ?」
「それは貴方が当主だからでしょう」
「じゃあ合ってるじゃないか」
「合ってない」
即座に否定され、レイズは不満そうに口を尖らせる。
そんな二人のやり取りを目の前で見せられたリアナは、さらに混乱していた。
イザベルがレイズへ遠慮なく突っ込みを入れている。
レイズも腹を立てることなく、むしろ楽しそうに言い返している。
これまでの二人からは想像しにくい光景だった。
「えっと……」
リアナは戸惑いながらも、何とか声を絞り出した。
「お二人で、お出かけになっていたのでしょうか?」
「そうだ…」
レイズは迷うことなく頷いた。
「大事な話をしてきた!」
「大事な……お話ですか?」
「あぁ。ちゃんと相談したんだ」
誇らしげに言うレイズとは対照的に、イザベルは少しだけ視線を逸らした。
相談。
その一言で済ませるには、あまりにも重い内容だった。
しかしレイズが初めて自分から誰かへ助けを求め、自分の抱えているものを隠さず話そうとしたことは事実である。
だからイザベルも、そこを否定することはしなかった。
「まぁ……相談という言い方で間違いではないわね」
「ほらな」
「どうしてそこで貴方が勝ち誇るのよ」
「ちゃんとできたからだ」
「子どもみたい…」
「子どもだぞ?」
「開き直らないでくれる!?」
またしても自然に言葉が続いていく。
それを少し離れた場所から見つめている者がいた。
ヴィルだった。
玄関近くに立ち、門をくぐってくる二人の姿を静かに見つめている。
その隣には、何人もの使用人たちが整然と並んでいた。
レイズが戻ってくることを知り、当主を迎えるために集まった者たちである。
だがヴィルの意識は、使用人たちの並びや礼の角度ではなく、レイズとイザベルの姿へ向けられていた。
彼は黙ったまま、僅かに目を細める。
この光景は、ただ二人が並んで帰ってきたというだけではない。
出ていく前のレイズは、不安を隠しきれていなかった。
イザベルへ何を話すべきか。
どこまで伝えるべきか。
そして、すべてを知った彼女が自分をどう思うのか。
その恐れが、表情にも仕草にも出ていた。
だが今のレイズには、それがない。
何もかも解決したわけではないだろう。
むしろ、これから向き合わなければならない問題の方が多いはずだ。
それでも、その顔には一つの壁を越えた者だけが持つ安堵があった。
一方のイザベルも同じだった。
屋敷を出たときより、明らかにレイズとの距離が近づいている。
ただ親しくなったというだけではない。
今のレイズを知り、それでも傍に立つと決めた者の顔をしている。
ヴィルには、そう見えた。
だからこそ、胸の奥へ静かな確信が生まれていた。
レイズは当主として、誰かへ頼ることを覚えた。
イザベルは、その当主を支える者として一歩を踏み出した。
ならば、自分たちがこれまで悩み続けてきたことも、決して無駄ではなかったのかもしれない。
だが…ヴィルは知らない。
二人が交わしてきた会話の内容を。
レイズが、自分は本来のレイズではないのだと告げたことを。
未来ではイザベルが存在していないと伝えたことを。
そしてイザベルが、そんな重要な真実を自分へ隠していたヴィルに対して、静かな怒りを抱えていることを。
何も知らないからこそ。
ヴィルの中では、あまりにも美しい解釈が出来上がっていた。
レイズが自らの弱さを見せ。
イザベルがそれを受け止め。
二人で未来を歩む覚悟を決めて帰ってきた。
そう思ってしまった。
実際には、そこまで大それた決意を交わしたわけではない。
レイズはただ、抱えている秘密を誰かに聞いてほしかった。
イザベルは、突然突きつけられた話を何とか受け止め、ひとまずレイズを一人にはしないと決めただけだった。
それでもヴィルの目には、その姿があまりにも頼もしく映っていた。
やがてレイズとイザベルが門をくぐる。
その瞬間、屋敷の前へ並んでいた使用人たちが、一斉に深く頭を垂れた。
「お帰りなさいませ、レイズ様!イザベル様!」
いくつもの声が重なる。
「お帰りなさいませ、当主様…」
これほど多くの者に一度に迎えられることを予想していなかったレイズは、思わず足を止めそうになった。
視界の左右へ、整然と並んだ使用人たち。
以前であれば、自分の姿を見ただけで怯えたり、目を合わせることを避けたりしていた者もいる。
その者たちが今、形式だけではない敬意を込めて頭を下げている。
