歩み寄る観察者 ①
31
「どうして僕ごと燃やさなかったんだ!」
いなくなった二人を見送り、僕は彼女を責めた。
もしあの場で僕ごと燃やしてしまえば、太陽を狙っている月光の魔女を倒せないにしても、僕という足枷は処分できたはずなのに。
「……できないわよ。そんなこと」
「約束を気にしてるのなら、間違ってると思う。僕をこれ以上巻き込ませないようにしたいのだったら、守りたいと思ってくれているのなら、やっぱりあそこで僕を燃やすべきだった!」
そうすれば、月光の魔女についていくという選択をした僕は消える。
その分岐がなくなるということは、今の、太陽のそばにいる僕だけになる。
「できないってば」
「どうして!」
「だって――」
太陽は背を向けたままだったが、そこで急に振り返って制服の襟を掴んだ。
手は震えていて、「だって」とまた震える口で言葉をつなぎ、目を伏せる。
僕は掴まれたまま、彼女の言葉を待った。
その先にもしかして、言って欲しくもないことを言われるのではないのかと怖くなった。
燃やせとは言えるけれど殺せとは言えなかったから。
「あなたを殺したくはないもん」
言われたくなかった。
「だって、私は知ってるから。あなたが死にたくない怖がりだって。きっともうひとりのあなたを殺したって何の問題もないのだと思うけど、あなたは殺される夢を見ることになる。痛い思いをしなくちゃいけなくなる。そんなの嫌なのよ」
「そうか」
「そうなの」
僕はなんというか、もしかして泣いてしまうんじゃないかと思っていたけれど、不思議と落ち着いていた。
彼女が僕のことを考えてくれていることを知って嬉しいこともあるけれど――なんとなく、俯いたその顔を、横顔を隠す長い髪を、見たことがあるなと思ったからだ。
それは今日の話ではなく、きっとずっと昔、ただ一度だけ。
僕はきっと彼女に会ったことがあるのだ。
彼女は知らないかもしれないけれど、僕だけが知っている話なのかもしれないけれど、たった一度だけの出会いだったから。
「あさひ、ちゃん」
僕は、知っていた名前を思い出した。
僕の秘密基地に一度だけやってきた女の子だ。
顔もみたことがなかったけれど、僕はその子にだけは、秘密基地の出入りを許したのだ。
「え?」
僕の顔を驚いた表情で見上げた彼女は、また泣いていたのを隠していたのだろう。
顔を上げてしまったからもう丸見えだけれど、恥ずかしがることもなく、彼女はどうして自分の名前を知っているのかと僕の顔をまじまじと見つめるだけだ。
32
その日は金曜日だった。
いつもなら秘密基地には行かないのだけれど、その日母は妹の合宿についていく保護者に選ばれて、つまり門限がなかったのだ。
僕は泊まり込むつもりで学校帰りにそのまま、秘密基地に向かったのだった。
いつものように裏口から入り、埃が舞っていることに違和感を覚えながら押入れのある部屋に向かった。
押入れは開けっ放しで、ダミーとして置いてあるはずの空のダンボールは外に投げ出されていた。
それは動物にできるようなことではなく、人間の仕業だと予想できた。
侵入者である。
音を立てないように穴に滑り込むと、案の定音を出さないことは不可能だったが、懐中電灯をつけるとひとつ、見覚えのない物体が隅に丸まっていたのだ。
「ひっ!」
一瞬死が過ったけれど、それはパジャマ姿の女の子だと気がつきホッと息をついた。
それならばほとんど危険はないだろう。
しかし気になるのは、どうしてこの家に入り、どうして秘密基地に気がつき、どうしてそこで寝ているのかだった。
よくわからないことばかりだったが、その服装をみると、もしかして大変な思いをしている子なのかもしれないと思い、目が覚めないように明かりは暗めにした。
なにせまだ夕方だというのにパジャマだったし、靴下を履いているだけで靴はない。
この家に入るときに玄関と、あとは唯一入れる裏口は通るから、彼女が靴を履かず靴下だけでどこかからここまで来たのだと簡単に推測できる。
きっと辛いことから逃げてきたのだろうと思った。
膝を畳んで、頭をぶつけ、手はだらしなく土に倒れこんでいる。
女の子にこんなことを言うと怒られそうだから口には出さないけれど、上着がめくれてちょっぴりお肉のついた横腹が見えてしまっていた。
ちょっぴりとは言ってみるけれど、摘みたくなるほどの肉つきではあったと言っておくことにする。
お腹が痛くなったりしないだろうかと心配になり、学校指定の高いコートを背中にかけてやることにしたが、ちらりと見た太ももにポトリと雫が落ち、大したことでもないのに「ひっ!」とまた男らしくもない声を上げてしまう。
何かと恐る恐る覗き込んでみると、どうやら彼女、涎を垂らして眠っているようだった。
それほどリラックスして眠っているのであれば、なおさら起こすわけにはいかない。
しかし、彼女は侵入者である。
ここは自分だけのものにするつもりだったのに、彼女に知られてしまったのならば、秘密基地ではなくなってしまう。
ならば、彼女を仲間にすることは当然のことだった。
「僕は空木木葉。この秘密基地の主だ」
ずれ落ちたコートを拾い上げ、もう一度かけ直そうとすると、首の後ろからぴょんと布が飛び出ていた。
縫い付けてある白の布には、平仮名で『あさひ』と書いてある。
よく見てみればその服はお店で作られたように綺麗なものではなく、手で縫ったように刺繍の間隔が一定ではなかった。
寝ている女の子をそうまじまじと見ているわけにもいかなかったので、優しくコートを掛けなおす。
「これから何か困ったことでもあったら、いつでもここに来ていいから。あさひちゃん」
ここが安全だと思って忍び込んだのだとすれば、目覚めたときに僕がいたら驚くだろう。
だから僕は泊まり込みを諦めて帰ることにした。
それから何日、何ヶ月――長い間たったけれど彼女がもう一度来ることはなかった。
きっと逃げ出したくなるようなことはなくなったのだと信じて、僕はまた秘密基地に通い続けたのだ。
もし覚えていればコートを返して欲しいと思いながら、鼻水を啜って――。




