女学生と駐在所のお巡りさん
十代の女学生と一回り年上の男性の恋愛です。お好みの範囲で読んで頂けると嬉しいです。
朝。
私は毎日、駐在所へと向かう。
別に悪さをしたから駐在所へ行くわけではない。
そもそも私の意思でもない。
この街で一番大きな通りの一角、道路を見渡すことのできる場所に建つ、レンガ造りの建物。
この辺りはまだ木造の家が多いので、レンガの建物は目を引く。
壁はレンガで屋根は瓦という和洋折衷で、きっとこういうのをモダンと呼ぶのかもしれない。
壁には窓がいくつもあり、白い木枠に囲まれた硝子窓から覗いてみるけれど、中に人影は見当たらない。
開かれている入口から一歩中へ入れば、隅に作りつけられている机の上に突っ伏して眠っている姿を見つけた。
私が側で立っていても起きる気配は全くなくて、不用心にもほどがある。
「――起きてください!!」
渾身の大声を出して呼びかけた瞬間、机に突っ伏して眠っていた頭が勢いよく起き上がった。
「な、なにっ、泥棒!? 事故!?」
けれど寝ぼけているのか、辺りをきょろきょろと見回している。
被っていた帽子も斜めになって今にも落ちそうで、駐在所勤務の警察官という威厳は全く感じられない。
帽子を慌てて抑えながら、ようやく私に気づいたのか顔を向けた。
「あぁ、なんだぁ。東堂さんのお孫さんじゃないですか」
どこかのんびりとした口調でそう言う。
落ちかけていた帽子を直す姿を見ながら、私は思わずため息をついた。
「お巡りさんが朝から居眠りをしていて良いんですか?」
事件など起きたことのない平和なこの街だけど、駐在所のお巡りさんが早朝から居眠りをするのはどうかと思う。
そう指摘したら、ようやく帽子を被り直したお巡りさんは、眉を八の字にしながら口を開いた。
「いやぁ、昨夜は夫婦喧嘩を止めに行ったら朝まで喧嘩が続いて、ずっとお互いの不満を聞かされてしまったんです。でも朝には仲直りできて良かったですよ」
困った表情をしながらも、最後はまるで自分事のように嬉しそうに言った。
その姿を見ながら、私はもう一度ため息をついた。
この駐在所に新しく赴任してきたお巡りさん。
外務省に勤めている私の兄と同じくらいの年頃で、おそらく三十になるかならないかくらいだと思うけれど、どこか若く見えるのは雰囲気のせいかもしれない。
背は高いので後ろから見ると圧倒されるけれど、いつも笑顔を浮かべているためか、全体的には威圧感というものがまるでなかった。
のんびりとした雰囲気で、たまに子どもたちから戦いごっこを申し込まれて木の枝を振り回している。
平和なこの街では事件なんてほぼ起きないので、せいぜい住民の揉め事で呼ばれて仲介するくらい。
今朝は居眠りをしていたけれど、朝の人通りが多い時間帯には、よく駐在所の前に立って交通整理をしている。
天気のいい穏やかな日には、駐在所の前で日向ぼっこをしている姿を見たこともある。
帯刀しているサーベルの出番は一生なさそう。
そんな駐在所のお巡りさんの元へ、私がなぜ毎日行くのかというと、今日も持って来た風呂敷の中にある。
それをお巡りさんへと差し出した。
「はい。祖母から、朝食と昼食分のお弁当です」
「いつもありがとうございます」
私から風呂敷を受け取ると、お巡りさんの笑顔がさらに輝いた。
男の人だけど、よく笑う人だと思う。
前のお巡りさんはいつも厳しい表情をしていたので、あまりにも正反対で最初は驚いた。
さっそく風呂敷を開いて、中に入っているお弁当を見て喜んでいる。
このお弁当は、私のおばあ様がお巡りさんのために用意したものだ。
高齢のおばあ様は以前、道端で急に足が痛くなって困っていたところを、赴任してきたばかりのこのお巡りさんが偶然通りかかり、背負って家まで送り届けてくれた。
それ以来、おばあ様はお巡りさんをたいそう気に入ってしまった。
お巡りさんが結婚しておらず、単身で駐在所に住み込みの勤務をしていると知ると、食事の心配をしてお弁当の用意までし始めた。
でも高齢ですっかり足が弱くなってしまったおばあ様が、自分で駐在所まで届けるのは難しい。
我が家はこの街で代々続く裕福な家なので使用人もいるけれど、お世話になった相手だからという理由で使用人に持っていかせるのではなく、女学校へ行くときに駐在所の前を通る孫の私へと役目が回ってきてしまった。
毎朝女学校へ行く途中に、朝食と昼食の分のお弁当を持って駐在所へと寄り、帰宅したら今度は夕食まで届けないといけない。
私だって忙しいのに。
