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かつて彼は天使だった  作者: 秋吉紫貴
第一章 回想録
4/18

 授業が終わると俺は善次の家へ二人で歩いて行った。善次の家は俺の家とは反対の方向にあった。俺はこの時初めて小学校よりも向こう側の町を見ることとなった。


 向こう側は新築の家ばかりだった。タイル張りの外壁や格子状の窓といった洋画に見るような造りの家ばかり並んでいた。それらは綺麗だったに違いない。が、俺は見慣れないものに落ち着かず、前を見て歩く善次をよそに彼の少し後ろできょろきょろしながら歩いていた。


 不意に視線を善次に戻した。彼はいつ見ても姿勢が良い。背筋がピンと伸びている。定規でも入っているんじゃないかと疑うほどだった。大勢の中にいても、その姿勢の良さですぐに善次を見つけられた。


 善次の家に行くと答えたのは、初めは「お菓子」という言葉に釣られてだったが、それが善次の家に近づくにつれ、それだけでなくなっているのに気づいた。


 そもそも俺はこれまで同じ年の子の家に行った事がなかった。それで、見た事がないものに対する好奇心が身体の中から沸々と沸き出してきたのだ。


 同時に、怖さを感じている自分がいた。それは未知のものに対する、恐怖というか、緊張というか、そういう類のものだった。


 善次が立ち止まった。そこで、俺は再び、彼の品性の良さを感じるものを目の前にした。


「ここ、僕の家」


 それは、俺の知っている家とは違うもので、その家の大きさにもその荘厳な見た目にも、呆気に取られていた。


 それを家と呼んでいいのかちょっと考える程に、立派な見た目をしていた。まるで、城みたいだと思ったのを覚えている。


 外壁は白のレンガで、西洋風の造りをしている。家の高さは他の家と変わらない。


 けれど、敷地の広さは恐らく普通の一軒家の倍はある。俺のように貧乏でも、中流階級でもなく、善次は間違いなく裕福な家の子だった。


 言葉を失っている俺をよそに、彼は何の躊躇もなくインターホンを押した。


「はーい」


 そこからは、その家の持ち主に相応しい品の良い、高い声がした。


「母さん、僕だよ。ただいま」


 カチャンという機械音がした。善次はドアの取っ手を握り手前に引いた。そうして、半ば開いたところで、振り返った。


「どうぞ」


 善次は振り返って、俺に中に入るように促した。俺は見た事もない程大きな建築物を前に畏怖していた。が、善次に背中を押され、恐る恐る内側へ足を踏み入れた。


 家の内側も外側と同じで白色をしていた。余りにも白いから、まるで天国に迷い込んだのではないかと錯覚する程だった。


 すると、これまた白い服を着た女性が奥から出て来た。俺は一目でその女性が善次の母親なのだとわかった。何故なら、善次と全く同じ表情をしていたからだ。


 丸顔で白い肌に、少し癖のある髪を肩に垂らしている。綺麗な人だと思った。柔和な顔つきや高くゆったりとした声、優しい雰囲気――二人はよく似ていた。血の繋がりを強く認識せられた。


「おかえりなさい――あら?」


 首を傾げる。長い髪が揺れる。善次の色素の薄い髪は母親譲りだった。彼女は丸い目をぱっちりと開けている。(目の形は善次とは似ていなかった)


「その子は?」


 善次は俺を見た。そして再び視線を母親に戻し、「僕の友達」と告げた。


「あら、そう!お友達なのね。いらっしゃい」善次の母親は胸の前で両手を合わせて、満面の笑みを浮かべた。


 彼女は俺を歓迎した。ここで、ちょっと言っておかなければならないのは、この時の俺の恰好だ。丈の合っていないくたびれた服、その上どこでつけたかわからない汚れ、伸ばしっぱなしのぼさぼさの髪、――そんな俺を彼女は嫌な顔一つしなかった。それどころか、進んで俺を招き入れた。


