十
俺と善次は似ていなかった。性質を異にしていた。対局といっても過言ではなかった。が、誰よりも近くにいた。
善次は他の皆みたいに俺を邪険にしなかったし、受け入れられない面を見たとしても俺から離れていかなかった。喧嘩をしたこともなかった。それも、善次の優しい性質のせいだった。彼は俺の我儘に大抵は笑って済ませ、寛容な態度でいてくれた。
善次がいて、俺は間違いなく、満たされていた。空腹、孤独、無知――俺に足りていないものを善次が埋めてくれていた。
祖母のいた頃の安心感があった。祖母は死んでしまった。けれど、善次は死なない。善次はいなくならない。
いつかは別れがくる。けれど、今すぐにではない。そうだ――俺は安心しきっていたのだ。この時間を失うなど、少しも考えもしなかった。善次がいるのが当たり前になっていた。それが覆されることとなるのだ。まず、最初の転機は年が明けて間もない頃のことだった。
「もうすぐ中学か――」
善次の家からの帰り道、何気なくそんなことを話し出した。小学校よりも遠くなるから面倒だなとか授業時間が長いから嫌だななどと一人で不満を口にしていた。善次もその中学校に通うのだと当たり前のように思って話していた。
「同じクラスだといいな」
俺は隣を歩く善次を見た。俺の言葉に善次は俯いて、歩を止めた。俺も立ち止まった。
「同じクラスにはなれないと思う……」
風にかき消されてしまいそうな、か細い声だった。
善次から否定的な言葉が出たことに、不快さよりも違和感があった。ぽかんと口を開けている俺に、善次は取り繕うように「受験するんだ」と言葉を続けた。善次はこの学校の大半の者が地域の公立の中学には進学せず、私立の中学を受験すると言った。
「それじゃあ、中学は別なのか」
「うん……でも、会えなくなるわけじゃないから。休みの日には遊ぼうね」
善次は励ますようにそう言った。が、ろくに返事も出来ず呆然としていた。
俺達は再び歩き出した。お互い、何も話さなかった。そうしているうちに学校の前まで来て、そこでさよならした。
別に、何ともない。六年になるまでは善次はいなかった。元の生活に戻るだけだ。元の、一人の生活に。そう自分に言い聞かせていた。が、本音を言うと嫌だった。落ち込んだ。心に空白ができたみたいだった。俺の平穏は奪われる。祖母が死んだあの時のように。
ここまでかと思った。やはり、善次もいなくなるのか。失望感が身体中を占めていた。
家に帰って、居間の畳の上に横になった。視界の隅に虎のぬいぐるみが入った。俺は手を伸ばして、それを引き寄せた。物言わぬぬいぐるみに話しかけていた。
「いなくならないのは、お前だけだな」
光のない目で俺を見つめている。その目は何も語りかけてこない。無機質な目。お前は何を考えている?
「きったねえ」
至る所が黒ずんでいる。元は白だったことなど想像できようか?正直に言うと、一度も洗濯したことがなかった。俺はそれを頭の下に敷いて、眠ることにした。
それから、卒業するまで善次とは微妙な距離感があった。一緒にはいた。ただ一緒にいるだけだった。以前のように深いつながりが感じられない。何が好きで、何が嫌いで、今何を考えているか――お互いがお互いのことをわかっていると思っていた、あの頃の密接な繋がりが、二人の間に硬い板が挟まれたように隔たれた。
裏切られた気分だった。別に、善次が悪いわけではない。それはわかっていた。今思えば、彼は賢かったから、中学受験をするのも自然なことだった。が、同じ学校に行けると思っていたから、離れるとわかって悲しかったのだ。それを素直に言葉に態度に表すことが出来ず、不貞腐れて、善次がいくら話しかけても素っ気ない返事しかしなかった。
そういう態度を貫いたまま、小学校に通う最後の日になった。善次が別の学校に行くと言ったあの日から、彼の家には行かなかった。
卒業式はあっけなく終わった。いつもと変わらず、善次と別れた。これで、もう会わなくなるのだろうか。
何をする気も起きず、ひたすら眠っていた。そうして小学校の卒業式からひと月ばかり過ぎて、中学の入学式の日になった。
俺は、自分より一回り以上大きい、明らかにサイズの合っていない中古の制服を着て、新入生と共に体育館にいた。他の新入生と共に長椅子に座ってぼんやりとしていた。校長の話も退屈なのに違いなかった。俺は投げ出した自分の足の爪先を見ていた。つまらない、腹が減った、帰りたい、そんなことばかりが頭の中を占めていた。
「新入生、起立!」
漸く退屈な入学式が終わろうとしている。俺は徐に立ち上がった。その時、やたらに姿勢の良い生徒の姿が目に入った。見覚えのある、色素の薄い髪――
「新入生、退場!」
後ろを向いた。髪が、さらさらと肩の辺りで揺れた。俺は目を見張った。
――善次だ。善次の姿がそこにはあった。
皆が後ろを向いている中、俺は動けずにいた。ここにはいないはずだった。だって、私立の中学を受験したのだから。
確かに、善次は受かったとも落ちたとも何も言わなかった。受かるものだと思っていたから、結果を聞きもしなかった。あの善次が落ちるなんて想像できない。だって、クラスで一番頭が良いはずだったろう?
後ろから順に歩き出した。押されるように俺は歩き出した。各々がそれぞれの教室に戻って行く。体育館を出て、校舎へ続く渡り廊下をぞろぞろと歩いて行く中、俺は足を止めた。後ろを振り返った。
善次はこちらに近づいて来る。視線は足元にあって、俺には気づいていない。彼の歩みは遅い。かなりゆっくりに感じられた。
一歩、一歩――善次が歩を進める毎に彼との距離が狭まる。心臓が早鐘を打っている。俺は、緊張していた。
二人の距離があと数歩となった時、善次が不意に顔を上げた。俺の視線と善次の視線が交わった。善次が俺に気づいた。




