17 その王子、偏屈につき5
あの一件の翌日からは、エドワードはいつもどおりだった。以前と同じように細かいことで不機嫌になり、怒り、そして、淡々と仕事をこなしていた。エルもエルで、前までと同じように彼の世話を続けた。
あの日から、エドワードが普段通りに過ごす日々が1週間ほど続いた朝、エルはいつもどおりエドワードの着替えを手伝っていた。上着を着るのを補助していたとき、ふと彼の首元に手が当たった。その瞬間、いつもより数段熱い彼の身体に気がついた。エルははっとして、で、殿下…、と声を漏らした。エドワードは不機嫌そうに、なんだ、とエルを睨んだ。その時見えた顔色も、よく見れば悪かった。
「あの…体調がよろしくないのでは?」
エルがおずおずとそう話しかけると、そんなわけあるか、とエドワードに一蹴された。
エドワードは着替えを済ますと、兄上のところへ行く、と言ってすたすたと歩き出した。エルはその背中を少し心配そうに見送った。瞬間、エドワードは膝から崩れ落ちて床に倒れ込んだ。エルは短い悲鳴を上げたあと、エドワードに駆け寄った。そして、殿下、殿下!と背中をさすった。エドワードは真っ赤な顔で恨めしそうにエルを睨みつけた。
「……お前が余計なことを言うから……」
「もっ、申し訳ありません…、と、とりあえず、ベッドに…それからお医者様……」
エルは慌ててエドワードの肩をささえた。エドワードは、手助けなんていらない…、と力なく拒否したけれど、体は熱でぐったりとしていた。エルは、申し訳ありません、と言葉では謝りながらも、エドワードをベッドまで必死の思いで連れて行った。
医者の診察によれば、過労による疲れからくる熱だろう、ということだった。必ず数日はご安静に、というと、医者は部屋から出ていった。エドワードは赤い顔で、はあ、と重いため息をつきながら、片腕で両目を覆った。
「…父上ももう長くはない…それ以外にも憂うべき事態は多い……寝ている場合ではないのに…」
エドワードは、くそっ、と悪態をつきながらも、苦しそうに呼吸を続けた。
エルは、水に濡らした布巾を絞ると、エドワードの額に乗せた。エドワードは、その冷たさに一瞬驚いた顔をした後、エルの方を見た。エルは、エドワードと目が合って少し驚いた。普段かけていた眼鏡を外したエドワードが、どことなくアランに似ていたからだ。
「(…こう見ると兄弟なんだな…)」
エルはそんなことを思いながら、昔、病に伏していたアランの傍にいた頃を思い出して胸が痛んだ。
エドワードは、熱で顔を赤くしたまま、辛そうに顔をしかめたあと、ぼんやりと天井を見上げた。そして、あ…、と呟いた。
「…そうだ…書類……」
「書類?」
「兄上と…アランに…」
そう、うわ言のように言うエドワードに、エルは、私がお届けに参ります、と言った。エドワードは、机の上…、とだけ言うと、すう…、と寝入ってしまった。エルはそんなエドワードの寝顔を見て一息ついたあと、彼の机に向かい、書類を探した。
エルは、エドワードに言われた書類を持ってまずはラインハルトの元へ向かった。部屋に行くと、ラインハルトは机の上で家臣とチェスをして盛り上がっていた。
エルはラインハルトの執事に、エドワード様からです、と言って書類を預けた。すると、その言葉を聞いたラインハルトが、ん、どうした、とエルの方を見た。
「エドワードがどうしたんだ?」
「あ…、書類をお預かりしておりまして…」
「んん?」
ラインハルトは立ち上がるとエルと執事の方へやってきて、書類を手に取った。それを眺めると、これは…、と呟いた。
「今日、エドワードが説明に来るはずだったが?」
「あっ…、その、体調不良で、今日はラインハルト様の元ヘは行けないようで…」
「体調不良!あいつが!」
ラインハルトは豪快に笑った。
「おおかた、ロゼが結婚するから寝込んでしまったんだろう!」
「(……間違いではないのかもしれない…)」
「あいわかった。確かに受け取ったぞ。しっかり療養するように伝えてくれ。ロゼの結婚式に招待されているんだから、それまでに治すように」
ラインハルトはそう笑いながら言うと、家臣の元へ戻った。エルは頭を下げて、かしこまりました、と告げ、この部屋を後にした。
