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かつて天使と友達だった  作者: 梔子
第二章 それぞれの目
26/29

十二

 坂下が死んだと耳にした時、悲しみの感情は湧いてこなかった。何故死んだのかと考えもしなかった。死の衝撃に思考が止まったせいではない。


 坂下が死んだと聞いた時、僕は不謹慎にもほっとしていた。何故なら、彼に対して罪の意識を感じていたから。


 六年生の時、坂下は突然現れた。よその学校から転校してきたのだ。この時期に転校なんて不憫だなと思った。


 僕が坂下に持った印象は「良い子ちゃん」だった。彼に対する印象はそれきりで他にはとりとめて何もなかった。


 六年も終わりかけの時期に、坂下は人見と急に距離を縮めた。何でこの二人が仲が良いのか謎だった。裕福で転校生にも関わらず好かれている坂下、見るからに貧乏で嫌われ者の人見、二人は釣り合わない。坂下の行動は慈善活動の一種かと思われた。


 その頃、僕は矢部という生徒と仲が良く、行動を共にしていた。僕と矢部は二人とも冷めた子どもだった。それで、お互い気が合ったのだ。


 ある昼休みの事だった。その日は珍しく雪が降っていた。滅多にお目にかかれない雪にはしゃいで、皆外に出ていた。


「雪なんかではしゃぐなんて、ガキだよな」


 矢部はこんな事を言っていた。それには僕も同感だった。雪なんて、ただ冷たいだけでちっとも有難くなかった。


 矢部は机に腰掛け、ボールを床で弾ませたり、手で回したりしていた。


「五限なんだっけ?」

「図工じゃない?」

「まじか、だるいな」


 矢部は壁に向かってボールを投げた。すぐ横にはロッカーがあって、ランドセルが仕切りの中に収められてある。その上には、図工の時間に作っている製作途中の作品が並べられてあった。それは将来の自分の姿を粘土で表すといったものだった。あと一、二時間で完成させねばならない。もし終わらなかったら居残りだ。


 ボールは壁に当たって、矢部の手に戻った。もう一度壁に投げる。壁に当たって、ボールはまた矢部の手に。


「お前、あとどれくらいで出来る?」


 そう言うなり、矢部は突然ボールをこちらに投げた。僕の手は、反射的にボールを弾いた。ボールが壁に向かって飛ぶーー作りかけの粘土に当たる。それは、ボールと共に音を立てて床に落ちた。


 僕はしまったと思った。


 矢部は「うわっ」と言って、立ち上がり落ちた作品に駆け寄った。しゃがんで、矯めつ眇めつしている。


「それ、誰の?」


 僕は後ろから恐る恐る聞いた。怒られると思った。壊した事もそうだし、ボールを使っていた事も咎められる。(教室内でボールを使う事は禁止されていた)矢部は作品の載せてあった粘土板に貼られた名前を見た。


「坂下のだ」

「どうする?」


 僕が焦っているのに対し、矢部は落ち着き払っていた。

 

「坂下が壊した事にすればいいじゃん。自分でやった事なら先生も怒んないって」


 平然とそんな事を口にした。罪悪感などまるでないような人間だった。


「でも、坂下良いって言うかな?告げ口しない?」

「大丈夫だって。あいつはお人好しだから」


 その言葉には侮蔑が込められていた。矢部の言う事は間違っていない。坂下は、何をされても決して怒らない。怒りの感情をどこかに置いてきた。いや、そもそもそういう感情を持ち合わせていないような人間だった。そして、頼めば何でもいいよと言った。


