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かつて天使と友達だった  作者: 梔子
第二章 それぞれの目
27/29

十三

 僕の考えは浅はかだったと思い知らされた。


 足永は人見に執着していた。僕と話していても、視線がいつも彼にばかり向いていた。


 どうして、どうして、どうして……


 一年の時は、こんな事なかった。僕と一番親しかった。どれだけ席が離れようと甲斐甲斐しくやって来たのに。前にいるのに意識は僕から離れていこうとする。一体、どうして……


 そして、とうとう二人は近づいたのだ。足永が人見を家に誘っていた。人見は坂下を誘う。人見と足永と坂下ーー最悪の組み合わせだった。


 もし、話の弾みであの事を話したら?阻止しなければならない。そんな事、あってはならない。けれど、手段が思い浮かばない。


 人見が本当の事を話したらどうしようとひやひやしていた。気が気じゃなかった。だから、人見に近づいて欲しくない。足永に軽蔑される。それに足永は口が軽い。口から生まれて来たような奴だ。足永からクラス中に広まってーー


 想像が一人歩きして、絶望的な気分だった。次の日、学校に来ても気が気ではなかった。足永の態度は平生と変わらない。話していないのか?僕が神経質になり過ぎているのか?


 安心を得ようと、都合の良い事ばかり思い浮かべる。が、同時に、話したに違いないと思い込んで、相反する考えが頭の中で交錯して、落ち着かなかった。


 僕の心配は杞憂だったと知ったのは、その日の昼休みの時間だった。足永と向かい合って昼食を取っている所に、人見と坂下がやって来た。


 人見は僕を見て「違うクラスの奴は知らない」と言い放った。人見は僕のことを覚えていなかった。こいつの世界には坂下しかいなかった。


 ああ、良かった……人見は僕を覚えていない。頭突きした事は覚えていたとしても、その原因に僕がいる事は覚えていない。僕は溜飲を下げた。


 が、問題はまだ残っていた。足永の人見に対する執着だ。何が足永を惹きつけるのかわからなかった。一年の時、僕に近づいた理由もはっきりしない。人見と僕は似ているのか?似ているとしたら、人見の何が僕より勝っているのだろう?


 容姿、性格、趣味嗜好ーーいや、違うだろう。似てないだろう。僕の背はあんなに低くないし、尖ったものの言い方をしない。それに、人見が何が好きかなんて知らない。僕と人見に共通項はない。

 

 足永はいつしか僕の事など忘れて、人見ばかりに夢中になっていた。一年の時はあのお喋りに辟易していたのに、それが今では恋しい。真実を知られる恐怖がなくなった今、ただ足永を取られた悔しさが僕の中にあった。


 彼らを見る度に情け無い気持ちになった。やめてくれーー僕から離れていかないでくれ……僕の祈りとは裏腹に、二人は距離を縮めていった。


 僕は近づく二人をただ見る事しか出来なかった。彼らが楽しそうにしているのは気に食わない。けれど、人見はおっかないから、あの和の中に割って入る事は出来ない。


 ある日の朝、また三人で集まっている所を見た。僕は苛立ちを覚えた。


 それまでの苛立ちが積もって、とうとう僕は予鈴が鳴って席に戻ってきた足永に、「お前、最近坂下たちと仲良いよな」と毒を吐いた。


「そうか?」


 足永は何ということもないといった風に答えたが、得意げなのが見え見えである。


「最近ずっと一緒にいるじゃん」


 自分でもあからさまに不機嫌な態度をしているのがわかった。けれどそれを改めることなど出来なかった。


 放課後、足永はまた人見を家に誘っている。足永は僕を誘いもしない。僕は恨めしげに二人をじっと見ていた。


 足永が僕を振り返って「じゃあな江東、また明日」と言った。


「あ、ああ……」


 頷く事しか出来ない自分が情けなかった。僕も行っていいか聞けば良いのに、意地を張ってそれが出来ないでいる。足永はだめだなんて言わないのに。


 すると、人見が僕を見た。僕の身体に緊張が走った。


「お前も来れば?」

「え?」


 人見の言葉は予想だにしなかった事だった。僕は「行く」とも「行かない」とも言わなかった。ただ黙って人見の言葉に従った。それで、数歩下がって、前を行く二人を眺めながら歩いた。


