6、天国と地獄
「はあ〜、天国みたい……に、なんか今日は静かだねえ」
一太が少し赤い顔で、布団に座ってパンを食べながらママに話しかけた。
熱はようやく下がったようで、随分身体が楽になった。信じがたいが、あの薬草が効いたのだろうか。
「一太ちゃん、病院へ行かなきゃね。ママびっくりしちゃって、昨日は頭が回らなかったの」
「もういいよ、あの変な臭いの薬が効いたみたいだ。爆睡したら、随分いいみたい」
「まあ、良かったわ。パパもいないから、一太ちゃんが死んじゃったらどうしようと思ったの」
真顔のママは、昔一太が熱を出すたびに救急車を呼んで、良く医者に怒られていた。
「今日は、サキュちゃんのお友達が来てるから、何でもしてくれるのよ」
「そっか、ならもう少し寝ててもいいね」
「ええ、一太ちゃんはきちんと身体を治してね」
ママがママらしく、一太が横になると布団を直してくれる。
こんな時、ママはやっぱりいいなとふと思う。
家事を自分が一手に引き受けても、ママはやっぱりママなのだ。
ホカホカと暖かい布団に寝ていると、日頃の疲れが次第に抜けてゆく。
一太は幸せな気分で心地よく眠りについた。
「地獄だ」
台所、浴室、廊下にトイレと部屋の掃除を済ませた太郎君が、ゲッソリしながら雑巾を洗う。
洗濯干しは女の下着に幸せ気分だったが、その後の庭の草むしりに掃除と、日頃使わない筋肉が怠くてたまらない。
「た、ろ、うくーんん」
サキューラが、豊満な胸を押しつけて背中にのし掛かる。
うおお!何かまた幸せレベルが上がってきた。
「お昼はあ、サキューラ、グラタンが食べたいのん」
「グ、グラタンですか?」
そんな物、作ったことがない。
「美味しいの、お願いねん」
チュウッとまたキスをされて、ボウッとなる。
「はい、やります、何でも買って来ます」
太郎君は、作れないので冷凍を買ってこようと思った。
しかし、実は買い物のお金を貰っていない。
花が高かったので、すでに軍資金は少ない。
仕方なく、居間でクッキーを食べながらテレビを見ているエリに、そうっと聞いた。
「あのう、買い物のお金を……」
「おや?払っているであろう?金のことはサキューラに聞いてくれぬか?私は持たぬ」
うっ、と身体を引く。
「ママさんはどちらに?」
「ママはもっと金など縁がない。サキューラに聞け」
彼女に聞けないから聞いているのに、取り合って貰えない。
カードで買うしかないと、カード片手に買い物に出ると、サキューラがべったり腕組んで付いてきた。
「ほらん、あたし達恋人みたいねん」
「恋人ですか?あははは」
幸せな気分で、スーパーに行ってカゴをカートに入れて押す。
サキューラと並んでお買い物。まるで新婚みたいで気分は最高。
「これとん、これとこれとこれとこれと……」
ドサドサドサッとサキューラがカゴに菓子を入れ、缶ビールの箱をドンとカゴに立てる。
「あ、あのっ!」
「きゃーん、ラベルが可愛いのん!」
ガラガラと、高いカクテルにワイン、そしてレトルトのグラタンを、棚に並んでいるだけザラザラと取って放り込んだ。
「5万4千2百円です。カードですね、一括でいいですか?」
青年は、魂が抜けて返事が出来ない。
「そうねん、一括でいいわん」
ルンルン袋に詰めて、それをヒョイと持って帰る。
家に帰るなりガサガサ広げ、太郎君にはグラタン焼かせて昼間からワインをガブガブ飲んだ。
「あのう」
「太郎君も、はい一杯」
トクトク注がれたワインを一口。
高いだけに、やっぱり美味しい。やけになってグッと一息に飲んだ。
「おや!いい飲みっぷりじゃ!」
ほんのり涙を浮かべ、太郎君が注がれては飲み干し、べろべろに酔ってゆく。
「楽しや、まこと良い日じゃ!オホホホホ!」
「いやん、キャハハハハハ!」
頭の中に魔女の笑い声が渦巻き、そして翌日二日酔いを伴って彼が気が付いたのは、自分のアパートの部屋だった。
「あれは……夢だったんだろーか」
筋肉痛に顔をゆがめながら身体を起こし、呆然と、部屋を見回す。
窓の外で、部屋を覗いていた黒ネコがトンと降りて去って行く。
たった一日でドッと老け込んだように思う彼が、恋の病は悪化すると、更に金欠病を併発する事を知ったのは、次の月のカード請求を見たときだった。
翌朝、いつものみそ汁の香りで家中が包まれ、一太が忙しそうに家中を走り回る。
食卓に付いた女三人が、パクッと一口食べて思わず溜息をついた。
「やっぱり一太の料理は最高じゃ!」
「一太ちゃんはお上手ね」
「一太ん、最高よん」
サキューラがチュッとキスをすると、鬱陶しそうにゴシゴシと台拭きでキスマークを拭き取る。
「ふん、僕に色気は通用しないんだからね。
サキューラ、食べたら風呂を直せよっ!うちには風呂釜買い換える余裕なんて無いんだからっ」
冷たい言葉に、サキューラがウルウルして卵焼きを頬張る。
「一太のん、その冷たいとこが好きん」
「ふんっ!ドミノ、燃えないゴミ分けて出しとけよ、そのくらい出来るだろ。
エリ!ちゃんと稼いで来いよ!生活費足りないんだからな!」
「元気だのう」
「やっぱり一太が目を光らせんと、この家は駄目ばい」
「一太ー!ガッコ行こーっ」
玄関から理子の声が響き渡る。
「ギャッ!もうこんな時間かよ!」
またようやく、ちょっと異常な普通の日常が戻って、一太の忙しい毎日が始まった。




