雨が穿つ夜 1
バケツをひっくり返したかのような、土砂降りの雨だった。幸いなことに、今のところ雷は鳴っていない。
「はーい、撮って撮ってぇ!」
この日はいつにもまして、キャバクラ「織り姫」が盛り上がっている。
超高級シャンパンが下ろされた卓席で、女の子が男性に身を寄せてピースした。その光景を、スタッフがスマホで撮影している。
写真を数枚撮って、女の子に渡した。
「ありがと~! この写真送るねぇ! はじめておろしてくれた記念日ってことで!」
シャンパンのふたが外され、歓声が沸き起こる。そのにぎやかな声は、スズが座る卓席にも届いていた。
「なに? シャンパンおろしたら写真撮っていいわけ?」
膨らんだおなかでスーツがパンパンになっている中年男性が、卓席の奥でふんぞり返る。その連れの一人に、スズはついていた。
テーブルにはすでに、二本のシャンパンが開いている。
「私そういうのNGでぇす」
中年男性のとなりに座る若いキャバ嬢が、腕をバツにしてみせた。
「なんでだよ。向こうでは一本開けただけで写真とってんぞ。おまえ普段から写真送ってくれねえじゃん」
「ほかの子と違って私、顔出ししてないからさ。写真を撮られるの昔から苦手だし、見られるのも恥ずかしいしぃ」
キャバ嬢もホストも、写真撮影をNGにしているキャストは少なくない。学生のバイトや副業の場合、身バレするリスクを極力減らしたいのだ。
拒絶している本人も大学生であり、身内や同級生にもこの仕事を隠していた。
「そんな見せびらかしたりしねえよ。中坊じゃねえんだからさ。それともなに? 俺がそういうことするように見えるわけ?」
どんどん口調が強くなっていく男性に、眉尻を下げる女の子。
客のグラスを拭くスズが、にこやかに口をはさんだ。
「わかってないなぁ。写真で満足しないで直接会いに来てほしいんですよ~。 写真より一緒に長い時間過ごしたいじゃないですかぁ」
「そう! そうなん」
「ババアは黙ってろ気持ち悪いな!」
ついていた女の子たちがびくりと震え、卓席がシンと静まり返る。男性たちも気まずい表情を浮かべる中、それでもスズはいつものように、にっこりと笑った。
「え~、ひどぉい。私なにも悪いこと言ってないのに~」
「そうだよ! そんな怖い言い方しないで!」
ひやりとした一幕はあったものの、卓席は再びにぎやかさを取り戻していく。
帰っていく客を見送ったあと、スズは例の男性が指名する女の子から何度も謝罪された。もちろんそんなことを気にするスズではないため、にこやかに次の卓席へと向かう。
とにもかくにも、平日の雨の日とは思えないくらいの忙しさだった。閉店時間まで多くのキャバ嬢がみっちりと働き、更衣室ではみな、疲弊した顔でドレスを脱いでいく。
「あのハゲめっちゃ胸とか尻とか触ってきてんすよ~」
「やばぁ。その分金払えっつーんだよな」
「モエシャン一本で調子乗んなって話っすよ」
更衣室の中に、スズの甲高い声はない。ただ黙々と着替え、ワイドパンツに足を通していた。
この日一番の売り上げを出した売れっ子が、化粧台に座って化粧直しを始めている。
「あーあ、このあとアフターだよ。マジだる~」
「なに食いに行くの?」
「ラーメンだって。モカも来る?」
「あたしパス~」
「え~? なんで?」
「明日、超早めに出勤してSNSの撮影しなきゃだから」
「う~わ。それもだるいわ~」
バッグを肩にかけたスズは、残っている若い子たちを横目に、立てていた傘を引き抜いて更衣室を出た。
早足でエレベーターホールに入れば、先客がいる。
「あ、お疲れさまでーす、スズさん」
ツバキだ。ヘアセットはそのままに、ギャルらしいスキニーパンツスタイル。腕に傘をかけながらスマホを握っていた。
「お疲れさま、ツバキちゃん」
「いやー、今日も大変でしたね。まさかこの時期にあんなにも団体客が続くとは」
苦笑するツバキに、スズはうなずく。
「ほんとだよ。外は土砂降りだから、みんなちょっと油断してたよね」
「なんか、店長いわく、SNSの影響がでかいらしいですよ。昨日今日でかれんちゃんの投稿がバズってるみたいで」
「そうなんだ。だから今日かれんちゃんの指名多かったのかな」
エレベーターはまだ来ない。ビルには夜の店が複数入っており、閉店の時間もかぶっている。下の階で先にボタンを押されていると、上の階にある「織り姫」にはなかなか来てくれない。
「そういえばツバキちゃんはSNSやらないの? 顔出しはOKにしてるじゃない?」
「あー……なんかそこまでやりたいとも思えないんすよね、私三日坊主だし。ただでさえお客さんとのやり取りに苦戦してるのに、SNSまで変なメッセージ来られちゃたまんないすよ」
スマホに視線を落とすツバキは客のメッセージに気づき、難しい顔つきで返信する。
「そっかあ。ツバキちゃん、きれいな顔してるし、人気もあるし、見たい人多いと思うんだけどな。店長にやれって言われない?」
「勘弁してくださいよ~。今のままで十分ですって店長にも言ってます。ネットなんて使い方間違えたらすぐたたかれるんですから」
「若いのになかなか保守的な考えしてるね」
ツバキはスマホを暗転し、バッグにしまい込む。
「てかぁ、聞いてくださいよ。今度、法事で実家帰らなきゃいけなくなっちゃってぇ」
「そうなの? 結構遠かったよね? ツバキちゃんちって」
「そうそう、新幹線の距離なんです。しかも私、親とめっちゃ仲悪くて」
「あ~、そうなんだぁ」
腕を組むツバキの顔は、苦々しくゆがんでいた。
「まぁじで帰りたくないんすよね。ろくなこと言われないのわかってるから。やれおまえの教育に失敗しただ、男に色目使ってるだ。……ま、事実なんすけど」
「欠席してもいいんじゃない?」
「ほんと、そうしてやろうかな。今も連絡来てぐちぐち言われてんです。ガン無視してますけど」
二人が待っている間、着替え終えた女の子たちが次々とやってくる。ようやくエレベーターが到着し、ドアが開いた。
女の子たち数人で乗り込んだあとも、ツバキはとなりにいるスズと話を続ける。
「スズさんは地元に帰ったりしないんですか? そういう話きかないですけど」
「帰らないね~、うちもろくなことになんないからさ」
「やっぱそうですよね」
「ツバキちゃんもほんとに嫌なら帰んなくていいって」
「スズさんにそう言ってもらえると気が楽だな~。ほんと、うちの実家にスズさんみたいな人がいてくれればいいのに」
面倒見がよく、新人の指導をよく引き受けるスズは、「織り姫」に必要不可欠な存在だ。スタッフには信頼され、女の子には慕われている。ツバキもそのうちの一人だった。
「スズさんはおうちでも、いいお母さんなんだろうなぁ」




