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両手に花

「気分はどうだ?」

 人型に戻ったサグジは、不思議と失われていた手足が元に戻っていた。さらに今まで倒れていたのは別人だったとでもいうように、美和の額に手を当てて、目をのぞき込んだりせわしなく様子を尋ねる。

「特に何もないけど」

 斯鬼の鬼核を飲み込んだ途端、斯鬼はその場にがっくりと両手をついてうなだれてしまった。

「えっと、トイレに行ったら出て来るとかってこと、ないのかな」

「それはない。飲み込んだ時点で鬼核の力はお前に流れ込んだはずだ。この鬼を見て知っていただろう。だが普通の人間であれば化け物と化すところだが、巫女であったことが幸いしたようだな」

「いっそ化け物になってくれ」

 斯鬼の体はすっかりしぼんでおり、以前の引き締まった体つきに戻っていた。

「そうすれば操り切れねぇお前を食い殺して、力を取り戻せるのに」

「じゃあ、斯鬼の力を私が全部取ったことになるの?」

「取ったというよりも、この鬼を支配したんだ」

 だからと言ってなぜ体が小さくなるのかと、美和が不思議そうに見つめていると、斯鬼が悔しげに口をへの字に曲げた。

「そういうこと。だから俺が制御しきれねぇクスノキの霊力が、お前に流れ込んだんだ。ったくどんだけでけぇ容量してんだよ、お前はっ」

 言われても実感は何一つなかった。指先を持って土をトントンと叩いてみるが、斯鬼のように土が盛り上がることもなければ、クスノキのような触手も生まれない。

 力を使おうとした美和を見て、斯鬼はさらに嘆いた。

「人の心臓丸呑みする奴なんで見たことねぇよ。くそぉ、ぬか喜びさせやがって」

「あの、本当に私は斯鬼を支配してる?」

 斯鬼に血をなすった覚えはないと、サグジを見ると、微妙に居心地の悪そうな顔をした。

「ああ、お前の下についたということだ」

「斯鬼が?」

 目を丸くしたが、鬼核が心臓だと言っていたのだから、命を人質に取ったようなものだ。美和はこれが良かったのかと、わずかに首を傾げて斯鬼を見た。斯鬼はそばに居るサグジをねめつけて、突き飛ばした。