レイズは戸惑いを覚えた。
だが、すぐに歩みを止めることなく進んだ。
ここで慌ててしまえば、せっかくの出迎えを台無しにする気がした。
当主らしく。
せめて今だけでも。
そう自分へ言い聞かせ、腹へ力を込める。
元から大きな腹は、力を込めたところで見た目にはほとんど変わらなかった。
それでもレイズ自身は、十分に胸を張っているつもりだった。
左右から向けられる視線を受けながら、一歩ずつ進んでいく。
その少し後ろを、イザベルが歩く。
彼女はそんなレイズの背中を見つめ、僅かに目を細めた。
堂々としているように見せているが、右手と右足が同時に出かけている。
明らかに緊張していた。
それでも逃げずに歩いている。
以前のレイズならば、このような出迎えを当然のものとして受け取り、使用人たちへ目も向けなかったかもしれない。
だが今のレイズは、誰かが自分のために頭を下げていることの重みを、少しずつ理解し始めている。
だからこそ、緊張するのだろう。
イザベルは口元へ浮かびそうになる笑みを、何とか堪えた。
やがて二人が玄関前へ到着すると、並んでいた使用人たちは静かに道を空ける。
その先に、ヴィルが立っていた。
ヴィルはレイズとイザベルの前へゆっくりと進み出る。
普段と変わらぬ落ち着いた立ち姿。
しかし、その眼差しはいつもよりも柔らかく、どこか誇らしげだった。
「……二人とも」
静かな声に、レイズとイザベルが同時にヴィルを見る。
「よく頑張りました。」
短い言葉だった。
だがそこには、二人の帰りを心から待っていた者の温かさが込められていた。
レイズは目を瞬かせる。
イザベルも一瞬だけ言葉を失った。
ヴィルは二人の表情を見つめながら、胸の内で深く頷いていた。
レイズの顔。
あれは、当主として覚悟を決めた者の顔だ。
一人ですべてを抱えるのではなく、信頼できる者へ相談し、共に進む道を選んだのだな…
そしてイザベルの顔。
あれは、当主を支える者として覚悟を決めた者の顔だ…。
レイズの悩みを聞き、その重さを知ったうえで隣へ立つことを選んだ。
ヴィルの中で、二人の評価は勝手に、そして猛烈な勢いで上昇していった。
――よかろう。
――この二人ならば、きっと未来を担っていける。
誰にも求められていない確信だった。
もちろん、当の二人はそんな大それたことなど微塵も考えてはいない。
レイズはヴィルに褒められたことが嬉しくて、すぐに胸を張った。
「あぁ!」
力強く返事をし、自分の腹をパチンと叩く。
乾いた音が響いた。
「ちゃんと相談できたんだぞ!」
「ええ…」
「本当のことも言えたんだ!」
「本当のこと…??…そうですか」
「逃げなかったぞ!」
レイズは誇らしげに言い切った。
その顔には、ヴィルへ褒めてもらいたい気持ちが隠しきれずに表れている。
そして心の中では、言葉に出せない感謝が溢れていた。
――ヴィル。
――ありがとう。
イザベルへ相談するよう背中を押してくれた。
自分一人で抱え込む必要はないと教えてくれた。
ヴィルがいなければ、レイズは今も秘密を胸の奥へ閉じ込めたまま、誰にも話せずにいたかもしれない。
だからレイズは、ヴィルへ感謝を伝えているつもりだった。
相談できた。
本当のことを話せた。
そして、それを聞いたイザベルは離れなかった。
それだけで十分だった。
一方、レイズの横でその様子を見ていたイザベルは、思わず小さく笑った。
得意げに腹を叩いている姿は、どう見ても未来を知る転生者にも、覚悟を決めた当主にも見えない。
褒められたことを素直に喜ぶ、ただの少年だった。
そのことに少し安心しながらも、イザベルはすぐに表情を引き締める。
そしてヴィルへ向き直った。
「おじいさま…」
「何ですか、イザベル」
「あとで、お話がありますから」
声は穏やかだった。
だが、その言葉の奥には明確な圧がある。
イザベルは周囲の使用人たちに気づかれないよう、手元で控えめに合図を送った。
それは、二人きりで話したいという意思表示だった。
そして、その瞳には隠しきれない疑問と不満が浮かんでいる。
――レイズ君が、以前のレイズ君とは違うこと。
――どうして教えてくれなかったのよ。
イザベルからすれば、当然の疑問だった。
ヴィルはおそらく何かを知っていた。
少なくとも、レイズが大きく変化したことには気づいていたはずだ。
それなのに、自分には何一つ説明しなかった。
