Ⅵ 騎士見習いは吟遊を書き連ねる
魔王タナトスの討伐に失敗し、眠りの呪いを掛けられて、故郷へ帰ることになった時の事だ。当時のヘレンは意気消沈していた。誰と話しても、何を見ても、感じることはなかった。まるで心の底に穴が開いてしまったかのように、入ってくる言葉が、風景が抜け出していく。
そんな中、ヘレンはセレーネ・ヒュペリオンに言葉をぶつけられた。
『あなたがいなくなっても、いつか誰かが魔王を倒すでしょう。英雄なんて呼ばれていても、結局代わりなんていくらでもいるのかもしれないわ』
残酷だが、妙にすとんと心の中に落ちる言葉でもあった。だが、セレーネの話はそこで終わらない。喜怒哀楽に乏しいながらも確かな意志の籠った瞳だった。
『けど、あなたはそれでいいの? 自分の仲間が自分の知らないところで魔王を倒す――或いは名前も知らない誰かが倒して……それでいいの?』
その言葉はヘレンの心をざわつかせた。
『諦めるというのも一つの決意よ。それがあなたの選択なら。だけど、葡萄を諦めた狐みたいにはならないで』
これがセレーネ・ヒュペリオン。その言葉はどこか詩的で独特だ。「葡萄を諦めた狐」はおとぎ話を使った例えだ。主人公の狐は葡萄を取ろうとあの手この手を使うが、最終的には諦めてしまう。「あの葡萄は酸っぱいから取らなくてもよかったのだ」と、自分を納得させて。
「葡萄を諦めきれなくて……」と、二人にしか通じない話をヘレンは口にした。セレーネは腕を組んだまま、ふんっと鼻を鳴らしたが、それ以上は聞かなかった。どういうこと?とエフィルミアは首を傾げている。
「二人は以前からの知合いなんですよ。特にセレーネさんはヘレンさんのその強さに憧――」
「ニコロ様、ここには何をしに?」
セレーネは極めて冷静かつ手短にニコロへ訊ねた。流石、無駄が無いとヘレンは馬鹿正直に感心していた。エフィルミアが「え、セレーネさん、ヘレンちゃんのことどう思ってたの!? 何々聞かせて」と早速反応してセレーネに詰め寄るも、セレーネはクールに聞き流していた。
「こちらのお二人は共和国の客人のお連れ様でして。お客人の用が済むまで、観光案内をしていたところです」
「呑気なことね……」
呆れてるセレーネの手をヘレンは握った。突然の事に警戒したのかびくっと震える。
「好きなんでしょ?」
「は、はぁっ!?」
セレーネが素っ頓狂な声を上げた。先程までの冷静な振る舞いからは想像もつかない声音だった。流石に説明が足りな過ぎたかと、ヘレンは付け加える。
「劇……好きなんでしょ? 一緒に見ない?」
「はぁ……そっちね。悪いけど私は――」
まだ歯切れの悪いセレーネの隣でエミリオが咳払いする。なぜだか分からないがセレーネは気まずそうな顔になり、「わかった」とだけ答えた。二人にだけしか分からない何かがあるのだろう。
「私、お話の出来にはうるさいから……」
「そういうの分からないから、色々教えて―」
劇が始まったのは日も傾いた頃だった。
ニコロが用意してくれた劇場の席は、普段貴族等が利用する特別な席であるようで、ちょっとした小部屋から劇場を見下ろせるようになっていた。中はふかふかの椅子となっており、座るなりヘレンは心地よさで眠たくなってしまったが、セレーネに頬を抓まれ、現実へと戻ってきた。
彼女の目の前には何百もの席の列が円形に階段式で下に向って広がっている。劇場は薄暗く、舞台の上は光り輝いていた。何の光かと思ったが、天井にキラキラとしたものを見つける。恐らく魔光鉱石を使ったものだろう。氷菓子の店もそうだったが、日用品として転用できる程に普及しているとは驚きだった。
ニコロは加工技術も発展していると言っていたが、魔法には明るくないヘレンにとってもどれだけこれが凄い事なのかは理解できる。
「紳士淑女の皆様、今宵は、芸に笑い、劇に泣いて、心行くまで楽しんでいってくださいませ――まずは、ブラックフォードサーカス団の燃えるような曲芸を是非ご覧くだされ」
劇団の団長が挨拶も早々に引っ込み、底の長い奇抜な形状の帽子、白と黒、モノトーン基調の服とスカートを身に纏った金髪の少女が舞台袖から登場する。
