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柳は緑、花は紅  作者: カブトムシ
第二章 迅雷耳を掩《おお》うに暇あらず
9/23

5 樟脳の香りが残る

 携帯を手にした美和が遥の自宅に電話を掛けると、意外なことに何事もなく帰ってきたと連絡があった。携帯は落としてしまったために連絡がつかなかったという話だ。あっけない結末に気は抜けたが、遥が無事でよかったと吐息をついた。

 更にそのまま遥に代わってもらいたいと話をしたが、疲れ切った遥はすぐに寝てしまったらしく、声一つ聞くことはできなかった。

 深い安堵と、先ほどまで目の前で起こっていた騒動に、美和はぐったりと地面に座り込んでいた。斯鬼はそれを見かねたのか、ひょいと軽く美和を抱き上げると小石をまたぐような感覚で、校門を飛び超えた。

 さらにそのまま止めてある自転車の荷台に美和を乗せ、意外なことに斯鬼がサドルに腰を下ろしてペダルを踏んだ。

「これ、はたから見たらすごい光景だろうな」

 疲れて動く気のしない美和は、荷台に座り自転車をこいでいる斯鬼に体を預けながら笑った。自転車をこぐ斯鬼の姿は人には見えず、荷台に乗る美和の姿だけが見えているはずだ。

「俺もこんな乗り物に乗るとは思ってなかったよ。自力でこぐとかないだろ。いっそ馬とかのほうが良くね?」

「馬とかなに言ってるのよ。そんなものどこにもいないでしょうが」

「牛車とかも完全になくなっちまったのか?」

 いつの時代だと美和は笑った。

「しかし、ここまで世界が変わってるとは思わなかったなあ」

 自転車が切る空気の風を感じながら、美和は空を見上げた。今日は朔の日なのかそれとも見えていないだけなのか、月は空にはない。だがカシオペア座が空にははっきりと浮かび上がっているのが分かる。

「ねえ、どうして私を食べようとしなかったの? 弱ってるところを狙って食べるっていってなかった?」

 坂道を何の苦も無く登って行きながら、斯鬼は美和の問いを笑い飛ばした。

「俺があいつと戦ってるの見てなかったわけ? 俺の方が霊力使い果たしちまってんだよ」

 確かにサグジとの争いで傷ついた部分は、一見ふさがっているように見える。だがその部分が薄くぼやけたように見えるのは、完全に治っていない証拠なのだろう。

「そうなんだ」

「それにお前が思ってる以上に使えそうだからな」

「使えそうって何」

 むっとして鋭く言い返すと、斯鬼は笑って訂正した。

「力を使ったお前はかっこよかったよ。まさか言霊を操るとは思わなかったし」

「言霊?」

「力ある言葉だよ。霊力の持つ相手になら大抵友好的な手段だ。もちろん、相手が優ってりゃどうにもならねぇがな」

 言われて手を見つめる。ひんやりとしていた指先にはぬくもりが戻っていて、握ってみれば普段通りになめらかに動く。今までまともに霊力を使ったことがなかったために、心も体も驚いていたようだ。

 斯鬼はさらに嬉しそうに言葉を続けた。

「俺が惚れただけあるな。まさに巫女と言った力だ」

 何度も何度も飽きず繰り返す斯鬼の言葉に、美和は少し落ち着かない気持ちを抱いた。斯鬼の袴をぎゅっと握ると、ひんやりとした空気を吸い込んで深呼吸した。

「お前たちが闘うとさ、精霊が出て来るんだね」

「んー、当たり前だろ。霊力だなんだっつっても、それは精霊を動かす力なんだからさ」

 物の怪や精霊にとって当たり前すぎるのか、斯鬼は何でもないように答える。

 他人が力を使っているところなど、今まで見たこともなかったが、霊力に呼応して精霊が集まり、砕け、そして違う精霊が生まれる瞬間を見た。

「でもなんか関係ない精霊が痛い目にあってるって、ちょっといい気持にはならないよね」

 何気ない感想に斯鬼は吹き出して笑った。

「そんなこと言ってたら生きてけねぇだろ。こうやって自転車走らせてるだけでも、精霊は死んで生まれてるだぞ。気にするレベルの話じゃないね」

「そういうもの?」

「本当巫女のクセになんにも知らねえのな。そうだよ、今こうして地面の精霊を踏みつぶしてるかもしれねぇけど、その分風の精霊どもが新たに生まれてる。生まれて消える。世の中全部そうだろ」