 それは卑怯な提案なのには違いなかった。が、僕はどこかでそうすればいいと賛成していた。罪の意識よりも、恐怖がーー怒られる事から逃れたい気持ちの方が勝った。


「取りあえず、戻しとくか」


 矢部は壊れた作品を持ち上げ、ロッカーの上に置いた。その時だった。人見が教室の中に入って来た。まさか、聞かれていた?そういう不安が押し寄せた。


 人見は矢部の前で立ち止まった。そして彼の目をじっと見た。


「何だよ」


 矢部が怒鳴っても人見は何も言わずに矢部を睨んでいた。何も言わないのが無気味だった。人見が黙り込むのと反比例して矢部は声を荒げていった。


「気持ち悪いな、あっちいけよ!」


 そう、矢部が怒鳴った瞬間だった。人見は矢部に向かって頭から突っ込んだ。僕は何が起きたのか理解できなかった。


 気づけば矢部は口を押さえながらしゃがみ込み、らしくもなく声をあげて泣いていた。


 床に乳白色のかけらが落ちていた。目を凝らすとそれが歯である事に気づいた。 


 暫くして担任が入ってきた。この騒ぎを見て「一体何があったの?」と問うた。矢部は痛さに喚き、しきりに人見が頭突きしたと訴えていた。


 担任は皆に粘土細工の続きをするように告げて、江東を保健室に連れて行った。


 暫くは騒がしかったが、一人、二人と席に戻って作品の製作に取り掛かった。教室内が落ち着きを取り戻した頃、漸くそこで坂下の作品を壊した事を思い出した。頭突き騒動のせいで、すっかり忘れていたのだ。


 僕は坂下を見た。彼はいつの間にか壊れた作品を机の上に運び、黙って直していた。何故こうなったのか、誰が壊したのかなどと騒ぎもしなかった。


 僕はそれに罪の意識を感じた。ただ感じているだけだった。本当の事を言って謝ろうなどとはつゆほども思わなかった。


 暫くして、担任が戻ってきて廊下に呼び出された。担任はあの騒ぎを二人の喧嘩だとみなしていた。


「江東くん、一緒にいたのよね?何で人見くんが頭突きしたのか、知っている?」


 何も考えられなかった。どう言うべきかわからなかった。本当の事を言えば叱られる。どうする?どうする?どうするーー?


「ーー知りません」


 僕の口はそう答えていた。本当の事など言えるわけがなかった。


 その日矢部は教室には戻って来なかった。次の日になって、彼の姿を見た。


「おい、大丈夫かよ?」


 矢部は首を振った。いーっと口を横に開いて、人差し指で前歯を指した。


「根元から欠けてどうしようもないから、抜いたんだ。インプラントだよ」

「そうか……」


 矢部は随分落ち込んでいるようだった。怪我をしたのは矢部だけで、僕は無傷だった。それが申し訳なかった。


 それからというもの、僕の中で絶えず罪の意識が棲みついていた。人見に頭突きされた事で矢部は、その罪に対して制裁を加えられた気がした。一方で僕は何も対価を払っていない。それが狡い気がしてーーいや、狡いと言われる気がした。卑怯な奴とレッテルを貼られるのを恐れた。


 それに、もし人見が全部を聞いていて、先生に言ったら?坂下に告げ口していたら?


 罰せられれば、楽になれる。かといって頭突きされるのはごめんだ。バラされてはいないか、僕は常に神経を尖らせていた。そして、怯えながら生きていた。


 どうか、誰も何も言いませんように。そう願った。


 結局、真実について誰も何も語らなかった。それから暫くして、僕は小学校を卒業した。


 そして、中学生になった。入学式は退屈だった。式の間、欠伸ばかりが出た。


 漸く式が終わり、教室で席についてぼんやり座っていた。前の席の生徒の髪が目についた。見ながら、また、欠伸が出た。その時だった。前の席の生徒が振り返った。そして僕の顔を見てにたーっと笑った。


