56話:正真証明
ここまで積み上げてきたものが、本物かどうか。
それを問われる段階に入りました。
源蔵からの「未熟」という断言。
そして結界内で蠢く敵勢力。
神宮寺は今、逃げ場のない位置に立っています。
今回のテーマは“証明”です。
血筋でも、才能でもありません。
実戦の中で、結果で示せるかどうか。
四核師という頂点が明確になり、百目鬼の正体が明かされ、世界の天井は一段引き上げられました。つまり、基準が上がったということです。今まで強いと思っていた領域は、実は入口に過ぎなかった。
さらに、気道の血筋も動き始めました。
気道の名が持つ意味は、まだ全ては語られていません。ですが源蔵が反応した時点で、物語は過去の大戦へと接続しています。
源蔵に認められるためではありません。
名藤に勝つためでもありません。
自分自身が、自分の力を疑わないための証明です。
静かな圧の中で始まる戦い。
これは防衛戦ではなく、継承試験。
本当に継ぐ者なのか。
その問いに、答えを出す回になります。
源蔵は静かに輝を見据える。
源蔵「気道の息子や、俺の元で修行しないか?」
広間の空気がわずかに揺れる。
大熊が小さく口笛を吹きかけて止める。
大熊「おっと……」
輝が目を瞬く。
輝「え? 源蔵さんの元で?」
源蔵「そうだ」
簡潔。
揺らぎはない。
四核師直々の勧誘。
その価値の重さを、この場で最も理解しているのは神宮寺だ。
だが、当の本人はまだ実感がない。
輝は数秒黙る。
そして――
輝「ごめんなさい」
空気が止まる。
源蔵の眉がわずかに動く。
源蔵「なんと」
輝は視線を逸らさない。
輝「俺はもういますんで、師匠が」
源蔵「二人取ればいい話ではないか?」
理に適っている。
だが輝は首を振る。
輝「ほんとに有難いとは思います」
その言葉に嘘はない。
輝「あの、俺自身、気道の血ってわかんないですよ」
源蔵の目が細くなる。
源蔵「気道の血が?」
輝は小さく息を吐く。
輝「俺の父さんが何だって話ですよ」
拳が、膝の上でぎゅっと握られる。
輝「俺が知ってる父さんは、何者でもない」
一瞬、言葉を探す。
輝「ただの――」
喉が詰まる。
だが続ける。
輝「家族思いで、ちょっと不器用で、笑うと目がなくなる、普通の親父です」
広間が静まる。
源蔵は黙って聞いている。
輝「戦えたとか、四核師と並んだとか、俺は知らない、俺の中の父さんは、そんなすげぇ人じゃない」
一拍。
輝「だから、“血がどうこう”って言われても、俺、ピンとこないんです」
真鴉が横目で見る。
福留は静かに目を伏せる。
神宮寺は黙っている。
源蔵の視線がわずかに柔らぐ。
源蔵「……なるほど」
低く、落ち着いた声。
源蔵「お前は、気道の名に縛られたくないか」
輝は即答する。
輝「はい」
源蔵「だがな」
源蔵の霊力が、ごく僅かに滲む。
圧ではない。
ただの存在感。
源蔵「血は誇るものではない、背負うものだ」
輝の視線が揺れる。
源蔵「お前がどう思おうと、事実は消えん、が――」
わずかに口角が上がる。
源蔵「それをどう使うかは、お前次第だ」
静寂。
源蔵は椅子に深く腰を預ける。
源蔵「勧誘は撤回せん」
淡々と告げる。
源蔵「気が変われば、いつでも来い」
輝は深く頭を下げる。
輝「ありがとうございます」
神宮寺が横に目線を逸らし言う。
神宮寺「ちっ」
輝が苦笑する。
だが目は、真っ直ぐだ。
源蔵「何者でもない、か」
静かに息を吐く。
源蔵「お前がそう思えるなら、それもまた運命の選択なのだろう」
広間の空気が、少しだけ柔らいだ。
神宮寺は苛立ちを隠さず言う。
神宮寺「親父……勧誘はそれぐらいにしろ」
源蔵は深く息を吐く。
源蔵「はぁ、戦力を増やさんといかんのだ、許せ泰斗」
真鴉がぼそりと呟く。
真鴉「サ〇ケ……?」
福留が即座に小声で制す。
福留「静かにしよ? 真鴉……」
神宮寺が声を張る。
神宮寺「兎に角! こんな事してる場合じゃないだろ」
その通りだ。
結界の奥では、今も小規模な衝突が続いている。
名藤が一歩前に出る。
名藤「こんなことをしている間にも、私の部隊が対応しております、なるべくお急ぎ頂きたいです」
源蔵は立ち上がる。
衣が静かに揺れる。
源蔵「そう急かすな」
そして、視線を神宮寺に向ける。
源蔵「泰斗...お前は俺とこい」
神宮寺の眉が動く。
神宮寺「親父と?」
源蔵は短く答える。
源蔵「見て学べ」
言葉は少ない。
だが重い。
これは同行ではない。
“授業”だ。
名藤が即座に采配を振る。
名藤「私と大熊様が共に行動しましょう」
大熊が頷く。
大熊「了解や」
真鴉が肩を回す。
真鴉「俺は後ろから援護する...前に出るのは少々苦手だ、派手に暴れてやるよ」
名藤「節度を」
即答。
輝が小声で福留に寄る。
輝「俺は福留とか!」
福留は冷静に頷く。
輝がさらに小声で続ける。
輝「闘太は連れてきてる?」
福留「もちろん」
その一言で、輝の表情がわずかに引き締まる。
源蔵が歩き出す。
足音が一定のリズムで響く。
神宮寺も続く。
背中越しに、源蔵が言う。
源蔵「泰斗」
神宮寺「なんだよ」
源蔵「見るだけで終わるな」
神宮寺の目が鋭くなる。
源蔵「俺の動きを、霊の流れを、殺し方を、全部盗め」
静かな圧が前方から滲む。
結界の奥で、何かが動いた。
源蔵の背は大きい。
だが神宮寺は、もうその背をただ見上げるだけではない。
神宮寺「……上等だ」
父と子が、並ぶ。
