雪女の郷で
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正月休み。華乃子は当然実家に呼び出されることもなく、雪月の郷に来ていた。雪月は半分人間である華乃子を雪女の郷に連れていくのを、最初渋った。雪女の郷はその名の通り、雪女が済む郷らしく雪深い山奥の郷なのだそうだ。普通の人間にはとても過酷な環境だから、雪女の血が半分しかない華乃子には危険だと心配された。しかも華乃子は半分人間の半端者であるために、沙雪が華乃子を蔑視したように、郷の雪女たちの反対を思うと、安易に華乃子を連れていくのはどうかと心配された。
しかし、雪月と一緒に生きていくなら、いずれは雪月の実家に挨拶に行かなければならない。何より、雪月は華乃子を探すために現世に来ているのだから、華乃子が雪月と出会い、愛を告白された今、多少の危険があったとしても雪月と添うつもりでいるならば、郷を訪れないという選択肢はなかった。華乃子は何があっても雪月を信じているから、と雪月を説得し、兎に角雪月の郷の雪女たちに挨拶する機会を作ってもらった。
郷へ入る前、雪月は懐から一片の紙片を取り出して、それを兎の形に折り、手から舞う雪を吹きかけて、白銀の小さな雪兎を作った。首には赤い紐で金色の小さな鈴が付いており、雪月の手から華乃子の肩に兎が飛び乗ると、ちりちりとかわいらしい音が鳴った。まるで子供の頃に雪月に作ってもらった雪うさぎが跳ねたようだった。
「郷では絶対、私がお守りしますが、私から離れるときは、その兎が私の代わりに守ってくれますので、絶対、この子を離さないようにして下さい」
華乃子は首筋に鼻先尾を擦りつけてくる兎の感触にくすぐったく笑いながら、雪月の頼もしい言葉に頷いた。
かくして訪れた幽世の中でも一面真っ白の山の奥で、雪月と華乃子のことを、沙雪を筆頭に大勢の雪女たちが出迎えた。
「お帰りなさいませ、雪月さま」
「此度のご帰郷、一族揃って嬉しく存じます」
こうべを垂れる雪女たちに、雪月は、うん、と鷹揚に頷いただけで通り過ぎてしまう。その、現世での雪月の態度との違いに、郷では彼が一族の頂上に居るのだと知る。頭を下げたままの雪女たちの視線が、華乃子に刺さったような気がした。
華乃子は帝都で買って用意していた風呂敷に包んだ和菓子を、並んだ雪女の一番端に居た人に差し出した。初めて他人の家を訪れるときの礼儀だが、雪月が家、と言っていたので家族程度を想定していた為、まさか大きな屋敷に大勢の雪女たちが待ち構えているとは想定外だった。
「あの、これ皆さんで……」
そう差し出すものの、屋敷全員分には数が足りない。更に、差し出した相手の雪女は受け取らなかった。
「こんなもので我らに取り入ろうとするのか、人間。物で釣ろうなど、力のないお前には似合いの方法だな」
そう吐き捨てるように言って、あまつさえ、差し出した風呂敷包みをパシンと叩いて床に落とした。
……人間同士だったら、こうして挨拶することで円滑な人間関係が始まるのだが、幽世では違うらしかった。華乃子なりに、雪月の家族と仲良くなれるよう一生懸命考えて選んだ品だっただけに、こういう扱いをされるとしょんぼりする。一方で少し先を行っていた雪月がその行為を咎めると、雪女はこうべを垂れた。
「華乃子さんなりに気を遣ってくださったんだ。その心を無碍にするな」
「は……。しかし……」
「言い訳は聞きたくない。今回僕は、彼女を正式な番候補として招いている。粗相のないようにしろ」
「……御意……」
頷いた雪女たちは悔しそうな顔をしていた。
……これが、力が統べる世界……。華乃子は目の前で繰り広げられたやり取りを呆然と見ていた。
