レイズを助けたかった。
イザベルは微笑みを崩さぬまま、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「最初はね……」
風が草を揺らす。
イザベルは遠くを見つめながら続けた。
「レイズ君が、つらい過去から逃げたくて……記憶を閉じ込めてしまったんだと思ってたの」
フロストバインド。
そう考えれば辻褄が合う。
思い出したくない記憶。
触れたくない過去。
それらを凍らせ、自ら閉ざしたのだと。
「でも……」
イザベルは小さく首を振った。
「そうじゃないって、わかっちゃった……」
そっと視線を落とす。
指先で草を撫でる。
まるで寂しさを誤魔化すように。
「だって、おじいさまが……あんなに嬉しそうにしてたんだもの」
レイズは黙って耳を傾ける。
「最初はね、ただ久しぶりにたくさんお話ができるんだなって思ってたの」
少し笑う。
懐かしい思い出を振り返るように。
「でもね……」
その笑みが少しだけ揺れる。
「話せば話すほど……嬉しいはずなのに、悲しくなってきて……」
言葉が途切れる。
イザベルはしばらく黙り込んだ。
そして。
少しだけ視線を逸らした。
「……レイズ君は」
声が震える。
「もう、どこかへ行っちゃったんだなって」
風に消えてしまいそうなほど小さな声だった。
だが。
その言葉は確かにレイズの胸へ届いた。
深く。
静かに。
突き刺さる。
レイズはふと、ヴィルの言葉を思い出した。
――お前の相談役をよこす。
(……そうか)
胸の奥で何かが繋がる。
(きっと、それがイザベルだったんだな)
ヴィルは気付いていた。
だからこそ託した。
レイズはゆっくりと息を吐く。
そして観念したように笑った。
「……あぁ」
どこか諦めたような声。
「そうか」
空を見上げる。
「イザベルは気付いたか…」
苦笑が漏れる。
「てっきりヴィル…から聞いてると思ってたんだけどな」
その瞬間だった。
イザベルの瞳が揺れる。
「……ヴィル?」
その一言。
たったそれだけだった。
だが決定的だった。
ヴィル。
アルバード家当主。
レイズの祖父。
本来なら。
レイズは『おじいさま』と呼ぶ。
ずっとそう呼んでいた。
それなのに。
今のレイズは自然に『ヴィル』と呼んだ。
そこに躊躇いも違和感もない。
イザベルは静かに目を伏せる。
(やっぱり……)
悲しいほど理解してしまう。
(この人は、わたしの知ってるレイズ君じゃないんだね…)
レイズもまた視線を落とした。
そして静かに告げる。
「俺は……別の世界から来たんだ」
風が止まる。
「気付いたらレイズの体の中にいた」
言葉が重い。
「本当のレイズがどうなったのかは……俺にもわからない」
喉が詰まる。
最後の言葉はかすれていた。
「……ごめん」
沈黙。
草原に静寂が降りる。
そして、ぽたり。
イザベルの瞳から涙が零れ落ちた。
レイズは胸が締め付けられる。
だが。
イザベルは怒らなかった。
責めもしなかった。
「……そっかぁやっぱりかぁ…」
涙を拭いながら微笑む。
「でも、それなら……」
空を見上げる。
どこまでも優しい顔で。
「レイズ君には、その方が良かったのかもしれないね…」
レイズは目を見開いた。
イザベルは続ける。
「あまりにも辛いことが重なりすぎてたから……」
その言葉には実感があった。
ずっと見てきた者だけが持つ重みがあった。
「ずっと心配してたんだぁ…」
そして。
「きっと誰よりも……ヴィルおじいさまが一番」
その言葉にレイズは黙る。
ヴィルの顔が浮かぶ。
厳しい執事長であるヴィル。
誰よりもレイズを想い仕え続けている男。
イザベルは少しだけ躊躇う。
そして尋ねた。
「でも……」
視線を向ける。
「今のあなたを『レイズ君』って呼んでいいのかな?」
レイズは答えに迷った。
本当は違う。
だが。
今さら否定することもできない。
そして何より。
レイズという名前を捨てたくなかった。
「……いいよ」
真っ直ぐ答える。
イザベルの顔がぱっと明るくなった。
「……良かった」
安堵したように笑う。
そして続けた。
「レイズ君」
その呼び方に迷いはなかった。
「あなたが来てから……ここは少しずつ明るさを取り戻してるんだよ」
優しい声だった。
「だって、おじいさまがあんなに喜んでるんだもの」
その言葉には感謝が込められていた。
本心からの感謝が。
しばらくして。
イザベルは改めて尋ねる。
「それで、レイズ君」
「ん?」
「あなたはこの世界で何をしたいの?」
核心だった。
「きっと何か目的があるんだよね?」
レイズは黙り込む。
何のために来たのか。
何を望んでいるのか。
考える。
考える。
そして気付く。
最初から大層な目的などなかった。
ただ。
気になっていた。
レイズという存在が。
チュートリアルで倒されるだけの敵。
誰も見向きもしないキャラクター。
なのに。
どうしても気になった。
知りたかった。
だから。
今の自分に問いかける。
何をしたい?
答えは――
自然に口から出た。
「痩せたい」
イザベルが一瞬固まる。
だがレイズは真面目だった。
そして続ける。
「それと――」
拳を握る。
「レイズを助けたい」
その言葉に。
イザベルは静かに微笑んだ。
少しだけ悪戯っぽく。
「痩せたら……レイズ君は救われるの…?」
レイズは迷わなかった。
「ああ……」
即答だった。
「いくらでも主役になれる奴なんだ」
真っ直ぐ前を見る。
「その本当の姿を見てみたい」
声が震える。
「だから痩せなくちゃいけない」
「チュートリアルで死ぬような奴にはしたくないんだ」
本心だった。
ずっと気になっていた。
どうしても放っておけなかった。
レイズという存在を。
誰にも理解されなかったキャラクターを。
そう考えた瞬間。
涙が滲んだ。
「……なんだか」
小さく呟く。
「可哀想だ」
その瞬間。
ようやく理解した。
なぜ自分がレイズに惹かれたのか。
なぜここまで必死になれたのか。
その理由を。
初めて知った。
そして――
レイズはまだ知らない。
自分がレイズではないことに気付いているのは。
決してヴィルやイザベルだけではないことを。
この世界には。否アルバードでは
既に違和感を覚え始めている者たちがいることを。
その事実を。
この時のレイズは、まだ知る由もなかった。