戦場へ向かって。
源蔵と神宮寺が奥へ消えていく。
残された一同も動き出す。
名藤が、ふと歩調を緩める。
隣を歩く輝へ、静かに視線を向ける。
名藤「旦那様があそこまで気に入るのも珍しい」
声音は穏やかだ。
名藤「私はあなたの父親のことは存じ上げません」
一拍。
名藤「ですが、必ずやその血は助けになると思いますよ」
断言。
慰めではない。
評価だ。
福留が横から淡々と続ける。
福留「四核師に認められたんだ」
目の奥は真剣だ。
福留「今はあれでも、追いついてくるよ。絶対」
輝が眉をひそめる。
輝「慰めてるの? これ」
真鴉が肩を回しながら言う。
真鴉「今は弱いけど強くなるよ、お前は」
輝「え? うん、」
大熊が豪快に笑う。
大熊「とんでもなく弱くても大丈夫や、安心しろ」
どん、と背中を軽く叩く。
大熊「それで仲間が離れたりしないしな」
輝が立ち止まる。
輝「いじめ? これ」
一瞬、沈黙。
そして。
真鴉が吹き出す。
福留も小さく笑う。
大熊は声を上げて笑う。
名藤だけが静かに微笑む。
名藤「違いますよ」
穏やかに言う。
名藤「期待です」
輝は少しだけ照れたように頭をかく。
輝「……なんか調子狂うな」
福留が前を向いたまま言う。
福留「狂ってるくらいがちょうどいい」
輝は息を吐く。
さっきまで胸にあった重さが、少しだけ軽い。
輝「……うるせぇな、もう」
だがその顔は、少しだけ笑っていた。
結界の奥で、爆ぜる音が響く。
神宮寺家総括区域南部。
砕けた石畳。倒れ伏す家政婦たち。
家政婦...北村が歯を食いしばる。
北村「ぐっ……!名藤様が言ってた学生は、まだ来ないのか!?」
中央で、大柄の男が豪快に笑う。
大柄の男「がっは! まだ増えるのか!」
拳を鳴らすたびに空気が震える。
大柄の男「数だけは一丁前にいるんだなぁ!」
その横で、細身の男が肩をすくめる。
細身の男「数で押し切ろうとしてるの見え見え」
指先についた血を払い落とす。
細身の男「もうちょい考えたら?」
もう一人の家政婦...早乙女が後ずさる。
早乙女「なんだよ、こいつら……二人だけで二十人はやられたぞ……」
唇が震える。
早乙女「こんなの、学生が来たとこで期待できないじゃないか……」
大柄の男が一歩、踏み出す。
地面が割れる。
早乙女の目前に立つ。
影が覆いかぶさる。
早乙女「あっ――」
北村が叫ぶ。
北村「避けろッ!」
振り下ろされる拳。
衝撃が来る――はずだった。
鈍い音。
拳が止まる。
大柄の男の腕を、横から掴んでいる巨大な手。
大熊だ。
大熊「……ほう」
軽く捻る。
骨が軋む音。
大柄の男「なにっ!?」
大熊「二人で二十人?」
にやりと笑う。
その背後に、静かに歩み寄る影。
扇子が、ぱちりと開く。
名藤「お待たせいたしました」
穏やかな声。
だが目は冷たい。
細身の男が目を細める。
細身の男「学生...と家政婦総括してる人間か」
名藤「そうですね」
即答。
名藤「ですが。ここは大熊様一人で十分です」
大柄の男が腕を振りほどく。
大柄の男「がっは! 一人だと!?」
地面を蹴る。
突進。
大熊が真正面から踏み込む。
衝突。
石畳が砕ける。
名藤「数で押すのは結構」
微笑む。
名藤「ですが質を誤りましたね」
大熊が豪快に笑う。
南部区域。
戦況は、静かに反転した。
神宮寺家総括区域北部。
血に濡れた砂利。
その中央に、目のない男が立っている。
だが顔は、正確に佐渡部と近侍を捉えている。
目のない男「おい、汚ぇ血出してんじゃねぇよ」
吐き捨てるように言う。
その足元には、深い傷を負った家政婦たち。
家政婦の中でも上位の実力を誇る近侍が、膝をつきながら立ち続けている。
呼吸は荒い。
佐渡部が低く笑う。
佐渡部「近侍がここまで追い詰められてるなんてなぁ」
視線は逸らさない。
佐渡部「強いな、お前」
目のない男が鼻で笑う。
目のない男「弱い人間は必要以上に音を出す」
首をわずかに傾ける。
目のない男「てめぇらは音だらけなんだよ」
耳が微かに動く。
目のない男「弱点も、動きも、全て読める」
自信。
絶対の感覚。
だが。
その男が饒舌に語る間。
近侍と佐渡部の視線は、別の場所へ向いていた。
少し離れた屋敷の屋根。
瓦の上。
何かがいる。
目のない男は気づいていない。
真鴉「吹っ飛べよぉ!」
乾いた破裂音。
目のない男の身体が反射で動く。
弾丸が空気を裂く。
寸前で軌道が変わった。
肩を抉る。
目のない男「ぐっがぁ!」
血が飛ぶ。
地面を転がる。
即座に体勢を立て直す。
呼吸を整える。
目のない男「スナイパー……?弾が動いた気がする、」
耳が周囲を探る。
目のない男「いやしかし、俺は二キロ先までも観測できる」
低く唸る。
目のない男「その区間にはいないはず……高性能ライフルなのか……?」
その瞬間。
背後に、気配。
目のない男のすぐ後ろ。
柵の上に、真鴉が腰を下ろしている。
ライフルを肩に担いだまま。
近侍が目を見開く。
近侍「え? いま、見えなかった……」
息を呑む。
近侍「いつの間にそこにいたんだ?」
目のない男は気づかない。
必死に遠距離を探っている。
目のない男「どこにいる……」
歯を食いしばる。
目のない男「スナイパーは面倒だな」
佐渡部が低く呟く。
佐渡部「気づいていない……?」
真鴉はにやりと笑う。
足をぶらつかせる。
佐渡部「気配を消せる……相当な手練だ」
真鴉が銃口を、至近距離で下ろす。