「そうなんだ……」

 納得できるようなできないような、よくわからない心地がした。

だが下り坂に入った斯鬼が嬉しそうにさらにペダルをこいだことで、考えることもできずに斯鬼の腰にしがみつくことになった。

「は、速すぎるっ! 人にぶつかったらどうする気なの!」

「うははは!」

 ぐっと体を前へ乗り出し、更に斯鬼はスピードを上げる。細い車輪が支える自転車はほんのわずかな起伏に揺さぶられる。美和は一文字に口を閉じて、必死に斯鬼につかまった。

 ブレーキを強くつかんだらしく、自転車からスキール音がした。そんな状況になったことのなかった美和は青ざめて口を開くこともできずに、後ろに唯つかまっていた。

 気が付くと坂道の下にある信号機の元で、自転車は完全に止まっていた。

「うう、疲れた」

 美和は即座に荷台から降りると、座席に乗っている斯鬼をにらみつけた。

「なんて乗り方するのよ」

「おもしろくね?」

「パンクするかもしれないのに」

 強く押しやるようにハンドルを奪い取り、信号が青に変わったことをいいことにさっさと一人で走り去ろうかと考えた。だがへたり込んでいた美和を荷台に抱きかかえて乗せたのは斯鬼だ。

ペダルにかけていた足を下ろすと、サドルにお尻を下ろして振り返った。

「乗せてあげる」

「これが一番楽でいいな」

 斯鬼はにっと笑って後ろを向いてまたいで乗る。

嬉しそうな笑顔に斯鬼が物の怪でよかったと笑った。人間であれば警察につかまって罰金を取られるところだ。

美和は点滅しだした信号を慌てて渡った。

「そういえば、クスノキとお前が眷属だって話してたけど、本当なの?」

「違う違うって。それは美和がよくわかってんじゃねぇの?」

 コンと背中に斯鬼の頭部が当たる。だが美和は意味が分からないと首を傾げた。

「ほら俺の鬼核、ええと、心臓はクスノキの下にあるっつったろ。なんつーか、俺の封印するのに魔除けにもってこいのクスノキの力を使ったって感じなわけ。今回工事で切り株が軽く持ち上がったおかげで、霊力の乏しいクスノキが俺を操ったんだよ」

「操られてたの?」

 驚いて問い直してしまう。言われてみれば初めて見た斯鬼は、今とは印象が違った気がする。

「封印されてるってのが、クスノキに寄生されて霊力を奪われるって呪いみたいなもんだったからな。クスノキにして見りゃ俺を操るのは簡単だったんだろうさ」

 話を聞きながらふと一本の横道が目に入る。ここを曲がれば遥の自宅だ。ポケットに入れた携帯のことが一瞬頭をよぎったが、眠っている遥を起こすほどのことはないと、通り過ぎた。