次はアランのもとへエルは向かった。マイクとどうせ一緒にいるだろうし、また彼から嫌な顔をされるのかと思うとエルは気が重くなった。
アランの部屋へ向かう途中、エルはフィリップスとハロルドに出くわした。フィリップスは親しげな笑顔で、やあ、とエルに話しかけた。エルは彼らに頭を下げた。
「いい天気だね」
フィリップスは、廊下の窓を見ながらそう言った。エルは、はい、と微笑んだ。
するとハロルドが、マイクから聞いたぞ、と意地の悪い顔でエルに言った。
「お前、結婚するらしいな」
ハロルドから言われた言葉に、エルは目を丸くして、いえ…、と頭を振った。
「お見合いのお話をいただいただけで、決まったわけでは…」
「よかったじゃないか田舎娘。貧乏暮らしからの見事な栄転だな」
「あの…」
「女はいいな、結婚したら男の世話になって、男が汗水垂らして稼いだ金で生きたらいいんだから。羨ましいぜ。俺たちゃ戦争に駆り出されて明日命があるかもわからんというのに」
ハロルドはエルを見下ろすと、そう嫌味のように言った。エルはぽかんとしたままハロルドを見上げた。フィリップスは、やめないかハロルド、と強い口調で諌めた。ハロルドは、へいへい、と何も応えていない顔で頷いた。
エルは目を伏せて、…用事がありますので、と頭を下げて歩こうとした。フィリップスはエルの手にある書類を見ると、誰かに届けるの?と尋ねた。エルはフィリップスの方を振り向いて、はい、と頷いた。
「アラン殿下に。…エドワード殿下からお預かりしておりまして…」
「アラン殿下なら鍛錬場にいるよ。私もいまから行くところだから、一緒に行こう」
フィリップスはそう言うと、エルの隣を歩き始めた。するとハロルドが、お、おい、とフィリップスを呼び止めた。
「今から昼食を取りに行くんだろ?」
「…気が変わった。ハロルド、先に行ってくれ」
フィリップスはそう、歩みを止めずに言った。ハロルドは、はあ?と呟いた後、エルとフィリップスの後を追いかけてきた。エルはフィリップスの隣を歩くハロルドのことを横目で見る。
「(…な、なぜこの人までついてきた…)」
「ハロルド、君は昼食をとるんじゃなかったのか?」
「…気が変わったんだよ。この田舎娘が変な気を起こさないように見張るためにな」
ハロルドが、そうエルを軽く睨む。エルは、起こしませんから!と言い返す。すると、前方に見覚えのある女性が立っているのが見えた。
「え、エミリー様!」
エルはエミリーに近づいた。エミリーは、あなた何をしているの?と目を丸くした。
「エドワード殿下のお世話係になったって聞いていたけれど…」
「はい。なので今、エドワード殿下からおつかいを頼まれて…」
「はあ?お前エドワード殿下の世話係をしてるのか?!」
ハロルドが目を丸くして、なんでお前なんかが!とエルに食ってかかる。エルは、またハロルドの面倒くさいスイッチが入りそうだと困ったように眉を下げた。
すると、エミリーはそんな二人をよそに、フィリップスの前に立った。そして、真剣な顔で彼を見上げた。
フィリップスは、そんな彼女に首を傾げつつ、いつもの笑顔を浮かべてみせた。
「こんにちは、エミリー。アラン殿下に会いに来たんですか?」
フィリップスの問いに、エミリーは一瞬息を呑んだあと、真剣な眼差しをフィリップスに向けた。
「いいえ、違います。私はあなたに会いに来たんです、フィリップス様」
エミリーの言葉に、エルは息を呑んだ。フィリップスは目を丸くして彼女を見つめた。
「エミリー、私に何の…」
「おいおいおい、ハリソン公爵家のご令嬢は、第3王子の婚約者候補のはずだぜ?それなのに、ほかの男と会おうなんて、周りからいらん誤解を生むんじゃないか?」
ハロルドがエミリーとフィリップスの間に割って入ってきた。エミリーは怪訝そうな顔でハロルドを見ると、どなた?勝手に話に入ってこないでくださる?と冷たく返した。ハロルドは、むっとした顔を見せる。フィリップスはハロルドの腕を引いて、エミリーから距離を取らせた。
「彼女は私に話があるようだ。すまないがエル、ハロルド、席を外してくれないか」
「は、はい…。ハロルド様、こちらへ…」