真鴉「二キロ?」
囁く。
真鴉「目の前は盲点か?」
引き金に指がかかる。
北部の空気が、張り詰めた。
神宮寺家総括区域東部。
異形が暴れている。
四本の腕を持つ巨躯。
関節が逆に折れ、爪が石を抉る。
その背後で、女が指先をくるくると回している。
操っている女「四核師の領地って聞いて、下着気合い入れてきたのにぃ」
舌足らずな声。
操っている女「弱い、弱すぎるわぁ」
視線の先。
家政婦育成隊長――剩が膝をつきながらも立ち続けている。
額から血。
呼吸は荒い。
だが目は死んでいない。
異形の腕が振り下ろされる。
剩が霊符で受ける。
衝撃で地面が割れる。
少し離れた影の中。
福留と輝が様子を窺っている。
輝が小声で言う。
輝「俺行けない、福留頼む」
福留「任せろ」
輝が続ける。
輝「闘太出してみて」
福留は頷き、服の内側から小さな影を取り出す。
闘太「わん!」
小さな犬。
だが目は鋭い。
輝がしゃがみ、闘太の頭を撫でる。
輝「闘太……福留と戦ってくれ」
闘太の目が変わる。
命令を理解した。
次の瞬間。
骨が軋む音。
体が膨張する。
筋肉が盛り上がり、牙が伸びる。
唾液が滴る。
低い唸り。
福留が観察する。
福留「わかってたけど……こんなことも出来るんだね」
輝が息を整える。
輝「うん」
一拍。
輝「主従関係を福留に譲渡する」
輝の身体が淡く発光する。
光が線となり、福留へと流れ込む。
福留の視界が一瞬、拡張する。
鼓動が重なる。
闘太の感覚が、流れ込む。
地面の振動。
血の匂い。
風の流れ。
福留が小さく息を吐く。
福留「……なるほど」
闘太が福留の横に立つ。
完全に従属対象が切り替わった。
輝の光が消える。
少しふらつく。
その瞬間。
異形の腕が再び振り下ろされる。
剩が受けきれない。
福留が影から踏み出す。
闘太が地面を蹴る。
爆発的な速度。
異形の側面に爪が食い込む。
操っている女が初めて眉を動かす。
操っている女「え?」
福留が静かに告げる。
福留「お前の相手は俺だ」
目の奥が冷える。
女の足元へ、石片が弾かれる。
闘太の咆哮が庭園に響く。
闘太は異形と戦闘。
福留は女と戦闘。
東部も戦局が、動き出した。
神宮寺家総括区域西部。
源蔵は音を殺すこともなく、石畳を踏み鳴らすように歩いている。
闇の中、その足取りは隠れる気配すらない。
神宮寺「堂々としすぎじゃねぇか?」
既に周囲には気配が渦巻いている。
数人――否、数十人。
建物の影、屋根の縁、瓦礫の上。
完全に囲まれている。
源蔵「泰斗……対面した瞬間に相手の技量を見るのも必要な能力だ。どうだ?こいつら一人で倒せるか?」
神宮寺「当たり前だ。これぐらい楽勝だ」
源蔵「そうか」
一歩、前へ出る。
重心を落とし、ゆっくりと腰を下ろす。
その瞬間――
世界が、粘ついた水の中へ沈んだように鈍化する。
神宮寺「初っ端から能力使うのか」
源蔵の能力。
半径二十メートルの事象を減速させる。
意識は保たれたまま、肉体だけが意に反して遅延する。
迫る刃。跳躍する影。飛び散る砂塵。
すべてが、止まりかけの時計の針のように緩慢になる。
源蔵は静かに妖力を収束させる。
空間に淡い光が走り、刀が形成される。
柄に手を置き、目を閉じる。
――抜刀。
ほんの僅か、刀身が鞘から離れた瞬間。
源蔵は目を開く。
空間に、見えない一筋が走る。
音もない。衝撃もない。
ただ、斬撃の軌跡だけが存在する。
刀を納める。
源蔵「泰斗……能力はいつ開花するか分からない。ふと開花する。逆も然り……なかなか出てこない奴もいる」
ゆっくりと、遅延が解けていく。
源蔵「お前はどっちだ?自分で選べ」
次の瞬間。
囲んでいた者たちの体に、遅れて線が走る。
血飛沫も叫びもなく。
全員が、同時に崩れ落ちた。
神宮寺「……」
静寂だけが残る。
西部の夜風が、ようやく本来の速度で吹き抜けた。
南部にて。
名藤「大熊様、お見事でございます」
大熊「ありがとさん」
薄暗い街灯の下、大熊の足元には巨躯の男が仰向けに倒れている。白目を剥き、泡を噛み、完全に意識を失っていた。周囲に漂う緊張はまだ解けていない。
その背後――
細身の男が、音もなく距離を詰める。
刃が月光を反射し、大熊の首筋へと突き立てられる――
だが。
次の瞬間、空気が弾けた。
視認できぬ速度。
細身の男の鳩尾に、圧縮された砲弾のような打撃が叩き込まれる。
細身の男「ぎゅぉうえぇ!」
身体がくの字に折れ、そのまま地面へ叩きつけられる。
一度、二度、三度。
石畳に何度も身体を打ち付けながら、無様に転がっていく。
ナイフは宙を舞い、乾いた音を立てて遠くへ滑った。
大熊は首をぽりぽりと掻き、振り返る。
大熊「物騒やなぁ。ちゃんと順番守れっての」
名藤は静かに息を吐き、周囲を警戒する。
名藤「まだおります。足音が三方向から」
闇の奥で影が揺れる。
大熊はゆるく肩を回し、拳を鳴らす。
大熊「よし、まとめて来い。今日はちょいと運動不足でな」
その声音は、おっとりとしている。
だが次の一歩は、地面を沈ませるほど重い。
五人を同時に相手取りながら、大熊は一歩も引いていない。
拳が振るわれるたびに空気が鳴り、肉が軋む音が遅れて届く。巨体に似合わぬ踏み込みの速さ。受け止めた腕ごと相手を弾き飛ばし、蹴りで足元を払う。
一人、また一人と崩れ落ちていく。
北村はその光景を呆然と見つめ、隣の名藤に小声で問う。
北村「名藤様……ほんとにあの人、学生ですか?」
