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第十一章   進路(1)

 暑い東北の夏は終わりを迎え、暦は九月に入っていた。風には冷たい秋の気配を感じるが、まだまだその日差しは肌を焼いた。

 放課後の校庭で、珪は龍之介とサッカーのシュート勝負をしていた。珪は野球のバックネットを背にしてゴールキーパーをやり、龍が正面から蹴ってくる。

 このバックネットは土台がコンクリートでできたがっちりしたフェンスになっているので、仲町小学校の子供たちはよくこういう遊びをやっていた。

 ゴールの幅は適当に決めている。二人のランドセルが端に置かれていてそれを目印にしていた。

「さあ来いよ」珪は龍を煽って言う。

「次は絶対決めてやるからな」龍之介は大きく下がったところから助走をつけて蹴る。

 バシッと勢いよくボールは飛んで、ゴールの隅へ向かうが、珪は横っ跳びで止めた。

 珪たちはフェンスからの距離を長くとって遊んでいる。それは守るに易く攻めるに難い。

 今度はボールは右上方のフェンスに突き刺さった。

「よっしゃ、入ったぜ!」龍之介が大げさに跳び上がる。

「おいおい今のはゴールバーの上だろ」

「いいや、入ってるって。おまえなら届いただろ」

 ゴールの上には目印がなく。微妙な判定は言い合いになるのだ。

 珪はしぶしぶ認め、ゴールが決まると攻守交替となる。今度は珪がボールを蹴る番だった。

 鉤鳥との戦いからもう一か月以上経っていた。あのあと、この地域一帯は騒然としたものだった。鉤鳥から逃げたあと、この仲町小学校まで鉤鳥はやってきて、山岡先生が取り押さえたのだ。

 怪我人はなかったと聞いているが、山岡先生があの場にいなければどうなっていたかわからない。

 上泉とは夏休み中はその後会うことはなかった。一度電話で礼を言われた。ありがとうと、そして鉤鳥の言ったことは気にしないでと。珪は照れくさくてすぐに切った。夏休み明けも特に話はしていない。

 珪は夏休み後半は、前半の分を取り返すように友達と遊んでいた。楽しかった。実戦を経験したせいだろうか、稽古でも気力が漲っていた。多少は上達しただろうか、自分でもそんな気がした。

 それでも時々あの瞬間を思い出す。恐ろしかったが過ぎてしまえば夢のようでもあった。恐怖の記憶だけでなく、上泉が鉤鳥を倒したあの光景はふとしたときに鮮やかに美しく珪の脳裏に浮かぶのだった。

 ひとつだけ鉤鳥と戦った明確な証拠が残っている。珪の左前腕に鉤鳥につけられた傷が残っている。浅い傷で医者にも見せていないが、成瀬さんに訊いたら目立たなくはなるが白く残るかもしれないと言われた。

「珪、夏休みの地獄の特訓の成果を見せてみろよ」

「ああ、たっぷり見せてやるよ」珪は心躍る気持ちで思い切りボールを蹴った。



 その後学校では特に変わったこともなく、小学校最後の学校生活を送っていた。

 ある日の学校帰りだった。珪は通学路で数人の中学生が一人を囲んでいるのを見つけた。何だろうか、不安に思い物陰から眺めていたが、ふざけあっているようではなかった。

 囲まれていた中学生が皆の前で膝をつき、地面に手をついた。しかもそこは水溜りの中だった。そのまま深々と頭を下げる。土下座をさせられているのだった。

 えげつないな……、これがいじめっていうやつなのか。とはいえ事情はわからない。中にいる人が本当に悪いことをしたのかもしれない。  

 珪は足がすくむのを感じていた。我ながら情けない。鉤鳥とやり合おうとも自分は何も成長していなかった。珪は懸命に足の震えが収まるよう努めていた。

 見ていると、リーダー格の中学生が土下座をしているすぐ前まで出てくると、片足を上げた。

 何をするつもりだろうか。まさか……。

 少年は、土下座をしているその頭を踏みつけた。手や膝は濡れていても額は水面についていない。顔を泥水につけてやろうとしているのだった。

 それは……、駄目だろう。

 それは人としてやってはいけないことだろう……。

 さっきまで足の震えを抑えようと必死になっていたはずが、今は飛びかかって行きたくなるのを必死で堪えていた。

 何度も少年は頭を蹴り抑えるが、どんなに体重をかけてもその頭はまったく下がる様子がない。

 はっと珪は気づいた。それが土下座ではないことに。

 それは土下座ではなく礼だった。珪たち武道家が稽古中に何度となく行う礼法だ。

 どんなに踏みつけられても頭が下がらないのは体幹がしっかりしているからだろうか。珪には自分に同じことができるとは思えなかった。

 リーダーの少年は思い通りにならないことに苛立ってきていた。上から押さえることは諦め、横から顔を思い切り蹴り上げた。これには耐えきれず少年は横に崩れた。

 その時、すでに珪は駆け出していた。これを見過ごしては二度と稽古には行けないと思った。

 ――義を見てせざるは勇なきなり。

 まずリーダー格の少年に向かっていく。向こうも驚いた様子だったが、掴もうとする手を払いのけ、後ろに回り込んで体勢を崩すとそのまま頭を地面に叩きつけるように投げ飛ばした。陸前流合(りくぜんりゅうあい)()柔術(じゅうじゅつ)入り身投げだ。怪我しないよう最後は手加減をしておいた。畳の上ではない以上本気でやったら大怪我に繋がる。伊勢(いせ)(もり)道場の疋田(ひきた)ではないが、人助けのつもりが逆に訴えられたらたまらない。

 相手は五、六人いたはずだ。すぐに周りを見渡すと、すでに何人か倒れていた。先程いじめられていた中学生が、周りの生徒を見たこともない技で次々に倒していく。陸前流とも伊勢(いせ)(もり)(しん)陰流(かげりゅう)とも異なる、手慣れた無駄のない動きだった。

「くそっ」そう言って最後の一人が珪に殴りかかる。その拳を躱して手首を掴み、大きく斬り上げるようにしながら反転して斬り下ろす。四方(しほう)斬りがあっさり決まって相手は後頭部を地面にぶつけた。いつも自分より大きな相手と稽古している珪には、拍子抜けだった。

 これで全員片付いた。立っているのは珪といじめられていた中学生だけだ。

 しかしこの人は何者なのか。こんなに強いのになぜ言いなりになっていたのだろう。

「君、怪我はないか?」

 その人は珪に歩み寄ってくる。黒いズボンも背中もずぶ濡れだった。

 これが中学生か。珪もクラスで背は高い方だが、この人はさらに高い。背筋が伸びて姿勢が良いせいもあってか、ずっと高く見えた。

「あの、あなたの名前は?」珪は思わず訊いてしまった。自分でも驚いていた。

門前(もんぜん)中学一年、伊藤一賭(いとういっと)

 そう言うと伊藤は落ちた学帽を拾い、ぽんと叩いて被り直した。そしてそのまま立ち去ろうとする。

「待ってください」

 間違いなく武術家だ。すごい技だった。どこの道場で習っているのか教えて欲しかった。

「すまない、これから仕事なんだ」

 そう言葉を残して伊藤一賭は去っていった。

 仕事ってなんだ? 用心棒でもやっているのだろうか。我ながら馬鹿な考えだと思ったが、本当にそうかもしれない。そう思わせるほど、伊藤の強さに珪は惹きつけられていた。


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