雪で覆われた郷の気候は、人間の華乃子には少し寒いが、半分が雪女だからなのか、思ったほど堪えていない。むしろ荷物に紛れて一緒に来た太助と白飛がぶるぶると震えていた。
『さ……っむい! 身体が凍る!』
『足が冷たい!』
「煩いなあ、雪女の郷だって言っておいたじゃない。それを勝手についてきたのはあなたたちよ?」
用意してもらった部屋に通されて二人が荷物から顔を出すと、華乃子はあきれたように言った。
『現世からはるか離れるんだから、俺らが見守ってなくてどうするんだよ!』
『華乃子は危機意識が薄いから困りもんだな』
などとぶつぶつ言う。見守るも何も、雪月の郷なのだし、雪月が一緒だったら心配要らないというのに、この言いよう。どうしても華乃子にまとわりつきたいらしい二人を、はいはい、とあしらって、華乃子は部屋に迎えに来た雪月と部屋を出た。……叶うなら、会いたい人が居る。
雪月にそれを頼むと少し渋られたが、結局はその人のところへ案内してくれた。雪月に連れてきてもらった場所は、屋敷の離れにある牢だった。中に居る雪女は後ろ手に手を縛られ、うずくまって顔を俯けている。
「……お母さま……」
華乃子は格子越しに彼女を呼んだ。ぴくりと雪女の肩が動き、ゆうるりとその顔が持ち上がる。ぼんやりとした目に華乃子が映ると、みるみる彼女――千雪――は顔に生気を宿らせた。
「華乃子……。愛しい子……」
か弱い声が、華乃子を呼んだ。この声を、どんなに切望しただろう。現世では得られなかったこの声。華乃子を受け入れ、愛してくれるこの声の主に、どうしても問いたいことがあった。
「お母さま……。……どうして連れ去られようとしたとき、どうして私を連れて来てくださらなかったのですか……? 貴女が一緒に居てさえくれれば、私は何処に居ても独りぼっちじゃなかったのに……」
此処への道すがら、雪月に千雪が幼い華乃子を独り残し、幽世に戻ったことを教えられていた。自らの意思ではなかったと聞いたが、だったらせめて華乃子を連れて戻れなかったのだろうか。絞りだすような華乃子の声に、千雪も悲しそうに涙を流した。
「愛しい子……。悲しい思いをさせてしまって、ごめんなさい……。あの時私は、光雪様に請われて彼の許に嫁ぎました……、それでも現世への……、雲の狭間から見た一夜様への憧れが忘れられないで居た……。貴方を現世で生み落としてそのまま郷に引き戻された私は、光雪さまを裏切った罰としてこうして牢に繋がれていますが、一夜様への想いは今も胸の中にあります。華乃子、どうか一夜様も光雪さまも恨まないで……。恨むなら身勝手な母を恨んで……」
ほろほろと泣きながら訴える本当の母親から聞かされた彼女の事情を、華乃子は静かに聞いた。
「……お母さま……。貴女とお父さまは愛し合って貴女の心にはお父さまが居たかもしれませんが、私の心の中には誰も居なかった……。疎まれ続けて十年以上生きてきた……。私が貴女を恨んでも仕方ないですよね……?」
華乃子の言葉に、千雪は悲しそうに頷いた。
「……でも、私を生み落としてくださったご恩は忘れません……。私を現世に生み落とし、鷹村の家で少しの間でも育てさせてくれたご恩、それは忘れません……」
だって、雪女の血が流れていなかったら、あの場所で雪月を見つけることは出来なかった。雪月に会えなかったら、雪月に愛してもらうことも、今こうして千雪と会話をすることも叶わなかった。千雪と話すことが出来なければ、彼女が華乃子を愛していてくれたことも知ることも永遠に出来なかったのだ。
「だから恨みません。……私を貴女の娘として生み落としてくださって、ありがとうございました」
彼女の娘として生まれたからこそ、雪月の傍に居られると改めて分かった。それ以上に、今、求めることはない。
華乃子は千雪に深々と頭を下げて、牢の前から辞した。