名藤は視線を外さず、静かに頷く。
名藤「はい。正真正銘、学生でございますよ」
早乙女が息を呑む。
早乙女「どこの学校ですか?」
名藤「禍津学園でございます」
その名が落ちた瞬間、二人の表情が固まる。
北村「禍津学園って言えば、百目鬼白哉のとこだよな……」
その名を口にするだけで、空気が一段重くなる。
禍津学園――武闘派で名を馳せる名門校。
早乙女は小さく頷く。
早乙女「それなら……強いのも納得だ」
遠くで、最後の一人が地面に叩き伏せられる。
大熊は肩を回しながら振り返る。
大熊「ん?終わったぞー。次、どこ行けばいい?」
息は乱れていない。
名藤はわずかに口角を上げる。
名藤「南部は制圧完了です。ですが、本命はこれからでございます」
倒れ伏した男たちの向こう、暗がりの奥。
空気が、わずかに震える。
肌にまとわりつくような圧。重く、濃い妖力がゆっくりとこちらへ滲み出してくる。
大熊は首を鳴らし、視線を細める。
大熊「ボスのお出ましか?」
名藤は一歩前へ出て、目を閉じる。風の流れ、地の震え、霊脈の揺らぎを読む。
名藤「……いえ」
その声は低く、慎重だ。
名藤「これは、ボスではございません。しかし——」
妖力が一段、強く脈打つ。
北村と早乙女が思わず身構える。
名藤は目を開き、暗闇を真っ直ぐ射抜く。
名藤「侮ってはならぬ相手のようでございます」
地面に落ちていた小石が、かすかに跳ねる。
次の瞬間。
闇の奥から、ゆっくりと足音が響いた。
一歩。
また一歩。
姿はまだ見えない。
だが、その存在だけで空気が軋む。
大熊は口元を歪める。
大熊「へぇ……面白ぇじゃねぇか」
拳を握る音が、静寂の中に響いた。
鉄骨が軋み、粉塵が舞う。
歪んだ月明かりの下、四本腕の異形が唸り声を上げる。筋肉は膨れ上がり、皮膚の下を妖力が蛇のように走っている。
その巨躯の前に立つのは、一人の女。
焦点の合わぬ瞳。だが、その動きは鋭い。
背後、瓦礫の上に立つ福留が、静かに指を鳴らす。
福留「……右腕、」
一閃。
闘太の鋼をも断つ衝撃が、異形の右上腕を弾き飛ばした。
異形は三本の腕で反撃する。地面が砕ける。
福留「膝だ」
次の瞬間、蹴撃が異形の膝関節を逆方向に叩き折る。
四本腕の異形は、明らかに押されていた。
闘太「ぐがぁぁぁ!」
異形は残る腕を振り回し、暴風のように瓦礫を撒き散らす。
それでも。
福留は一歩も動かない。
福留「終わらせろ」
闘太の拳が、異形の喉元へ深くめり込む。
衝撃波。
巨体が崩れ落ち、地面を抉る。
沈黙。
砂煙がゆっくりと晴れていく。
四本腕の異形は、完全に制圧されていた。
福留はゆっくりと瓦礫から降りる。
おっとりとした足取り。だが、その目だけが冷たい。
倒れ伏す闘太の前で立ち止まり、わずかに首を傾げる。
福留「……闘太」
優しい声音。
福留「少し、暴れすぎたね!」
闘太の荒い呼吸だけが、夜に響いていた。
粉塵の中、四本腕の異形が膝をつく。
その背後で、術式の紋様が宙に揺らめく。
操っている女「なんなのよ! あんた達! リストに載ってなかったわよ!」
女の声は震えている。
対する闘太は、低く唸り声を上げたまま立ち塞がる。赤い眼光が、標的を捉えて離さない。
福留は一歩前へ出る。
福留「……リスト?」
おっとりとした声音。だが目だけが笑っていない。
女の指先が強張る。空間に浮かぶ術式がわずかに乱れる。
そのとき。
瓦礫を蹴り飛ばす音。
後方から駆け込んでくる影。
輝「終わった?」
息一つ乱れていない。
視線はすぐに状況を把握する。
四本腕の異形は半壊状態。
闘太はいつでも飛びかかれる体勢。
女は明らかに焦っている。
福留は肩をすくめる。
福留「いや、まだ少し残ってる」
輝は小さく舌打ちする。
輝「お前“リスト”って言ったな」
視線が女を射抜く。
輝「誰に命令されてる?」
女の喉が鳴る。
四本腕の異形が、最後の抵抗のように腕を地面へ叩きつける。
衝撃。
砂埃が舞い上がる。
闘太が、前傾姿勢になる。
次の瞬間が、均衡の崩れる瞬間だった。
砂埃が視界を覆う。
次の瞬間――
鈍い衝撃音が三度、連続で鳴った。
ドン、ドン、ドン。
輝の身体が後方へ弾き飛ばされる。
輝「……っ」
肺から強制的に空気が抜ける音。
血が口端から飛び散り、そのまま地面へ叩きつけられる。
瓦礫を滑り、止まる。
まだ砂埃は晴れない。
その向こうに、揺らめく影。
福留「輝ッ!」
声が一段低くなる。
福留の足が一歩出るが、その前に巨体が割り込む。
狼男――闘太。
福留を背に庇う。
喉奥から、地鳴りのような唸り。
福留は歯を食いしばる。
福留「気をつけろよ闘太!」
砂煙の奥。
ゆっくりと、足音。
コツ、コツ、と硬質な音が響く。
女の操る四本腕の異形は、既に崩れ落ちている。
だが――それとは別の存在。
細い腕が、砂の中から現れる。
輝を三発で沈めた“何か”。
低い笑い声が、空気を震わせる。
???「……予定外だな」
闘太の赤い瞳が、完全に獣のそれへと変わる。
福留の額を、汗が一筋伝った。
砂埃の奥から、低く嗤う声。
???「四核師を生け捕りにするだけでいいんじゃねぇのかよ……こんなガキまで寄越すレベルで四核師は焦ってんのか?」
ゆっくりと現れる輪郭。
異様に整った体躯。だが肩口の奥で、脈動する“何か”が蠢いている。
闘太が牙を剥く。
低い唸りが、地面を震わせる。
福留は一瞬だけ輝を振り返る。