「はいはーい、ブラックフォードサーカス団、超売れっ子のアリソンちゃんだ――」
言い終えるよりも先にアリソンの床下が爆発する。周囲で悲鳴が上がり、ヘレンとエフィルミアが素早く立ち上がるも、ニコロが「あの……これも芸のうちの一つだから大丈夫ですよ」と諫めた。
――サーカスって心臓に悪い。
実際、爆発の直後に背の高いピエロが箱を持って現れる。その箱が開き、アリソンと名乗った少女が「じゃじゃーん!!」とテンション高めに、複雑に寝そべった姿勢から脚を高く上げて現れる。
そこからも猛獣が火の輪をくぐり、箱に再び入ったアリソンがピエロに八つ裂きにされ――たと見せかけて無事だったり等々、多種多様な芸が披露されたが、案の定ヘレンは眠気に抗えずに途中で寝てしまった。
再び目を覚ましたのはサーカスが終わり、続く演劇も半ばの頃だった。
「あ、ヘレンちゃんやっと起きたー。見てみて凄いよ!」
エフィルミアの指さす方を見ると、役者たちが常人離れした動きで剣戟を見せていた。「おぉっ」とヘレンはその動きに感心する。実戦に比べれば随分軽いが、スピード感と魅力的な動きをする。途中からなので、話の筋は一切分からないが――。
「悪い魔王を勇者が倒す……まぁ、ありきたりなつまらないお話よ」
セレーネの説明で大体理解した。世界を苦しめていた魔王は激しい戦いの末に遂に勇者に討ち取られ、攫われた姫も救われ、めでたく終わりを迎える。全てが終わり、役者が集まってお辞儀をした時、ヘレンは目を輝かせていた。
セレーネはありきたりと評したが、こんなに明るく終われるのであれば、それが最高ではないかと、ヘレンは思った。隣にいるエフィルミアも同じ考えのようで、めちゃくちゃはしゃいで、ニコロに諫められるも、興奮冷めやらぬといった調子で、この物語を酷評したセレーネに物申す。
「全然つまらなくなんかなかったですよ、セレーネさん!」
「その……これ、私が書いたお話だから」とセレーネは打ち明けた。
「え、セレーネお話なんて書けるの?」
ヘレンは思わず大口を開ける。今日一番驚かされた。照れているのかセレーネは「そんな大したお話じゃないわ。騎士団の訓練の合間に羊皮紙に書き溜めてたやつだったから……こっそり」
それをテンプルナイツの仲間達に見つかり、勝手に広められてしまい、劇団の目に留まってしまったらしい。本人としては満足が行くような話ではなく、こんな風に出されるのは恥ずかしいとのことだった。
「エミリオは最近加入したから、この事知らないで私に見せようとしてたの。入場券が売り切れて、助かったと思ったのに」
「僕は良いお話だと思いましたよ。だって皆が望んでいたようなお話じゃないですか」
ニコロにも褒められ、セレーネは照れ隠しのようにごほんと咳払いした。
「現実はお話みたいにハッピーエンドじゃないって、見た後にどうしても思っちゃうの……」
セレーネの表情は暗かった。ニコロといい、最後に会ったあれから色々とあったのだろうとヘレンは思った。
――まぁ、それは私もそうか……。
現実は物語とは違う。ヘレンの知らないところで誰かの物語があり、それは必ずしもいい結果に終わったものばかりではないだろう。
「でも、私はあのお話好きだよ。特にでっかい剣を持った女の人、かっこよかったー」
「え、あ……あれのモチーフは――んん、いいや」
セレーネは何を言いたかったのだろうか? ごにょごにょとしていて何も聞こえなかった。「とんだ自画自賛」とかなんとか聞こえる。
劇は面白かったが、妙にしんみりとした気持ちで終わってしまった。四人が劇場から出てくると、イズルが待っていた。
「ヴォルゴール殿、評議界とのお話はもう済んだのですか?」
「えぇ、まぁ……済んだと言えば済んだと言いますか」
ニコロの問いかけにイズルは歯切れ悪く答えた。なぜか視線が合わず、ヘレンはイズルを覗き込むように顔を傾けさせた。そんな彼女にイズルはすまなそうな顔で伝える。
「ヘレン、すまないがここでも君の助けが必要になりそうなんだ」
「うん、いいよー……」
二つ返事でヘレンは答える。そろそろ自分の物語を動かす時が来たのだ。