あろうことか、魔法を教えてほしいとだけ頼み、肝心な事情を伏せたままレイズと二人きりにした。
結果として、レイズは突然、自分が未来を知る別の存在であるかのような話を始めたのだ。
驚かない方がおかしい。
いくら祖父であろうと、あとできちんと問い詰める必要がある。
その意思を込め、イザベルはヴィルを真っ直ぐに見つめていた。
だが…。
ヴィルは、その視線の意味を見事なまでに勘違いした。
レイズは腹を叩きながら、相談できたと報告している。
イザベルは真剣な眼差しで、あとで話があると伝えている。
二人とも、自分たちが交わした約束について報告しようとしている。
そう解釈した。
レイズは当主として、イザベルを正式な相談相手にしたいと考えていた。
イザベルもまた、その役目を引き受ける覚悟をヴィルへ伝えようもしていた。
――なるほど。
――そこまで話が進みましたか。
ヴィルは、感慨深そうに深く頷いた。
「……分かりました」
イザベルはその返事を聞き、少しだけ目を細める。
話が通じたと思った。
「必ず、お時間をいただきますからね」
「ええ。もちろんです」
「逃げないでくださいね!?」
「逃げる理由などありませんが…?」
ヴィルは穏やかに答えた。
その堂々とした態度を見て、イザベルは一瞬だけ違和感を覚える。
自分が何を聞こうとしているのか、本当に分かっているのだろうか。
だがヴィルの顔は、あまりにも満足そうだった。
それを見たイザベルは、逆に不安を覚え始める。
「……本当に分かっています?」
「ええ。二人の意思は、十分に伝わりました」
「二人の……意思?」
イザベルの眉が僅かに動く。
レイズも隣で首を傾げた。
「俺も何か伝えたのか?」
「何を言っているのです、レイズ。先ほどから十分すぎるほど伝わっていますよ」
「そうなのか…?」
「ええ…」
ヴィルは大きく頷いた。
レイズは、自分の感謝がきちんと伝わったのだと思い、満足そうに笑った。
「さすがヴィルだな!!よかった!」
「ええ。本当によかったですね。」
ヴィルも笑う。
イザベルだけが、二人を交互に見ながら嫌な予感を募らせていた。
「ちょっと待って。おじいさま、何が伝わったと思っているの?」
「今は大勢の前です。詳しい話は後ほどにしましょう…」
「そういうことを聞いているんじゃなくて……」
「心配はいりません。私は反対するつもりなどありませんから」
「反対…?」
「ええ」
ヴィルは穏やかでありながら、どこか感動したような眼差しを二人へ向けた。
レイズとイザベル。
二人がこうして自然に並び、互いに遠慮なく言葉を交わしている。
ほんの少し前まで、イザベルはレイズへの接し方に迷っていた。
レイズもまた、イザベルにどこまで踏み込んでよいのか分からずにいた。
それが今では、まるで長い時間を共に過ごしてきたかのような距離感になっている。
明るさがある。
温かさがある。
そして何より、レイズがイザベルの前で年相応の表情を見せている。
当主として虚勢を張るのではなく。
未来を知る者として一人で悩むのでもなく。
ただの少年として笑い、拗ね、言い返している。
ヴィルは、その光景に胸を打たれていた。
――やはり、イザベルなのかもしれない。
レイズの隣で。
当主としての彼だけではなく、一人の少年としての彼も支えられるのは。
もちろんヴィル自身、結論を急ぐつもりはなかった。
レイズにはクリスもいる。
リアナも。
リアノも。
これから先、さらに多くの者と出会うだろう。
誰か一人へすべてを託すつもりなどない。
それでも今、イザベルがレイズの隣にいる姿は、あまりにも自然だった。
無理に置かれたのではない。
互いに必要とした結果、そこへ収まったように見える。
ヴィルの中で、未来の光景が勝手に描かれていく。
成長したレイズが、当主として執務机へ向かう。
その隣で、イザベルが遠慮なく意見を告げる。
レイズが無茶をすれば叱り。
迷えば共に考え。
苦しんだときには、誰より近くで支える。
そんな未来。
まだ何一つ決まっていないにもかかわらず、ヴィルはその光景へ強い安心を覚えていた。
「もしもし…おじいさま?」
イザベルが呼びかける。
ヴィルは我に返り、穏やかに微笑んだ。
「よいのです。私は二人を応援していますから」
「何を!?」
イザベルの声が、今度はリアナ以上に大きく裏返った。