「うるせぇな。それを言うならてめぇもだろうが!」

「え?」

 よろめいたサグジに目を向けると、気まずそうに眉をしかめた。

「俺の体が戻ってるみてぇに、こいつの傷も全部治ってるだろうが。お前の霊力から全部補ってんの。そういうのも感じねぇわけ?」

「う、うん……」

 答えにくそうにうなずくと、斯鬼はさらに声を上げた頭を抱え込んだ。

「うわあああ。まじなんなんだよ。くそおっ」

「でもなんで、サグジ、まで?」

「人に血を付けて強制的に契約取りつけさせといて、なんなのお前」

 言い足りないと不満げなじと目を向けてきたが、言葉を話すこともおっくうだと、斯鬼は大きすぎるため息をこれでもかとついて見せた。

 美和はサグジの方を向くと、申し訳なさそうに軽く頭を下げた。

「ごめんなさい。余りそういうことに詳しくなくて。あの、もしできるんだったら契約を解除って手もあるんでしょ。その時はしてくれていいから」

 おどおどと言葉を告げると、サグジからは意外にも笑みが帰ってきた。

「いいえ、私があなたに魅せられただけです」

「嘘だよそれ。こいつ三狐神のくせに人の血をすすったから、戻るに戻れねぇってのもあるんだよ。まあ、お前が勝手に血を飲ませたっていえば、それまでだけどな」

 美和は申し訳なさに、胸を押さえた。知らぬこととはいえ、サグジに酷いことをしていたようだ。

「ごめんなさい」

「俺にはなしかよ」

 胡坐をかいた斯鬼が頬を膨らませて、美和をにらんだ。だが美和はぷいと顔をそらせた。

「斯鬼はいいの」

「なんで?」

「私のことを食べるつもりだったんでしょう。これでもう食べられないってことだよね。正当防衛だと思うけど?」

 にっこりとほほ笑んで顔を見つめると、への字に口を曲げていた斯鬼は、鈍色の目をぱちくりとさせて、美和に詰め寄った。

「いいや。俺はお前に惚れたままだ」

「なんでそうなるの」

 話が飛躍したと感じて、美和は眉を寄せる。だが斯鬼は笑って美和の頬に手を触れた。

「だってお前を食いたい気持ちは変わってねぇからな」

「迷惑すぎる」

 美和は頬に触れた手を握ってはがそうとしたが、斯鬼が力を込めて反対に両手で美和の頬を掴んできた。

「だったらあのままにしておけばよかったんだよ」

「悪い鬼になってたんでしょう」

「元から陰の気に傾いてんのに、悪いもくそもねぇだろうが」

 言われてもっともだと言葉を失った。サグジにしても斯鬼のことは放っておくと言っていたはずだ。それを気にしたのは美和自身だった。

「それって俺に好かれたままでいたかったからじゃねぇの?」

「ちがうっ」

 思わぬ話の展開に、顔が赤らんでしまう。だが美和は強くもう一度否定して、頬を掴んでいる斯鬼の手を叩いた。

 だが構わず斯鬼は親指の腹で何度も撫で、美和の頬の感触を楽しんで笑いかけた。

「食い残しは心配すんな。俺なんかすごいお前に惚れてるみたいだから、髪の毛一筋残さず食ってやるからさ」

「髪の毛って――」

 気持ち悪いと眉をひそめた美和の傍らにサグジが来たと思うと、勢いよくサグジの体を蹴り飛ばした。

「そんなことをする前に、私がお前を殺してやる」

「ばーか。俺の方が強いっての」

  斯鬼は舌を見せ、手を頭の横で振ってからかった。子供じみた仕草にサグジは斯鬼を見下し目を細めた。

「私はまだ成長過程だ。ただ年を重ねただけの老人などすぐに追い抜くさ」

「は? 老人? 何言ってんだよ」

「じゃあ何年生きてる?」

 眉を吊り上げた斯鬼に対し、サグジが得意げに問いかける。

「そりゃまあ――」

「ちょっともういいよ! 今そんな雑談してる場合じゃないの!」

 不毛な会話だと、美和が立ち上がりながら断ち切った。大体周囲では何台もの救急車がサイレンを鳴らして集まっており、学校の周辺には野次馬が集まっているらしく、多くの人の声が響いている。

「それより、クラスメイトに変なことしてるの見られたことの方が問題だよ」

 今更巻き込まれたクラスメイト達のことを思い出し、重いダメ息を吐いた。遥は生きていることは確認したが、何らかの後遺症は残っていないだろうか。何よりほかのクラスメイトに、遥が元凶だなどと告げられたら、遥が面倒なことに巻き込まれてしまう。

「言霊で忘れさせればいいだろ」

「そんなことできるの?」

 美和の重いため息に、斯鬼が助言する。

「言霊は安易に使うものではありません。人の世で対処できることに、言霊は使うべきではありません」

「そう、かな」

 人の世で対処できない気がしたが、安易に使うべきではないことは分かる。美和は二つの意見に唸った。斯鬼とサグジはどちらの意見が採用されるのかと、じっと美和を見ている。視線に気づいた美和はすっくと立ち上がると、二人の前へ出て振り返った。

「とりあえず、様子見に行くことにしよう。遥が無事なのか気になるし」

 斯鬼とサグジはがっかりとした様子を見せたが、同じように立ち上がって美和の後ろを付き従うように歩き出した。

「あーあれは大丈夫だろ」

「そうですね。あの本体を移した葉芽が発芽していれば、命はなかったでしょうが、根の一つも出ていなかったですし、命には別状はないでしょうね」

 サグジの適当な言葉に、サグジが詳しく付け加える。

「命に別状はないって、他に何か影響が出てそうな言い方だけど」

 不安に眉をしかめると、サグジが口を開く前に斯鬼が美和の横を歩いて、大きく伸びをするように手を上に伸ばした。

「大丈夫だって。影響ったって霊的な部分だけだろ」

 サグジも美和の隣を歩き、細い顎に触れて頷いた。

「取り込んだ霊力がかなり大きかったですし、霊的なものを引き寄せたり、見たりということはできるようになっているかもしれませんね」

「ま、クスノキの奴の霊力の残りかすってやつだな」

 サグジは言動が気に食わないと斯鬼を一瞥してから、美和に話をつづけた。

「もともと持っている霊力分は保持できないでしょうから、心配せずともいずれその影響は消えてなくなるでしょう」

「じゃあ、霊力を吸われた人はどうなるの?」

「ええ、基本的に吸い尽くされていなければ、徐々に霊力は回復しますよ」

 不安に見上げた美和の視線に対し、サグジは優しく笑みを浮かべて見せた。ホッとした美和もまた笑みを返す。

 二人のやり取りに眉をひそめた斯鬼は間に入り込むと、美和の腕をとった。

「回復しねぇ奴もいるだろ。いいことばっか言ってんじゃねぇよ」

「そうなの?」

 驚いて斯鬼の向こうにやられたサグジを見ると、サグジは気分が悪いと顔をしかめて美和の反対側へと回った。

「いいえ、今回の事柄に関して言えばまずないでしょう。この学校の人数の多さから考えて、クスノキがすべての霊力を吸いきるようなことはあり得ませんからね。多くの人から少しずつ霊力を奪い取っていたはずですから」

