仮面の微笑 2
――この際売り上げは二の次だ。この時期に膨大な額は期待できない。それなら営業の対象と、方法を変える。
優先すべきは、指名数だ。「constellation group」では売り上げだけでなく、指名数も総合ランキングに反映されていた。
最後に律がついた女性は、この時間なのに帽子、サングラス、マスクといった重装備。席についてもまったくしゃべらず、律が作った水割りすら飲まない。ただひたすらに律がしゃべり倒すのを、黙って聞いていた。
閉店間際に見送った後、律はすぐさま厨房に向かい、ポットの水をコップに注いでがぶ飲みする。飲み干した瞬間、盛大に息をついた。
ほどなくして「Aquarius」はこの日の営業を終了する。流れていたBGMは消され、照明はひときわ明るく調節された。
とにかく疲れ切った律は、すみの卓席で横になる。仰向けになり、片腕で自身の目元を覆った。
一時間ごとに客が入れ替わり、ドリンクも出ない中接客をやり通したのだ。その神経はだいぶすり減っている。
次の職場であるデリヘル事務所に向かうまで、少しでも回復していたい。
「この調子じゃ来週以降やばいぞおまえら」
終礼が始まり、店長の厳しい声が耳に入ってくる。
店の中央にあるシャンデリアを囲むようU字型に並べられたソファに、出勤していたホストたちが全員座っていた。
「|executive player」という特殊な役職である律は、このような終礼やミーティングに出なくても文句は言われない。
「おまえら、わかってんな?」
シャンデリアの下に立っている店長が、ホストたちを見渡し声を張り上げる。
「ここ最近たるんでるぞ! 危機感を持て! 今日は律のおかげでのりきったようなもんだぞ! 給料もらってんだから客を呼ぶ努力をしろ! 金を使おうが使わなかろうが関係ない。とりあえず店に呼べ! ノーゲスだけは絶対に避けろ!」
店長の鼓舞に、体育会系の勢いある返事が一斉に反響した。
終礼を済ませたホストたちはそれぞれ、掃除や役職ミーティング、アフターの連絡などでせわしなく過ごす。
卓席で上体を起こす律のもとに、背が低く、子犬のようなかわいらしさを振りまくホストが近づいてきた。「Aquarius」で売り上げ二位を誇る、部長の志乃だ。
口を開けば、顔に似合わず小ばかにするような声を出す。
「おまえさ~、初回で連絡先もらった相手、全員と連絡とってんの?」
まだ疲労の抜けていない律は、返事をせず、気だるげにスマホを見始める。
「連絡とるだけで来ちゃくんない女だっているだろ?」
「ああ、そりゃもちろん」
疲れを隠そうともせず、低い声で吐息まじりに返した。
「もう来ないだろうなって人だったら切るよ。少しでも見込みがあるならとり続けてる」
「はー……よくやるよ。最後の客とか絶対地獄じゃん。俺だったらブチぎれてんね」
「あの人はね、ネット弁慶ってやつ。ほら、今トーク欄大変なことになってる」
律がスマホの画面を見せると、トーク欄は相手から送られる短文メッセージでびっしりと埋まっていた。志乃が見ているその間もぽんぽんとメッセージがついていく。
あきれた笑みを浮かべる志乃をよそに、律はこの日来てくれた女の子たちへ、お礼のメッセージをせっせと送り続けた。
ひととおり終えた律はスマホをジャケットにしまい、腕を上げて背を伸ばす。一息ついて立ち上がり、スーツのまま出入口へと向かった。そのあとを、志乃がなんとなしに追う。
「ぎゃああああああ! またやられたああああ!」
出入り口前のキャッシャーから放たれる叫び声。立ち止まる二人は、カウンターに寄りかかる男を冷めた目で見すえた。
声の主は、すでに着替えを終え、アフターに行く気満々の拓海だ。役職は幹部補佐。カウンターの中で売り上げの計算をしていた女性スタッフに、スマホを見ながら嘆く。
「ねえ、またベッド写真載せられてんだけどぉ? なんでぇ? 俺が女の子を見る目がないのか女の子の性格が悪いのか……」
「うーん、どっちもじゃない?」
スタッフに冷たくあしらわれている拓海に、志乃が鼻を鳴らす。
「もうネタに変えれば?」
「そこまでホストとして落ちてねえっす」
「いや落ちてるだろ」
志乃はいたずらっぽく笑ってとなりを見た。反応するのも面倒とばかりに目をそらしていた律を、肘でこづく。
「ナンバーワンの律さんはどう思います?」
「しんど……。俺に振るなよ」
「律さんはアフターも枕もせずに一位ですからね~。ぜひアドバイスしたってくださいよ」
「こいつにするようなアドバイスなんてねえだろ。同じこと繰り返してなんも学ばないようなやつ」
売り上げも指名数も到底かなわない律に、拓海はぐうの音も出ない。
「公私混同で客を抱いてるんじゃ世話ねえよ。どうせこのあともホテル行く予定なんだろうし? おまえの場合、体でかろうじて女の子つなぎとめてるだけだろ。結局のところ、ただのコミュニケーション不足」
一言一言が容赦なく拓海を突き刺す。満身創痍の拓海はなんとか言い返した。
「律さんだって、客の中にも好みくらいいるでしょ。お持ち帰りの感覚でやりてえなと思うでしょうが!」
「思わねえよ。まずそこが間違いなんだっつうの」
「うそだあ! それこそ、ツバキちゃんなんてめちゃくちゃ美人でしょ。あれだけ金出してもらってんなら、やることやってんじゃないすか?」
とたん、拓海はびくりと縮こまる。律は何も返さず、不機嫌に細めた目で拓海をにらみつけていた。一瞬で張り詰めた空気の中、志乃も口を挟めない。
律は拓海に近づき、持っているスマホの画面を指さした。
「こういうことを起こさないコツは、こういうとこでこういう話をペラペラしゃべらないことだ。覚えとけ」
身をひるがえし、律は店を後にした。急いで階段を駆け上がる音がキャッシャーにまで聞こえてくる。
残された拓海に、志乃は苦笑した。
「おまえ、相変わらず律を怒らせるのだけはうまいな」