「あなたお名前は?何というの?」

「……人見、琥都」

「そう、コトちゃんと言うのね」


 後に知った事だが、善次の母親は俺の事を女だと思っていたらしい。当時の俺がどのような容姿をしていたかはっきり覚えていない。


 普通はアルバムに写真が収められているものらしいが、俺の家にはそういう習慣はなかった。ただ、眉の上で真っ直ぐに切られた前髪に肩の上でざっくり切られた、母親が切っているため、後ろから前にいくにつれて斜めに切られ、顔回りだけ少し長くなった。骨格が発達しておらず、栄養失調のように痩せていたから、そう見えたのかもしれない。


「どうぞ、上がって」


 善次の母親にそう勧められたが、俺は余所の家に行った事がなかったから、どうしていいかわからずおずおずしていた。


 善次が靴を脱いで、中へ上がったのを見て、俺も漸く靴を脱いだ。そして、天国へ足を踏み入れた。善次は自分の靴と、俺の靴もくるりと反対に向けた。


 善次の母親は奥へと歩いて行った。善次はその後に続いた。俺も善次の後ろにぴったりくっついて行った。

 

 廊下は奥へ真っ直ぐ続いていた。長い廊下の左右の壁には額に入れられた絵が等間隔に飾られてあった。俺は歩きながら、それらの絵を美術館に展示されている絵を眺めるように順に眺めて行った。


 まずは、海の上にオレンジ色の橋がかかった絵だった。下部にはSanFranciscoと書かれてあった。


 次の絵は白の服を身に纏った巻き毛の少年――背には羽根が生えているから天使だろうか?その天使の前に白の服に赤い衣を左の肩から掛けている少年が膝をつきながら天使を見上げている。その手は魚の口を握っていた。


 次の絵は灰色の兎と嘴の大きな黒い鴨の絵だった。帽子を被って、黒のステッキを持っている。踊っているのだろうか?


 その次の絵は白の服を身に纏った巻き毛の少年――背には羽根が生えているから天使だろうか?その天使の前に白の服に赤い衣を肩にかけている少年が膝をつきながら天使を見上げている。その手は魚の口を握っていた。


 その絵は美しいに違いなかった。がそれと同時に、異様で厳かな雰囲気が漂っていた。俺は歩きながらちょっと恐ろしくなったのを覚えている。


「今日はね、ケーキを買ってあるの。それからね、今ブラウニーを焼いているの。もうすぐ焼きあがるわ」


 廊下を歩きながら、善次の母親は話し続けた。


「コトちゃん、ブラウニーはお好き?」

「……コトちゃんは、甘いものが好きなんだよね」


 俺が何も答えられないでいると、善次が代わりに答えた。正直に告白しよう。この時、俺は「ブラウニー」がどういう食べ物なのか見当がつかなかった。(善次の母親はケーキがあるのに、お菓子を作っていた。今思うとおかしなことだった)


 母親が「コトちゃん」と呼び出してから、善次まで俺をそう呼び出した。 


 歩いていると甘く、そして温かな匂いを鼻が感知した。奥に進むに連れ、その匂いはだんだん強くなっていく。


 長い廊下の先にはキッチンに繋がっていた。外装も立派だったが、内装もこれまた立派で、目を見張るものがあった。


 まず、内も外と同じで白を基調としている。そこにダークブラウンの家具が、落ち着いた印象を与えていた。

 

 そして何より目がいくのは、背の高い大きな机と椅子だ。机は一枚板で出来ていた。やや光沢があって、長方形だが滑らかな曲線を描いている。見るからに高級感が漂っていた。学校で向いの席で給食を食べる善次は、家ではこんなところでご飯を食べているのかと驚いていた。


「ちょっと待っててね。すぐに用意するから」


 善次は俺をキッチンを通り過ぎたその奥のリビングルームに案内した。そこは壁際に大きなテレビがあって(当時の俺が両手を広げるよりも大きかった)その手前に木のテーブルと青と白のチェック柄のソファがあった。


 俺は善次と並んでそのソファに腰掛けた。ソファにはあと二人座るスペースがあった。座りながら、俺は奥のキッチンにいる彼の母親の姿を目で追っていた。


 戸棚から皿を取り出す姿、冷蔵庫からケーキの入った白い箱を取り出す姿、そのケーキを皿に移す時の揃えられた指先――どの動作一つにしても優雅で品があった。見るからに、良いところのお嬢さんといった感じだ。