血の跡。呼吸は浅いが、まだ生きている。
福留「……闘太。ここは頼めるか?」
狼男が振り向く。
赤い瞳が福留を見据える。
闘太「ウゥ!」
短く、強い肯定。
そのまま前脚を踏み込み、敵へと向き直る。
姿勢が変わる。
守りから、狩りへ。
福留はそれを確認すると、踵を返す。
瓦礫を跳び越え、全力で駆ける。
福留「輝! しっかりしろ!」
膝をつき、輝の身体を支える。
胸元が赤く染まっている。
肋骨付近を正確に三撃。
急所を外している――
福留「……捕獲前提の打撃だ。」
小さく呟く。
その背後で、爆発的な衝撃音。
闘太が地面を蹴った音だ。
次の瞬間、金属が軋むような打突音が響く。
???「へぇ……犬か」
闘太の咆哮が、夜を裂いた。
砂埃がゆっくりと晴れていく。
最初に視界へ映ったのは、だらりと垂れ下がる闘太の腕だった。
次の瞬間。
重い音と共に、闘太の身体が福留の足元へと投げ捨てられる。
地面に叩きつけられた衝撃で、闘太の身体が縮んでいく。骨格が歪み、毛が逆立ち、やがて――犬の姿へと戻った。
福留「闘太!」
駆け寄る福留の声が震える。
砂煙の奥。
そこに、ひとりの男が立っていた。
顔には白い狐の面。感情の読めぬ笑みを象った和面が、異様な静けさを漂わせる。
狐面「同じ犬科だから、ちょっと心が痛いよ」
淡々とした声音。冗談のようで、冗談ではない響き。
福留「なんだ? お前は……」
狐面「知る必要ないと思うよ。君の仲間もね」
その言葉と同時に、空気が凍りつく。
まるで“選別”を告げる宣告のように。
――北部
真鴉は目のない男を制圧し終え、震える家政婦たちへ応急処置を施していた。
そのとき。
ぞわり、と背筋を這う悪寒。
鳥肌が立つ。
何かがいる。
視線を向けるよりも早く、真鴉の妖力が形を成す。
蒼い光が収束し、長身のライフルへと変貌する。
佐渡部「真鴉さん……?」
真鴉「何かいる……!」
空気が歪む。
次の瞬間、奥から拍手の音が響いた。
???「へぇ、気配消してたんだけど。まじかぁ、まじ? まじなんだよなぁ、すご! すごいね! すごすぎるよ!」
軽薄な歓声。
暗がりから姿を現したのは、和服姿の男。
顔には赤黒い般若の面。
笑っているのか、怒っているのか分からぬその面が、灯りを反射して不気味に光る。
般若面「やっぱ“禍津学園”は違うなぁ」
真鴉の指が引き金にかかる。
空気が、張り裂ける寸前まで張り詰めた。
般若面の男が、ゆっくりと近づいて来る。
二本のククリナイフを空中へ放り投げ、まるでお手玉のように軽やかに遊んでいる。刃が月光を反射し、不規則にきらめく。
般若面「銃使いなのかぁ、そうなのかぁ、そうなんだよなぁ」
真鴉「癖つぇな、なんなんだお前は」
般若面「近距離と遠距離…どっちが強いと思う?」
真鴉「遠距離だろ」
般若面「そうなのかなぁ、そうかも、そうだよなぁ」
近侍「うるせぇやつだな」
般若面「正解はぁ〜」
真鴉が般若面を見ている。
見ていた。確実に。ずっと。目を離さず。
――気づけば。
般若面が目の前に立っている。
真鴉「は?」
空気が裂ける音。
何筋もの斬撃が一瞬で走る。
真鴉の足、手、腹、首、顔――至る所に切り傷が浮かび上がる。遅れて血が滲む。
真鴉「ぐはっ!」
般若面「どっちでもなぁ〜い! 強いやつが使えばそっちが強くなる! 単純だぁ!」
刃が再び弧を描く。
血が地面に点々と落ちる。
北部の夜に、不気味な笑い声だけが響いた。
般若面が、ククリナイフに付着した血を無造作に振り払う。刃先から飛び散った赤が、夜気に細かく霧散する。
佐渡部「真鴉さん!」
駆け寄ろうとした、その瞬間。
佐渡部の首筋に、細い線が走る。
真鴉の前方に立っていたはずの般若面が、いつの間にか佐渡部の背後にいる。
佐渡部「え?」
遅れて、裂ける音。
次の瞬間、首元から噴き出す鮮血。佐渡部は自らの状況を理解する間もなく、力を失い、その場に崩れ落ちる。地面に広がる赤が、静かに温度を奪っていく。
近侍「この野郎ォオ!」
怒号と共に、近侍が刀を振り下ろす。鋭い一閃。
真鴉は全身に走る激痛に顔を歪めながらも、ライフルを構える。照準は――般若面の背後。
引き金を引く。
バンッ、と乾いた銃声。
般若面は近侍の刀をククリナイフで受け止める。火花が散る。続けざまに鳩尾へ蹴りを叩き込み、近侍の体を後方へ吹き飛ばす。
そのまま流れるように振り返り、迫る弾丸へと刃を振るう。
だが――
その瞬間。
ぼうっ、と。
真鴉の身体を黒炎が包み込む。空気が震え、周囲の温度が歪む。
般若面「おっと…」
弾丸が、軌道を逸らす。
斬るはずだった弾は、まるで意思を持つかのように横へと滑り、ククリナイフは虚空を切る。
般若面「弾丸が動いた…そうかぁ、それがお前の能力かぁ」
真鴉は血を吐きながら、口角をわずかに上げる。
真鴉「ははっ、地味だろ?」
バンッ、バンッ、バンッ――。
立て続けに三発。
発射の反動に、真鴉の肩がわずかに揺れる。
だが、放たれた弾丸はどれも般若面の寸前で軌道を逸らす。
先ほどの一弾と合わせ、四つ。
四発の弾丸が、まるで衛星のように般若面の周囲を旋回する。
般若面「確かに地味ィ。だけど、めんどいね!」
ククリナイフを握る両腕を交差させる。刃が鈍く光る。
腰を深く落とし、重心を地に沈める。
一度、視線を足元へ。
静かに、深く、呼吸。
吸って――吐く。
次の瞬間。
般若面は正面を向く。
面の下、わずかに覗く口元が吊り上がる。