エルはハロルドをよんだ。しかしハロルドは、はあ?とエルを睨んだ。
「お前は殿下の味方じゃなかったのか?!お前なんかが田舎から王都へ呼んでもらえた理由を忘れたのか?!」
「…さっきから煩いですわね貴方。アラン殿下からは直々に、もう誰とも結婚する気はないと告げられました。私の方からお断りされたんです」
エミリーはそうハロルドに冷たく言う。ハロルドは、ぐ、と歯を食いしばる。
「…まあいい。でもな、フィリップスはどの女とも恋仲になる気はないんだ。貴女がどれだけ美しても、だ。やめとくなら今だぜ、高嶺の花の君?」
ハロルドはそう鼻で笑いながら言った。エミリーはハロルドから視線をそらすと、フィリップスを見上げた。
「私、フィリップス様に恋仲になることをお願いしに来たわけではありません」
エミリーの言葉に、フィリップスは少し安心したような顔をした。エミリーは真剣な眼差しで、私、と続けた。
「私、フィリップス様をお慕い申しております」
さっきの言葉と辻褄の合わなさそうなエミリーの言葉に、フィリップスは、えっ、と声を漏らす。エミリーは、でも、と続ける。
「フィリップス様がどなたの思いも受け入れないことは存じ上げております。…でも私、フィリップス様に何も自分のことを知っていただいておりません。それなのにお断りされるなんて私、納得がいきません」
エミリーは少しずつ頬を赤くしながら、しかし真剣な瞳でフィリップスにそう訴える。
「だからまずはどうかお友達から、私と始めていただけませんか?」
フィリップスは、目を丸くしてエミリーを見つめた。しばらく固まったあと、ええと…、と首のあたりに手を当てた。
「…友達…は歓迎なんですが、恋慕の感情を持ってくださっている方と友達になるのは…。あなたの気持ちを弄んでいるようで、落ち着きません」
「それでもいいんです!私のことを何も知っていただけないまま断られるよりずーっとまし!です!!」
エミリーは勢いよくフィリップスにまくし立てる。フィリップスは、エミリーの覇気に半歩後ずさった。
「え、エミリー…」
「お願い致します!」
エミリーの熱心な訴えに、フィリップスは珍しく目を泳がせたあと、そ…そういうことなら…、と、とうとう折れてしまった。エミリーは目をかがやかせて、ありがとうございます!と嬉しそうに微笑む。その笑顔が眩しくて美しくて、エルはつい頬が緩む。
では一度、お出かけを…、などと予定を立て始める2人を横目に、ハロルドが気に食わなさそうな顔で歯を食いしばる。エルはそんなハロルドをちらりと見て、いいんですか、と小声で話しかけた。するとハロルドは苛立った声で、何がだ、と返した。
「その…エミリー様が気になっていたのでは…」
「はあ?!」
「えっ?だからあんなにつっかかっていたのでは…」
エルはそう言いながら、ハロルドの反応を見て自分が勘違いをしていたことを知る。ハロルドは、なわけあるか、と吐き捨てると、不機嫌そうにこの場を去った。エルはその背中を見つめて、ならなぜあんなに他人の恋路に不機嫌になるのかと首を傾げる。
「(…エミリー様に対してではない、と、いうことは、…え?)」
エルがふと、思いもつかなかった線に気が付きそうになったとき、フィリップスが、それじゃあいこうか、と話しかけてきた。エルは動揺して声が裏返った。
「えっ?え、え、ど、どこへ?」
「鍛錬場だよ。アラン殿下に渡すものがあるんだろう?」
「え、エミリー様は?」
「行ったよ。もう帰る時間なんだって」
エリィにも挨拶してたよ、聞こえなかった?とフィリップスは不思議そうな顔をする。エルは、フィリップスを見上げて、あ、ぼ、ぼんやりしてて…、とごまかす。そんなエルを見て、フィリップスは優しく目を細めた。そんな、花が咲くような笑顔のフィリップスに、エルは硬直する。ハロルドがフィリップスに思いを寄せているのだとしたら、ハロルドが以前からフィリップスと会話するエルに異様に刺々しかったことにも納得がいく。
「(あ、数多の女性だけでなく、だ、男性まで夢中にさせるなんて…!)」
「それじゃあ行こうか」
フィリップスに呼ばれて、エルは、は、はい、と言って歩き始めた。