「そう。それならいいんだけど」

 表に上った緊張がゆるみ、美和は柔らかな笑みをサグジに向けた。途端ぐいっと体を斯鬼の方へ引き寄せられた。

「そいつに聞くなよ。俺が答えてやるからさ」

 ふくれっ面を目にした美和は思わず吹き出しそうになってしまう。まるきりお気に入りのおもちゃを取り上げられた子供のような顔つきをしていた。

 サグジもまた対抗するように、美和の腕を反対側から引くと、斯鬼に鼻で笑って見せた。

「美和は友人らのことを心配しているんですよ。学校という建物を壊して美和の心痛を増やすようなあなたが、その哀傷を労われるとは思いませんけどね」

「そういえば、教室の壁に穴開いてるよね」

 銀色の防音シートからのぞくように見える校舎の一部分が、爆発を起こした後のように大きな穴をあけていた。

 何か説明を問われでもしたらどうしようか。美和は重苦しい気持ちに押し出されるように吐息をついた。

「なんとかなるだろ? 人間があんなもん起こしたなんて思われねぇだろうし」

 斯鬼が美和の腕を引き寄せて、大丈夫だってともう一度告げて笑いかけた。

 確かにその通りだ。爆発を起こしたように見えても、原因は爆弾ではないのだから、形跡が見つかるわけがない。更に道具がなければ人間が爆発を起こせるわけもない。

 何らかの聴取は受けるかもしれないが、美和が疑われることはないだろう。

 それでもこの先いろいろと面倒なことが待ち受けていそうだ。美和は何度目かのため息をまたついて、両腕をつかんで睨み合う斯鬼とサグジを見ると、二人から腕を振り払った。

「勝手に腕を掴まないで。他の人には見えてないんでしょ。私が手をぶらぶらさせてる変な子にみられるじゃない」

 腰に手を当てて二人をいさめるように見た後、美和は防音シートを越えようと手をかけた。

 そして思い出したように振り返った。

 視線の先には燃えて黒くなってしまった、クスノキの大きな切り株が見えている。

 太い根が切り株からは大きく地面を這うように伸びていたことが分かる。長い年月をここで生きてきたのだろう。

 少し寂しげな視線を投げかけたが、断ち切るように美和はシートを潜り抜けた。

「とにかく、問題としては遥だけよね」

 シートの向こうには辛坂が見えており、桜の木々が等間隔に植えられている。

 クスノキが霊力、生命力を奪っていたのなら、来年はこの桜にも花が咲くかもしれない。

「そうですね。精霊や物の怪の姿を見て、狂う人間もいますからね」

「なら近づけなければいいのよ。私が遥を守れば問題ないってことでしょう」

 桜の木を見上げながら、美和は二人に自信に満ちた笑みを浮かべて見せた。

 だが次の瞬間、そばに立っていた斯鬼が美和の腕を強くつかんで引き寄せると、そのまま何も言わせる間もなく、美和の上から覆いかぶさった。

「俺がお前に惚れてるって、何度言わせりゃわかるんだ?」

 ひやりとした人間ではない温度、感触が美和の唇に軽く触れる。

 真正面にある斯鬼の鈍色の瞳と目があったが、美和は頬を引きつらせて斯鬼を押しのけた。

「まだ私を食べる気なの!」

 がなる美和にサグジが手を伸ばして、斯鬼から遠ざけるように抱き込んだ。

「霊力は吸ってねぇよ」

「よくな――」

「いいわけがないだろう! お前は美和が未熟なことを知っていて、食う気だな。そんなことは私がさせない」

 美和が怒鳴るよりも先に、サグジが瞳を吊り上げた。お尻から生えているしっぽがパンパンに膨らんでいる。

「無理だよ。俺の方こそ必ず美和を俺だけのものにして見せるさ」

 斯鬼の得意げな笑みを見たサグジは、その場で巨大な狐へと変化した。

「うわっ! やめろよ! こっちは疲れてんだ!」

 問答無用でサグジは太く鋭い爪で斯鬼に襲い掛かった。飛びのいた斯鬼に更にサグジは爪を繰り出す。だが斯鬼もまた身軽な様子で桜の木を足場にして、笑いながら逃げてゆく。

 美和はその様子を見つめて、猫が空を舞う蝶を追う姿のようだと、苦笑いを浮かべた。

 ひと騒動は片が付きそうではあったが、どうやらこれからは違うことで、頭を悩ましそうだ。


          終


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