甘酒
「あけましておめでとうございます」
元日の架橋神社で葵亥は菊守、導仁、椿嬉と互いに挨拶した。
鳥居の前に立派な門松があり、導仁がそれをまじまじと眺めて言った。
「この門松いいですね。正月って感じで」
「ええ、五姫婆が手配していたみたいです。
こういうとこマメなんですよ」椿嬉が答えた。
「さすが五姫婆。
ところで葵亥殿が珍しく少しだけ洒落た色の着物を着ていますね」
導仁はあまり葵亥が触れて欲しくないところに触れてきた。
今日の葵亥はいつもの地味な着物ではなく、少しだけ明るい青みの生地の物を着て、帯も少しだけ柄の入った物を付けていた。
「酉貴兄から、元日くらいは少し着飾れと言われたもので⋯。
なんだか落ち着かないですが」
「葵亥殿、結構お似合いですよ。
普段からもっと着飾ってもいいくらいです。
正直、これでも全然派手ではないですよ」
菊守にそう言われると葵亥は少し自信が持てた。
本当はこんな似合わない格好で出歩くのは恥ずかしいとさえ思っていたのだ。
「菊守殿、葵亥殿を口説いてどうするんですか」
導仁が笑って言った。
境内を見ると、今日は元旦ともあって他にも普段見ない参拝者が大勢来ている。
「初詣ですね。架橋神社にこんなに人がいるのを初めて見ました」葵亥が言うと椿嬉が頷いた。
「そうですね、雪姉から三が日は参拝者が多いと聞きました」
他の参拝者に混じって葵亥たちも架橋神社の参拝をする。
いつもの参拝が終わり社務所に向かうと、社務所の外では五姫婆が白い湯気の上がる大きな鍋をかき混ぜていた。
五姫婆が鍋から白い汁を器にすくって、雪笹がそれを参拝者たちに次々と配っている。
「五姫婆、雪笹殿、あけましておめでとうございます」
菊守、導仁、葵亥が新年の挨拶をすると、五姫婆と雪笹が手をとめて挨拶した。
「あけましておめでとう、今日もご苦労さんだね」
「あけましておめでとうございます。皆さんもぜひ甘酒をお召し上がり下さい」
雪笹が葵亥達にも器を差し出した。
「温かそうですね。ありがたくいただきます」
葵亥は器を受け取った。
器から湯気に混じって甘酒のいい香りが立ちのぼる。
「毎年元日には甘酒を振る舞うのが恒例となっているそうなんですよ」椿嬉がそう言いながら雪笹から甘酒を受け取った。
「こういう寒い日に外で温かい甘酒を飲むと、いつも以上においしく感じますね」
菊守が本当に嬉しそうな笑顔をして言った。
「菊守殿、まるで椿嬉殿が味噌汁を飲んでいる時の様な顔をしていますね」葵亥が言うと、菊守はくっくと笑った。
「そうかもしれません。今まで飲んだ中でいちばん美味しい甘酒ですよ」
菊守が今まで宮廷で出された甘酒が、この五姫婆の甘酒に味で劣るはずはないことは葵亥にも分かっていた。
葵亥も尾木の国の屋敷でもっと味の上等な甘酒を飲んだことはあったが、今日の甘酒は別格だ。
菊守の言っていることがすごくよくわかると思った。
「ところで、先ほど酉貴様がいらっしゃいましたよ。
御神木の方へ行かれました」
雪笹が導仁から空の器を受け取りながら言った。
「そうですか。私も行ってきます」導仁が再び拝殿の方へ向きなおった。
「御神木?」葵亥が首を傾げていると椿嬉が導人の後に続きながら言った。
「葵亥様、菊守様。私達も一緒に行きましょう」
導仁は想殿を通り過ぎ、拝殿の手前の細い道を進んでいく。
本殿を左手に見ながら進んでいくと、注連縄のされた大木の下に立ち、広がる枝を見上げている人物がいた。
その上等で派手な赤い着物を着た人物は葵亥たちが近づいて行くと、振り返って笑顔を見せた。
「みなさん、あけましておめでとうございます」
「酉貴殿、今日もまた素敵なお召し物ですね。
華やかでとてもお似合いです」
菊守がお世辞ではなく本心で言っているのが分かる。
「今度は酉貴殿を口説くつもりですか」導仁が冗談めかして言う。
「菊守殿、お願いですから酉貴兄の真似はしないでくださいね。
酉貴兄も、こちらに来るなら言ってくれればよかったのに。
ここで何していたんですか?」
葵亥は今朝、所司代の屋敷で酉貴と一緒に朝餉を食べたが、その時は架橋神社に来るという話はしていなかった。
「いや、なに。ふとこの木のことが気になってね。見に来たんだ」
酉貴は微笑み、御神木を再び見上げながら言った。
「私も、酉貴殿が来ていると聞いて、久しぶりにこの木を見てみようと思ったんですよ」
導仁も酉貴の隣で御神木を見上げた。
「気になるって、一体何が気になるんですか?」
葵亥が聞くと、その質問に導仁が質問で返した。
「葵亥殿は、この木が何の木か分かりますか?」
葵亥は注連縄の巻かれた巨大な木をまじまじと見つめた。
「何の木でしょうか。桜の木のような気がしますが⋯」
