自衛と猜疑
クリックするマウスの音が、カチカチと続く。
デスクに座る優希が、真剣なまなざしでPCを操作していた。背後には律がたたずみ、仕事の成果を確認するような目つきで見下ろしている。
「お疲れさまでーす」
若い男の声に、玄関のドアが閉まる音。
二人して廊下に視線を向けた。
近付いてくる足音とともにリビングへ入ってきたのは、送迎担当のミズキだ。ツーピースの黒スーツに、黒ぶちメガネ、前髪に金のメッシュを入れている。
「すいませぇん。ユノさんがもうあがりなんですけどぉ」
「お疲れさまです、社長!」
ミズキの後ろから女性がぱっと飛び出した。ハーフアップにした髪に、ひざ丈の白いワンピース。これでもかと清楚な印象を際立たせている。
「見て見て、社長。これ、期間限定の特別製なの~」
細い腕で抱きかかえているのは、彼女の上半身を隠すほどに大きいぬいぐるみ。メガネをかけた黄色い単細胞生物で、子どもや若い女性に人気のアニメキャラクターだ。
着せられているドレスからして、確かに特別仕様のようだった。
「指名のお客様からいただいたの! 欲しかったんだぁ。私予約できなかったから」
嬉々とした声が響くリビングに、妙な空気が漂い始める。
「……よかったねぇ、ユノちゃん」
律はミズキと優希を交互に見た。二人とも神妙な顔で見返し、律に判断をゆだねている。
「ちょっと、見せてくれる?」
手を広げながらユノの前に出た。
いつもとは違う真剣な声に、ユノはかすかに身をこわばらせる。それでも穏やかに笑い、「いいですよ」と手渡した。
律は受け取ったぬいぐるみをゆっくりと回し、すみずみまで目を通す。ドレスの中、お尻につけられたタグには、テーマパークのロゴと製造番号が印字されていた。
振って耳に当てる動作を何度か繰り返し、無人のデスクに寝かせる。ぬいぐるみの全身を手のひらでぐっと押しつぶした。手や足の部分まで、何度も、念入りに。
ユノは「あっ」と声を上げるが、律の真面目な顔を見て制止することはない。
「うん、まあ、大丈夫、かな」
切れ目もなくほつれもない。刺繍で彩られた目は精巧に縫い付けられており、中に何かを入れた形跡はなかった。触り心地に違和感を覚えることもない。
ぬいぐるみの形をきれいに整え、めくれたドレスの裾をなおし、ユノに差し出す。
「ごめんねぇ、ユノちゃん。最近、盗撮が問題になってるみたいだからさ。みんな敏感になってるんだ」
ユノは受け取ったぬいぐるみを抱きしめ、眉尻を下げた。
「これくれたのリピーターさんだし、そんなことしないよ」
「うん、そうだよね。わかってるよ」
「ここを利用するお客さま、みんないい人だもん」
「そうだね。でも、万が一のことが起きて、ユノちゃんが傷つくようなことにはなってほしくないんだ。人間、裏でなに考えてるかなんてわかんないもんだしね」
律の視線が、ミズキに移る。
「もうあがりなんだよね? 会計は終わらせた?」
「いえ、まだです」
「じゃあ、ここで済ませとこうか」
ユノの業務内容を優希に確認し、それに伴った金額を請求する。
ぬいぐるみをミズキに預けたユノは、律が持つキャッシュトレーに万札と千円札を数枚ずつのせた。財布に残る額は、激安店で得られるそれを優に超えている。
「ユノちゃん。今回は純粋な好意でいただいたんだろうけど、今後もなにかいただくときは気を付けるようにしてね」
財布をバッグにしまうユノは、ミズキから返してもらったぬいぐるみを抱きかかえた。
「も~。心配性だなぁ、社長は」
「みんなのこと大事にしてるからこそだよ。いつでも、悪い人たちからちゃんと守ってあげられるようにしたいしね」
「お店に置いてる商品として?」
「もちろん、女の子としてに決まってんじゃん」
ホストらしくカッコつけた笑みを見せる律に、ユノは「え~?」とはにかんだ。
「ミズキも、つれてきてくれてありがとう」
「いえ」
「今度からはミズキがさっきみたいに確認してあげて」
「わかりました」
部下らしくしっかりと頭を下げたミズキは、一緒に出るようユノを促し、リビングを後にする。二人が出ていく玄関の開閉音は、笑顔で見送った律のもとにまで届いていた。
デスクに置かれたキャッシュボックスを開き、受け取った札を種類ごとに分けて収める。施錠したその上にトレーを置き、優希の元へと戻った。
「近澤さんがわざわざ送ってきたのもわかりますね」
再びマウスのクリック音を響かせる優希は、顔をゆがませる。
「ほんと、最悪っすよ、これ」
画面に表示されているのは、デリヘルのレポートをのせている個人サイトだ。
女性の容姿やサービスといった一般的な内容から、ウソか本当かわからない個人情報に誹謗中傷、本番報告まで好き勝手に書かれている。隠し撮りの画像や、本番行為の動画ものせられていた。
「女の子に許可とってる、ですって」
サイト記事の一文に、優希はいやいやと手を振る。
「んなわけないじゃん。女の子がこんなの許可するわけないし。この動画とか、絶対隠し撮りですからね」
「それが、百パーセントないとも言い切れないから難しいんだ」
優希が座るイスの背もたれとデスクに手を置き、画面を見据えた。
「デリヘルによっては撮影OKのところもある。自分から本番交渉持ちかける女の子だっていないわけじゃない。激安店の子とか、あまり売れてないような子は特にな。……写真を見る限り、あえてそういう子を狙ってるみたいだし」
「とはいえ、こんなふうにのせられてるの、女の子たち知ってるんでしょうか」
「……さあな」
記事にのせられている女性の写真には、黒い目隠しが付けられているだけだ。その全身にモザイクがかかっているところはない。これでは見る人が見ればすぐに本人だと気づくことだろう。
優希は同情とも呆れとも言えない表情で、ふうっと息をつく。ホイールボタンを回し、記事の上部へと戻った。
「ひとまず、うちの子たちがいないのは、安心していいですよね」
「ああ。さっきのユノちゃんじゃないが、そもそもうちのお客様はそんなことしない。するにしても、デメリットの方が大きいことをよくわかってらっしゃる。……俺たちが、黙ってないってこともな」
記事のとなりに並んだアーカイブを見るに、ずいぶんと長い間、かなりの頻度で更新されているようだ。それほどまでにたくさんの女性たちが食い物にされてきた、ということでもある。
「近澤さんがわざわざ送ってきたサイトだ。うちには関係がなかったとしても、今後もようす見といてくれる?」
「わかりました」
優希がマウスを小さく動かした。
勝手気ままな文章がつづられる下衆なサイトページは、容赦なく閉じられる。