 俺の母親とは違う。俺の母親にこんな落ち着きはない。せかせかして、苛々していた。俺の知っている母親像とは異なり、何だか妙な感じがした。現実感がないというか――どこか遠い、架空の物語にある母親の姿のような、言うなれば、理想の母親像を彼女から感じたのだ。


「ああ、そうだわ。飲み物は何がいい?」彼女はキッチンから声を張り上げた。と言っても、耳が痛くなるような嫌な感じはなくて、優しく耳に響いた。


「何があったかしら、えっとオレンジジュースと紅茶とそれからココアと――」

「ココア!」


 俺は咄嗟にそう答えていた。善次の母親はにこりと微笑んだ。「コトちゃんはココアね。善次はどうする?」


「それじゃあ、僕も同じの」


 用意が出来ると、彼女は木製のトレーにそれらを載せてテーブルまで持って来た。俺と善次の前にランチョンマットを敷いた。そしてその上にココアの入ったマグカップを置いた。


 ケーキは二種類あった。一つは苺のショートケーキ。もう一つはチョコレートケーキ。 


 俺はこの時初めて実物のケーキというものを見た。これは誕生日だとかクリスマスだとか特別な日に出されるものだ。もっとも、俺の家では出された事がなかったが。


 皿の上に載ったそれらは輝いて見えた。それを際立たせるかのように皿の淵には金で模様が描かれてあった。


 善次の母親はトレーからココアの入ったコップを俺と善次の前に移した。淹れたてのココアからは湯気が出ていた。


「コトちゃんは苺とチョコレート、どちらがいいかしら?」


 そう尋ねられて、俺は考えた。苺のショートケーキもチョコレートケーキもどちらも食べた事がなかった。だから、どちらが良いかわからない。そもそも、これまで「どちらがいい?」なんて選択を委ねられる事がなかったから、俺は皿の上のケーキを代わる代わる見て、目をぐるぐるさせていた。


 俺が決めきれずにいると、善次が「半分こしよう」と提案してくれた。それで、善次の前には苺のショートケーキが、俺の前にはチョコレートケーキが置かれた。


 後になって考えてみれば、この時、善次の母親は俺が来る事を知らなかったのだから、恐らく善次と二人で食べるつもりだったのだろう。それを気前よく出してくれるのに、彼女の憐れみ深い性格と富裕層の余裕が垣間見える。


 チョコレートケーキにフォークを刺して、ケーキを掬う――どきどきしながら口に運んだ。口に入れ、舌の上に載せる――その瞬間、舌が甘味を感知した。今まで味わったことのない、濃厚な甘みだった。

 

 俺が固まっていると、「美味しい?」と善次の母親が聞いた。


「初めて食べた……」

「え?」

「ケーキってこんな味なんだ……」


 俺はチョコレートの余りの美味しさに言葉を失った。チョコレートの美味しさを知ってしまった。(チョコレートの虜になったのは言うまでもない)


「コトちゃんの家ではお誕生日にはケーキを食べないの?」


 俺はこくりと頷いた。「誕生日だからって特別何もしないよ」


「クリスマスにも?」と重ねて聞かれ、俺はもう一度頷いた。


「あら、そうなの。お母さんは甘いものが嫌い?」

「わかんない。あんまり家にいないから」

「お仕事をしていらっしゃるの?」

「そう」

「それは大変ねえ。お父さんは?」

「いない」

「亡くなられたの?」


 善次の母親は憐れみのある面持ちをしていた。俺は首を振って「出て行った」と言った。母親が俺に言ったように。


 誰もが口を開かなかった。俺は黙々とケーキを食べ進めた。気まずさからではない。ただ腹が減っていたからだ。半分食べたところで、皿を交換した。善次はショートケーキの上に載った苺を俺に残してくれていた。「半分こ」と言いつつも俺の方が明らかに多く食べていた。善次は何にも言わずににこにこ笑っていた。


 ココアからはまだ湯気が立ち上っていた。マグカップの腹に手を添えると、冷え切った手に熱を感じた。一口飲む。今度は舌に熱を感じた。甘く、そして温かかった。この家は全てがあたたかい。そうしていると、何だか懐かしくなった。昔――祖母の家にいた時のことが思い出された。


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