「私も桜の木の様に思います」菊守も木を観察していた。
「正解です。これは桜の木です。でも、何か変わったところがありませんか?」
葵亥は桜の木をもう一度見上げた。
大木の広がる枝にいくつも丸い塊の形で葉が付いている。
「桜の木は今ごろは落葉しているはずですが、この木は少し変わった葉が付いているみたいです。桜っぽくないですね。
初めは鳥がたくさん巣を作っているのかと思いましたが、よく見ると巣ではなくて、この丸い塊にもちゃんと枝や葉がありますね。
何か変わった花が咲く桜の木なのでしょうか?」
「花は普通の桜の花ですよ。
この木に付いている丸い塊は全て宿り木です」
「「宿り木?」」葵亥と菊守の声がぴたりと合った。
「宿り木って、ほかの木に寄生して生える木ですよね?」
菊守が確認するように聞いた。
葵亥も宿り木のことは知っている。
「一本の木にこんなにたくさんの宿り木が付いているのは見たことが無いです」葵亥は頭上の丸い塊を見上げて言った。
「私もこんなに立派な宿り木は初めて見ました。すごいですね」椿嬉も感心している。
「宿り木は、本体の木が落葉している間しかよく見られないからな。それに」
酉貴が目線を宿り木から導仁の方へ移した。
「そうでなくても、今回京の都に来たからには、この御神木を見ておきたかったんだ」
「酉貴兄はこの御神木に何か特別な思い出でもあるんですか?」
葵亥が聞くと、酉貴は少し驚くような表情を見せたが、葵亥の方を見て急に笑い出した。
「ははっ、思い出か。
そうだな、私にとっては重要で意味深い物だよ。
多分、葵亥にもそのうち分かる」
酉貴がこういう抽象的な物の言い方をするときは、これ以上聞いても無駄だと葵亥は知っている。
それに、酉貴がそのうち分かると言うのなら、そうなのだろう。
酉貴は普段適当に見えて、実は全てを見通して話す人間なのだ。
葵亥も酉貴のそういうところには正直尊敬の念を抱いている。
葵亥はここで一つ椿嬉に聞きたいことがあった。
「御神木、と言いましたよね。
椿嬉殿、神社にとって御神木とはどういう存在なのですか?」
「御神木は神霊が宿る依代です。
そして神社にとって重要な木や、森です。
大抵この木のような老木だったり、大木だったりすることが多く、昔からそこにあり神聖なものとして祀られているんです」
さすが椿嬉だ。こういう事は全て教えてくれる。
「そして、」
椿嬉は葵亥と菊守の目を交互に捕らえて続けた。
「この架橋神社の御神木は、現在の幕府が開かれたときに植えられたそうです」
「え?幕府が開かれたときですか?」葵亥は思わず目の前の老木の幹から視線を椿嬉の方へやった。
「はい。当時の海儀天皇と、初代将軍気織義臣様が、共にここに桜の木を植えたそうです。
そしてそれが國造りの儀の始まりとなったのです」
「非常に興味深い話ですね」菊守も初めて聞く話だったようだ。
「200年前にこの木は印として植えられたんだ。
印というのは意外に大切な役割を果たすんだよ。
我々人間は世代を超えた歴史や記憶なんかをうっかり忘れてしまうものだからね」
酉貴はそう言うと、葵亥の肩をぽんぽんと叩いた。
それから酉貴が急ににやりとしたので、葵亥は嫌な予感がした。
「ところで葵亥。お前、その着物似合ってるぞ。
いつもの地味なものよりずっといい。
あれでは地面との区別もつかないからな」
「いや、さすがに地面との区別はつきますよ」
葵亥がむっとして言い返すと酉貴が葵亥の肩をばしばしと叩いた。
「冗談だ、真面目なやつだな!
そんな頭の硬いやつは想いの人にも振られてしまうぞ」
葵亥は地面と一緒にされたことがまだ腑に落ちなかったが、地面の着物の事は一旦頭の隅に追いやった。
「別にいいですよ、私の事は」そう言いつつ、葵亥は一瞬五姫婆の屋敷の使用人の花月の事を思い浮かべていた。
「何だ、葵亥。想いの人がいるのか?どこの誰なんだ?」
「ええっと、それより、この後所司代の屋敷で気織家恒例の餅つきをするらしいんですけど、皆さんもいらっしゃいませんか?」
今日は義巳が使用人も含めて皆で餅つきをすると言うのだ。
葵亥は尾木の国にいた頃から元旦にはきまって餅つきをしていた。
「いいですね!是非お邪魔させていただきます」
菊守が嬉しそうに答えた。
「私も行きます!そろそろ甘酒を配り終わる頃でしょうから、雪姉と五姫婆にも声をかけてもいいですか?」椿嬉ものりのりだ。
「もちろんです。大勢のほうが盛り上がりますから。
男達が餅をつきますから、女性達は食べる専門でゆっくりくつろいでくださいね」
酉貴が椿嬉に向かって優しく微笑んで言った。
葵亥に対する態度とは大違いだ。
「それでは一旦社務所の方へ戻りましょうか」
導仁が言うと、皆それぞれ御神木に背を向けて歩き出した。