そうだった、朝から余計な世間話をしている暇はなかった。
「では、また夕方に来ますので」
そろそろ女学校へ向かわないと遅刻してしまう。
駐在所を出ようとしたとき、後ろから声がかけられた。
「いつもありがとう。いってらっしゃい」
にこにことした笑顔で見送られる。
なんというか、本当にお巡りさんらしくない。
私は少しだけ頭を下げて、急いで女学校へと向かった。
何とか遅刻せずに女学校へ着くと、前の席に座る友人の椿が笑いながら振り返った。
「おはよう、撫子。今日も駐在所へお弁当を届けていたの?」
椿が私の名前を呼びながら笑う。
家も近所で幼馴染の椿は、私が毎日駐在所へお弁当を届けていることを知っている。
「おばあ様の命令だもの」
「ふふ、相変わらず東堂家はおばあ様がお強いのね」
椿は笑って言った。
我が家は当主であるお父様よりも、おばあ様が一番強い。
もう亡くなってしまったおじい様も、おばあ様には頭が上がらなかったくらいなので、孫の私が逆らえるはずがない。
そんなおばあ様だけど、自分にも他人にも同じくらい厳しく、それと同時に恩義を忘れないところは尊敬している。
おばあ様がお世話になったので、手間はかかるけれど私も毎日お弁当を届けている。
学校が終わったら、また夕食を届けにいかないと。
そんなことを思っていると、椿が「あ」と言った。
「もしかして東堂家のおばあ様は、孫のあなたをお巡りさんと結婚させるつもりじゃないかしら?」
「止めてよ。私は自由恋愛をするんだから」
椿は急にそんなことを言い出した。
私は笑ってそれを否定する。
時代は昔とは違う。
女性も学校へ通い始め、恋愛だって自由にするよう変わってきた。
もちろんそう簡単にはいかないことも多いけれど、それでも昔みたいに親や家の都合で結婚を強いられるなんて、私は絶対に嫌だ。
自分のことは自分の意思で決めたい。
「それに、私は堂々としていて、はっきりとものを言える男らしい人が好みだもの」
私ははっきりとした性格なので、相手もその方が良い。
つまり、いつも笑っていて揉め事に挟まれてばかりのお巡りさんは、私の好みではない。
「でも、撫子は同じようにはっきりと言う人とは反発すると、私は思うけどなぁ」
「お互い意見を言い合えるのは良いことじゃない」
「あなたって、本当にあのおばあ様の孫よね」
椿がそう言って笑う。
確かに私はおばあ様に似ているし、芯の通っているおばあ様には憧れている。
でも結婚相手は自分の意思で決めたいし、あのお巡りさんは私の好みとは正反対だから、結婚するなんて絶対にない。
そんなお喋りをしている内に、先生が教室に入ってきて授業が始まった。
お巡りさんがこの街に赴任して、私がお弁当を持っていくようになってから、半年が過ぎた。
その日は、女学校から帰るのがいつもより遅くなってしまったため、いったん家に帰ってからお弁当を持って駐在所へ行くのも遅くなってしまった。
お巡りさんは相変わらず夕食を見て喜んでいた。
我が家のご飯は美味しいので気持ちは分かるけれど、このお巡りさんは笑顔以外の表情を浮かべることはあるのだろうかと思う。
けれど、今日は遅くなってしまったので、そんなことを思っていないで早く帰らなければ日が暮れてしまう。
「では、また明日来ますので。失礼します」
「あ、待って、遅いから……」
お巡りさんが何かを言っていたけれど、私は急いで駐在所をあとにした。
おばあ様に見られたら叱られてしまうけれど、運動には自信があるので袴を揺らしながら急ぎ足で帰路につく。
夕焼けの広がる空は、すでに橙が夜に飲まれようとしていた。
近道をしようと思い、大通りから脇道へと入る。
でも、それが良くなかった。
少し先に、男二人組の姿があった。
「っ」
私は思わず足を止めた。
その瞬間、男二人組が私に気づき、こちらを見定めるような笑みを浮かべながら近づいてくる。
「おやぁ、可愛いお嬢ちゃんじゃねぇか」
「こんな時間にどうしたんだ?」
身なりと物言いから、ならず者であることは明らかだった。
「……急いでいます。どいてください」
口調だけはいつものように強く言ってみたものの、足は震えて無意識に後ずさってしまった。
そんな私を見透かしているかのように、男二人組は距離を縮めながら言った。
「何だよ、話かけただけじゃねぇか」
「そんな態度を取られると傷つくだろう」
この辺りの道は、もともと人通りが少ない。
夕暮れの空はほとんど陽が沈んでいて、影もできないほどに薄暗い。
ただ男二人組のにやついた表情だけは、ひどくはっきりと見えた。
