仮面の微笑 2
「この調子じゃやばいぞ。ここ最近たるんでるんじゃないのか、おまえら」
営業を終了した「Aquarius」に、店長の野太い声が反響した。
流れていたBGMは消され、照明は営業時よりも明るめに調整されている。
「閑散期は普段の実力が嫌でも見えてくるときだ。これまで努力したことの結果が出てると思え!」
店の中央に吊るされた大きいシャンデリアの下、店長が仁王立ちで喝を入れた。その前方を囲うよう半円型に並べられたソファにホストたちが座っている。
「結果を出せてないやつはこれまでの体たらくを反省しろ! 給料もらってんだから客を呼ぶ努力をしろ! 今日の律を見習え!」
ホストたちの中に、律の姿はない。その状況に誰一人として文句を言うことはなかった。
「Aquarius」のトップに与えられた称号は、「executive player」。長年高い売上を出し続ける者に許された、特権階級だ。売上さえ出していれば、遅刻に早退、当日欠勤――ある程度のわがままには目をつぶってもらえる。
当然、終礼やミーティングに参加しなかったとしても支障はない。毎月トップの売り上げともなれば、犯罪以外になにをしようがしなかろうが自由だ。
では今現在何をしているのかというと、すみのボックス席でソファに横たわっている。仰向けになり、目元を片腕で覆っていた。
一時間ごとに客が入れ替わる中、ヘルプに頼ることなく接客をやり通したのだ。その神経はいつも以上にすり減っている。
「金を使おうが使わなかろうが関係ない。とりあえず店に呼べ! ノーゲスだけは絶対に避けろ!」
店長の鼓舞に、体育会系の勢いある返事が響き渡った。
終礼を済ませたホストたちは、掃除や役職ミーティング、アフターの連絡などでせわしなく過ごす。その集団から離れるホストが、ソファに横たわる律をのぞき込んだ。
平均身長よりも低い背丈に、女性顔負けのキュートな顔。子犬のようにきゅるんとした愛らしさを振りまいている。「Aquarius」で売り上げ二位を誇る、部長の志乃だ。
キラキラとしたその顔は一転、下卑た笑みに変わる。
「おまえさ~、初回で連絡先もらった相手、全員とやりとりしてんの?」
軽薄で、馴れ馴れしい声だ。
「連絡とるだけで来ちゃくんない女だっているだろ?」
「……そりゃもちろん」
騒がしくなってきた店内で、律はようやく体を起こす。まだ疲労の抜けていない顔で、気だるげにスマホを見始めた。
「もう来ないだろうなってやつなら切るよ。少しでも見込みがあるならやりとりしてる」
「はー……よくやるよ。最後の客とか絶対地獄じゃん。俺だったらブチぎれてんね」
「あの人はね、ネット弁慶ってやつ。ほら、今大変なことになってる」
律がスマホの画面を志乃に向ける。
そこに表示されているのは、連絡アプリのトーク画面だ。相手から送られる短文メッセージでびっしりと埋まっていた。
連発されたカタカナと絵文字が痛々しい。律が返事をする余裕も与えず、志乃が見ているあいだもぽんぽんと送られている。
「あー……なるほど」
スマホを戻し、来てくれた女性たちにお礼のメッセージを送った。一段落ついてジャケットにしまうと、腕を上げて背を伸ばす。
脱力したため息をついて、立ち上がった。
スーツのまま出入口に向かう律を、志乃がなんとなしに追う。
「ぎゃああああああ! またやられたああああ!」
キャッシャーから放たれる、叫び声。
手前で立ち止まる二人は、カウンターに寄りかかる男を見すえた。
「ねえ、またベッド写真載せられてんだけどぉ? なんでぇ?」
声の主は拓海だ。役職は幹部補佐。スマホを見ながら頭をかきむしっている。
すでにスーツからブランド物の私服に着替えており、アフターに行く気満々――だったらしい。
「なんでだろうねぇ」
カウンターの中で売り上げを計算していた女性スタッフが、いつものことと言わんばかりにあしらっている。
「俺が姫を見る目がないのか、姫の性格が悪いのか……」
「うーん、どっちもじゃない?」
志乃が鼻を鳴らし、口をはさんだ。
「もうネタに変えれば?」
「そこまでホストとして落ちてねえっす」
半べそをかくような顔を向ける拓海に、いやいやと手を振る。
「落ちてる落ちてる、自覚しろ? おまえもそう思うだろ?」
となりにいる律を肘でこづいた。
「……俺に振るなよ」
「律さんはアフターも枕もせずに一位ですからね~。ナンバーワンとしてぜひアドバイスしたってくださいよ」
「こいつにするようなアドバイスなんてねえよ。同じこと繰り返してなんも学ばないんだから」
拓海は「ぐ」とうめきながらみぞおちに手を当てる。胃がキリキリと痛み始めていた。
「うぅ、説教ならいらないっす」
「結局のところ、ただの、コミュニケーション不足。ホストとしての力量不足」
「だからいらないっす!」
歪んだ顔が青く染まる。
売り上げも指名数もかなわない律にケンカを売り、返り討ちにされたときのことを思い出していた。
律の小言は止まらない。
「どうせこのあともホテル行く予定だったんだろ? 体で姫をつなぎとめてりゃいいと思ってんだもんな。公私混同で客を抱いてるんじゃ世話ねえよ」
「おい、聞いてんのか。ナンバーワンのありがたいお言葉だぞ!」
容赦のない言葉に殴られ続けた拓海は、すでに満身創痍。このままでは倒れまいと、必死に言い返す。
「り、律さんだって、姫の中にも好みくらいいるでしょ。お持ち帰りの感覚でやりてえなと思うでしょうが!」
「思わねえよ。まずそこが間違いなんだっつうの」
「うそだあ! それこそ、ツバキちゃんなんてめちゃくちゃ美人でしょ。あれだけ金出してもらってんなら、やることやってんじゃないんすか?」
とたん、空気がピンと張り詰めた。
女性スタッフと志乃から表情が消える。律のようすをうかがうように視線を向け、下手に口を出すことができない。
拓海が失言だったと気づいたときにはもう遅かった。革靴の足音が、一歩ずつ、ゆっくりと近づいてくる。
「大事な大事なアドバイスをくれてやる」
目の前で止まり、拓海が持っているスマホに手を伸ばした。暗転している画面を指先でコツ、コツ、と叩き始める。
「てめえの価値を下げてんのは、姫じゃなくててめえだよ。自分から誰でも抱くクズ野郎ですって自己紹介してるようなもんなんだからな」
叩く音が、どんどん強く、早くなっていく。
「こういうことを起こさないコツは、こういうとこでこういう話をペラペラと垂れ流さないことだ。この、恥知らずが」
身をひるがえし、店を出る。階段を踏みしめる重い音が、キャッシャーにまで届いていた。
呆然としている拓海に、志乃がため息。
「おまえ、相変わらず律を怒らせるのだけはうまいな」




