19.思い出
アイザックの手助けもあり、無事に白百合を入手できたロゼッタは、自室に戻るとすぐに準備に取りかかった。
といっても、やることは少ない。
「セレサ、花瓶を用意してもらえる? 空色の綺麗なものがいいわ」
「かしこまりました」
侍女のセレサにお願いすると、彼女はすぐさま水差しや花鋏などと共に用意してくれる。
それらをテーブルの上に置くと、ロゼッタは手際良く百合の茎を切りそろえていった。
「……ロゼッタ様、何かなさるのでしたら私がいたしますので……!」
「ありがとう、でもこれくらい自分でできるから平気よ。それに……わたしがやりたいの」
慌てた様子でセレサが申し出てくれるが、ロゼッタは作業の手を止めずに穏やかに笑んで返した。
やがて花瓶に活け終わったロゼッタはそれを窓辺に置く。
陽光を浴びて輝く百合は瑞々しく鮮やかで、芳しい香りを放っていた。
かつてニーナは、この花のように凛とした気品ある女性になりたいと思ったものだ。
「これでよし。あとはおとうさまを待つだけね」
ロゼッタは一人そう呟いて満足げに微笑んだ。
夕方に会おうとコーネリアスは言っていた。もうそろそろやって来ても良い頃合いだろう。
早く来てほしいという気持ちと、不安と緊張から逃げたい気持ちが入り交じる。
そんな矛盾した思いを抱いているうちに時間はあっという間に過ぎていき、ついに扉がノックされる音が部屋に響いた。
ロゼッタは一つ深呼吸をしてから、ゆっくりとドアの方を振り返る。
「どうぞ……」
静かに発したその声に応えるように扉が開かれ、そこからコーネリアスが現れた。
彼は足早にこちらへと歩み寄ってくると、ロゼッタの頭を撫でてくる。その大きな手に触れられると、不思議と落ち着きを取りもどすことができた。
「ただいま、ロゼッタ」
「おかえりなさいませ、おとうさま」
ロゼッタが笑顔を向けると、コーネリアスも嬉しそうに顔をほころばせて見つめ返してくれた。
「今日は何をして遊んでいたのかな?」
「あ、あの……今日、不思議なことがあったんです……! 庭園で黒髪の女の子と会って……私と同じ紫色の瞳をしていました」
意を決して、ロゼッタは口を開く。
その途端に、彼の目が驚愕に大きく開かれたのを見た。
「黒い髪……紫の瞳……まさか……いや、そのような……」
コーネリアスは独り言のように何事かをぶつぶつと口にする。
困惑して動揺したようではあったが、それも一瞬のこと。次の瞬間にはいつもどおりの優しげな笑顔を浮かべていた。
「ああ……すまない。それで、どうしたのかな?」
「はい、その女の子は、これと同じ花をくれた人に伝えたいことがあるんだと言っていました」
ロゼッタはそう言って、窓辺に置いてある花を指し示す。
それは、かつてニーナが好きだと言い、コーネリアスが贈ってくれたものと同じ白い百合だった。
「な……っ……!?」
コーネリアスが目を見開いたまま絶句する。
今度は取り繕う余裕もないようで、見るからに狼狽していた。
予想どおりではあるが、彼がここまで驚愕するところを初めて見たロゼッタは内心驚いてしまう。
だが、同時に胸を撫で下ろす。
コーネリアスは覚えていてくれたのだ。自分がこの花を、かつての婚約者に贈ったことを。
これは、ブリジットからボールド王家には時折、不思議な力を持った姫が生まれることがあると聞いたとき、思いついた作戦だった。
死者と会話することができた者がいるというなら、それを利用すればよいのではないか、と。
ニーナの声を聞いたことにして、彼女からの伝言だと告げれば、あるいは信じてもらえるかもと思ったのだ。
「そ……それで、その女の子は何を伝えたいと言っていたのかな?」
必死に冷静さを装った様子で、コーネリアスは尋ねてくる。
「……『ありがとう、そしてごめんなさい。あなたと共に歩む方を大切にしてください』だそうです」
「…………」
ロゼッタの言葉を聞いて、コーネリアスはひどく複雑そうな表情をする。
それは、今にも泣き出しそうにすら見えた。