怖い。
もっと早く学校から帰れば良かった。
つい学友たちとのお喋りに夢中になってしまったせい。
いつもの時間に帰っていれば、夕食を届けるのも遅くならず、まだ夕暮れのうちに家に戻ることができたのに。
大声を出せば誰かが気づいて駆けつけてくれるだろうか。
けれど、先ほどまで発していた強気な口調も、もう喉が震えて出てこない。
そうしている内に、男二人組はどんどん私の方へと距離を詰めてきた。
思わず視線を反らして、自分の足元を見つめる。
怖い――。
「――彼女に何の用ですか?」
そのとき、聞き覚えのある声がすぐ近くで聞こえた。
顔を上げれば、いつの間にか側にお巡りさんの姿があった。
私より一歩前に立ち、男二人組との間に割って入る。
初めは表情を変えなかった男二人組も、制服でお巡りさんということに気づくと動揺し始めた。
「な、何もしてねぇよ」
「困っているようだったから声をかけただけじゃねぇか」
男二人組が口々にそう言う。
「このような暗い時間に、みだりに女性へ声をかけるなど無礼であろう」
お巡りさんは、初めて聞くような声で告げた。
声音は変わらないはずなのに、普段よりも口調がはっきりとしていて、まるで知らない人のような喋り方をしている。
お巡りさんがいつも帯刀しているサーベルに手をかけた瞬間、男二人組はさらに動揺した。
「怪我をしたくなければ去れ」
お巡りさんがそう告げると、男二人組は背を向けて慌てて逃げて行った。
その姿が見えなくなってから、お巡りさんが私の方を振り返る。
「大丈夫ですか? もう暗いので送ろうと思い追いかけたんですが、遅くなってしまいすみません」
振り返ったときにはもういつもの口調のお巡りさんで、私は思わず安堵した。
「あ、ありがとう……、ございま……す」
あの男二人組はもういないにも関わらず、私の声はまだ震えていて、ひどく弱々しい返事となってしまったことが恥ずかしかった。
けれどお巡りさんはそんな私の返事を笑ったりせず、片膝をついて屈んだ。
背が高いのでいつもは見上げていた顔がすぐ近くにある。
「遅くなるときは、無理にお弁当を持って来なくても大丈夫です。君に何かあっては大変ですから」
その声は優しくて、目を細めた表情も柔らかくて、震えていた私の体はその瞬間に力が抜けていった。
「おっと、大丈夫ですか?」
地面に座り込みそうになってしまった私を、お巡りさんが慌てて支えてくれる。
私の腕を支えた手は、とても大きかった。
いつものんびりしていて頼りないと思っていたけれど、男二人組と対峙していたときはとても堂々としていて、支える手はすごく力強いことを初めて知った。
恐怖で震えていた自分の体が、それとは違う意味で震えるのが分かった。
胸の奥が大きな音を立てていて、きっと今の私は顔が真っ赤になっているかもしれなくて、お巡りさんと目を合わせることができなくなってしまった。
「東堂さんのお孫さん?」
お巡りさんがいつものように私を呼ぶ。
「怖かったですよね、もう心配ないですよ」
お巡りさんの声は優しいけれど、どこか幼い子に対するようでもあった。
でも私はそんな小さな子どもではない。
「……こです」
「ん?」
私の声が届かなかったのか、お巡りさんが片耳を近づける。
「私の名前は撫子です!」
「は、はいっ……?」
その耳に大声で名乗ると、お巡りさんは驚いた表情で後ずさった。
片膝をついて屈んでいたので、危うく背中から倒れそうになっていたけれど、何とか踏みとどまっている。
そんなお巡りさんに、私は言葉を続けた。
「どうしていつも私を東堂さんのお孫さんと呼ぶんですかっ?」
「え、だって東堂さんのお孫さんだから……」
「長いです!」
「えぇ……。でも、年頃のお嬢さんに対して、馴れ馴れしく名前を呼ぶわけにはいかないですし……」
「私が許可しますので、撫子と呼んでください!」
自分でも無茶苦茶なことを言っている自覚はある。
でも、『東堂さんのお孫さん』という呼び方は嫌だった。
それでは、私はいつまでたっても東堂家の一人でしかない。
この人には、撫子という私自身でいたかった。
それ以来、お弁当を持っていくたびに名前で呼ぶよう何度も要求する私に、お巡りさんが困惑するというやり取りが続いた。
私はおばあ様似だ。
道端で困っていたところを助けて貰ったことで、お巡りさんを気に入ったおばあ様。
ならず者たちに絡まれているところを助けて貰い、その一瞬でお巡りさんに恋をした私。
これが、私が恋をしたきっかけ。