「式の間も欠伸してたな」


 別に悪い事をしているわけではなかったが、何となく罰が悪い。


「仕方ないじゃないか、退屈なんだから」

「確かに。入学式なんてくだらないよな」


 馴れ馴れしい奴だなと思った。話すのが面倒だったから、そこで終わらせたかった。が、彼は僕の気分など没交渉に身を乗り出して話し出した。


「第一、黙ってじっと座っていろっていうのが無理な話だよな。そりゃあ、面白い話の一つでもしてくれるなら話は別だぜ。でも実際話したのは、校長とPTA会長とーー誰だよお前って。それに何を話したか覚えている?思い出してみろよ。一文も浮かびやしない。いや、本当にやる意味がないね。それに、今は何でもオンラインの時代だろ?だから、わざわざ体育館でやらなくても、教室でリモートですれば良い。そうすれば僕らは寝ながら聞き流せるわけで。もしくは、事前に録画しておいて、各々見ておくようにってしておけば、早送りで見て時間短縮できる。それか、有難い話とかそういう長ったらしいのは全部カット。『入学おめでとうございます。今日からあなた達は中学生です。落ちこぼれにならないように、勉強なさい』って。こんなもんでいいだろう?それを一人話すごとに立ったり座ったり、ああいうのは儀式張っていてだめだ。君もそう思わない?」

「え……いや、どうだろ……」


 正直、話の内容が理解できないでいた。一息に捲し立てるものだからその勢いに圧倒されていたのだ。


「ところで君、何小だった?」

「西小学校……」

「西小学校か。どのあたりだっけ?」

「西里駅の近く」

「西里駅?遠くない?まさか歩きじゃないよな?」

「電車だよ。ここから二駅」

「へえ、僕東小学校だよ。ここから結構近いんだ」

「そうなんだ」

「あ、僕、足永って言うんだ。君は?」

「僕は、江東」

「よろしく」


 僕がよろしくと返そうとする前に彼はまた口を開いて、「あ、ここも東小だよ。それから、あいつもそうだしーー」とあちこち指差した。


 クラスを見渡すと矢部がいた。矢部の顔を見ると、あの時の事が思い出された。それで、何となく気づまりだった。


 足永は口から生まれてきたような奴だった。誰とでもよく話すが、僕の前だとより顕著だったように思う。誰とでも話せるのに、彼は僕と一緒にいる事が多かった。最初は席が近いせいだと思った。が、席替えをしても彼は度々僕の席まで来た。


 僕は足永のお喋りにうんざりしていた。が、彼は気にせず話し続けていた。


 足永が僕の側でべらべらと話すものだから、僕はそれに煩わされてあの一件を忘れていた。


 矢部とは話さなくなった。それで、彼とは次第に離れていった。


 矢部は矢部で彼の頭角を現していった。バスケ部に入り、秋にはレギュラー入りを果たした。誰も矢部を見て前歯を折られた子と思わなかった。あの事件は風化していった。


 足永とは本当にいつも一緒にいた。(彼が纏わりついてきたのもあるが)彼の家にも何度か訪れた事がある。弟二人は彼に似て馴れ馴れしかった。驚いたのは、足永が家では兄としての顔を見せていた事だった。


 僕にも弟が一人いるが、彼の弟に対しての振る舞いは、僕よりもずっと兄らしかった。


 今ならこう思える。足永のお喋りのおかげで、余計な事を考える隙がなくなって、中学一年目はかなり平和に過ごす事が出来たのだと。


 それが、二年になって、引き戻された。同じクラスに人見と坂下がいたのだ。殊に坂下は中学を受験すると聞いていた。もう会う事もないと思っていたから、彼の姿を見た時には驚いた。


 あの時の恐怖が蘇った。動悸がした。まずいと思った。人見は知っているに違いない。そうでなけりゃ、頭突きなんてしないだろう?頭の中でこういう声が響いていた。


 それらの声から逃れるべく、僕はなるべく二人に近づかないようにした。そして、足永の余計なお喋りを求めた。


 が、何ということか、足永の視線が彼らに向いていた。いけないと思った。もし足永と人見が近づいたら?人見が足永に話したら?僕は、軽蔑されるに違いない。僕は焦っていた。


 足永の視線を逸らそうと、僕はある手段に出た。あの時の事を話して、人見を粗暴な奴と思わせる。そして、人見に近づかせないようにしようと思ったのだ。危ない奴だとわかれば、いくら足永でも距離を取るだろうと考えたのだ。


 僕はさりげなく、足永に人見が矢部に頭突きをした事だけを話した。それから矢部の前歯が欠けた事も。


 足永は「何でそんなことしたんだ?」と聞いた。当然過ぎる質問だった。僕は答えに窮した。そして、あの時と同じ事を口にした。


「……さあ、知らない」

 


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