「寄生されてるあの状態は、クスノキの一部と言ってもいい状態だったからな。サグジの奴に眷属だと言われても間違いじゃなかったかもしれねぇ」

「今は違うの?」

「何言ってんだよ。お前があいつの寄生している根を引きちぎってくれたんじゃねぇか」

「え? 私が引きちぎった?」

 覚えがないと声を上げかけたが、すぐにあのクラスの中で襲い掛かっていた触手を、手当たりしだい引きちぎったことを思い出した。

「そ。ただ根っこに見える一本が俺とクスノキをつないでたんだが、うまい具合に切ってくれたから、やっと俺は自分の体を動かせるようになったってわけだ」

「そうだったんだ」

 よかったのか悪かったのか判断がつかず、呟くように答えた。

「確かにつながってる状態じゃ眷属だって言われたって仕方ねぇけど、切れちまったんだからもうなんてことないわけだ。ただあいつの匂いすごいからな。まだ残ってら」

 自分の腕をクンクンとかいで。うえっと舌を出す。確かに言われてみれば斯鬼には匂いがある。決して臭くはないが、どこかで嗅いだことのあるようなにおいだ。

「あ、タンスの匂い!」

 思い出したと声を上げると、斯鬼は嫌そうに反応した。

「なんか感じ悪いな」

「でも、ちょっと似てるなあって程度だよ。タンスの匂いよりずっと爽やかで気持ちいい感じがするし、とてもいい匂いだと思う」

 そういえばクスノキは防虫剤と使われる樟脳の元だったと思い出した。だが覚えている匂いは合成された防虫剤の匂いだ。天然の樟脳の香りらしく、柔らかく香り決して眉をひそめるような香りではない。

「褒められるなら悪い気もしねぇな」

 斯鬼は荷台の上で器用に立ち上がると、美和の肩をもって大きく空を仰いだ。

「もう一息で、俺は自由になれる」

 盗み見るように一瞬振り返ると、斯鬼は満足そうな笑みを浮かべていた。どれぐらい長い間封印されていたのかは知らないが、長く同じ場所に閉じ込められるのは苦痛に決まっている。喜びにあふれた表情に美和も自然と微笑みを浮かべていた。

「けど、あのサグジって狐の誤解を解いておかないと、また襲ってくるんじゃないの?」

「適当に受け流せばいいだろ。どうせあいつ下っ端でたいした力ねぇし。クスノキの奴が死んだら、あいつは俺になんか見向きもしねぇよ」

「あの狐、下っ端なんだ」

 炎を操り、巨大な狐に変化していたというのに、あれが下っ端なのかと、驚きに声を上げた。

「しっぽの数見たろ。狐の奴は霊力をあの尾っぽにため込むんだ。だから霊力が強いほどその尾の数も増える。あいつは三つしかねえから、サグジに変化したばかりの新人ってわけだ」

「新人? でも知り合いっぽい話してたじゃないか」

 てっきり二人は知り合いなのだとばかり思っていたため、美和は首をかしげていた。斯鬼は違うと言って笑いながら顎を美和の頭にのっけた。

三狐神さぐじって言葉知らねぇの? まあただの神の使いッぱしりなんだが。もうすぐ土地神が死ぬって話が伝わってんだろ。すんなり死ねばいいが、クスノキの野郎が荒魂に傾いて祟り神にでもなりゃ、隣の土地神は被害をこうむるだろうからな、手ごまを使って先に殺しちまえとでも思ってんだろ」

「どうして被害をこうむるって話になるわけ?」

 斯鬼は美和を見下ろすと、そっかーっと一人納得するような声を上げて、ぽんと頭を叩いた。

「本当に何にも知らねぇんだなあ。クスノキの野郎が今の恨みや怒りを持って死ねば、怨霊化するっていってんの。今でさえ荒魂に傾いてんのに、怨霊化してみろよ、自然災害襲われまくりって話だ」

「災害……それはこまる。それじゃあサグジっていい奴ってことなんじゃないの?」

 うーんと考えて美和が問いかけると、斯鬼は美和のなめらかな首に触れた。

「俺としちゃサグジに協力してもいいけど、お前忘れてるだろ」

「何を?」

「遥って友達の話だよ。なんでサグジの奴が持ち物の匂いを嗅いでたのか、ぴんとこねぇのかよ」

 言われて急ブレーキをかけると、急いでポケットの中から遥の携帯を取り出した。

 斯鬼の言うとおりだ。なぜ今まで気づかなかったのかわからないほどだ。

 美和が病院につれて行かれる前、遥は斯鬼についていたのと同じ触手を体にまとわせていた。倒れたクラスメイトと同じ目に会うと、急いではがし取ったまでは良かったが、あの時点で他の倒れた生徒とは状況が違っていた。

 触手に絡みつかれても、遥は気を失うことなく立っていた。斯鬼を初めて見たときのように、青ざめ無表情で立っているのを見た。

 そして、斯鬼の体にまとうメンソールに似た樟脳の匂い。それと同じ匂いが遥の携帯からも強く香っていた。

「遥は、クスノキに乗っ取られた?」


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