周囲の使用人たちが僅かに顔を上げそうになる。
イザベルは慌てて口元を押さえ、声を落とした。
「お、応援って……何を応援するつもりなのよ」
「何を、と言われましても」
ヴィルは少し困ったように笑う。
「二人が決めたことを、です」
「何も決めてないわよ!」
反射的に否定する。
その勢いに、レイズが驚いたようにイザベルを見る。
「でも…相談のってくれるんじゃないのか?」
「それはのるわよ!?」
「じゃあ決まってるじゃないか」
「そういう意味じゃなくて!」
「何が違うんだよ…?」
「貴方は少し黙っていて!」
「なんでだよ!?」
二人の言い合いが始まる。
ヴィルはそれを見ながら、さらに目を細めた。
遠慮なく言い争える。
つまり、それだけ互いを信頼しているということだ。
ヴィルの中で、誤解が修正されるどころか、ますます強固なものへ変わっていく。
イザベルはそんな祖父の顔を見て、完全に悟った。
――この人、絶対に何か勘違いしてる。
だが何をどう勘違いしているのかまでは、まだ分からない。
下手に聞けば、さらに面倒な話になりそうな予感がした。
イザベルは額へ手を当て、深く息を吐く。
「……とにかく、あとで絶対に話しますから」
「承知しました」
「それと、勝手に話を進めないでください」
「もちろんです。二人の意思を何より尊重しています。」
「だから、その言い方がもうおかしいのよ!」
イザベルの声が再び大きくなる。
レイズは隣で状況を理解できず、困ったように頭を掻いていた。
「イザベル、何を怒ってるんだよ…?」
「貴方は本当に分からないの?」
「分からないから聞いてる…」
「……そうだったわね。貴方はそういう人だわ。」
「なんだよ、その諦めた顔」
「別に…」
「絶対に別にじゃないだろ」
また二人の会話が続いていく。
少し離れた場所では、リアナが口元を押さえながら楽しそうに笑っていた。
使用人たちも表情には出さないよう努めていたが、屋敷へ戻ってきた当主が以前より明るい顔をしていることに、安堵している者は多かった。
ヴィルもまた、二人の姿を見つめながら、胸の奥へ新たな決意を刻んでいた。
レイズがようやく、自分以外の誰かへ心を開き始めた。
それを守らなければならない。
彼が誰かを信じたことを後悔しないように。
イザベルがレイズを支えようとしたことを、重荷へ変えないように。
二人がこれからどのような関係を築くとしても、無理に形を決めるのではなく、静かに見守らなければならない。
もっとも。
すでに勝手な未来を想像し、誰にも頼まれていない応援を始めている時点で、見守るという言葉からは少々外れ始めていた。
「それでは、中へ入りましょう」
ヴィルの言葉に、レイズは元気よく頷いた。
「あぁ。腹が減った…かも」
「貴方、さっきまであれだけ真剣な話をしていたのに、もう食事のことを考えているの?」
「真剣な話をしたから腹が減ったんだ」
「どういう理屈よ」
「頭を使ったからだ」
「普段使っていないみたいな言い方ね」
「普段も使ってるからな!?」
「では、もう少し使ってから話しなさいよ…」
「はぁぁぁ!?ひどくないか!?」
再び言い合いながら、二人は屋敷の中へ進んでいく。
リアナも笑顔でその後ろへ続いた。
ヴィルは最後に一度だけ、並んで歩く二人の背中を見つめる。
距離は近い。
だが近すぎるわけでもない。
互いに自分の足で立ちながら、それでも同じ方向へ歩いている。
その姿は、ヴィルが願っていたレイズの未来そのものにも見えた。
レイズが一人ではない未来。
迷ったとき、言葉を交わせる者がいる未来。
笑い合い。
ときには遠慮なく怒り。
それでも最後には隣へ戻ってこられる者がいる未来。
「やはり……イザベルなのでしょうか」
誰にも聞こえないほど小さな声で、ヴィルは呟いた。
その言葉が何を意味しているのか。
当然、レイズもイザベルも知らない。
レイズは相談できたことへの感謝が伝わったと思い。
イザベルは祖父がレイズの秘密を隠していた件について、きちんと話す約束ができたと思い。
ヴィルは二人が未来を共に支え合う覚悟を決めたのだと思っている。
それぞれが、まったく異なる理解をしたまま。
誰一人として、そのすれ違いへ正確に気づいてはいなかった。
こうして。
アルバード家の穏やかな夕暮れの中で。
本人たちの知らぬところで、あまりにも大きな誤解だけが、着実に育ち始めていた。




