一
善次と出会ったのは、小学校の六年生の時だった。彼は突然現れた。六年生になった時、別の小学校から転入してきたのだ。
当時の善次の風貌は――色の白い肌に色素の薄い髪、ふっくらした頬、血色の良い唇は常に口角が上がっている。目尻がややつり上がっているが、微笑んでいるからか、きつい印象は与えない。その容姿はまるで天使のようだった。
珍しい転校生に、彼は注目されていた。俺はただ善次を金持ちなんだろうなという印象しか持たなかった。それは善次の着ていた服のせいだった。その時の善次が着ていた服を(何色だったかとか、どんな柄だったとか)正確に覚えているわけではない。ただ高そうな服を着ているなと思ったことを覚えているだけだ。
それで、きっと育ちが良いのだろうと推測した。それを最初に、そして顕著に感じたのは彼がお辞儀をする時だ。
六年生になって一番初めにしたことは自己紹介だった。出席番号順に立ち上がって、名前と、それから趣味とか好きな物とかを一言二言、各々適当に話した。
善次の番になった。彼は椅子を引いて静かに立ち上がった。椅子の横に立って、椅子を机の下にしまった。
「初めまして。僕は、坂下善次です」
そうして、まず一度背筋を真っ直ぐに伸ばした。そして、腰を支点にして上半身を直角に折り曲げる。横から見ると数字の七のような形だ。(彼は足が長かったから)ちょっと他とは違うだろう?それを見て、彼を特別な子だと思った。
俺は度々彼の育ちの良さを垣間見た。教師や同級生と話す口振りは丁寧で、常に相手に敬意を払っているのが伝わった。彼はよく「ありがとう」と口にしていた。それを耳にする度、何故そう言うのだろうと思った。生活していて、そんなに感謝することなどあったか?
それから、善次に対する印象は――彼は賢い子どもだったということだ。授業で教師に当てられた時、答えを間違うということがなかった。後にテストの答案を見せて貰った事があるが、どれも九十点を下らなかった。
そして、何より善次は絵に描いたような「良い子」だった。教師からノートの回収や授業で使った備品の片付けを誰かやってくれる人はいないかと呼びかけられれば、一番に手を上げていた。掃除当番の時の最後のごみ捨ても、普通はじゃんけんで決めるのだが、善次はそれをする前に「僕が行くよ」と進んで引き受けていた。
他にも、こんなことがあった。クラスや班の代表として発表する事があった。発表となると大体皆が嫌がった。それで、誰もなる者がいないと、善次は「じゃあ、僕がやります」と言った。くじ引きでそれを決めた時は、選ばれた者が嫌だと言えば、善次は代わってあげていた。嫌な顔を一つせずに。
それだから、善次は転校してすぐに皆に好かれていたし、何かと頼られていた。彼の周りにはいつも人がいた。
俺はそういう姿を遠目に見ていたから、ああ、こいつは住む世界が違う人間だなと思った。例えるなら、水と油。また、例えるならば雪と墨。
相容れないものとして善次を見ていた。俺は彼には近づかなかった。それで、同じクラスであっても話をしたことがなかった。
いや、話をしなかったのは善次に限った事ではない。当時、俺は人と会話らしい会話をしたことがなかった。他人に一切関心を持たなかった。というより持てなかった。
同級生は皆俺を避けていた。その理由は至極単純で、俺の見た目が汚かったからだ。何かにつけて面倒がって、入浴や髪を梳かしたり、顔を洗ったり、――そういう習慣がなかった。服は安物な上に何年も着ているから、生地はくたびれて、穴が開いていた。
同級生はそんな俺を「貧乏」や「黴菌」などと言ってからかった。俺の触れたところに触れれば、黴菌に感染すると言って騒ぎ立てた。そういう同級生の顔には嫌悪だけでなく、どこか嬉々とした感があるようにも見えた。
皆が俺を避けた。誰も俺と友達になりたがらなかった。それで、俺はいつも一人だった。それが普通だった。
同級生は俺を軽蔑していた。教師でさえもそういう態度を取ることがあった。ある授業で、クラス全員に一人ずつ答えさせるものがあった。端から順番に前から後ろへ当てていった。そして、次は俺の番という時だった。教師は俺の名前を呼ばずに、俺の後ろの生徒の名前を呼んだ。
何かの間違いかと思った。偶然、俺を見落としたのだろうと思った。が、そのすぐ後にその教師と目が合った。目尻に皺を寄せ、にたっと笑った。その時の中年の女教師の意地の悪い顔を俺は今でも覚えている。
彼らのそういう態度も、全く気にならないと言えば嘘になるが、俺はそれに対して何も反応を示さなかった。何か感情を表す気力が無かったからだ。(だって怒るのにも体力を使うだろう?)それよりも、俺には気にしなければならないことがあった。俺が気にするのは、己の空腹のことだった。
それはやはり貧しさに起因していた。あの頃は一日二食食べれれば良い方だった。学校のある日は給食があるから、一食は満足に食べられる。が、学校のない日は一日一食のこともあった。それも豆腐とか袋麺とかもやしを炒めただけのものといった粗末なものだった。米もあまり出なかった。出たとしても茶碗に半分ほどしかない。(学校のない夏休みの期間は、俺にとっては地獄のような日だった)家には食べるものがろくになかった。満足に食べられた記憶がない。だからいつも空腹を感じていた。その空腹は水で紛らわすしかなかった。
