二
話が大分逸れた。つまり、そういう環境で育った俺は誰かと親しくしたいとか、興味を持ったりする事はなかった。大抵は一人でぼんやりしている子どもだった。
孤立していた俺が、善次と話すようになったのは、確か、十一月か、十二月のことだった――ああ、そうか……あの日からもう八年経つのか……あの日が全ての始まりだった。そう思うと、嫌に感慨深くなる。
ここで立ち止まっても進まない。話を進めよう。席替えで彼と隣の席になったことがきっかけだった。そこで初めて善次と目が合った。目が合うと、常に微笑んで細めている目を糸のように細くさせた。
「よろしくね」
俺は他人に微笑まれる事もよろしくされる事も初めてだったから、戸惑いを隠せなかった。何と言っていいかわからない。それで、善次から顔を背けた。善次もそれ以上何も言ってこなかった。
暫くの間、俺達はただ隣にいるだけの関係だった。その関係に終止符が打たれたのは、席替えから幾日か経った給食の時間だった。
始まりは一個のプリンだった。
給食は隣の席の者と机を向かい合わせにして食べる事になっていた。俺は善次と向かい合い、けれど、言葉や視線は交わさないでいた。
俺はまともなものを食べられるのは、学校の給食だけだったから、掻きこむように食べていた。ここでも意地悪されて、わざと量の少ないものを配膳されたり、もっと悪い時には皿を配られない事もあった。
俺の関心事といえば、食べ物以外にはなかった。食べるか寝るか、そのどちらか以外する事がなかった。食べ物が無い時には、食べ物の事を考えていたから、俺の生活は食欲と睡眠欲に支配されていた。
その日はデザートにプリンが出ていた。プリンは当時の俺の最も好きな食べ物だった。俺は誰よりも先に全てを平らげて、食器を片付けようと立ち上がった。
その時、机の上に何かが置かれた。俺はそちらに視線を向けた。机の上にはプリンが置かれた。
「僕、お腹いっぱいだから、良かったら食べてくれない?」
向かいに座る善次はそう言って微笑んでいた。この学校で、人から物を貰うことなどなかった。理解できないことに直面して俺の思考は停止した。目はプリンに釘付けだった。
ただ、それはほんの一瞬の事だった。俺はこう学習していた。食べ物を与えてくれる人は良い人だ、と。この瞬間に、俺は善次を良い人間だと判断した。
「良いのか?」
善次は頷いた。俺は机に置かれたプリンを手に取って、遠慮なく食べ始めた。
もしかすると、これが善次と初めて交わした会話かもしれなかった。
善次はにこにこしながら俺を見ていた。善次はいつも笑っている。何がそんなに面白いのだろうとずっと不思議に思っていた。
「人見くんは、いつもよく食べているね。嫌いなものはないの?」
「別に。食べられるなら、何でもいい」
「そうなんだ。えらいね」
「あ、でも人参は嫌い」
「――人参!僕も苦手なんだ」
俺と善次は嫌いな食べ物が同じだった。それから話が弾み、お互いの事を話すようになった。(大抵は食べ物の話だった)
「昨日の夜、カレーだったんだけどさ、人参入ってて。それが、こんなでかいの。最悪だよ」
俺はスプーンを口に咥えて、右手の親指と人差し指をくっつけて、円を作った。俺の母親は何かと雑なところがあって、それは野菜の切り方など至る所に表れていた。
善次は「それは困ったね」と本当に困ったように笑っていた。
「それじゃあ、好きな物は?」
「甘いやつ」
「それは、お菓子とか?」
「お菓子でもパンでも、甘ければ何でもいい」
「そうなんだ」
そこで、ちょっとした沈黙があった。善次はやや俯いて何か考えているようだった。俺はその間に善次から貰ったプリンを食べ終えていた。
善次がパッと顔を上げて、口を開いた。
「家では何をしているの?」
「何にも」
「何にもって?」
「……何にもしないで、寝ているだけ」
「寝ているの?勉強は?」
「しない」
「それじゃあ、お休みの日は?どこか出かけたりしないの?」
「しない」だって動いたら腹が減るし、と言い訳のように付け足した。
俺は善次の質問に警戒し出した。何だか馬鹿にされている気がして、ちょっとむっとしたのだ。俺には何もない、何も持っていないという事を――自分の貧乏さ加減を強く自覚せられた。
良い奴だと思ったけれど、裕福さ加減を見せつけて見下してくる嫌な奴なのかもしれない。そういう考えが俄かに脳裏に閃いて不機嫌になった。
「だったら、僕の家に来る?」
「お前の家に?」
「うん。僕の母さんね、お菓子作りが趣味なんだ。それに、頂いたお菓子も沢山あるんだ良かったら食べに来ない?」
むくれていた俺の機嫌はぱっと変わった。お菓子を貰える。その報酬は、俺にとって何よりも魅力的なものだった。それで、俺は即座に「行く」と返事をしていた。