腰を落としたまま――
消える。
否、見えない。
空間が裂ける音だけが、遅れて響く。
四方八方へ、不可視の斬撃が奔る。
キンッ、キィン、と甲高い破断音。
旋回していた四発の弾丸は、すべて正確に両断され、地面へと無力に落ちる。
壁に叩きつけられていた近侍の身体にも、遅れて線が走る。
数か所、浅く裂ける。血が滲む。
真鴉の頬、腕、脇腹にも同様に赤い筋が浮かぶ。
地面が割れ、壁が抉れ、周囲一帯に無数の斬痕が刻まれる。
静寂。
般若面は、ゆらりと姿勢を戻す。
般若面「数で押し殺せば無意味なんだよね」
真鴉の呼吸が、浅くなる。
肌を撫でる殺気の質が違う。
これまで対峙してきた敵とは、根本から次元が異なる。
視線を上げる。
般若面の身長は、自分とさほど変わらぬはず。
だが――
真鴉の目には、山のように巨大に映る。
圧。
存在そのものが、空間を支配している。
真鴉の喉が、ひくりと鳴った。
真鴉「……っ」
南部……。
奥の方から、じわりと伝わる感覚。
胸の奥を鈍く打つような、重い波。
ドンッ。
ドンッ。
地面が、わずかに震える。
大熊「なんかを叩く音か?」
名藤「いえ……これは……歩く音?」
暗闇の奥。
影が、膨らむ。
一歩。
また一歩。
現れたのは――
大熊の一回り、いや、二回りはあろうかという巨躯。
肩幅は異様に広く、腕は丸太のように太い。
ただ立っているだけで、空気が押し退けられる。
顔には隈取の面。
白と紅の模様が、闇の中で不気味に浮かび上がる。
その存在が、空間の温度を変える。
圧倒的な威圧感。
巨躯の男は、何も言わない。
ただ、低く、ゆっくりと息を吐く。
ドン――。
その足が止まった瞬間、床が軋んだ。
大熊「でっか!」
思わず漏れた声が、わずかに裏返る。
名藤「大熊様……ここからは私も……」
大熊「あぁ、頼むわ!」
二人が同時に構える。
重心を落とし、視線を巨躯へ固定。
そのとき。
隈取の面の後ろから、ひょこ、と小さな影が顔を出す。
小面の面をつけた、小柄な少女。
小面面「クマドリ!クマドリ! 大きいね! あのひと!」
隈取面「俺よりはちっちぇがな」
大熊「ちょいムカつくなぁ」
隈取面「勝手にムカつくなや」
大熊「関西弁……お前どこのもんや」
隈取面「大阪や」
大熊「同じく大阪や」
一瞬の沈黙。
名藤「……いまどうでもよくないですか? それ」
小面面「クマドリ! クマドリは大阪好き?」
隈取面「あぁ好きだよ」
小面面「え!? 好きってわっちのこと!?」
隈取面「小面も好きだが、今は大阪が好きって話だろうが」
小面面「えへへ〜」
場違いなほど緩い空気。
だが、その背後にある圧は消えていない。
大熊は眉をひそめる。
大熊「なんやこいつら……調子狂うわ」
軽口を叩きながらも、隈取面の立ち姿は微動だにしない。
小面面の足元の影が、じわりと揺れる。
ふざけているようで――隙がない。
名藤の指先が、わずかに震える。
名藤(……この二人、ただ者ではない)
隈取面「小面……あのデカブツは任せてくれ」
低く、しかし確信に満ちた声。
小面面「もちろん! じゃあ私はあの隙のないやつを!」
隈取面「決して油断すんなよ。あいつはリストにあった、家政婦を総括してる名藤だ」
小面面「えぇ!? あれが名藤!? ちょっと期待はずれ……」
名藤「そうですか……では、評価を覆して差し上げますよ」
声音は穏やか。
だが、視線は刃のように鋭い。
大熊「隈取は俺とか! よっしゃ」
自身の拳と拳を、強くぶつける。
骨の鳴る音が響く。
大熊「かかってこい! 肉弾戦や!」
隈取面が、ゆっくりと腕を回す。
巨躯が沈み、地面が軋む。
次の瞬間――
ドンッ!!
二人が同時に踏み込み、正面から激突。
拳と拳。
肩と肩。
武器も能力も使わない、純粋な体の衝突。
衝撃波のような風が周囲を薙ぐ。
大熊「っ……!」
隈取面「はっ!」
鈍い打撃音が連続する。
一方――
名藤が静かに構える。
呼吸を整え、視界を狭める。
小面面が、へへぇ〜と笑いながら、ふらりと揺れる。
酔っているかのような、不規則な足運び。
一歩。
二歩。
ぐらり、と体が傾い――
消えた。
名藤「ッ!」
反射的に首を捻る。
横。
視界の端。
風が裂ける音。
――蹴り。
間一髪、身を沈める。
足先が髪を掠める。
小面面「今の避けるんだ!? さっすがぁ!」
着地と同時に、くるりと回転。
小柄な体からは想像できぬ速度。
名藤は距離を取り、冷静に分析する。
名藤(速い……だが、速さだけではない。軌道が読めない)
小面面が、面越しに首を傾げる。
小面面「ねぇ名藤〜、どこ見てるの?」
声は前方。
だが――
背後に、気配。
名藤の瞳が、鋭く細まる。
――バコンッ!!
骨に響く、重い打撃音。
名藤の視線が、ほんの刹那そちらへ流れる。
大熊が、顎にまともな一撃を受けていた。
隈取面の拳が、下から突き上げるように叩き込まれている。
大熊の巨体がぐらりと揺れる。
焦点の合わぬ目。
脳が揺さぶられた証。
膝が折れ、倒れかける。
名藤「大熊様ッ!」
その瞬間。
耳元で、甘い声。
小面面「だめじゃん!」
名藤の肩に――
まるで肩車のように、小面が乗っている。
名藤「いつの間に!」
小面面「よそ見しちゃ」
太ももが、するりと首へ絡みつく。
次の瞬間、体が反転。
重心を奪われる。
視界が天地逆転する。
名藤(しまっ――)
小面が腰を捻る。
遠心力。
名藤の体が弧を描き――
ドォン!!