俺の家がこうも貧しいのは、俺の面倒を見るのが母親しかいないせいだった。
俺には父親がいない。俺の父親は俺が一歳になる前に外に女を作って出て行った。そう俺に話したのは、母親だった。まだ言葉の意味をちゃんと理解できない幼い子どもにそんな話をする母親だった。
それだから俺は父親の顔を知らない。いたってことを知っている――いや、知らされているだけだった。俺の琥都という名前も父親が付けたらしい。父は虎のように強い子になって欲しいと願ったと言う。そう願った父親は俺が強く育つのを見ることなく消えてしまった。
父親に捨てられてから、母は俺の見ている限りずっと働いていた。いつ休んでいたのかわからない。それ程、忙しくしていた。母親に遊んでもらったとかそういう記憶はない。顔を合わせば叱られてばかりだったから避けていた。
母親のことを思い返していると、ある光景が俄かに脳裏に浮かんだ。それは、夜の事だった。
夜中、俺は眠っていて、物音がしてふと目が覚める。四畳半の部屋の中は暗い。目が覚めると空腹を感じた。
一度目が覚めると容易に眠れない。眠れないと空腹を感じざるを得ない。だからといって、どうすることも出来ない。俺は暗い部屋の中で、目を開いたままじっとしていた。
しばらくすると、目が慣れてきて、周囲のものの姿が暗闇の中から浮かび出した。俺は窓の方を向いていた。
閉められたカーテンをぼんやり眺めていると、微かに動いているのに気づいた。カーテンを僅かに揺らす程の微風は俺の寝ているところまで届かない。部屋の中の空気は澱んでいた。
突然、風が強く吹いて、カーテンを大きく揺らした。部屋の中に生温い風と共に煙草の匂いが入り込んできた。先の物音は隣に住む者が窓を開けた音だったのだろう。隣の住人は家へ帰ると、窓を開けて煙草を吸う習慣があった。
俺は、その匂いから逃れようとごろりと寝返りを打って窓に背を向けた。窓の反対側には引き戸がある。その戸の向こうには母親がいた。
母はなかなか眠らなかった。眠らずに何をしていたのか知らない。当時の俺は、まだ寝ないのだなくらいにしか思っていなかった。扉越しの母を見ていると、後ろでぱらぱらという音がした。その音は次第に激しくなって、ざあっという音に変わった。
すると、閉め切った戸が不意に開かれた。急に光が入ったものだから、眩しくて咄嗟に目を瞑った。母親の部屋の中を歩く足音、それからがらがらと窓を閉める音がした。
薄目を開けると、抱いて寝ていた虎のぬいぐるみと目が合った。青い目でこちらを見つめている。これは父親に買ってもらったものらしい。白色をしているが、いつも持ち歩いているものだから、汚れて所々に茶色の染みを作っていた。
父親は俺の大きくなるところを見ずに出て行った。その代わりに虎のぬいぐるみが俺を見つめている。足を折りたたんで寝転び、顔を真横に向けた白い虎は、その時の俺には大きく、抱いて立つと尻尾が床についていた。こいつは、幸福だった頃を知っている。俺の覚えていない昔のことを――
母は窓を閉めると部屋を出て開け放った戸を閉めた。部屋の中はまた暗くなった。今度は壁から音楽が聞こえる。壁の向こうは隣の住人の部屋だった。このアパートの壁は薄いから、何もかも筒抜けだった。
俺はこの音も母親の足音も煙草の匂いも、全て煩く感じていた。そして、その全てが貧乏のせいだと疑わなかった。
母親はあんなに働いていたのに家は貧乏だった。最低限の生活をするためだけに、必死に働いた。生きることは苦労を伴うのだと、幼い頃から目の当たりにしていた。そして、それを嫌だなと思った。そうかといって、誰も何とかしてくれない。
貧乏だからこんなところに住むより他はない。俺と母が取り残された二階建てのアパートの部屋は狭く壁は薄い。その上、古く安っぽい見た目をしていた。
しかし、古いのはこのアパートに限ったことではない。ここは古い家が立ち並ぶ町だった。それが、だんだん様相を異にするようになってきた。古い家の立ち並ぶ中に、新しい家が点在するようになっていった。
それは俺の生まれる少し前に地下鉄が開通した事が原因だった。駅の近くなため、土地の価格が高くなる。それに加えて近くに小学校や中学校がいくつかあって、子を持つ家庭はここいらに家を構えるようになった。
ここいらに住むには金がないといけない。そういうわけで、新しく越して来る人間は大抵金持ちで、大層な家を建てていた。俺は彼らと関わることはなかった。
それだから、彼らの生活を知らない。貧しい家庭の生活しか知らないでいた。その中でも、俺の家は取り分け貧しかったのだと思う。
「お父さんが出て行ったんでしょう?」
「それじゃあ、一人で……」
「可哀相に……」
母親と家の外を歩いていると、近くに住む人達は遠目に俺ら親子を見ながらよくこんなことを言った。
人間は、ただ可哀相と言うだけで、何もしてくれない。子どもながらにそう思っていた。頼れる人間などいない。結局は、自分でどうにかするしかなく、どうにもできないならば、堪えるしかない。そういう事を学習した。
俺はそうやって生きて来た。困っていても、誰かが何とかしてくれるなどと期待はしなかった。世の中を――世間の冷たさを諦めた目で見ていた。