「おとう……さま?」
「……その女の子は、どんな表情をしていたか、わかるかい? 苦しんではいなかったか……?」
「いいえ、優しく微笑んでいましたよ。もう行かなければいけないからと、手を振られました」
「……そう、なのか……」
安堵の息を吐きながらコーネリアスは俯く。
何かを耐えるように固く握られた拳が痛々しくて、ロゼッタは思わずそこに自分の手を重ねる。
「おとうさま……もしかして、彼女の伝えたい人とは、おとうさまだったのでしょうか?」
「ああ……きっと、そうだ……間違いない……。私のせいなのだよ、ロゼッタ……」
震える声で呟き、そのままコーネリアスは黙り込んでしまった。
ロゼッタの手の上に涙が落ちてきたのを感じたため、そちらを見ることができなかった。
彼は泣いている。それは安堵の涙なのか、それとも後悔の涙なのか。
しばらく無言の時間が流れた後、不意にコーネリアスが大きなため息を漏らす。
ようやく顔を上げた彼の目は赤くなっていたものの、そこには普段の落ち着きと聡明さを取り戻しつつあった。
「……すまなかった、みっともないところを見せたね。少し取り乱してしまったようだ」
コーネリアスはすぐにハンカチを取り出すと、まだ滲んでいるらしい涙を拭いながら苦笑してみせる。
「いえ、わたしは何も見ていません」
「ありがとう、優しい子だね」
穏やかに礼を言うと、コーネリアスはロゼッタの頬を撫でた。
「あり得ないこと……ではないのだろう。我が王家には時々不思議な力を持つ者が現れるという。ロゼッタの中にも眠っていたのかもしれないね……」
「そう、なんでしょうか……?」
不思議そうに、ロゼッタは首を傾げてみせる。
「ああ、きっとそうに違いない……ところで、他にも何か言われたことはあるかい?」
「そうですね……あ、『あなたたちが幸せになることで、私も解放される』というようなことも言っていました」
「そう、か……」
先ほどよりもずっと重い嘆息をすると、やがてコーネリアスは覚悟を決めたような真剣な眼差しをこちらに向け、改めて口を開いた。
「ロゼッタ、今の話はとても不思議なことだったと思う。でも私は信じるよ。そうか……彼女はそんなことを……」
コーネリアスはどこか懐かしげに目を細めている。
そして、宙を見つめたままこう続けた。
「私には幸せになる資格などないと思っていた。あのとき、どうして何か一言でもかけてやらなかったのか。自分のつらさばかりにかまけて何もできずにいた愚かな自分を……責め続けてきた」
「おとうさま……」
「だけど、彼女が私を許してくれるのならば、もう逃げずに前に進まないといけないのだろうな……そうだ……いつまでも過去に囚われていてはならない」
ぽつりと呟いたその言葉には、決意の強さが込められているように聞こえた。
「……実は、母さまからおとうさまの元婚約者だった方について、聞きました。だから、こんな不思議なことが起こったのかもしれませんね」
ロゼッタはコーネリアスを見上げて、にこりと笑いかける。
「そう……だったんだな……」
コーネリアスは悲しげに眉根を寄せながらも、微かに微笑んでくれた。
「母さまも、その元婚約者だった方のことをとても気にかけていました。おとうさまと母さまは、きちんと話し合うべきではないでしょうか」
「……ああ、そのとおりだと思う。近いうちに、王妃と二人でゆっくり話をしよう」
コーネリアスは、穏やかな口調で答える。
それは二人の間で解決すべきことだから、これ以上ロゼッタが口を出すことではないだろう。
だが、きっとこれから二人はうまくいくはずだ。
二人が歩み寄るきっかけが、こうしてできたのだから。
その時、不意にロゼッタのお腹が小さく鳴った。
ロゼッタは困惑し、慌ててお腹を押さえてしまう。
「おや、これはいけない。早く夕食にしなくてはね」
そう言って、コーネリアスは立ち上がりロゼッタに手を差し出してきた。
ロゼッタはその手を取り立ち上がると、一緒に部屋を出たのだった。