頭から地面へ叩きつけられる。
石畳に亀裂が走る。
名藤「ぐふぉ!」
肺の空気が一瞬で抜ける。
視界が白く弾ける。
だが。
名藤の指が、小面の足首を掴んでいる。
離していない。
小面面「あれ?」
逆さまのまま、名藤が低く息を吐く。
名藤「……油断しているのは、どちらでしょう」
指に力がこもる。
小面の足首が軋む。
大熊の体がぐらりと揺れる。
白目が、一瞬だけ剥き出しになる。
だが――
ギリッ。
歯を食いしばる音が、はっきりと響く。
血走った黒目が、ゆっくりと戻る。
大熊「気合い!気合いィィ!!」
ドンッ!!
大熊が足を地面に叩きつける。
石畳がひび割れ、粉塵が舞い上がる。
その巨体から、ぼうっと霊力が噴き出す。
橙色。
炎のような霊気が全身を包み込む。
熱気が周囲を歪ませる。
隈取面の面の下。
閉ざされていた目が、ゆっくりと開かれる。
わずかな光が宿る。
その刹那――
ドゴッッ!!
空気が爆ぜる。
大熊の拳が、一直線に突き刺さる。
隈取の頬へ。
骨と骨がぶつかる鈍い衝撃。
衝撃波が横へ走り、地面の砂塵が弧を描いて吹き飛ぶ。
隈取の顔が横へ弾ける。
炎に包まれた大熊が、低く唸る。
大熊「まだ終わっとらんぞぉ……!」
橙の炎が、さらに強く揺らめいた。
隈取面「霊装かッ!悦べ!」
隈取面の全身から、ぶわりと霊気が噴き上がる。
橙色の炎。
大熊と同じ色。
空気が震え、熱が押し広がる。
大熊「なっ!」
隈取面「霊力解放ォッ!! 一段階目ェッ! 霊装ッッ!」
炎が渦を巻き、隈取面の輪郭を飲み込む。
奇しくも――
同じ色の炎が、二つ
真正面で燃え上がる。
大熊が口角を吊り上げる。
大熊「久しぶりに楽しくなってきたわ!」
ビリッ!!
上衣を掴み、そのまま引き裂く。
布が裂け、筋肉の隆起が露わになる
橙の炎が、剥き出しの肉体をなぞるように走る。
隈取面も、喉の奥で笑う。
隈取面「同じく!」
バサッ!!
衣服を引きちぎる。
焼け落ちる布片が、炎に巻かれて宙を舞う。
二人。
裸身に近い戦闘態勢。
同色の炎がぶつかり合い、火花のような霊圧が弾ける。
地面が軋む。
空間が唸る。
大熊が拳を握る。
隈取面も構える。
西部にて。
源蔵「各所にデカイ妖力……南と北では霊力も感じられる」
風が止まる。
遠くで瓦礫が軋む音だけが残る。
神宮寺「親父……他のとこに助太刀しにいくのか?」
源蔵は首を横に振る。
源蔵「いや、ここはここで本命がいる」
視線をゆっくりと、正面の古びた建物へ向ける。
崩れかけた外壁。 割れた窓。 だが――内側から、確かな“気配”。
その時。
建物の影から、ぬっと突き出たもの。
天狗の面の――長い鼻。
瞬間。
す、と。
世界の色が落ちる。
光が沈み、音が遠のき、周囲が墨を流したように暗くなる。
源蔵「ん? 泰斗?」
反射的に後ろを振り返る。
そこにいたはずの神宮寺の姿が、ない。
代わりにあるのは、圧し潰すような静寂。
風も、匂いも、地面の感触すら希薄。
真っ暗な、何も無い空間。
源蔵の足音だけが、やけに響く。
源蔵(飛ばされた……? 結界か、それとも空間転移か……)
思考を巡らせた、その刹那。
――ポン。
弦を弾く、乾いた音。
続いて。
ツゥン……ツン……。
三味線。
どこからともなく、一定の間で鳴る。
源蔵は目を細める。
音は近い。
だが、姿は見えない。
暗闇の奥で、気配が笑った気がした。
源蔵「……趣味の悪い歓迎だな」
三味線の旋律が、ゆっくりと早まる。
闇が、脈打つ。
音が、唐突に止まる。
同時に、ぽう、と灯りがともる。
源蔵の周囲を囲むように、鳥居が立っている。
八基。
円環を描くように整然と並び、赤ではなく、闇に沈んだ朱色を帯びている。
灯りはそれぞれの根元から立ち上がり、ゆらりと揺れていた。
源蔵「鳥居……随分とまぁ和風な能力持ちで……」
西部にて。
源蔵が鳥居を見ている。ひとつの鳥居の奥に神宮寺が見えた。
源蔵「泰斗...無事か」
神宮寺に手を伸ばす。左手が鳥居をくぐった瞬間――シャン、と鈴の音が鳴る。くぐった手首が消えた。源蔵は咄嗟に後ろに下がった。
源蔵「なんだこれは...痛みはあるが血が出ない...幻影か?だが、リアルすぎる...」
鳥居の向こうにいた神宮寺が呟く。
神宮寺「流石四核師...こんなもんではないか...」
その姿は奥へと消えていく。
源蔵「なるほど、これは、高度な能力使いか...まずいな」
別の鳥居に源蔵の奥さん……泰斗の母親が現れる。
源蔵「次はお主か…」
と、妖力で作り出した刀を鳥居に投げる。
刀が通った瞬間、ふっと消える。
源蔵「鳥居をくぐると消える……ってことか……泰斗は無事なのか...?」
ーーーーーーー
神宮寺「親父?」
天狗が鼻を見せた瞬間、源蔵が動かなくなる。目に生気がない。
天狗面「すまないが、そいつは俺の作った仮想世界に行ってもらっている」
神宮寺「親父を狙っての行動だな?」
刀を生成し、構える。
天狗面「そんな身構えんな。そいつは生け捕りにするだけだ。俺はお前らに危害を加える気は無い」
神宮寺「そうか……なら渡してやる……とでも言うと思ってるのか?」
天狗面「それも想定済みだ……抵抗するなら、お前も行けばいい」
