Ⅴ 平和を享受できるワケ
ジェミニ評議界共和国最大の都市、ポルックスの賑わいぶりは、他国の大都市と比べても異質といっていい。
呆れかえる程の呑気さ、平和を平和として当たり前のように享受する人々の姿は、見る者によっては冷笑に付すことだろう。絶対的な守りである『国土結界』によって守られ、魔物に喰われる心配も無ければ、魔人に死ぬまで痛みつけられる恐怖もない。
けれど、そこに暮らす人が幸せであるならなんだっていいだろう。少なくとも今までヘレンはそう思ってきた。
――だけど、平和を護っている人達は?
それが生まれもっての使命だからと、当たり前のように人々を護ってきた『双星の御子』であるニコロとレナッタ。以前は当たり前のように一緒にいた二人だったが、今はどうやら違うらしい。
柄にもなく難しいことを考え過ぎて、ヘレンの頭は湯気でも出そうなくらいにのぼせていた。
「これはエフィルミアさんは食べたことないんじゃないかな、冷たくて甘いですよ?」
店に一人で何か買ってきたらしいニコロが差し出したのは、皿に乗ったさらさらの氷の塊だった。エフィルミアは目を丸くして初めて見るであろう氷菓子を見つめている。
丁度熱のこもった頭を冷やしたい気分だったヘレンは、受け取った氷菓子をスプーンですくって口に入れる。
それを見たエフィルミアも同じように口に入れると、たちまち緑色の瞳が宝石のように輝きだした。余程気に入ったのか続く二口目で一気にかきこみ……、びくっと全身が震える。
「あ……、氷そんなに一気に食べると頭がズッキズキになるよー」
「うぅ……先に言って欲しかった」
エフィルミアからの抗議もどこ吹く風、ヘレンはのんびりと食べながら、街の様子を眺める。よくよく観察してみると、ニコロが氷菓子を買ってきた店では、店員が魔光鉱石の嵌め込まれた魔法の道具を使っているのが見えた。
魔法で固められた氷を回転する刃で柔らかい形状に削りだしていくのだ。以前はあらかじめ用意していた氷を使っていた筈だが、随分と便利になったもんだとヘレンは思った。
「“あれ”のおかげですね。最近はあれがあることを前提とした商売が増えたんですよ」
ニコロは勘が鋭い。ヘレンが何に注目していたのかを一瞬で理解したようだった。氷菓子を食べていたエフィルミアも二人の視線の先の物を見て、「わぁ……お菓子作りの道具に魔光鉱石使うんだ」と、素直に感心していた。その価値の高さにぴんと来ていないが故の反応だろう。
アリエス王国を始め、魔光鉱石は一般的には稀少だ。先程、他国との取引によって大量に手に入れると聞いてはいたが、これ程とは思わなかった。
魔法使いが杖や魔法道具の出力を補うのに使う他、日常生活で活用されることもある。だが、高価な代物でもある為、おいそれと使える物でもない。
「今までは稀少が故に、国の防衛に回され――とりわけテンプルナイツが鉱石とそれを活用した魔法技術を保持していたのですが、今ではジェミニ評議界の下にある財団を中心に広まりまして、街の発展に活かされているんですよ――」
そう話すニコロだが、ヘレンから見るとやっぱりどこか自分を納得させようとしているように見えた。黙って見つめすぎたのだろう。彼女が思っていることを察したように、ニコロは肩を竦めた。
「なんて……、いくら言ってみても自分自身を納得させる為の言葉にしかならないんですよね。この国に住んでいる人達からしたら、より安全に、便利になるならそれがいいに決まっている。僕個人の事情より優先してしかるべきものです」
「今ニコロの話を聞いてるのはよそもの二人……だから何言っても許されるよ、きっと」
ヘレンはいつもの調子で、氷菓子をたいらげ、ニコロの口から本音が出るのを待った。エフィルミアも「なんかお悩みあるなら聞きますよ!」と言わんばかりの視線を向けている。
「今では僕達双子で一緒にやる必要が無くなった……ってさっき言いましたよね。あれ、魔光鉱石のおかげなんです」
ジェミニ評議界共和国の外部にある鉱山の地下奥深くにて魔光鉱石の鉱脈が発見された。しかし、そこは魔物が徘徊しており、更には魔物が発する瘴気が蔓延しており、とても手が出る物ではなかったのだそうだ。
