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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第三夜 静寂と沈黙の雨
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雨が穿つ夜 1


 バケツをひっくり返したかのような、土砂降りの雨だった。幸いなことに、今のところ雷は鳴っていない。


「はーい、撮って撮ってぇ!」


 この日はいつにもまして、キャバクラ「織り姫」が盛り上がっている。


 超高級シャンパンが下ろされた卓席で、女の子が男性に身を寄せてピースした。その光景を、スタッフがスマホで撮影している。


 写真を数枚撮って、女の子に渡した。


「ありがと~! この写真送るねぇ! はじめておろしてくれた記念日ってことで!」


 シャンパンのふたが外され、歓声が沸き起こる。そのにぎやかな声は、スズが座る卓席にも届いていた。


「なに? シャンパンおろしたら写真撮っていいわけ?」


 膨らんだおなかでスーツがパンパンになっている中年男性が、卓席の奥でふんぞり返る。その連れの一人に、スズはついていた。


 テーブルにはすでに、二本のシャンパンが開いている。


「私そういうのNGでぇす」


 中年男性のとなりに座る若いキャバ嬢が、腕をバツにしてみせた。


「なんでだよ。向こうでは一本開けただけで写真とってんぞ。おまえ普段から写真送ってくれねえじゃん」


「ほかの子と違って私、顔出ししてないからさ。写真を撮られるの昔から苦手だし、見られるのも恥ずかしいしぃ」


 キャバ嬢もホストも、写真撮影をNGにしているキャストは少なくない。学生のバイトや副業の場合、身バレするリスクを極力減らしたいのだ。


 拒絶している本人も大学生であり、身内や同級生にもこの仕事を隠していた。


「そんな見せびらかしたりしねえよ。中坊じゃねえんだからさ。それともなに? 俺がそういうことするように見えるわけ?」


 どんどん口調が強くなっていく男性に、眉尻を下げる女の子。


 客のグラスを拭くスズが、にこやかに口をはさんだ。


「わかってないなぁ。写真で満足しないで直接会いに来てほしいんですよ~。 写真より一緒に長い時間過ごしたいじゃないですかぁ」


「そう! そうなん」


「ババアは黙ってろ気持ち悪いな!」


 ついていた女の子たちがびくりと震え、卓席がシンと静まり返る。男性たちも気まずい表情を浮かべる中、それでもスズはいつものように、にっこりと笑った。


「え~、ひどぉい。私なにも悪いこと言ってないのに~」


「そうだよ! そんな怖い言い方しないで!」


 ひやりとした一幕はあったものの、卓席は再びにぎやかさを取り戻していく。


 帰っていく客を見送ったあと、スズは例の男性が指名する女の子から何度も謝罪された。もちろんそんなことを気にするスズではないため、にこやかに次の卓席へと向かう。


 とにもかくにも、平日の雨の日とは思えないくらいの忙しさだった。閉店時間まで多くのキャバ嬢がみっちりと働き、更衣室ではみな、疲弊(ひへい)した顔でドレスを脱いでいく。


「あのハゲめっちゃ胸とか尻とか触ってきてんすよ~」


「やばぁ。その分金払えっつーんだよな」


「モエシャン一本で調子乗んなって話っすよ」


 更衣室の中に、スズの甲高い声はない。ただ黙々と着替え、ワイドパンツに足を通していた。


 この日一番の売り上げを出した売れっ子が、化粧台に座って化粧直しを始めている。


「あーあ、このあとアフターだよ。マジだる~」


「なに食いに行くの?」


「ラーメンだって。モカも来る?」


「あたしパス~」


「え~? なんで?」


「明日、超早めに出勤してSNSの撮影しなきゃだから」


「う~わ。それもだるいわ~」


 バッグを肩にかけたスズは、残っている若い子たちを横目に、立てていた傘を引き抜いて更衣室を出た。


 早足でエレベーターホールに入れば、先客がいる。


「あ、お疲れさまでーす、スズさん」


 ツバキだ。ヘアセットはそのままに、ギャルらしいスキニーパンツスタイル。腕に傘をかけながらスマホを握っていた。


「お疲れさま、ツバキちゃん」


「いやー、今日も大変でしたね。まさかこの時期にあんなにも団体客が続くとは」


 苦笑するツバキに、スズはうなずく。


「ほんとだよ。外は土砂降りだから、みんなちょっと油断してたよね」


「なんか、店長いわく、SNSの影響がでかいらしいですよ。昨日今日でかれんちゃんの投稿がバズってるみたいで」


「そうなんだ。だから今日かれんちゃんの指名多かったのかな」


 エレベーターはまだ来ない。ビルには夜の店が複数入っており、閉店の時間もかぶっている。下の階で先にボタンを押されていると、上の階にある「織り姫」にはなかなか来てくれない。


「そういえばツバキちゃんはSNSやらないの? 顔出しはOKにしてるじゃない?」


「あー……なんかそこまでやりたいとも思えないんすよね、私三日坊主だし。ただでさえお客さんとのやり取りに苦戦してるのに、SNSまで変なメッセージ来られちゃたまんないすよ」


 スマホに視線を落とすツバキは客のメッセージに気づき、難しい顔つきで返信する。


「そっかあ。ツバキちゃん、きれいな顔してるし、人気もあるし、見たい人多いと思うんだけどな。店長にやれって言われない?」


「勘弁してくださいよ~。今のままで十分ですって店長にも言ってます。ネットなんて使い方間違えたらすぐたたかれるんですから」


「若いのになかなか保守的な考えしてるね」


 ツバキはスマホを暗転し、バッグにしまい込む。


「てかぁ、聞いてくださいよ。今度、法事で実家帰らなきゃいけなくなっちゃってぇ」


「そうなの? 結構遠かったよね? ツバキちゃんちって」


「そうそう、新幹線の距離なんです。しかも私、親とめっちゃ仲悪くて」


「あ~、そうなんだぁ」


 腕を組むツバキの顔は、苦々しくゆがんでいた。


「まぁじで帰りたくないんすよね。ろくなこと言われないのわかってるから。やれおまえの教育に失敗しただ、男に色目使ってるだ。……ま、事実なんすけど」


「欠席してもいいんじゃない?」


「ほんと、そうしてやろうかな。今も連絡来てぐちぐち言われてんです。ガン無視してますけど」


 二人が待っている間、着替え終えた女の子たちが次々とやってくる。ようやくエレベーターが到着し、ドアが開いた。


 女の子たち数人で乗り込んだあとも、ツバキはとなりにいるスズと話を続ける。


「スズさんは地元に帰ったりしないんですか? そういう話きかないですけど」


「帰らないね~、うちもろくなことになんないからさ」


「やっぱそうですよね」


「ツバキちゃんもほんとに嫌なら帰んなくていいって」


「スズさんにそう言ってもらえると気が楽だな~。ほんと、うちの実家にスズさんみたいな人がいてくれればいいのに」


 面倒見がよく、新人の指導をよく引き受けるスズは、「織り姫」に必要不可欠な存在だ。スタッフには信頼され、女の子には慕われている。ツバキもそのうちの一人だった。


「スズさんはおうちでも、いいお母さんなんだろうなぁ」

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