本物の執事長 セバス
訓練場。
レイズは全身を震わせながら、必死に木刀を振っていた。
「んぬぬぬぬぬぬぬぅぅぅぅぅ!!!」
「ぬおおおおおおおおお!!!」
訓練場に響き渡る、獣じみた雄叫び。
その姿を、柱の陰からそっと見守るひとりのメイドがいた。
――レイズ様が……こんなに必死に……。
汗で髪が張り付き、顔は真っ赤に染まっている。
まるで脱水で倒れるのではないかと思うほどの姿に、かつての冷徹で無慈悲なレイズの面影はまるでなかった。
ただ、がむしゃらに努力する一人の少年がそこにいるだけだった。
メイドは胸を締め付けられるような思いで見つめていたが、不意にレイズと視線が合ってしまう。
「……っ!」
慌てて目を逸らし、足早にその場を去った。
-
場面は切り替わり、屋敷。
廊下を歩くヴィルの表情は、隠しきれぬほどの喜びに満ちていた。
その姿を見た使用人たちは思わず目を見張り、ざわめく。
「……久しぶりですね」
「当主様が、あんなに嬉しそうにしているなんて……」
皆がそわそわと声を潜める中、リアナが駆け寄ってくる。
「ヴィル様! レイズ様は……!?」
ヴィルは軽く手を振って制した。
「放っておきなさい。それより――今日の夕餉は豪勢にしてください」
リアナは驚きながらも深く頭を下げる。
そしてヴィルは振り返り、背後に控える人物の名を呼んだ。
「……セバス。私と共に来なさい」
「ハッ」
応えたのは、鋭い眼光を隠さぬ一人の男。
背筋は伸び、白髪を整えた風貌は年を重ねてもなお隙がなく、ただ立っているだけで周囲に緊張を走らせる。
その存在感は、まさに執事の鏡。
そう――彼こそが、本物の執事長、セバスであった。
静まり返った廊下を、二人の足音だけが響く。
ヴィルは歩みを止め、背を向けたまま低く告げた。
「……セバス。私は当主を降りる」
セバスの瞳がわずかに揺れた。
だが言葉は発さず、ただ耳を傾ける。
「次代の当主は――レイズを据える」
「……」
短く間を置き、ヴィルは続けた。
「そして私は執事長となる。おまえは、私を補佐せよ」
それはあまりにも唐突で、常識を逸する決定だった。
だが、セバスは何一つ疑問を呈さなかった。
「……ハッ。そのようにいたします」
理由は聞かない。
なぜなら――セバスは長きにわたり、ヴィルという男を誰よりも近くで見てきた。
彼が一度決めたことに、無意味な迷いはないと知っている。
そして、その決断が必ず未来を切り開くものだと信じている。
それがセバスの忠義であり、尊敬の証だった。
そうして、必死に情けない雄叫びをあげているレイズは知らぬまに当主となっていたのだった。