採掘を可能としたのは、チュチーリア・ヘファイストスが使役するゴーレムのおかげであるらしい。
人間側の犠牲は一切なく、魔物を排することができ、人間では不可能な採掘もゴーレムならば可能とした。採掘された大量の魔光鉱石は加工され、ポルックス大聖堂へと運ばれた。
大聖堂の結界を張る魔法陣、その起動には双子の魔力が不可欠――ニコロとレナッタが魔光鉱石に魔力を注ぎ込むと、それは結界を展開する為の動力となり、双子の片割のどちらかだけでも、国を護るだけの十分な結界を張ることができるようになった。
「魔光鉱石のおかげで結界の展開は僕らのどちらかさえいれば良くなりました。そして、共和国はそれならば、僕らを交代制にすれば、結界を閉じる必要すらなくなるのではと考えたんです」
人間であろうと魔王軍であろうと、誰もこの国の安全を脅かすことはできなくなる。それは確かに、ここに住む者にとっては願っても無いことだろう。自分達の平和と姉弟の平凡な日常、どちらを取るかと言われれば、誰もが国の安寧を取る筈だ。
「そっか……、それは酷いね」
ヘレンはごくごく率直に意見を述べた。ニコロは一瞬驚いた様子だったが、「そういえばヘレンさんはそういう人でしたね」と、妙に納得した様子だった。
「ヘレンちゃんだけじゃないよ! 私もおかしいと思う!!」
義憤に駆られたエフィルミアの声に周囲が騒然とする。どうどうと、ヘレンは彼女を諫めた。ここで騒ぎを起こすわけにはいかない。そんな二人の反応に、ニコロは哀し気な笑みを浮かべた。
「お気遣い頂けるだけで嬉しいですよ。ちゃんと話せてよかった」
まだ何か出来ることは無いかと思うヘレンだったが、この話はもうおしまいとばかりにニコロはその話題を止めて、これから行く劇場のことを話し始めた。エフィルミアがヘレンに目配せしてくるが、これ以上出来る事はない。
――イズルに相談してみたら、何かいいこと考えてくれるかも。
そんなことを考えながらニコロの後に従った。
ポルックス劇場は,,大衆向けに作られた娯楽施設だ。サーカス団が心躍る芸を披露し、劇団が心に残る物語を演じる。ヘレンはまだ小さい頃に父親に連れられ街で見世物小屋で劇を見た事があるが、ここの広さはそことは比べ物にならない程大きい。
人々は大広間で入場券を購入してから、劇場内へと足を踏み入れる。劇場が始まる前とあって、中は盛況だった。以前来た時には寄らなかった場所であり、ヘレンは圧倒される。横でエフィルミアも初めての場所に子どものようにはしゃいでいた。
「そこをなんとか頼むよ」
ふと劇場の券を売っているらしい受付の方から男の声が聞こえた。黒く長い髪を頭の後ろで結んだ紫色のマフラーを首に巻いた青年だった。
ヘレンはその男を知らないが、その傍にいる少女には見覚えがあった。真っ白なマントル、頭はフードで隠されているが、その合間から覗くのは栗色にオレンジの混ざった特徴的な髪だ。
「俺ら、外で魔物退治した帰りでさ。そんでちょっと息抜きにここ着てみたら、入場券がもう無いって……そんな殺生なことがあるかい?」
「申し訳ありませんが、たとえテンプルナイツの方と言えど特別扱いで入れるわけには行きませんので……」
受付人は困ったような顔で顔を逸らした。その視線の先がニコロを捉えた。青年も振り返り、傍にいた少女はヘレンの存在に気が付いて目を丸くさせた。
「お困りですか、エミリオさん」と、ニコロが話しかけた。顔見知りらしい。受付人がテンプルナイツと言っていたので、コルラードやチュチーリアと同じ騎士団の一員なのだろう。
「おっ、ニコロ様じゃないか。こいつが最近働きっぱなしだったからさ、気分転換でもさせてやろうと思ったんだが……」
エミリオと呼ばれた青年が少女の方へ顎をしゃくる。少女はヘレンに視線を向けたまま素っ気なく「私は別に構わない」と答える。
「そんなことより、私はあなたがこんなとこにいる方が気になる」
「あ、久しぶり、セレーネ……」
ヘレンが言い終えるよりも先、目にも留まらない早さでセレーネは素早く間合いを詰めた。背の低い彼女はヘレンをじっと無表情に見つめて問うた。
「何をしに戻ってきたの、ヘレン・ワーグナー」




