作家と才能
「まさか、また書くことになるなんて思ってもみなかった。ヒミコ」
その言葉は静かにこぼれ、周囲を包む通りの喧騒にほとんど飲み込まれていった。街灯が一つ、また一つと灯り始め、空は少しずつ夕暮れの色を濃くしていく。
ヒミコは隣を歩く友人へ視線を向け、微笑んだ。歩くたびにポニーテールがわずかに揺れる。「でも、これからはあまり一緒にいられなくなるかも」
スマートフォンに新着メールの通知が届き、彼女は画面へ目を落とした。親指が滑るように動き、文面を読み進めていく。「昨日、面接に通ったの。来週の月曜日から、新しい職場で働くことになった」
バイオレットはうなずき、答えた。視線は暗くなっていく通りの先へ向けたままだった。
「新しい職場でも、頑張ってね、ヒミコ」
黒田地区からの帰り道、二人の間に沈黙が下りた。角を曲がるたびに、夕方の空気が肩のあたりを冷やしていく。通り沿いの店先は次々と照明を落とし始め、シャッターを半分ほど下ろした店も見えた。今日最後の客たちが、レジ袋を揺らしながら店を出ていく。背後のどこかで自転車のベルが二回鳴り、やがて遠くへ消えた。横断歩道の手前で二人は立ち止まり、信号が変わるのを待った。車が通っていないにもかかわらず、周りには何人もの歩行者が並んで待っており、角の自動販売機が静かに唸っていた。
線路を渡り、中之島の方角へ進むと、踏切の警報音が背後で遠のいていった。そうしてようやく、二人はエネオスのガソリンスタンドの近くにある家へたどり着いた。看板の明かりは変わらず点り続け、歩道の上にほのかな橙色の光を投げかけていた。
入浴を終え、髪がまだうなじに湿り気を残したまま、バイオレットはソファに座ってテレビを見ているヒミコにおやすみを告げた。青い光がヒミコの顔の上でちらちらと揺れ、リモコンは片手に緩く握られていた。
もう休みたい、これ以上起きていられないほど疲れていると友人に伝え、彼女は静かに自室へ入り、扉をそっと閉めた。
だが、バイオレットは眠らなかった。
古い雑誌の山の下からノートを取り出し、少しずつ物語を書き直し始めた。ペンは、長く触れられていなかった紙の上をゆっくりと動いていく。デスクランプが小さく暖かい光の輪を紙面に落とし、部屋の残りは心地よい暗がりに沈んでいた。壁越しに、居間でヒミコが見ているテレビのかすかな音が聞こえていた。
ペン先を紙に押しつけるたびに、久しぶりに、もう一人ではないような感覚があった。インクが紙をこする音だけが、静かな部屋に響いていた。
バイオレットの口元が、ほんの少しだけ上がった。
ヒミコはいつも彼女を支えてくれていた。一方でアカメは、友人がずっと語ってきたVTuber業界の姿とはまるで違う人物だった。
初めて、これまでずっと自分を縛ってきた恐怖に向き合えそうな気がした。それは、ヒミコでさえその輪郭を完全には知らなかったほど、静かに抱え続けてきた恐怖だった。
彼女は手を止め、ノートの脇に置いていたスマートフォンへ手を伸ばした。親指が触れると、画面がぱっと明るくなった。
その日何が起きたのか気になり、彼女はスーパーバスのXアカウントへと目を向けた。指がフィードをなぞるように、投稿を上から下へ追っていく。
しばらくの間、バイオレットはその投稿を読み込んだ。新しいタレント募集についてのお知らせと並んで、小説家になろうで公開予定の新作小説の告知があり、そこにはVTuber名「ユナ・アルテメシア」の文字があった。それは、彼女がやがてデビューする際に使うことになる名前だった。ようやくスマートフォンを裏返してノートの脇へ置き、彼女はペンを取り直した。部屋の静けさが、また彼女の周りに広がっていった。
一方その頃、アカメは和歌山駅で電車を降り、バスに乗り換えて屋形町へと向かっていた。バスがホームを離れると、夕方最後の光が窓の外を流れていき、車内には数人の乗客の静かなざわめきの下でエンジンの低い唸りが響いていた。
道中、アカメの笑みは一度も消えなかった。それは通路を挟んで座る乗客の視線を、時折こちらへ引き寄せるほどだった。前方の席では年配の女性が窓にもたれて眠り、後部座席では小学生らしき二人組が携帯ゲーム機を巡って小声で言い合っていた。
今日、彼はずっと不可能だと思っていたことを、ついに成し遂げた。
同じ一人の人物の中に、タレントと小説家の両方を見つけたのだ。
「VTuber小説プロジェクトのために、ようやくタレントと作家を見つけられた。月曜日に彼女と会えるだけの価値は、十分にあった」
喜びのあまり、アカメは靴も脱がずに部屋へ入っていった。十代の頃以来、そんなことをしたのは初めてだった。
アパートに着いたその瞬間、彼はベッドに身を投げ出した。スプリングが体の重みにきしみ、靴は履いたまま、鞄は玄関口に放り出されていた。
その部屋自体、すでにバイオレットのための作業スペースとして準備が進められていた。一角が片付けられ、壁際には机が置かれ、彼女を待っていた。
彼はマットレスの上で転がり、疲労と高揚感を一度に手放した。笑いがこぼれ、それを抑えようとはしなかった。
「よかった、本当に。だけどこれからは、彼女が書く物語をもっと面白くする方法を、真剣に考えないと」
アカメは天井を見上げた。片腕を頭の下に折り曲げたまま。
「姫星さんの活動の方向性も、そろそろ具体的に考え始めないといけないな」
彼はベッドから起き上がり、作業部屋へ向かった。入るなり照明をつける。狭い空間には、壁際に積まれた資料本がまだ雑然と並んでいた。
そこで、部屋を埋める三台のパソコンのうち一台の電源を入れた。ファンが静かに動き出し、画面がゆっくりと点灯していく。
「自分の力で、始めたことを続けていかないと。両親にも、友人にも、自分一人でこれをやり遂げられることを証明する。この事務所を、いつかカバーやにじさんじのような存在に育て上げてみせる」
その決意に突き動かされ、アカメは新しい作家と新しいタレントについての告知文をLinkedInとX向けに書き上げていった。指は迷いなく動き、湧き上がる興奮に水を差されないうちにと、素早く文字を打ち込んでいく。
書き上げると、彼はすぐに両方のプラットフォームへ投稿した。スーパーバスが次の小説プロジェクトに向けて、候補タレントと新しい作家を確保したという内容だった。
その夜、アカメは日本のVTuber配信を次々と見始めた。タブを一つ、また一つと開きながら、バイオレットの創作をふたたび育てていくための戦略を組み立てていく。部屋の中で灯っているのは、モニターの光だけだった。その届かない先には、部屋の残りが闇へと沈んでいた。
かつての相棒から学んだすべてと、一人で書き続けてきた経験を、彼はひとつに重ね合わせていった。キーボードの脇のメモ帳には、いくつもの走り書きが散らばっていた。
「これは、まだ始まりに過ぎない」