 人見が僕を誘うなど誰が想像出来ただろう?僕は小学生の時、人見を遊びに誘ったことなど一度もなかった。一体何が目的だ?何を企んでいる?僕は歩きながら悶々としていた。


 足永の家に着くと、弟達が出迎た。


「コトじゃん」

「あ、今日はエトーもいる」


 足永の弟は二人いた。そして、二人とも兄の友達を呼び捨てにしている。相変わらず生意気なガキだと思った。


「こら、コトくんだろ」


 足永は叱った。僕は思わず足永の顔を見た。今まで呼び捨てにして注意した事なんてあったか?記憶を呼び起こした。いや、ない。


 足永の弟は人見に懐いていた。人見を部屋の奥へと連れ去った。僕と足永は玄関に取り残された。僕は足永を見た。「……俺も呼び捨てにされてるけど?」と言ってみた。 


 何も答えず、靴を脱いで奥へと入って行った。あいつ、無視しやがった。


 僕も彼に続いて行った。足永の弟はトランプやらボードゲームやらあれこれ出して、人見に説明していた。足永の弟の口振りはまるで同じ年の子に話しているようだった。


 人見はゲームのやり方を全然知らなかった。そういえば、坂下が転校してくるまで、人見は友達がいなかった。いつも一人きりでいたのを覚えている。


 足永は人見を見てにやついている。それが、ちょっと無気味だった。


「さっきからずっとにやついてるけど、お前大丈夫か?」

「何でもねえよ」


 その態度は好きな子を前にしたそれだった。僕は足永を見て思った。こいつ、ちょっと変わってる。


 人見には幼い子どもの持つ特有の無知と無邪気さがあった。足永が構うのはそれのせいだろう。弟のいる彼には至極当然な性質のように思えた。


 これには敵わない。これは僕の負けだ。 


 敗北は僕に諦めを教えた。張り合う気が起こらない。すると、随分気が楽になった。そして、人見という人間を捉え直した。


 あれから、人見と坂下を交えた四人で昼食をとるようになった。少しずつだか、僕も彼らに馴染んできた。あれほど恐れていたのが嘘みたいだった。


 小学生の時、彼は悪の象徴だった。貧乏だったし、汚かったし、粗暴だった。けれど、もしかすると、そう悪い奴ではなかったのかもしれない。僕らが彼を理解しようとしなかっただけで。


 三年になって、足永と初めてクラスが離れた。人見とは同じクラスだった。この頃になると、人見と話すのに躊躇がなくなっていた。この変化に僕は胸の内で満足を覚えていた。


 昼休みには足永と坂下が来て、四人で昼食をとった。足永は人見を見てにやけ面をしていた。僕は相変わらずだなと呆れていた。それで、ちょっと揶揄ってやろうと思った。


「何にやにやしてんの?」

「別に、にやにやしてないさ」

「いや、してた」

「してないよ」


 足永はムキになって否定した。それが却って肯定していると気づいていない。


「前から思ってたけどさ、お前ちょっと変わってるよな」

「僕が?」


 乾いた笑い声がした。僕と足永のやり取りを見て坂下が笑ったのだ。すると、足永は「何笑ってんだよ」と露骨に不機嫌になった。それが足永らしくなかった。


 そんな足永の態度に坂下は露骨に戸惑っていた。僕は坂下に罪の意識を感じていたから、助けるべく、「坂下にまで笑われちゃってるねえ」と茶化した。


「ったく、もういい。お前とはもう口聞かない。今日限りで絶交だ」


 足永は僕の顔の前で人差し指を立てて言った。本気じゃないのはわかってる。


「そんなに怒るなよ。一年からの付き合いじゃないか」


 僕は足永の肩を組んだ。足永はすぐにいつもの調子を取り戻した。


 それから少しして、急に坂下が昼休みに姿を見せなくなった。が、誰も気に留めもしなかった。ただ一度人見が足永に「善二は休みか?」と聞いただけだった。


「お前、よく人見と話せるよな」


 昼休みが終わって、席に戻ると前の席の生徒が振り返ってこんな事を言った。彼とは同じ小学校だった。


「何で?」

「だって、あいつおっかないじゃん。ほら矢部にいきなり頭突きしたって言うじゃん?」

「あー、そんな事もあったな」

「そういえばお前同じクラスだったよな。何でか知ってる?」

「……知らないな」


 僕は彼から視線を逸らした。そして、机の角を見ながら、こう付け加えた。


「まあ、でも何か理由があったんだろ」


 これまでの事を思い起こしてみても、坂下について浮かぶ事は多くはなかった。ただいつも善い人間であったことは確かだった。


 そういえば、二年の時、国語の授業でーーヘッセの『少年の日の思い出』の続きを書くというものがあった。


 坂下は「僕」がクジャクヤママユを捕まえてエーミールに謝るといった話を組み立ていた。が、謝る直前にエーミールを事故にあわせ殺した挙句、「僕」の一生に暗い陰を落とした。


 何とも救いようのない話しだった。「暗くね?」と誰かが呟いた。僕の覚えているのは、それくらいだった。


 それから、冬休みが明けた最初の日、休み時間になって足永が走ってきた。人見の前にくるなり、坂下が死んだと言った。僕はそれを自分の席に座って聞いていた。


 最初は信じていなかった。死というものが、あまりにも遠くて、実感がなかったのだ。


 皆が坂下の死を噂し出した。それで、ああ、本当に死んだのだなと思った。ただ、どういうわけで死んだのか明らかにされなかった。坂下が病気だったとか、そういう話は聞いた事がなかった。


 何故だろうと思う一方で、深く考えないでおこうとする自分がいた。それは、坂下の死が現実味を帯びてくるにつれて、僕の中にあった罪悪感が、水が熱され蒸発するように、なくなっていくのを感じたからだった。


 もう、坂下の作りかけの作品を壊した事を知る者は、僕と矢部以外には存在しない。矢部も僕もそれを口にする事は決してない。


 そして、壊された当人も、もうこの世には存在しない。罪の根源となる存在がいなくなったことで、僕の中に棲みついていた罪の意識から解放された。


 僕は中学生活を終わりかけた頃、漸く真に安寧の日を手に入れたのだった。

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