天狗面が空中に鳥居を描く。その瞬間、神宮寺も源蔵と同じ空間へと引きずり込まれる。
違うところは、互いが別々の空間にいるということだ。
真っ黒で、底も天も判然としない空間。何もない闇の中に、鳥居が八基、円を描くように並んでいる。
天狗面「うーん...」
次の瞬間、源蔵の左手首が音もなく消える。
天狗面「おっ!鳥居くぐったな?どうなってるか見に行くとするか」
鳥居がゆらりと歪む。
ーーーーーーー
幾重にも連なる鳥居の内側。空気は重く、天井は異様に低い。
源蔵「鳥居を切ろうとしても切れない...上に上がろうとしても天井が近い...詰みか」
消えた左手首の先に鈍い痛みが残る。だが傷口は存在しない。源蔵は一度目を閉じ、状況を整理する。
その時、頭上から声が落ちてきた。
天狗面「苦戦してるね」
源蔵「ここの主か...多方俺を攫うための攻撃だろうな殺そうと思えばいつでも殺れるからな、この能力なら」
天狗面「流石だな四核師...状況判断に長けている」
源蔵「年の功だよ」
鳥居の柱に影が伸びる。天狗の面だけが闇に浮かび上がる。
天狗面「俺はお喋りが好きでな...お前が嫌というまで話を聞いてもらう」
源蔵「好きにしろ」
天狗面は肩を竦めるように首を傾ける。
天狗面「俺の能力は守るものが多ければ多いほどより強固なものとなる...」
源蔵「なるほどな」
空間がわずかに軋み、鳥居が重なり合う。
天狗面「神宮寺源蔵...お前は守るものが多すぎるせいで負けるんだ」
源蔵は静かに息を吐く。
源蔵「守るものがあるから強くなれるんだ知らないのか?」
天狗面「確かにそれはそうだ、そこは認める...守るものがあるから強くなれる...守るために力をつけようとするからな...」
鳥居の影がわずかに揺らぐ。低い声が、空間全体に染み込む。
天狗面「だが、守るものがあるからこそ弱くなる...人間は守るものを傷つけようとするとすぐ弱みを見せる」
源蔵は黙って聞いている。消えた左手首の先に残る鈍い痛みが、現実感を保たせる。
天狗面「迷いが生まれる。焦りが生まれる。冷静さが削られる。それが綻びだ」
鳥居の一本が、ぎしりと軋む。
天狗面「お前ほどの男でも例外じゃない。守る対象をちらつかせれば、必ず思考が揺れる」
源蔵の目が、静かに細まる。
天狗面「強さの源は同時に弱さの種だ。だから俺の術は強固になる...守るものが多いほどな」
空間が重く沈み込む。
天狗面「口では何を言おうが心の底は嘘をつかない...」
闇の奥で、天狗の面がわずかに傾く。
天狗面「お前の息子も、お前の女も、お前の家政婦も、全てがお前の綻びとなる、守ると誓った瞬間から、そこは急所になる。お前は強い。だが、急所が多すぎる」
空間がわずかに縮む。
天狗面「どれか一つでも揺らせば、お前の思考は乱れる。乱れれば、この能力はより強固になる」
源蔵は無言で立っている。
天狗面「強さと弱さは表裏一体だ、神宮寺源蔵。お前はその両方を抱えすぎた、俺とお前は相性抜群だ! 良くも...悪くもな...!」
鳥居の影が歪み、空間がわずかに脈打つ。
源蔵「かもな、俺の心を覗いてくるお前は、相性いいのかもな...だが、俺が言うのもなんだが俺の息子はまだ何も抱えちゃいない...お前とは相性悪いな」
その瞬間――
現実世界の方で、天狗面の身体が斬られる。
裂ける音。
妖気が散る。
天狗面「くそっ!」
鳥居が揺らぎ、結界が軋む。
天狗面は能力から強制的に離脱し、現実世界へと戻り、数歩後ろへ下がる。
そこに立っていたのは――
源蔵と同じく仮想世界に送ったはずの、神宮寺 泰斗だった。
天狗面「なぜ戻ってこれた!?」
神宮寺「なぜ、もなにも、普通に...」
天狗面が神宮寺の内を覗く。守るものの核を探る。
沈黙。
そして、面の奥で目が見開かれる。
天狗面「お前、何も守るもんねぇじゃねぇか! 仲間とか、親父すらも!? 人の心あるのか? てめぇ」
神宮寺の視線が冷える。
神宮寺「妖怪に近いお前に人間を語ってほしくない...無いわけじゃない、親父も、あいつらも」
一瞬、脳裏に浮かぶ。
輝達の顔。
笑い合った記憶。
背中を預けた戦い。
神宮寺「俺が守らずともどうにかやってる...俺が置いていかれてんだ」
握った刀が、わずかに震える。
神宮寺「だから俺は、守るために戦ってるんじゃない。追いつくために戦ってる」
天狗面の沈黙が、重く落ちた。
「守ること」と「弱さ」の表裏をテーマに据えた対話構造の戦闘でした。
天狗面は物理的な強者ではなく、“思想と能力の相性”で相手を封じるタイプ。守るものが多い源蔵に対しては極めて有利。しかし、まだ確固たる「守る立場」を自覚しきっていない神宮寺には噛み合わない。ここが逆転の核です。
源蔵は完成された守護者。
神宮寺は未完成の追走者。
天狗面の能力は「守るもの=急所」という構造で成り立っていますが、神宮寺は“守る側に立てていない自覚”を持っているため、能力の前提が崩れました。このズレが突破口になっています。
親子の対比も意識しています。
源蔵は守ることで強くなった男。
神宮寺は守る前に追いつこうとする男。
同じ血を引きながら、立ち位置が違う。
その差が能力との相性を分けました。
次回57話ーー舐めんな




